けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

新幹線殺傷事件について発達障害の自分が思うこと

東京から大阪へむかう新幹線の車内で、男女あわせて3人が斬りつけられ、一人の男性が死亡するという痛ましい事件が起きた。

www.sankei.com

亡くなった男性は、東大〜東大院卒の理系の外資系企業の研究者という超エリートだった。

各紙はこの事件を一斉に報道し、また、実父による他人事のようなコメントにも注目が集まっている。

母親は報道関係者にむけて出したコメントの中で「一朗は小さい頃から発達障害があり大変育てにくい子でしたが、私なりに愛情をかけて育ててきました。」と語っており、逮捕された小島容疑者には発達障害があったことがうかがえる。

 

小島容疑者の発達障害は自閉スペクトラム、いわゆるアスペルガーらしく、それは自分とまったく同じである。

この事件を受けて、発達障害の当事者会は「事件と発達障害とは何も関係ありません」といった声明を発表したりしている。だが、私は、この事件において、発達障害が因子になったことは否めないと感じている。私が感じるだけかもしれないが。

 

もちろん、発達障害だから犯罪をおかすわけではない。実際にデータで見ても、精神障害者の犯罪率は、一般人のそれよりも低いようだ。

news.livedoor.com

上記のニュースからの引用となるが、

一般の人が犯罪を犯す割合(精神障害者を除いたわが国の人口全体のうち、精神障害のない刑法犯の割合)は約0.2%であるのに対し、精神障害者が犯罪を犯す割合(精神障害者全体のうち、精神障害刑法犯の割合)は、約0.1%にすぎない。

私は発達障害者なので、発達障害の人の集まるネット上にあるコミュニティに属している。この事件があったのち、コミュニティはこの話題でもちきりである。

「よけいなことをしでかしてくれた」とか「さっさと殺してほしい」とかそういった意見も当事者のあいだから出ている。

そして、発達障害当事者たちの関心は、裁判においてどの程度、発達障害であることが判決に関わって来るのか?である。

弁護士側は、発達障害や特殊な家庭事情をもとに情状酌量を狙って来るかもしれないが、それは発達障害当事者たちにとっては、世間感情を逆なでし、自分たちがさらに迫害されるのではないかという懸念を生んでいる。

 発達障害の当事者たち、親御さんたちの多くは、発達障害者が特殊な特性を持っていても、社会に受け入れられることを望んでいる。しかし、小島容疑者によるこの事件が、発達障害とセットで報道されることによって、発達障害者への差別と迫害がさらに進むことを、多くの人が恐れている。そして、その恐れは小島容疑者への憎悪となっている。

 

 

この事件を報道した多くのニュースに目を通したが、すべてに目を通せたわけではない。だが、小島容疑者が感じた「死にたい」という絶望感は私は非常によくわかる。

私自身、人生がうまくいかなくなり、絶望して書いたのがこのブログである。

nenesan0102.hatenablog.com

nenesan0102.hatenablog.com

 

nenesan0102.hatenablog.com

小島容疑者は仕事が続かず、そのような自分にも絶望していたと思う。

小島容疑者を擁護するわけではないのだが、彼がおちいっていた絶望感、死を望む強い気持ちは、私は肌感覚としてわかるところがある。

 

殺したい欲求が自分にむかえば自殺になるし、他者にむかえば他殺となる。根底にある何かは実は同じなのだと私は思っている。

 

小島容疑者のまわりには、彼を理解してくれる人がいなかったのかもしれない。ここが不幸である。

彼が住んでいた家の祖母も「自殺するといって出て行きました」と言っていて、それなのに捜索願いを出した形跡もない。父親のコメントも、「長いこと会っていないのでわからない」という、ちょっと実父とは思えないほど他人事の感じで、この調子でずーっと本人が接せられてきたのだとしたら、かなり機能不全な家族だったのではないかという疑いを持ってしまう。

 

発達障害の当事者会は、会として「事件と発達障害とは何も関係ありません」と発表しているが、小島容疑者が、発達障害ゆえに人間関係がうまくいかず、少年時代はいじめに遭い、就職しても仕事がうまくいかず、孤立し、仕事をやめざるをえない状態にあったのであれば、とても関係がないとはいえないだろう。

 

私自身、発達障害であることは、人生に大きな影響をあたえている。障害とはそのくらい大きなものだ。だからこそ社会的サポートが必要なのだが、日本はまだまだ障害者に対する理解もサポートも低レベルだ。「生きる場所がない」と何度も感じてきた。

被害者は超エリート男性で、加害者が弱者である無敵の人という、この図式がもう、ものすごくつらい。

 

 

【新幹線3人殺傷】容疑者の母「自殺はあっても他殺なんて思いも及びませんでした」 コメント全文(1/3ページ) - 産経WEST

これ生活保護を含めて金銭的な支援受けてたのかな。

2018/06/12 04:48

b.hatena.ne.jp

自分もそうなのですが、発達障害者で一度でも働けた人の場合は、「働ける人物」と見なされて、金銭的な支援はなにもありません。

精神障害者手帳の等級は3級となり、障害年金的なものもいっさいありません。ここでなにがしかの金銭的な支援策があれば、話はまた違ったのではないかと思えてなりません。

 ■

かつてブログに書いた事もあるが、私の兄もまた、発達障害者で、さらに言うと統合失調症である。兄は強い妄想から包丁をにぎりしめて近所の人をまちぶせしたことがある。なぜか。殺すためである。

兄は用意周到に、近所の人が帰って来る時間を計り、殺害計画を練っていたのだ。

いつ、殺害事件が起こってもなんらおかしくなかったが、事件はたまたま、その家の娘が兄をストーカーと勘違いしたことで未然に防ぐ事ができた。

私は殺人者の家族になっていたかもしれない。そうならなかったのは、本当にただの偶然の重なりなのだ。

nenesan0102.hatenablog.com

 

かつてあったアスペルガー男性による殺人事件がある。ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、重い判決が出た。理由は「社会に受け皿がない」という理由だった。

司法が、アスペルガーの人は社会に受け皿がないことを認めてしまったという最低な判決だった。

diamond.jp

小島容疑者に対しては、できるかぎり彼自身で罪を償うべきだと思っている。

発達障害による情状酌量は許されてはならないと思う。

小島容疑者が、他者を殺害しようと思うところまで追いつめられていたことに私は同情する。だが、それで他者を傷つけてよいことにはならない。

 

反対意見ももちろんあると思うが、私は今でも、どこにも行き場のない、生きる場所が見つからない精神障害者に対しては安楽死を認めるべきだと思っている。

 

【新幹線3人殺傷】容疑者の母「自殺はあっても他殺なんて思いも及びませんでした」 コメント全文(1/3ページ) - 産経WEST

自殺したがっている障害者に安楽死の手段を提供してあげる事も一つの支援の形なのでは?と、同じく無職の発達障害者の一人として思うのです。もう未遂は疲れたなあと。

2018/06/12 08:27

b.hatena.ne.jp

 

最後に、犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。 

 

 

おわり

ゾンビに関するとても適当な解説(雑文)

先日、こんな増田がありました。

anond.hatelabo.jp

私はブコメ欄を読むのが好きな人なんですが、ごくわずかに私の記事を思い出してくれる人がいたようでした。嬉しい。

nenesan0102.hatenablog.com

増田には、「火葬だからじゃないか?」というコメントをつけている方がすごく多かったのですが、私も当初はそう思ってたんですけど、日本において火葬が一般化したのは昭和に入ってからの出来事で、それ以前は土葬がごく普通という地域すらあったわけです。ではなぜ、ゾンビ的物語は生まれなかったのだろう?と考えたブログです。

で、このブログはバズってしまいすごく反響があったので、それについて書いたのが返答ブログです。

nenesan0102.hatenablog.com

 

さて、この増田が書いている「なんで日本でゾンビ映画って作れないの」とのお話ですが、日本にもゾンビ(が出て来る)映画はあるようですね。

 

何で日本ってゾンビ映画作れないの

日本で火葬の習慣が一般的になったのは意外にも20世紀に入って以降なので時代劇でゾンビ映画が作れる。(と思ったら既に2015年「ゾンビ時代劇・新撰組オブザデッド」が制作されており評判はすこぶる悪い)

2018/06/10 03:42

b.hatena.ne.jp

ちなみに江戸時代の場合は、大きな樽に死体を入れて、それをそのまま土葬にするのですが、このときに体を小さく折り曲げた形にします。これを「屈葬」と言いまして、なかには手足の関節を反対側に折ったりするという処置をした例もあったようなのですが、それが意味するところは、死後の復活を恐れてのことではないかという見方もあるようです。

 

歴史的な背景

ところで、日本とアメリカではゾンビの扱いがまったく違います。

日本でゾンビ映画が好きな人というのも、基本的にはアメリカのゾンビ映画をさしていると思います。日本において、邦画で、幅広く受け入れられたゾンビ映画というのは、私の記憶のかぎりでは全然ないです。

ここには歴史的な背景があって、アメリカでは、1929年に発表された、『魔術の島』という本が、ゾンビの発祥の地であるハイチ・ブームを引き起こしたと言われています。1929年というと日本では昭和4年です。このアメリカで起きたハイチ・ブームが、日本にまで波及したという記録はおそらくですがないと思います。

アメリカ→ハイチと、日本→ハイチでは、距離的な遠さが全然違うのです。

アメリカでは、ハイチ・ブームを受けて、実際にハイチへ旅行に訪れる人もたくさんいたわけですが、日本からハイチへ行くなどというのは、昭和初期の頃にはいくらブームが起きても無理な話だったでしょう。

 

さらにこのハイチ・ブームを受けて作られた映画が、1932年の『恐怖城』という映画で、この映画の中では、女主人公が、ブードゥー教の呪術師によってゾンビに変えられてしまうというエピソードが出てきます。ロメロ以前のアメリカにおけるゾンビが出て来る映画というのはおそらくこれが初ではないかと言われています。

 

ところで、ゾンビにはこれまた歴史的な背景があって、ゾンビの本来のスタイルは、「死者が、ブードゥー教の呪術師によって死後も無理矢理働かされる」というのが元来の姿です。ブードゥー教はアフリカ生まれの宗教ですが、ハイチにおいて大きく成長した宗教です。

もともとブードゥー教という宗教におけるゾンビがあり、1920年代〜30年代にかけてのハイチ・ブームが背景にあり、元来のゾンビ像に吸血鬼をプラスして登場したのが、1968年の、ジョージ・A・ロメロによるゾンビ映画となるわけです。ですから、近代ゾンビはロメロによる創作と言っても良いのかもしれません。ロメロ監督によるゾンビ映画は世界中で大ヒット、いわゆる「ゾンビ像」は、このロメロによる近代ゾンビというのが一気に広まります。この認識が日本でもかなり幅広く受け入れられたようです。

 

さて、一方で日本におけるゾンビ像というと、ブログにあるように過去の物語をあたっても、ゾンビ的なものはほとんどありません。『小栗判官』の物語がかろうじてゾンビぽさを持っているのですが、魂を失うとか人を襲うとかそういうことはしません。

近代ゾンビ的な発想は本当に今の時代ならではなのだと思います。さらに映画となると、基本はロメロ路線のゾンビ映画が日本でもヒットしたので、ゾンビ映画というとアメリカのものを思い出す人がほとんどでしょう。

 

簡単に書いてきてしまいましたが、日本で、邦画のゾンビ映画が作られない、あまりなじみがないのには、宗教的、歴史的な背景があるのです。

 

 

 

だいぶ簡単に書いてしまいましたが、おわり。

 

 

 

 

 

 

 

鈴虫、松虫

anond.hatelabo.jp

大学生のころ、京都の有名寺院のお坊さんと付き合っていたことがある。相当に有名なお寺さんなので、人に話すとびっくりされた。

(余談だがその坊さんと別れたあと、また別の坊さんと付き合った。出会った場所はまったく違うのに、どういうわけか同じ宗派だった。何かのご縁であろうか)

 

なんでまたその坊さんと付き合うことになったのかというと、大学の授業がそのお寺さんであり、唱うように読み上げるお経に心をつかまれてしまったからである。

お経をお坊さん2人で読み上げていくのだが、ビブラートのかかった美しい声がこだましていく。いわゆる声明(しょうみょう)というのともまた違うものらしいのだが、響く歌声がとにかくすごい。圧巻である。心がゆさぶられて気がつくと泣いていた。

 

 

京都の東山に「安楽寺」というお寺さんがあって、ここはなんとも悲しい伝説のある寺である。

 

鎌倉時代の初期、後鳥羽上皇の女官に、松虫姫、鈴虫姫という若い女性がいた。このとき、松虫姫19歳、鈴虫姫17歳。

二人は法然上人や法然上人の弟子である親鸞上人、のちに安楽寺の寺の由来となる安楽房という僧、住蓮上人などから仏教の教えを受けるうちに、みずからも仏門に入りたいという思いをつのらせていきます。

そしてついに、上皇の留守中に二人は御所を出奔、鹿ヶ谷にある住蓮上人と安楽上人の修行場をたずね、念仏会に参加します。そして二人は仏門に入りたいとの切なる想いを上人たちに訴えます。

しかし、一度は僧たちはこの訴えを退けるのですが、姫たちの詠んだ句、

“哀れ憂き この世の中にすたり身と 知りつつ捨つる 人ぞつれなき”

に心をうたれ、彼女たちの入門をゆるします。

松虫姫と鈴虫姫はさらに上人たちと親しくなり、後鳥羽上皇の留守中に上人たちを御所へ呼び、さらには「遅くなったから」という理由で御所に二人を泊まらせたとも言われています。

女房二人の身勝手な出家と、留守中に御所に上人たちを泊まらせたことに後鳥羽上皇は大激怒し、法然親鸞をはじめとする浄土宗の中心人物を流刑にし、住蓮上人、安楽上人の二人は処刑されてしまいます。

松虫姫、鈴虫姫も御所を追われて瀬戸内海にある小さな島で余生を送ったそうです。

 

この事件は「承元の法難」と呼ばれていて、鎌倉時代に起きた新興仏教への弾圧のひとつである。

安楽上人への処刑の方法はかなりすさまじくて、「羅切」(らせつ)と言って、男性の大事なあそこをチョンと斬ってしまったあとに斬首をするというかなり凄惨な処刑をしている。このことから後鳥羽上皇が松虫姫、鈴虫姫と上人たちの仲を疑ったことはおそらく間違いなく、御所に二人の上人を泊めていることからもそれは疑われても仕方のない感じである。二人とも今でいえばJKみたいな年齢であるから、ほんのかるい気持ちで「遅くなったからどうぞお泊まりください」くらいの感じだったのであろうけれども、安楽上人はたいへんな美坊主だったという説もあって、もしかしたら本当に男女の仲であったかもしれない。伝説なので、本当のところは誰にもわからない。

 

この悲劇の場所となった鹿ヶ谷の草庵にあった場所に、のちに建てられたのが「安楽寺」である。

紅葉の時期は大変美しい姿を見せてくれる。

 

anrakuji-kyoto.com

 

 ■

 

…というわけで、松虫姫、鈴虫姫の伝説を知ったときに、ああ、やはりお経に心をゆさぶられてよろめいてしまう人は過去にもいたのだなぁと思った次第である。

私も、仏門に入りたいと思っている。

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

きょうだい児のブログを読んで思ったこと

こんなブログがあった。読んでみた。

kyodaishinde.hatenablog.com

この人はすごく苦しんでいる。その思いをブログでぶちまけている。

たくさんのコメントがついている。

 

若いときに、私も似たような思いで苦しんでいた。

私の兄はかなり重度の発達障害かつ統合失調症なのだけれど、長いあいだ、その存在がとても苦しかった。

兄と心中しようと本気で考えていたときもある。

 

id:kyodaishindeさんがいま、恐れているようなことは、私の身に現実としておこったことである。

 

30歳くらいの時だったのだけれど、当時付き合っていた彼氏とのあいだに結婚話が出て、相手のご両親にご挨拶に行くという段階になって突如、面会拒否をされた。

それは私の兄が精神障害者だからという理由だった。

 

相手のご両親が言うには、そのような兄がいる人は、将来的に介護の可能性が高くなるので、とにかくお金が必要だ。だから医師免許を持った人物が良い、もしくは東大か京大卒でないと認めないとのことだった。

 

私の妹は京大卒だ。やけくそになって「じゃ妹ならいいのか」と聞けば妹なら条件に合うから良いと言うではないか。なんだそれは、と思った。このあたりから彼氏のご両親に対して、その人間性に対して疑問を抱くようになっていった。

よくよく聞けば、嫁が京大卒や東大卒がいいというのも、たんなるご近所や親類への見栄らしい。呆れてしまった。申し訳ないけどご両親に対してかるく軽蔑してしまった。

 

そうこうするうちに彼氏自身もおよび腰になってきた。

彼氏の言い分はこうだった。

「今はまだ社会がなんとかなりたっているから、お兄さんのような人も社会福祉の恩恵で生きていけるかもしれない。だけど僕らが年寄りになったとき、財源はどうなる?そうなったら僕らがお兄さんの面倒を見なあかんやんか」

 

私は、彼氏に対してこう答えるしかなかった

「そのときはあなたに迷惑をかけないために離婚する」

「いや、僕は離婚したいわけじゃないねん、お兄さんをどうするかって話やねん」

 

まだ結婚もしていないのに、私たちはいつ離婚するかという話し合いをしてしまっていた。当然ながらこんな調子ではうまくいくわけがない。

しばらくして別れを切り出された。

いい加減に疲れていたので、すんなりと別れを承諾した。というかこのご両親とやっていけると思えなかった。だから別れを切り出されたときは当然の流れだと思った。

 

彼氏を私の両親に会わせたとき、私の父がものすごく喜んでいたので、そればかりが頭に浮かんだ。破談になったことを自分の両親に伝えると、「ああ…やっぱり」という感じの反応が返ってきた。このときの両親の落胆ぶりはすごかった。自分が別れたことよりも、両親が傷ついたことに傷ついてしまった。

 

 

これらは私がいま結婚しているから書けることで、当時は非常にきつかった。

当時、私は病気にもなって京大病院で手術をしたばかりで、なんでこう、しんどいことばかりが身に降り掛かるのかと思っていたものである。

メンタルもすごく病んで、何度かリストカットをした。

私を救ってくれたのは仕事だった。

 

mainichi.jp

たまたまだけれど、こんな記事も見つけた。

我が家も、兄を家で面倒見ていたから、兄が近所の人とトラブルを起こしたりするたびに孤立していったと思う。

 

兄は強い被害妄想で、近所の人が自分を殺しに来ると計画していると本気で信じていた。壁から大きな声で殺害計画が聞こえてきて、それがすごく具体的なのだと言う。ご飯にはすべて毒が入っているし、×日に殺される。その前にヤルと言って、包丁を持ち出して近所の人を待ち伏せした。当然ながら警察騒ぎになった。

 

私の母も兄に痛めつけられたうちの一人だ。

いつだったか記憶がさだかではないが、母が、「お兄ちゃんの飲んでる薬はすごく強いから、腎臓がやられて長生きはできないって聞いた、正直ホッとした」と言っていたことがある。

そのくらい、母にとって兄の存在はしんどいものになってしまっていた。

 

兄も好きで発達障害に生まれたわけではないし、好きで統合失調症になったわけでもないのに、なんの因果か。

 

id:kyodaishindeさんに、私がひとつ言えることがあるとするならば、結婚はもう「ご縁」だということでしょうか。うまく行くときはうまく行くし、努力しても駄目な時は駄目です。気にしないご家族も実際にいます。

なによりも悪いことは、「きっと駄目に違いない」とみずからが身を引いてしまうことだと思います。

 

近くにいるなら、直接お会いして話を聞いてあげたいと思うくらいです。

 

私はおばちゃんだから、自分自身が人生をこれからどうこうすることはもうほとんどできないし、生きて行く力もあまりありません。

だからこの先、兄と一緒に自殺するとかいうことも可能性としてはあるわけです。しかし、それもまた縁なのだなぁと個人的には思っています。

私は仏教思想が強い人間だからそう思うのかもしれませんが。

 

別に障害者でなくても、生きることが下手な人や、クズと呼ばれるような人はいます。後天的に障害を負う人もいます。そういった人物が身内にいるかどうかは、もうすべて縁でしかないのだと思っています。

 

以前書いた、兄についてのブログ

nenesan0102.hatenablog.com

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

あこがれの京都グルメをご紹介

前回のエントリで、京都での予定をキャンセルして帰ってきてしまったというのを書いたのですが、今回のエントリは、「行きたかったお店」です…。

自分の備忘録もかねて、書いておきたいと思います。

 

 

じつは5月5日は、私と夫のちょっとした記念日なのですが、このときに行こうと思って予約を入れていたのが、祇園の「津田楼」です。

tsudaro.com

津田楼はもともと江戸時代からあるお店で、かつては四条の鴨川沿いにあり、新撰組の浪士も登楼してここで遊んだというので有名なお茶屋さんです。

で、今回、ここのランチへお邪魔して、ちょっぴり贅沢を楽しもうと思ってたんですが。

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(写真はHPよりお借りしました。)

 

で、急遽キャンセルすることになってしまって、もう申し訳ない思いでいっぱいで津田楼さんに電話を入れたんですが、快諾してくれてすごくありがたかったです。

絶対また行こう、そう思いました。

 

 

今回のGWに絶対に、並んででも行こうと思っていたのが、「オ・グルニエ・ドール」です。

こちらのお店の魅力はこのブログに詳しいので貼っておきます。

macaro-ni.jp

じつは、「オ・グルニエ・ドール」さんは5月いっぱいで今の場所から移転してしまうそうなんですね。なのでこのシチュエーションでケーキが食べられるというのは、5月いっぱいだけなんですね。。心から残念です。

なかなか良い場所&町家なので、跡地はどうなるんやろ。

京都中心部は新陳代謝が早いですからね。どうなるんか気になりますね。

あー、行きたかった。

 

 

祇園の「美登幸(みとこう)」さんです。

gion-mitoko.jp

 

こちらも祇園京料理のお店なんですが、ランチがかなりボリューミーなわりにお得なお値段だと思う。

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(HPよりお借りしました。こちらは3500円のランチ)

 

こちらのお店ではお食事と一緒に舞妓さんとか芸妓さんとか頼めるみたいなんですけど、一見さんお断りじゃないんですね。

gion-mitoko.jp

 

 

石塀デュ・ラン」さん。

www.du-ran.net

あまりにもフォトジェニックすぎて、現在は撮影禁止になってしまったとかいう噂のある石塀小路にあるお店です。

とにかくロケーションがきれい。こちらも舞妓さんとか呼べるお店のようですね。

実はここのおかみさんとはプライベートでちょっとつながりがあるんですけど、去年ここのお店が台風でけっこうひどいことになって、それからずーっと気にかけていたのです。

台風での被害はもうすでに直っているのですが、やっぱり気になっていたのでご挨拶に行きたかったなぁと。

こちらのページ…

www.du-ran.net

真ん中に写ってる芸妓さんは私の大大大好きなとし真菜ねえさんじゃないですか!!

とし真菜ねえさん、一度でいいのでお会いしてみたい…!デュ・ランさんでとし真菜ねえさんに出会えるのでしょうか。

 

おまけ

時代祭でのとし真菜ねえさん

deepseason.exblog.jp

 

 

京甲屋」さん。こちらも京料理のお店なんですが、かつて私はこのすぐ近所に住んでおりまして、そばを通るたびにええなーと思っていたものです。

kyokabutoya.com

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(お店のHPよりお借りしました)

 

あー、きれいですね。本当に正統派の京料理っていう感じです。

店構えはきれいな町家で、町並みもきれいなところにあります。

 

 

そういえばもう少しで葵祭ですね。今年はどんな顔ぶれになるんでしょうか。楽しみ。

最近の自分の食べたいもんがまるわかりなエントリになってしまいました。

 

 

おわり

京都からとんぼ帰りした話

GWに京都へ一瞬だけ帰ってきました。

そして3日ほどで帰ってきました。

 

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この日は晴れていてすごくよかった。

20年通っていたクリニックに顔を出し、お世話になった先生にご挨拶。

妹も通っていて付き合いが長いので、親戚のおじちゃんみたいな存在になっている先生。「また来てね」とか言われる。

 

詳細は割愛するのですが、義実家に滞在していたら、夫と義父が大げんかをはじめ、義実家を追い出される形で急遽すべての予定をキャンセルして東京へとんぼ帰りすることになりました。

関係者全員でいろいろ考えたんですが、義父の主張がさっぱりわからない。

結局、あとになって義父の行動はモラハラ(もしくは老人性の感情失禁?)だったんだなーってことに落ち着きましたが、義母は「私のせい」と言い、私は「自分がアスペだからだったんじゃないか」というのがぬぐえない。

 

とんぼ帰りする直前に、どうしても四条にある「タイキッチンパクチー」という店のタイラーメンが食べたくて、弾丸スケジュールで行って参りました。

www.green-curry.co.jp

 

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念願のタイラーメン。以前働いていたときに、疲れて自炊できないときにお世話になりました。懐かしすぎて涙が出る。

 

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やきめし。

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生春巻き。

「タイキッチンパクチー」はなんでも美味しいです。そして安い。

 

京都グルメに関しては、以前、けっこうがっつりした記事を書いたことがありましたので、気になる方はぜひどうぞ。

nenesan0102.hatenablog.com

 

さて、次回のエントリですが「食べたかったもの」をご紹介したいと思います(涙)

 

nenesan0102.hatenablog.com

 

 

 

おわり

 

夢についての雑文

先日、こんなブログを読みました。すごく面白かったので、読んでおられない方はぜひ読んでみてください。

www.lindalindapanda.com

この夢の世界は確実に発展しているのである。 

…と著者のムロタピーズさんは書かれています。

少し不気味ではありますが、やはりパラレルワールドなのだろうと思います。

 

夢といえば、私は以前すごく不思議な体験をしたことがあって、9.11の起きた日の朝に、ビルに飛行機が突っ込んでくる、それをビル内部の方から見ている、すごい爆発がおきてそこで目が覚める、という体験をしていて。夢の中ではそれを映画のCMだと思っていました。

朝起きてテレビをつけたら夢の続きをやってるので、当初、頭が混乱して意味がわからなかったことがあります。

 

はじめに貼ったブログでは「夢はパラレルワールドなんじゃないか」という感じなのですが、どこで読んだか忘れたのですが、以下のような話を読んだことがあります。

 

中東だかインドだか、日本よりも少し暑い外国で、露天で揚げパンを売っている夢を見た。

それからしばらくして海外から戻ってきた友人が、自分にそっくりな男が往来で揚げパンを売っていた、と言ってくるのだ。

あれはやっぱり自分だったのではないのだろうか。 

いや、きっと自分だったに違いない。

 

これもまた興味深くて、子供の頃に私はこれにすごく似た経験をしています。

ある日、家族で遊園地に遊びに行き、家族からはぐれてしまってパニックになってしまうという夢を見て、「ああ、夢でよかった」と安心したのですが、あくる朝学校へ行ってみると、複数の友人が「ねねちゃん、きのう○○ランドいたよね?」と言ってくるのです。行ってないよとどれだけ否定しても、友人らは5人くらいがいっせいに私らしき人の姿を目撃しているので「いや、ねねちゃんきのう絶対にいた!」と譲りません。

着ていた服装などもそっくり一致し、遊園地に行っていないのに、行ったことにされてしまいました。

ちなみにそのときの私は、どれだけ「ねねちゃん!」と声をかけても、ほとんど聞こえた様子がなかったそうです。

 

私の見た夢は継続夢ではないので、もしかするとパラレルワールドではないのかもしれません。

しかし、夢はパラレルワールドであると同時に、この世界ともつながっている。

そんなふうに思います。

 

もうひとつ、不思議な夢エピソードがあって、これは私が大学生の時の話なのですが…。

当時付き合っていた彼氏にはお兄さんが一人いて、歳が6歳も離れていました。

ある日、夢を見ました。

その夢の中では、なぜかその彼氏にはお兄さんが2人いて、彼氏が3人兄弟だということになっており、兄弟プラス私でこたつに入ってわいわいと談笑しているのです。

私の向かい側に座った彼氏とほぼそっくりの顔をした2番目のお兄さんは、ニコニコ笑って満面の笑顔。とにかく嬉しそうにしています。私はこのお兄さんの紅潮した頬の色や眼鏡の形までくっきりと覚えたままで目を覚ましました。

 

その後、彼氏に「あなた2人兄弟だったよね?」と尋ねました。彼氏は実際に2人兄弟だったんですが、

「実は俺のすぐ上にもう一人兄がいたらしくて、その兄は死産で生まれたんだよね。だから俺、兄ちゃんと6歳もはなれてるんだ」

と言ってくるのです。

少しゾワ〜ッとしましたが、きっと弟に初めてできた彼女の顔を見たくてやってきたのかなとも思いました。

 

以上、不思議な夢について書いてみました。

 

 

 

おわり