けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

安楽死おばさん

少し前、とある人から「安楽死おばさん」というコメントをもらった。

すごいネーミングだなぁと笑ってしまった。

私はあちこちのブコメで「安楽死を法整備してほしい」と書いている。自分自身もできれば安楽死で死にたいと思っている。

 

自分が安楽死おばさんなら、橋田壽賀子女史は「安楽死おばあさん」である。

92歳の著名な脚本家である橋田壽賀子は、昨年『安楽死で死なせて下さい』という本を上梓して大きな話題となった。NHKの「クローズアップ現代」という番組でも取り上げられた。

www.nhk.or.jp

 

一方、この橋田壽賀子さんの主張に対し、「それは違う」と主張しているのが、医師の長尾和宏さんである。

先日このようなコラムがあった。

ironna.jp

私は、長尾先生のコラムを読んで違和感が強くあった。

橋田壽賀子が、「認知症になってまわりに迷惑をかけたくないから」として安楽死を望んでいるのに対し、長尾先生のコラムは「癌になった場合の末期緩和ケア」をどこかで念頭におかれて書かれていると感じたからだ。

橋田さんの主張は、認知症になって自分が自分であることすら認識できなくなり、自分の糞便を食べたりするようになってまわりに迷惑をかけるくらいなら、スイスへ行って安楽死したい、というものであって、そこに「今は緩和ケアがすごく発達しているから、苦しまずに逝けますよ」というのは何かズレている。

 

また、長尾先生のコラムを読んでいて思ったのは、どこにもお金の話が出てこないのだ。

私は、長尾先生に聞いてみたい。お金のまったくない人も手厚い医療や看護を受けられるのですかと。答えはNOだろう。医療サービスは慈善事業ではないからだ。

手厚い医療サービスには、当然その代価が必要になる。その代価を払えない人たちやその家族は置き去りにされる。

長尾先生は、このようなお金がない医療サービスを受けられる余裕がない人々のことをどう考えているのだろうか。

世の中は橋田壽賀子先生のような、家にお手伝いさんが複数いるようなお金持ちばかりではない。お金がなく、医療サービスを受けられる余裕のない人に対して「今は手厚い緩和ケアがあるので、死を恐れなくて大丈夫ですよ」というのはどうにも空しく響く。ケアを受けられない人々をどうするのか、それが一番難しいところなのではないか。

 

私は氷河期世代だけれど、この世代には非正規のままで中年をむかえ、老後への爆弾を抱えた人が多数存在する。

増え続ける非正規雇用ワーキングプアの問題。単身世帯や無貯金世帯の増加。

下記リンクに貼った「老後破産」の問題は、今よりさらに悪化した姿となって、私が老人になる頃には阿鼻叫喚の地獄絵図になっていることが容易に想像できる。

togetter.com

 

 

 

少し前、「孤独死したくなければ誰でもいいから35歳までに籍を入れろ」というtwitterが話題になったことがあった。

togetter.com

私は結婚している身だけれど、やはり夫が先に亡くなってしまったら孤独死である。

 

つい先日あった夫の深夜の家出騒動のとき、夫はかなり細かく夫が死んだ場合の指示を出してきた。口座が凍結される前に預金を引き出してほしいと言って、通帳の場所や保険金のことなどを伝えてきた。

それを読んで、私は自分が一人取り残されてしまうことを覚悟した。

 私の場合、夫が亡くなってしまうと、夫の死後どうやって生きていくかが問題である。私は能力が高い個体ではない。難病や障害をかかえている。病気があって体が虚弱だと、それだけでかなり生きるのはつらい。

夫が鬱で耐えきれずに死んでしまった場合、私には生きていくすべがない。

夫も人生にすごく疲れているから、この先も(病院にかかったとしても)自殺のリスクは高い。

 夫から悲鳴のようなメールが届くなか、私自身もあまり生きることを望んでいないものだから

「早く一緒に安楽死できるようになればいいのにね…」という返事をしてしまった。

夫がどう感じたかはわからない。

 

どこかで読んだ調査では、安楽死に賛成する人は国民の7割ちかいそうである。

私は安楽死を望んでいるのはものすごく少数派なのだと思っていたから、このアンケート結果には少し驚いた。

 

国が安楽死を法整備化できるまでには多くの問題が山積している。安楽死や自殺幇助の解禁は非常に難しい問題だから、この先も法整備化される可能性は少ないかもしれない。だがこの先、増え続ける高齢化社会の問題に対して、にっちもさっちもいかなくなった政府がどうしようもなくなって解禁に踏み切るかもしれない。

 

安らかに逝きたい。それだけである。

 

 

おわり

その後

前回の記事で、『夫がアルコール依存症かもしれない…』というエントリを書きましたら、こんな記事誰も目にとめないだろうと思っていたら予想に反してバズってしまい、びっくりしました。

nenesan0102.hatenablog.com

 

いただいたブコメも真剣度が高いものが多く、リンクを貼っていただいたネット上のテストなどもすべて試してみました。コメント下さった皆様、本当にありがとうございました。。

先週の土曜日に夫は家を出て行ってしまったんですが、次の日の夕方にふらふらになって帰ってきて、それからものすごく長い時間、こんこんと眠っていました。


いつもケンカをするとそうなんですが、夫は自分のことをほとんど話さなくなり、会話を拒否するタイプなのでここ数日、夫婦のあいだには挨拶程度の会話しかなくなってしまいました。私が家にいると帰りづらいかもと思い、私が家を出て行ったほうがよいかと聞いてみたりもしたのですが、答えてもらえませんでした。

 

ちなみに、アルコールの量ですが、だいたいお酒の缶(チューハイやビール、ストロングゼロなど)を1缶プラス日本酒やウィスキーなどをコップに1杯程度なので、量だけで見れば全然問題がないようです。(ただ、お酒を睡眠薬代わりにしていることや、具合が悪いときに酒量が大幅に増える事に強い危惧を覚えていました)

 

私はアルコールに目が行ってしまいましたが、やはり根源的な問題は夫が強く抱えているストレスや鬱が問題なのだと思います。そこが先にあって、アルコールに逃げている姿を私が不安に感じてしまった。

一方夫の方は「こんなに苦しい思いをして働いているのにどうして少しのお酒くらい許してくれないんだ!」という思いがすごく強かったのだと思います。

 

発達障害を持つ妻を抱えて、現実的に問題が出てくることも多く、夫が仕事でもプライベートでもストレスに悩まされていたことは事実で、なんで自分はこんなに無能なのかなと凹みました。

 

夫は結局、ストックしてあったお酒を全部捨ててしまいました。ゴミとして何本もの空き瓶が置いてありました。

私としてはこんなに極端な行動に走らないでよかったと思うのですが、夫はいつもだいたいこうで、なにかゲージがピーンと振り切れてしまう性質のようです。

 

今は、もう夫にお酒の事は言うのはやめたいと思います。夫の自由にしてほしいと思っています。

ストレスがひどい事や鬱がひどい点に関してはやっぱり心療内科に行ってほしいと思っています。

 

 

おわり

夫がアルコール依存症かもしれない…

昨夜のことですが、深夜の4時頃になって夫がまたも家を出て行ってしまいました。

 

2時くらいにふと目が覚めたのですが、ちょうどそのとき夫はお酒を飲もうとしていました。それで私が「もうお酒はやめてほしい」と寝ぼけた状態で言ってしまったんですね。そしたらブチキレて、お酒を一瓶まるごと流しに捨て、「お酒は全部捨てたからもう飲まない」と言いました。

その後、私は眠れなくなってしまったので携帯など見ていたのですが、あきらかにイライラしはじめる夫。布団を強く叩いたりモノも乱雑に投げたりして、不機嫌全開。

結局、身支度をはじめ、マイナスの気温の中、外へ出て行ってしまいました。

 

その後、夫が私にメールで言ってきたのは、いつもいつも仕事でストレスが半端なく、お酒が最後の楽しみだった。それを止められたので、暴れてしまいそうになったので家を出るしかなかった。もうどこにも安らげる場所がない。なのでこれから死ぬので、保険金を受け取ってほしい等

 

 

結婚後、一緒に暮らしはじめてしばらくして、夫は私に内緒で、私が寝ているときにいつも一人でお酒を飲んでいたのですね。

つらくなったとき、ストレスを感じたとき、眠れないときなどもだいたいお酒を飲みます。

朝起きて、「ああ、また飲んでる」と思いながら、テーブルに置かれた空き缶や空き瓶を片付けるのが、私の日課のようになっているわけです。

 

私自身は医師ではないから、この状態がアルコール依存症なのかどうかはわかりません。ただ、つらいときにお酒に逃げてしまうという回路ができあがっていることは事実です。夫は自分で酒の量をコントロールできているから、自分は依存症ではないと強く言うのですが、私に指摘されてぶち切れてお酒を全部捨てたり、行動がもう全然冷静ではないです。

 

夫が死んでいないことを祈りつつ、いったいどのように受診させればよいのか、そもそも夫は依存症でないのかそうなのか。本人に病気という意識はいっさいありませんが、私から見るとおかしくなっていると感じる。そもそもそんなにひどいストレスをどうしたらよいのか。

 

私が寝ぼけてお酒に苦言を呈してしまうまで、とても穏やかに暮らしていたので、いまけっこうしんどいです。

 

 

18時50分頃追記

今日の夕方になって、夫が無事に帰宅しました。

あと少し戻らなければ警察に届け出を出そうと思っていたので、無事であって本当に安心しました。

ブコメやコメントで、実にさまざまな情報をありがとうございます。

お酒は、私が眠っているとき(午前1〜2時頃)に飲んでいるので、正確な量がいまいち測れませんが、なるべく記録してみようと思います。

ブコメで「暴れてもいないのに」というのをいただいたんですが、正直お酒を飲んで暴れたり脱糞するようになったりしたらもうかなり重度だと感じています。

そこまで行く前に、私はなんとかしたいと思い危惧していました。 

去年あった健康診断でも肝臓の値が悪かったので…。 

 

 

おわり

 

 

 

 

100記事目!アホ記事3選

もう大晦日になってしまいました。2017年/平成29年ももうあと残りわずか。

記念すべき100記事目が、年の変わり目とかぶるとは。

つい先日ですが読者様も400名となり、もうありがとうございます。感謝しかありません。

 

 …というわけで、今日は「アホ記事3選」を選んでみたいと思います。

このブログは基本的にメンヘラブログなので、あまりアホな記事がないのですが、なんとか掘り出してみましょう。

 

 

第1位

 【外国人の性活動のあまりのすごさに圧倒された話】

nenesan0102.hatenablog.com

これは今でもなかなかPVが多いというか、なかなかに人気がある記事ですので、やっぱり1位やなぁと思い、選びました。

 

第2位

【Miss Teen USA2015の子がカワイイ!】

nenesan0102.hatenablog.com

今でも思うんですけど、むこうの女子高生ってなんであんな老けてるんでしょうね。

 

第3位

【京都駅でおっさんに絡まれた話】

nenesan0102.hatenablog.com

 自分で言うのもなんですが若いときはかなり可憐な容姿をしていたので、いろいろなことがありました。#me tooに近いことも経験しています。そのうちこれは書いてみようかなと思っています。

 

 

寒さのせいか、年の瀬になって大風邪をひき、ここ数日寝込んでしまいました。

もともと病弱キャラですが、非常にしんどいです…。

 

皆様もよいお年をお迎えください。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

おわり

 

おいしいゆず大根と紅白なますの作り方

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ゆず大根です。

おいしいので、作り方を簡単に書いておきたいと思います。

 

材料 大根、柚子一個、こんぶ、すし酢、はちみつ

1.大根は拍子切りにして、できれば一部、面取りをしておきます。面倒くさい人はそのままで大丈夫。

2.塩をふり、しばらく置きます。10分ほど置くと水気が出てくるので、大きめの布巾にとって水気をしぼります。

3.柚子は皮を薄く剥き、ごく薄切りにしておきます。柚子本体を半分に切り、網の上で果汁を絞り、種はとり除いておきます。

4.柚子の果汁にすし酢を加え、約120ccにします。ここにはちみつを大2ほど加えていきます。甘さは好みがありますのでちょくちょく味見をして好みの甘さにします。このつけ汁にこんぶをつけておきます。

5.しぼった大根と柚子の皮を、つけ汁につけておしまい。ジッパー付きの袋などに入れて、冷蔵庫で保管します。

2時間くらい経てば食べられます。

 

メモ:大根、酢、ゆずなどの分量はほとんど適当に作っていますが、そこそこ美味しいものができると思います。柚子の果汁にすし酢を加えていくと、大変フルーティーで美味しいつけ汁ができあがります。

私が作るときのおおよその目安は、大根15センチくらい、ゆずは一個、使う皮は3×5センチくらい、乾燥こんぶは10センチほどをはさみで小さめに切っていれます。大根の面取りをするのは食べやすさが全然違うからです。

すし酢は市販のものを使っています。ミツカンとかのでOKです。

 

 

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 おせちにも使える紅白なますです。

大根:人参の比率を、5:1くらいにするのが赤くなりすぎないコツらしい。

今回はゆずがあるのでゆず風味にしてみました。甘酸っぱさのなかにゆずの香りがほんのり香り、すごく美味しいです。

 

材料:大根、人参、こんぶ、すし酢、ゆず1個、冷えただし汁

1.大根、人参はスライサーで千切りにします。スライサーがない場合は根性で千切りにしましょう。大根と人参に塩を加えてしばらく置き、水気をしぼっておきます。

2.ゆずは皮をうすくむき、細切りにします。使う面積は3×4センチを2枚くらい。多くしないのがコツです。

3.ボウルにすし酢を100ccほどそそぎ、ここにだし汁を加えて酸味をぼかしていきます。味見をしてお好みの酸っぱさに調整します。ここに昆布を加え、つけ汁にします。

4.つけ汁にゆず、大根、人参を加え、全体に和えてできあがりです。

 

メモ:ゆず大根のときもそうなんですが、塩を振ったあと、一度水を注いでから水気を切っています。そのほうがくどさが消えるかなと思います。

すし酢をだし汁でのばすことで、独特のまろやかさが出ます。

分量のめやすは、大根約12センチ、人参約3センチ、こんぶ10センチくらいでしょうか。紅白なますのほうはかなりつけ汁じゃぶじゃぶという感じです。

 

 

似たような箸休め2種ですが、よろしければお作りください。

日本人の恐怖心についての雑感

雑感なので、すごく適当な記事です。

 

 

先日、日本三大怨霊という記事を書きました。

そのときに思ったのですが、時代によって「恐怖心」というのはかなり変遷があるわけで、人々がどのようなことを恐怖に感じていたかというのをさぐると面白いなぁということをちょっと思ったのです。

 

これは私が「へー」と思った話なのですが、古代神道だと、いわゆる「成仏」という概念はないのです。成仏というのはやっぱり仏教の概念なのですね。

古代神道では、人々は死んだら「黄泉の国」へ行くと言われていて、その「黄泉の国」ではふらふらとそのまま過ごす、みたいな感覚だったようなのです。だから「地獄に落ちる」という感覚がゼロですから、死ぬことの恐怖感はもちろんあったとは思うのですが、仏教伝来後とまたちょっと違う。

日本神話では、火の神を産んだために亡くなったイザナミを追いかけて、イザナギは生きたまま黄泉の国へ行くわけなんですけど、ここで醜く腐敗したイザナミの体を見てビックリ仰天、脱兎のごとく逃げ出します。

日本神話自体は編纂はのちの時代だとか言われているわけなんですけど、ここで見られる、神話における古い恐怖、それは「人体の腐敗」への恐怖なのかなと言えなくもない。

それから日本神話には、よく知られているように「ヤマタノオロチ」という化け物も登場します。これはもう聞くからに恐ろしい。八つの頭がある大蛇なんてもう考えただけでブルブルです。異形の化け物に対する、本能的な恐怖心がここに読み取れます。

 

 

前回も書きましたが、平安期になると今度は三大怨霊の一人である菅原道真公が現れて、恐怖の雷神として日本中に名を轟かせます。

平安時代は意外と天災の多くあった時代で、有名な貞観の大地震貞観11年/869年)、貞観大噴火(富士山の大噴火。貞観6年〜8年/864年〜866年)がありました。

道真は845年の生まれですから、だいたい10歳頃に富士山が大噴火していて、空は暗く覆われているし作物は穫れないしで、これはもう現地の人でなくても散々な状態だったと思います。それから23〜4歳のときに東北の方で大変な大地震と大津波が起きています。ほかにもマグニチュード7を超える地震が10年感覚で起きており、道真公のみならず同年代を生きる当時の人々は大変ビビったことでしょう。だからこの当時の人々の恐怖心は、まさに「天災」に対して向けられていたのではないでしょうか。ここで書きませんが、奈良時代もかなり飢饉とか疫病がひどかったようなので、この時代の人々は自然への脅威をつねに恐怖として持っていたと思われます。

道真公が、死去から27年もたってから清涼殿に雷神となって現れたというのも、落雷への強い恐怖感が、道真公を雷神にさせたのかなと思います。

落雷、怖いですよね…人とか一瞬で死ぬし…。

なお、かつての古代神道にあったようなおおらかな「黄泉の国」の概念はこの頃にはほとんどなくなっていて、いかにして極楽浄土へ行けるかというところに人々の切なる願いは集中します。

貴族たちが競って豪奢な寺院を建て、極楽浄土をこの世に再現しようとしたのも平安期です。この「極楽浄土」「往生」と対立する概念が「地獄」です。古代の人々には「地獄」という概念がまったくありませんが、いったん「地獄」を知ってしまうと、やはり地獄が怖くなる。ですから、この時代は地獄への恐怖心が浸透してきたという感じかなと思います。この時代に『日本霊異記』が編纂されており、各地の不思議な話、奇怪な話が集められています。

 

 

鎌倉〜戦国時代はカオスなので適当にいきます。

やはりこの頃の人々は餓えと戦での疲弊に恐怖を抱いていたのではないでしょうか。

新興仏教が強い勢力をもち、どんどん勢力を拡大していく中で、人々の恐怖心は、仏教による救済によってかなり緩和されている部分があったかもしれないと思わせられます。そのくらい、この時代の新興仏教の勃興はめざましいものがあります。

この時代に、現代にも連綿と受け継がれる仏教の一派の開祖、法然上人や親鸞上人などの高名な人物が登場しています。法然上人はもともとは武家の生まれですが、目の前で親を殺されるというショッキングな体験をして、それで仏門に入っています。

どこで読んだか忘れましたが、戦国時代は敵の武将の首は桶に入れて塩漬けにして運ぶのが通例だったとかで、その仕事は女子供の仕事だったそうです。しかしながらある一定以上になるとその仕事にもなれてきて、野菜を扱うように生首をあつかってしまうのだとか。本当かどうかは確かめようもありませんが。これらのエピソードでは、戦が多すぎて死体になれすぎてしまった人もいるというのが伺えます。

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 知恩院にある、鎌倉時代に製作された阿弥陀尿来来迎図。こんなに大勢でもって死のまぎわに迎えにこられるというのはまたそれはそれで怖いんじゃないかと思う…

 

 

江戸期は、あちこちで豊かな文化が花咲いた時代なのですが、この時期ものすごい恐怖とされたのは「火事」だと思います。江戸期には「三大火事」と呼ばれる火事があり、そのたびに町民は逃げ惑い、家をはじめとしてすべてを失う、みたいなありさまだったようで、火事がどれほど恐怖だったかがよくわかります。

丙午(ひのえうま)の由来は、八百屋お七が丙午の生まれだったからだそうですが、この年の出生率ががくんと落ち込んでしまうのが昭和まで続いています。このくらい、この丙午の呪いは日本人全体に広く知れ渡っていたことがわかります。これも一つの恐怖ですね。

火事→犯人の生まれ歳が丙午→丙午の女は火事を起こす→産むのやめとこ…という図式ですが、まぁずいぶん乱暴なものだと思いますが、それでも後世にわたって多大な影響を与えつづけているのですから、もう、日本人全体にかかった呪いのようなものと言ってもよいでしょう。(ちなみに私はてっきり、いわゆる三大火事のうちのひとつが八百屋お七によって引き起こされたのかなと勘違いしていましたが、三大火事と八百屋お七はあまり関係ないようです。)

江戸時代は、著名な『四谷怪談』が作られた時代でもあります。四谷怪談は、もともと四谷で起きたという実際の事件の報告書が元になっているようです。日本霊異記とまではいきませんが、このとき、あちこちの古い話や奇話が集められたようです。

またこのあたりで『百物語』の風俗も定着してきたようですね。百物語はもともと武家の肝試しだったようです。

恐怖の話というのは、ガチに恐怖というののほかに、それを楽しむという側面も持っていますから、人々がどのようなことを恐れて、またそれをネタとして楽しんでいたかというのはすごく興味深いところです。

『百物語』の方法は今読んでも怖いですね…私はすごく怖いと感じますが、ほかの方はどうでしょうか。しかし、この時代は現代のように電気がありませんから、百物語も本当の漆黒の闇の中で行われるわけです。どんだけ求めても光はありません。恐怖の感じ方が何倍も違うと思います。

江戸期は平穏な時代が続いたので、恐怖がエンターテイメント化するくらい、時代にゆとりがあったのかなと思わせられる変化です。

 

 

現代になると人々の恐怖感は複雑化します。人のありかたの多様化が背景にありそうです。現代はどちらかというと、恐怖というよりは不安を強く抱いている人が多いなぁという印象です。

たとえば、いま現代の世において、平安期のように「地獄に落ちるかも」と怖がっている人はほとんどいないのではないでしょうか。H木K子先生は「しかし地獄行く」とドスをきかせた声で話されていましたが、これもネタとしてしか受け取っていない人がほとんどでしょう。

宗教も大変多様化しましたし、文化そのものがすごく多様化しました。だから、日本人全体が「うわー、これは怖い」と感じている恐怖というのは、現在のところさしせまっているのは北朝鮮の脅威とかでしょうか。

 

anond.hatelabo.jp

私も人間が怖いです。ときどきサイコパスによる殺人事件が世間を賑わわせますが、恐ろしいのは人間だと思います。殺人事件はやっぱり怖い。

ちょっと時代はさかのぼりますが、戦国時代の武将の誰かだったかの話で、「見慣れない器で酒を飲んでいるなと思ったら、相手方の武将の頭部を半分に斬ったものを酒の器にしていた」という話があります。本当かどうかはわかりませんが、じゃあこれを聞いてサイコパスだと思うか。もしかしたらこの武将はサイコパスだったかもしれませんが、どちらかというと剛胆であることをまわりに示すためのパフォーマンスだったのではないかと思います。この当時はサイコパスという言葉はありませんが、武将の中にそれっぽい人物はけっこういたのではないかと思います。

 

天災…阪神淡路大震災では東日本大震災では、あらためて地震や天災の恐ろしさをまざまざと見せつけられ、恐ろしさに震え上がった人も多いと思います。

震災、貧困への恐怖、病苦への恐怖、国の変化への恐怖感、こうしたものが現代の恐怖観なのかなと思っています。天災や病苦、殺されることへの恐怖はいつの時代も普遍的ですね。

 

…というわけで、恐怖観の変遷を書いてみました。適当なのですが。

 

 

 

おわり

日本三大怨霊について雑感

先日、ニャートさんがすごく面白い記事を書いておられた。

nyaaat.hatenablog.com

 

私事で恐縮なのだけれど、つい先日ごく浅い知り合いと話していた。

私「下鴨神社に行きたいんですよ」(ほぼ毎年、初詣は下鴨神社だった)

相手「あそこは怨霊を神として祀ったところだからエネルギーが強いんですよ!

私「へ〜。それは知らなかったです」

 

…って、知らないのも当たり前である。

下鴨神社はあとで調べたところ怨霊を祀った神社ではない。

この知人はおそらく「北野天満宮」と勘違いをしていた。

私は北野天満宮に特別な気を感じたことはないのだが、妹は北野天満宮が大好きでここは特別にすごい!と言ってはよく行っていた。北野天満宮菅原道真公を祀った神社である。

 

ニャートさんの記事とは方向性が違うのだが、今回の記事は怨霊についてとりあげてみたい。

 

日本三大怨霊というのは、

菅原道真

崇徳天皇

平将門

のお三方である。

 

このうち、平将門は亡くなったのが京都ではなく、岐阜や東京の神社で祀られている。平将門は大変な人気で、ゆかりのある神社が5〜6社もある。

京都に祀られているのは、菅原道真北野天満宮崇徳天皇安井金比羅宮(※ほかにもある)である。

このお三方の場合、「それは仕方ないかも…」と思うような目に遭ったあげくに、亡くなったあとに朝廷の重要人物がばたばた死んだり戦などが起きたりして、それはもう日本国中大パニックになったので、だから神として祀って怒りをしずめよう、みたいな発想でもって今も神社に祀られている。

平安時代からこっち、朝廷はどうにもならないものを鎮めるために、位をあげたり神として祀るみたいなことをよくやっていて、噴火した山に従位を与えるとか、とにかくおだててなんとかしようという焦りが見てとれる。

 

後世の私から見ると、いくらこのご三方のお力が強大であったとはいえ、直接的になんの迷惑をかけられていないごく一般庶民を巻き込むほどの呪力があるとはちょっと思えない。戦や大飢饉などが起きてしまったのは偶然の産物ではないかなと思う。

歴史をみれば、このお三方をしのぐ凄惨な目に遭った人物はそこそこいるわけで、じゃあなんでこのお三方が三大怨霊なのかなというと、やっぱり物語として面白いとかネームバリューとかいう部分があるだろう。それにしても井浦新崇徳上皇はもう、大変な熱演でしたネ。

 

 

私は、基本的に怨霊とか悪霊というのは、生前から恨みつらみがひどく、物事を根に持ちやすいとか、べったりした性格の人がなるのではないかなと思っている。

だから、ニャートさんがおっしゃっているように、大きな戦があった土地なんかでも、霊でギュウギュウにならないのはどんどん成仏しているからではないか。

また、生前にひどい目に遭ったとしても、元来が根に持つ性格でない場合、亡くなった瞬間にどうでもよくなって成仏していくのかなと思ったりする。

 

私のまわりにもごくわずかにいるのだが、やたらと性格がねっちりしていて、すごく執着心が強くて、恨みがましく、何かあればすべて他人のせいにし、ささいなことで人を逆恨みするような人っていませんか。そういう人が死後、うまく精霊になれずに、その性格のままで残ってしまうのが怨霊なのではないかと私は思っています。

 

で、このロジックでいくと、菅原道真公がそういうねっちりした、恨みがましい、とんでもない性悪な性格だったかというと、う〜ん、何か違う気がしてくる。何しろ政界の天才ですからね。ものすごい頭が切れて、ほかの人ができないようなことを軽々とできる天才って、たいていの場合そんな変なみみっちい性格してないんですよ。いや会ったわけじゃないけど。

崇徳院の怨霊としての影響は明治まであったそうだから、本当にすごい。だけどいくら神として祀ってあっておなぐさめしてますよって言ったって、何百年にもわたって「あの人、恨みすごいんだって!」って日本中の知らない人たちから思われてるのもちょっと気の毒ですよね。

ごく個人的にですが、道真公や崇徳院はけっこう早い段階でもう成仏されてたのではないかと思うんですよね。だいたい、朝廷の重鎮が亡くなるとかは毒殺を疑ったほうが現実的な路線なのですが、道真公のせいにしておいたほうが都合の良い人物がいたのだろうと思います。

平将門は平成の今でも、隣接するオフィスではお尻を向けて座っちゃいけないとか、そういう伝説があるようですね。しかし平将門の場合、首と胴体が切り離されたのに「我が体!ふたたび首とくっついてまた戦をしようぞ!」とよなよな青白く光りながら叫んでいたそうなのですが、これを聞くと恨みというより、雄々しさというか、戦が大好きでたまらないというような武士精神のようなものを感じてしまいます。

平将門は斬られたのちに首が空を飛んでいき、恨みのある人の腕を食いちぎった、その腕を途中でボトンと落とした等の伝説がありまして、この手の話には当時の人の恐怖観というか、ああ、こういうので盛り上がったのかなぁという感じがすごくする。

ゆかりある神社が多いのもすごいのですが、平将門の人気はすごい。とんでもない人気です。

 

この三大怨霊のことも出てくる、小松和彦先生の「日本の呪い」という本がめちゃくちゃ面白いので、気になる方はぜひ読んでみてください。

 

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 最後にすごくどうでもいいんですが…、かりに平安時代の地縛霊がいたとして、

でも、近代の人と平安時代の人はほとんど外国語というくらいに言葉が違うので、同じ場所に違う時代の地縛霊がいたとしてもまったく意思疎通できないのではないかなぁと思ったりした。

 

 

 

おわり