けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

夫が家を出て行ってしまった

タイトルの通りなのですが、昨晩、夫が家を出て行ってしまいました。

連絡が取れず、どこにいるかもわかりません。

 

これまでアスペルガーの嫁に譲歩したり理解しようとしたり、

自殺しようとした私を引き止めたり、いろいろと頑張ってくれましたが、

夫のかかえていたストレスは相当なものだったと思う。

この先もアスペルガーは治らないので、もう限界かもしれません。

 

一説によると、アスペルガーの人の離婚率は8割にもおよぶそうで、

自分もアスペルガーひどいですし、治そうにも治りませんから、やはりいつか離婚になるのかもしれないと薄々思いながらやってきましたが、

けっこうあっけなくこの時期が来てしまいました。

 

アスペルガーの人が困ることは多岐にわたりますが、私の場合は

とにかく「相手の言いたいことがわからない」「何を伝えたいのかがわからない」

このへんが非常に困っています。

 

今回も発端は夫の要求に応えようとした私がストレスを貯め過ぎてプッツンしてしまったことが引き金なのですが、夫が求めていることはごく普通のことだったと思います。

ただ、アスペルガーの自分には負荷があった。

 

というかアスペルガー関係なく私自身のパーソナリティーが結婚に向くものではなかったのかもしれません。

 

夫が帰ってきても、はたして前のように穏やかに生活していけるかわかりません。

 

もし離婚になったら、私には生きて行くすべがないのでどうしたもんかなと思っています。

 

 

おわり

障害をクローズドにした人にどう接していいかわからない

タイトルの通りなのですが、今、これで悩んでいます。

 

私はこれまでの人生で発達障害のために大変苦しんできたので、このブログでもよく発達障害のことを書いてきました。

確定診断を受けたときの「やっぱりか…」という安堵感は今でもありありと覚えていて、これまでの苦しみの何割かがすーっと溶けて行った感じですらありました。

確定診断後、なんとか障害者枠での仕事に就けないかと考え、そのために障害者手帳も取りました。(ただし私は症状が身体に強く出るタイプなので体調が安定せず今も無職です)

 

最近、発達障害がテレビで特集も組まれたりして、非常にブームになっている感じですらあるのですが、理解者が増えて欲しいといつも願っています。

 

ところで、私は自分自身が発達障害者ですから、似た傾向の人はピンと来ます。

もちろん精神科医ではないから診断はできませんが、自分と似たものを感じる人が自分の周囲にもちらほらいます。

 

1年半ほど前の話になるのですが、知人の女の子が顕著な感覚過敏の症状に苦しんでおり、「つらい」とこぼしていたので、思わず(ここが本当にアスペなんですが)

それは発達障害による感覚過敏ではないのか」と、その人に伝えてしまったのです。

するとその子は激怒して、「私は障害者ではないし、ねねさんも障害者ではないと思う」と言ってきました。

私はどうして確定診断を受けた自分が精神科医でもない彼女にそういう言われ方をするのかなとトンチンカンもよい受け取り方をしていたんですが、誰か他人に「あなたはアスペじゃないの」と伝えることはとんでもない侮辱なのだということを、私は1年以上経て、いま、ようやく、やっと気がついたわけです。

 

私はリアルでは自分がアスペルガーであることを公開していません。

それは差別を怖れてのことなのですが、信頼のおける知人友人、ほんの数人にだけは自分の障害を打ち明けています。

今のところ、アスペルガーADHDであることを伝えたことで差別をしてきた人はいませんが、これから先どこで差別されるかもわかりません。

 

私はバカなので、たまたま自分のまわりに自分の障害のことで酷い態度を取る人がいなかったこと、自分が障害に気づいたことですごく救われたことなどを、

きっと他の人もそうに違いないと勝手に思ってしまっていたんですね。

 

私の中では、アスペルガーは単なる特性であって、人と違う脳の働きをしているという認識のほうが強くなってきたのですが、誰か他人に「アスペルガーじゃないの」と伝えることは「あなたは通常と違う、劣った人間なのだ」と伝えるのと同義なのかもしれないと、この件があってやっとわかったわけです。

 

 

しかし、相手にアスペルガーではないのかと伝えることが侮辱になるというのは、本当に私はわからなかった。言われた側がどう思うのかが、本気でわかりません。

このへんがまさにアスペルガーですが、こうして迂闊に相手の心をざくざくと切りつける発言をしているのだなぁと…。

 

私の妹もアスペルガーで、先に確定診断を受けたのは妹のほうだったのですが、少しでもアスペルガーの話題を出すと激怒して怒ります。

一体どういう心情なのかが私にはわかりません。「この私が障害者なわけがない」という怒りなのか、「できるだけ健常者であるように振舞っているのに、少しでも思い出させるのはやめてくれ」という気持ちなのか。「自分を障害者として扱うのはやめてくれ」なのか。だとしたらなぜそう思うのか。

とにかく私にはこの心情は現在のところわかりません。

 

発達障害にはこんな症状がありますよ、というのが大きく認知されるようになっていくと、クローズドでどうにかして健常者として振舞っていた人が「あの人、実はアスペじゃないの」という見方をされる可能性もあるのだなぁと、そんなふうにも思ったりしました。

 

私の中に、同じ苦しみを持っているのだから分かち合おうよという気持ちがあるのかもしれません。同病相哀れむことが気持ち悪い人もいるでしょうし、これまで必死に健常者として振舞ってきたのに、あんたのせいで!という気持ちもあるかもしれません。

  

発達障害に理解をしめす人もいるので、そういう人と交流をしていけたらという気持ちの一方で、自分はできるだけ人と関わらない方がやっぱり平和なんじゃないか。

そんな気持ちでいます。

 

 

おわり

最近の記事について雑感

前回、A子との関わりのブログを書いた。意外と反響があって、へえーとなっていた。

nenesan0102.hatenablog.com

 

私とA子との付き合いはゆるーく、つかず離れずでネット上のみだったが、数年におよぶものだったから、いろいろな話をした。

その中に、「かつての日本にも私たちと同じような“穀潰し”はいたと思うんだけれど、そういう人たちは一体どうしていたんだろう?」という話題が出たことがあった。

 

ここでいう「かつて」とは、明治とか大正以前である。

この頃の日本は、国民のほとんどが農民だったわけだが、そういう中で体が弱く生まれついた女性や子どもが産めないとはっきりした女性は、一体どこでどのように暮らしていたのだろう。

もちろん男性でも虚弱に生まれついて、農作業に耐えられない肉体の人は一定数確実にいたと思われるが、彼らは一体どうしていたのだろうか。

「おじろく、おばさ」というとんでもない風土慣習のある地域があるが、これだって体の病弱な個体は務まるものではない。

たまたま裕福な家に産まれた女性は「尼になる」という手があるが、尼に出家するにはかなりまとまったお金が必要になるので、これもかなりの財産持ちの家でないと現実的には無理だろう。(しかも実際は尼をするにはかなり体が強くないと暮らしに耐えられない…)

 

今のように社会福祉制度の整わない時代である。

穀潰しを生かせる余裕がある家ばかりではない。

おそらくだが病気になったのをこれ幸いと、まともな看病もせずに見殺しにされていた例がほとんどだと思う。

宮本常一の『日本残酷物語』には、困窮ゆえに家族を殺める話がぼろぼろと出てくる。家族の手による殺人はかつての貧しい日本では起こりうる出来事だったのだ。

 

私とA子は、やはり今の時代に産まれてよかったなと、やはり昔の時代は厳しいなと、そんな結論に達してしまった。

 

 

こんな記事があった。

gendai.ismedia.jp

 

私はたまたま理解ある夫に出会い、結婚することができたが、いつこの立場になってもおかしくないと思っている。

さらに言うと夫に養われて生きているため、なんらかの形で夫が亡くなった場合、私には自力で生きて行くすべがない。

以前も書いたが、私は資格を持っているし実務経験もあるのだが、体が弱すぎてほとんど働くことができない。A子もそうで、看護師資格があるが体が弱ってしまって働くことができない。こういう個体は、庇護するものがなくなったら、最終的には生活保護を頼るほかなくなってしまうだろう。

 

ときおり、街で女性ホームレスを見かけることがあるが、親が亡くなってしまったのち、どうしようもなくなって家を失いホームレスになってしまったのだと思う。このような人もこれからはどんどん増えていくだろう。

 

また、私自身もそうだったが、この世代はまだ発達障害の診断基準が確立していないため、発達障害をかかえているのにそれが見落とされてそのまま大人になった人が少なくない。

以前、引きこもりの調査をしてみたら非常に発達障害の割合が高かったというデータがあるが、この層にも発達障害が原因となった例が何割かは含まれているのではないかと推測する。

 

 

中高年が厳しい状況に置かれているのは男性も変わらない。

こんな記事もあった。

business.nikkeibp.co.jp

 この記事にコメントをつけたら、トップになってしまった。

白書もスルー? 40、50代男性の自殺率の高さ:日経ビジネスオンライン

年齢差別のひどい国で非正規雇用と貧困が拡大したら、仕事に就きづらい中高年が困窮して自殺するのは当たり前の話じゃないの…中高年になれば気力も体力も衰えるし内臓や関節も弱って病気にもなるし。

2017/06/06 09:50

b.hatena.ne.jp

 

しかしこの記事にはいまいちよくわからない部分がある。

自殺しているのは「お父さん」なのか、それとも孤独な「キモくて金のないおっさん」なのか。

お父さんの奥さんは「高いランチ」を食べる金銭的余裕がある。それはお父さんにはお金があるということを示している。

いや、違うんじゃないのか。お金がない人が困窮して自殺するのではないか。

もう少し掘り下げたデータを知る必要がある。

 

社会保障を必要とする弱者男性について、私は書いておきたいことがある。

 

私にとっては「キモくてお金のないおっさん」といえば西成だ。

 

私は、西成のことをよく知るまで、一体なぜあの地域だけがそんなに生活保護の人が多いのかと不思議に思っていた。大阪の人は怠惰なのか?

違った。

事実はまったく違ったのだ。

 

西成のすぐ隣に大正区という街がある。ここも大阪の下町で大変ディープな街なのだが、ここに住む人が教えてくれたことがある。

西成は生活保護が非常に通りやすい地域なので、全国各地から西成を目指して片道だけの交通費を持たされた老人がやってくるのだそうだ。

そして西成の近くで迷う。

知人は何度も道を聞かれたそうだ。

西成の区役所はどちらですかと。

鳥取や、中には北海道からだという人もいたそうだ。

 

「あそこは完全に姥捨て山だと思います」と知人は言った。

 

何らかの形で家族が養うことができなくなってしまったが、自分の住んでいる地域では生活保護が通らない。身内が生活保護なのも外聞が悪い。だけど生きていてほしい。

そうだ、西成へ行こう。

こうして西成に弱者が集まるようになってしまった。

ちなみに生活保護の全国平均は288人に1人だそうだが、西成のとある地域では2人に1人、4人に1人が生活保護という地域があるそうだ。

(これはこの知人が西成で行われた貧困の研究者の人の生活保護に関する調査を聞きに行ってその資料を見せてもらったもので、いわば又聞きなのだが、かなり衝撃的なデータであった)

 

この記事のブコメに「女はいいよな」というコメントがついていて、確かにそうだなぁと思わざるをえなかった。

この背景には、女性が悩みを共有する傾向があるのに対し、男性は1人で抱えてある日突然死を選んでしまうという傾向が強いという背景が大きくあると思う。

 

適当に書いてしまったので、あとで消すかもしれないが

 

おわり

 

 

会えなかった女友達のこと

かつてmixiというのが大流行りしたことがありました。

今もあるのですが、当時の流行はなかなかすごいものがありました。

 

前回のブログで、私は自分の体が弱い事について触れたのですが、基本的にはブログだからこう書いているだけで、現実で体が弱いという話を他人にしたことはほとんどありません。

なぜなら「甘えだ」と受け取られることがものすごく多いからです。

 

私はもともと子どものころから発達障害だったのですが、20代の前半で二次障害として鬱を発病しました。その頃から寝たきりになったり、起きられてもほんの少し活動を一時的に行えるだけという、基本的にはグダグダな状態になりました。

 

発達障害だとわかったのは30代なかばくらいのときで、それまでなぜこんなに体がしんどいのか本当にわからなかった。何度となく検査に行ったり、漢方薬を試したりいろいろやったのですが原因がどうしてもわかりませんでした。

とりわけ月経前症候群がひどく、生理前になると精神錯乱して自傷ばかりしていた。

20代前半はホルモン分泌も多いですからPMSも酷く出たんだろうと思います。

 

20代なかばのあるとき、mixiで一通のメッセージがある女の子から送られてきました。

メッセージを送ってきたのは、かりにA子としますが、A子は年齢も自分とほぼ同じ、

同じようにPMSがひどく、体がいつもしんどくて、寝たり起きたりの生活を送っているという、自分にとても良く似た女の子でした。

 

私たちは一気に仲良くなりました。

何しろ、現実世界で「体がつらい」と言っても「甘えるな」という声が必ず飛んでくるので何も言えない。mixiには日記機能がありますが、暗い事を書いて引かれるのも嫌だ。だけどこの人ならわかってくれる。

お互いがそんな気持ちで「今日もしんどい。死にたい。そちらは大丈夫?」というメールを頻繁に送り合っていた時期がありました。

同じ20代なかばの女性としての悩み、つらかった子どもの頃の話、通常のルートから外れてしまったこの人生。これからどうなるんだろうかという不安、かなりいろいろな話をしたことを思い出します。

 

A子とやりとりするうちに、彼女がもともとは看護師で大病院の外科の手術室勤務でバリバリ働いていたことを知ります。

 

A子は、23歳で卵巣癌を発症していました。

24歳のときに手術をして卵巣を両方とも取り、子どもが持てない体になった。

癌で卵巣を取ったことでホルモンバランスに異常をきたしてしまい、ひどく苦しむようになった。

抗癌剤治療によって体がすごく弱り、術後ほとんど働けない体になって家に引きこもっていた。

私がA子と知り合ったのはこの時期でした。

 

しかし医学的にはA子の体は「治って」いて、再発も転移もなかったため、「あなたは健康」という状態になっていた。だが働けない。体が弱ってしまって、資格があってもとても昔のようには働けない。癌の治療にもたくさんお金を使った。

A子は父親に働かないことをいつもなじられていて、「こんなことになるなら治らなければよかった」とよく嘆いていた。

 

A子は鬱もひどくて、よく「死にたい」というのを送ってきました。

私は、なぜA子が、まだ若いのにこんなにも大きな試練に飲み込まれなければいけなかったのかとよく思ったものです。

不幸に見舞われていなければ、A子は鬱にならずに今日も手術室でバリバリと働いていたかもしれないのに。

 

A子の場合、術後後遺症という状態なので、医学的な区分上は「癌は治っている」。働けないけれど、こういう状態の人に対しては何も救済措置がないことに私は唖然とするしかありませんでした。

私自身もそうですが、ただ体が弱い、病気はないけど働けない人というのは、行き場がないんですよ。生きて行く場所が社会にない。

  

 

 以前、こんなエントリを書いた事があります。

nenesan0102.hatenablog.com

 

 このエントリのブコメには、生活相談があるよとか、何がしかの救済措置が他にあるというコメントを下さった人がいて、それはとてもありがたかったのですが…。

私やA子には「他人や国のお金を使ってまで生きているのは心苦しい」というのがあったように思います。(A子も私も、子どものときに親からひどい虐待を受けて育っていました。だからこのような志向になったのかもしれません。)

 

どんな人でも加齢とともに体が弱って行くものですが、もともとが弱い個体というのは年を経るとさらに弱くなって行きます。

ずーっと寝たきりで、この先も良い展望が見えないとなると、たいていの人は鬱鬱としてきます。社会福祉のリソースは限られていますから、こんな自分がそれを使っていいのだろうかというのも感じてきます。

 (だから私は今でも、安楽死というのはひとつの救済措置としてあってしかるべきだと思っています。 )

 

 

A子はじょじょに精神状態がひどくなっていって、ある日ぷっつりとアカウントが消えてしまいました。

私は非常に心が揺らいで不安にさいなまされたのを覚えています。

結局、その後、A子と連絡が取れることは二度とありませんでした。

 

A子は鬱がひどかったので、鬱が極まって自分を殺めてしまったのかもしれないし、私と暗いメールをやりとりすることに不健全さを感じてもうどうでもいいやと思ったのかもしれません。

真相はわかりませんが、私は今も彼女に感謝しています。

 

 

おわり

 

 

 

 

 

つれづれに思ったこと

私はとても体が弱いです。

なぜこんなに弱い個体として生まれてしまったのかさっぱりわかりませんが、今回は体が弱いことについて取り上げてみます。

 

 

坂津さんがこんなブログを書いておられました。

www.kana-ri.com

 坂津さんご夫妻が体力的な問題で子どもを持たないと決めたかどうかはちょっと不明なのですが。。

 

坂津さんのブログを取り上げたトピシュさんは「暇つぶしに子どもを持った」と堂々と言いきり、この人の、生物としての高性能さが際立つ感じになりました。

topisyu.hatenablog.com

  

夫婦円満かどうかは関係なく、暇つぶしのために子どもを持ちました - 斗比主閲子の姑日記

自分のまわりやと圧倒的にタフな人が複数の子供を持ってるな。あまり体力のない個体は長時間労働と家事でほとんどのエネルギーを使い果たしてる。結局、体の力がない個体は子孫を持つのが難しいというごく単純な話

2017/05/22 09:43

b.hatena.ne.jp

 

これは私のコメントなのですが、最近とみにこう感じることが多いのです。

私も、子どもが欲しい時期もあったのですが、あまりの自分自身の体の弱さに、「出産のときに心臓が持つのかな」とか、

子育てってただでさえ体力勝負なのに私のようなもともとから病弱な個体が子どもを再生産するだけの力量があるのだろうか」とか、いろいろ考えたものです。

子どもが欲しい欲求というのは人それぞれですが、子どもを産んだことで母体が死ぬとか、息も絶え絶えになって育児ができないとかのレベルまで弱い個体だと、やっぱり何か無理してる感じがしてしまう。

 

世の中には結局のところ弱い人と強い人がいて、強い人は弱い人の何倍ものエネルギーで物事をこなしていきます。

子どもを持つか否かは、とりわけ強い人と弱い人の差がくっきりと浮かび上がる事象だと思う。

あまり強くない個体は、生きて行くための糧を稼ぎ出すだけでエネルギーのほとんどを使い果たしてしまう。私のように、どれだけ頑張っても自分が生きて行くだけのお金を稼ぎ出すことが出来ない人も、体が弱い個体の中にはけっこういるでしょう。

こういう人が、もう1人別の人間を生み出して養えるかというと、やっぱりすごく難しい。

 

以前、とある女性ブロガーの方…たしか下田美咲さんだったと思うのですが、「20代後半ともなれば、大人ができる遊びはやりつくしているし、仕事もそれなりに覚えてきている。人生が長く感じて暇だから子どもを作った」と書いていて、私はそのメンタリティの違いに、思わずのけぞってしまったほど驚きました。というのも、私は体の弱さから、この人の半分ほども生きていないと感じたからです。

きっと彼女の中に、体がしんどくてしんどくて生きているだけで苦しいだけで時間が過ぎて行くということはほとんどないのだと思います。

一方、こちらはとにかく体が極度に弱く、そもそも仕事をするところまで到達できません。

生きているだけで非常にしんどいわけで、お願いだから早く死なせてくれと思うくらいまで追いつめられて結果私は安楽死推進派なわけですが、とてもじゃないけれどこういうメンタリティにはなりようがない。

 

体力とは何か。

辞書を引くと、

=========

たいりょく
【体力】
 
1 労働や運動に耐える身体の力。また、病気に対する抵抗力。「若いだけに体力がある」「体力の限界」「体力測定」
 
2 (比喩的に)組織が活動するための力。特に、企業の経営において、収益性・生産性・資金力・安定性・成長の可能性などのこと。「会社に体力があるうちに新商品を開発する」
 
=========
これは私がどこかでチラッと見た辞書ですが、「労働や勉学に耐えうる力」という表現を見た事もあります。そうです、勉学にも体力が必須なのです。
 
体力というのはものすごく個人差が大きいです。
しかし数値化できない。
見た目では体力はわかりません。
 
かつては、男の人の給料がそれなりに良く、出産適齢期の女性の多くが専業主婦として子育てをしていましたが、現代では男の人の給料が下がってしまったため女の人も仕事を持っている家庭の方が多いです。
そこで、子どもを持つとなると、あたりまえですが出産をする女性のほうへ負担が大きくかかる。この負担に耐えられる個体が、総数としてそれほど多くないのではないか。そんなことを思うわけです。自分には両立は無理だと思った個体は、自然と産まないほうへ流れていきます。気づいたら自然淘汰圧のような感じになってしまっている…。そのくらい、私自身のまわりでは、タフな人とそうでない人とに大きな差があります。 
 
 
以前、こんなまとめがありました。
とても印象的だったので覚えているのですが
 
 【雑誌に登場したワーキングマザーの睡眠時間が4時間とか死ぬレベルだと話題に】

togetter.com

女性向けのこの手の雑誌は、こういう、ショートスリーパーのとんでもなくタフな女性がよく登場しますが、私ははっきり言って害悪だと思っています。
このタイプの記事は、読んでいる人が「すごいなぁ」と思うように誌面が作られている。憧れを感じると同時に「ワーキングマザーはこうでなければならない」というメッセージを読み手が受け取ってしまう可能性があります。
 
 こういう、とんでもなくタフな人もいるけれど、実際には世の中はそんな強い人ばかりじゃありません。
少子化の一因のひとつとして、こういうのがあると思う。社会の変容によって、求められるのが高スペックになった結果がこうなのかなと。私なんかは氷河期世代ですから、もう子どもを持った層とそうでない層の差が見事にくっきりしていますし、氷河期世代はイコール団塊ジュニアですから、ここで少子化が一気に進んでしまった。
 
子どもを持たない層に増税しろという声も聞かれますが、年収300万台と年収600万台での婚姻率がまったく違うことに現されるように、子どもを持たない層というのは低収入なことが多い。子どもを持った世帯には扶養控除などがありますから、税負担はすでに軽くされている状態なのです。子どもを持てない低収入層にさらに税を課すのは、それはどうなんだろうと、個人的には感じています。
 
円満夫婦ですが子供はつくりません - 『かなり』

考えてみれば、昔も誰もが喜んで子供を作ってたわけじゃない。人として認められないから産まざるをえなかったわけで。子育てしてる人を暖かく見守ってくれればそれでいい。

2017/05/22 09:29

b.hatena.ne.jp

id:yukimi1977 さんのコメントです。私はこれに強く同意しました。

かつての「子どもがいて初めて一人前」という圧力は、もうただ事じゃなかったように思います。

私は、今くらいの「暇つぶしで子ども欲しいな」と思えるくらいの強さをもともと持った個体が子どもを作るというのが自然かもと思う。

たまたま若者が高齢者を支える社会構造になっているから少子化と騒いでいるだけで、ある一定の強さまで体の力がない個体が子どもを持たないというのはごく自然な話なのかなと私は思っています。 

 

おわり

 

今年の桜はものすごく綺麗で当たり年だなーという感じなんですが、

いかんせん雨がものすごく多く、桜は綺麗なのに残念という変わった年になってしまいました。

 

ときどき着物姿で歩く妙齢の女性3人連れとかを見かけるのですが、『細雪』のようでシビレる。かっこいい。あんなおばちゃんになりたい。

 

私はとくに花見とかはしてないんですが、いくつか写真を撮ったので載せておきます。

 

 

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川端五条の宮川町近く。京をどりをやってるのでけっこうな人。

綺麗だった。

 

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六角堂

 

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個人的にこの写真が好き。

御幸町の教会の桜。綺麗でした。

 

 

 

おわり

きもの

前に書いたエントリで、自分も着物を着たくなったので、じつに2年ぶりに着物を着てみました。

 

着物を着ること自体があまりにも久々すぎて自信がなかったので、京裳庵さんというところで着付けをしてもらいました。

こちらはふだんはレンタル着物のお店なのですが、自分の着物を持ち込みして着付けをしてもらうこともできます。

レンタル着物のお店はたいていが持ち込みの着付けは高い設定になってるんですが、京裳庵さんは小紋は3千円で着付けをしてもらえました。

 

www.kyoshoan.com

 

私は市美術館へ行くときは、だいたいいつも着物と決めています。なんとなくなんですが。。

古い写真を探していたら、15年近く前に撮った市美術館での写真が出てきました。

このときまだ大学生!

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懐かしすぎる。。

 

撮ってくれと頼んで撮ってもらった今回の写真がこちら。

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やっぱり市美術館はよいなぁ。
京都市美術館は昭和8年の建築だそうですが、私が着ている着物もほぼ同年代のものです。しかし今回はちょっとくどいコーディネイトになってしまった。

私はレトロな物が好きなので、写真を加工して遊んでみたのがこちら。

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こういう加工がハマると面白い(私だけが)

 

市美術館では、毎年やってる京都中の染織工房の作品展をやってたんですが、あまり時間がなくてしっかり見られませんでした…。

 

 

平安神宮にはいつも人力車がいるんですが、停まっていたので撮らせてもらったのがこちら。

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やっぱり人力車と着物は合いますな〜

 

で、このあと、人力車に一区間だけ乗ったんですけど、ものすごく乗り心地良くてびっくりしました。

 

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これは「瓢亭」の前で撮ってもらいました。前で写真撮ってもらっただけです。行ってません。

瓢亭

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26001012/

 

 

そういえばうちの曾祖父が人力車夫だったんですよね。

明治〜大正時代に弁護士さんの専属の人力車夫をしてたそうです。

かなり若くしてなくなってしまったので、あまり詳しいことがわかりませんが、残った写真を見るとすごいバタ臭い顔のイケメンだった。

 

 

今回、いろいろと写真を撮ってくれたのは夫です。

夫、ありがとう!!

 

 

 

おわり