けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

雑感

すごく個人的だが、私にとってすごいことがあった。

今日はそのことについて書いてみたいと思う。

 

いま、杉本彩さんの団体、公益財団法人Evaが、秋の臨時国会に向けての署名を募集している。

www.eva.or.jp

で、今回募集しているのは、直筆の署名だけであるから、署名するこちらが署名用紙をサイトからダウンロードして、プリントアウトして、さらに宛名を封筒に書き、切手を貼って投函しなければいけない。

 

これはめんどくさい。

 

そう感じた私は、ちょっと考えることにした。

面倒くさいから署名が集まらないのだったら、こんなにもったいないことはないのではないか。面倒くさくなければ、もしかしたら署名が集まるのではないか。

面倒くさいのは自分だけで良い。

 

そう思って、すぐに投函できるようにこちらが全部お膳立てをした署名セットを作ったのだ。

 

f:id:nenesan0102:20180927192731j:plain

まず、こちらで署名用紙をプリントアウト、それをかなりの数コピーした。

さらに封筒に提出先の宛名を書き、切手も貼る。封筒はのりがいらないタイプのものまで用意した。(けっこう用意周到である)

これで、署名したい人は紙に記入をして、そのまま封筒で投函すればよいだけである。

 

これをFaceBookで投稿してみたら、正直、2〜3人くらいの挙手があればもうそれで十分だと思っていたのに、予想をはるかに超える人が「署名したい」と名乗り出てくれた。

中には、これでは悪いから自分でプリントアウトして自分で提出しますと言う人まで現れた。

 

反響がすごくて驚いたと同時に、それなりに多くの人が、この問題について考えてくれているのだなぁと胸が一杯になった。もともと涙もろいたちだが、嬉し泣きしながら作業をして、全国にちらばっている挙手してくれた人たちに署名用紙を発送した。

 

署名活動はとても小さな草の根の運動だ。

けれど、運動しなければ何も変わらない。

鼻で笑う人もいるが、私は自分のできる限りのことをやろうと思っている。

 

 

おわり

 

子供と女性の体力

まず雑記から書きたいと思う。

ここ数日、タイトなスケジュールが続いて、先日は寝込んでしまった。起きたら夜7時だった。寝込むだろうなと思っていたのでそれは良いのだが、私は年間を通してみると、だいたい3〜4日に1日、寝込んでいる。その間は何もできない。死んでいるのとほぼほぼ同じである。だから他の人の何分の一かしか人生を生きていない気がする。

このような体だから、まともに働けたことは、自営業をしていた5年間のみで、その間も普通の人が稼げる額の半分ほどしか稼げなかった。だから生きてくいくことをあきらめようとしたわけだが、体が弱いことは生きて行くのに非常に大きなハンデキャップである。自分の場合はこの体が虚弱なことは発達障害、すなわち脳から来ている。

体が動くようになっていちばんはじめにしたこと、それは掃除であった。

動けないと部屋が荒れる。部屋が荒れると心が荒れて来るのだ。

 

ところで、先日こんな記事を見かけた。

style.nikkei.com

私のまわりには、まさにこのスタイルをこなしているカップルが複数いる。

いずれも高学歴で、女性のほうは福利厚生がしっかりしたホワイト企業につとめている。すごい、としか言いようがない。

だが、これは女性の方が相当賢く立ち回らないとそもそも成立しないのである。

 『新卒の時点で、産休、育休取得が可能な企業に正社員として入社する

というのが、そもそもハードルがかなり高い。

さらに言うと、

 『出産可能な年齢のうちに、家事育児を手伝ってくれるパートナーを見つけて結婚する

のが第二のハードルである。さらりと書いているが実際は相当に困難だと思う。しかも正社員として働きながら、である。だからおのずと相手は同じ会社の社員とか、仕事で知り合った人とか、大学生のときから付き合ってましたとか、そういうのがお相手になるわけである。

一方、夫の稼ぎが良く、専業主婦を続けながら子供を2〜3人産むという人もいるが、昨今は稼ぐ人がかなり少数になってしまったので、この座をゲットした女性はかなり幸運な人であろう。

子供を産んだあとも子育ては終わらないので、働いている女性は育児所や保育所に子供を預けて働くわけだが、これも送り迎えがあったり、何かと大変なわけで、これを左右するのは母親の体力にかかってくる。

100年人生の共働き 妻は正社員、夫の家事育児が鉄則|マネー研究所|NIKKEI STYLE

共働き正社員に耐えうるだけの体力のある♀個体がそこまで大多数じゃないんだよな。祖父母の助けを借りられない人もいるし、子供に障害が出る場合もあるし。そこまで強い人ばかりでもないのが現実だと思うよ

2018/09/11 02:47

b.hatena.ne.jp

一般的に男性よりも女性のほうが体力がないと言われてはいるが、それを上回るのは個体差であって、なみの男性をはるかに上回るスタミナを持つ女性というのも存在する。

自分のまわりを見るかぎりでは、子供を複数産んでいるのはこのタフなタイプの女性で、まぁまずタフでないと出産に体が耐えられないので、結果としてこのような形になったのかなと思っている。

100年人生の共働き 妻は正社員、夫の家事育児が鉄則|マネー研究所|NIKKEI STYLE

マクロで見れば世の中の産業構造的にも、或いは個別で見れば夫婦共々に健康でいくらか有能である前提でないと、成り立たないのに「鉄則」。恵まれた人にだけの鉄則なのか、遍く適用されて社会が滅びるか。

2018/09/11 01:50

b.hatena.ne.jp

 

少し前に、千葉県の人と直接話す機会があった。千葉県では少子化などというものはどこ吹く風らしく、3〜4人子供がいる家庭もまったく珍しくないそうである。

皆、高卒で結婚して、若いうちからぽんぽんと産むらしい。東京との違いをしみじみと感じてしまった。千葉県で子供をぽんぽん産む女性というのは、正社員として働いているのだろうか。疑問ではあるが、正社員を続けながら4人の子を産むことができたとしたら、すごく有能な女性だという感じがする。

 

それにしても昨今はなんと女性に求められることが多いのかとため息が出る。

世の中はそんなに有能な女性ばかりではない。だからおのずと少子化になるのも無理はないなという感じである。ごく普通の人は、普通に子供を持てるようになってほしいと願ってしまうが、それは限られた一部地域の話なのだろうか。

 

 

ちょっと尻切れトンボであるが、おわり。

 

障害者間にある優生思想について思うこと

ちょっとよくないタイトルをつけてしまったかもしれない。

 

少し前だが、中央官庁で、障害者雇用の水増しがあったというニュースがあって、世間をにぎわわせていた。

中にはゼロのところを水増ししていたり、眼鏡使用者を障害者としてカウントしていたところもあったようで、まぁ簡単にいえば悪質である。

 

障害者の雇用について、現場であきらかな「区別」があるのは障害者のあいだではとても有名である。企業側は「事故で足首の先が片方だけない」とか、そういう健常に限りなく近い人をもとめていて、精神障害発達障害、知的障害とかの障害者はできるだけ避けたい…というか求人がさっぱりないのが現実である。

 

ところで、私事なのだが、少し前に、ネットの発達障害者のコミュニティで、とある人とバトルしてしまった。というのも、その相手の方は、いわゆる福祉におつとめの発達障害児の支援をされている方なのだが、発達障害児には才能がある」と言って譲らない。

例として頻繁に出して来るのが「ビル・ゲイツ」である。

その人の中では「あのビル・ゲイツ発達障害!だから発達障害者はすごい!あのエジソンも!だから発達障害者はがんばれば彼らのようになれる!」という感じなのである。

正直に言うとものすごくしらけてしまった。

このような悲しい勘違いをしてしまう人はけっこういて、このような人といくら話しても無駄だ。

発達障害者の全員がビル・ゲイツになれないことは、よほどのアホでなければすぐわかるだろう。

仕事に就けなかったり、仕事を首になったりして困窮している人が、健常の人にくらべて何倍も多い。引きこもりになる人も圧倒的に多いのが発達障害者だ。

 

ときおりこのブログにも書いてきたが、私の兄は発達障害から二次障害として統合失調症を発症し、もう10年近く病院に入院している。彼のどこに素晴らしい才能があったのか私にはどうしてもわからない。このような身内がいるからか、「皆、才能がある!わからない人は努力していないだけ!」という言説にはもう、徹底的に鼻白んでしまう。

 

発達障害者の中にもいわゆる高IQアスペルガータイプとか、ギフテッドとか呼ばれる人たちがいるのは、ご存知の方もいるかもしれない。

このようなタイプの発達障害者は、高IQゆえに社会に適応できる可能性が高い。

実際に社会適応できているのも、高IQタイプが多いと思う(統計は取れないが)

 

だが、自分はどうしてもそうでない人たちのこと、たとえば発達障害に知的障害をともなっているとか、私のように難病も罹患しているとか、そういう人たちがどうすれば良いのかということを考えてしまう。

 

少し前に、熊谷先生の記事でこのようなものがあった。

www.u-tokyo.ac.jp

熊谷先生はご本人も身体障害者であるが、障害者の当事者研究を行っている人だ。

やはり身体障害者の中にも、パラリンピックに出るような障害者を見て、「どうして自分はこうなれないのだろう」と思う人がいるのだと知って、けっこう腑に落ちた。

 

いま、そのコミュニティで、高IQ型が集まって、「自分たちは高IQだから、自分の弱点を克服すれば健常者をはるかに追い越せる」と息巻いている人たちがいる。

そのへんは自由にやってくれれば良いのだが、それってある種の優生思想なんじゃないのかなと思った次第である。

 

私自身はいくら努力をしても、これからビル・ゲイツになることはできない。

どれだけ理解がしやすいように言葉を簡単にして説明してもその支援者の人は最後まで理解できなかった。その方ももしかしたらアスペルガーなのかもしれないけれど。

 

障害者の中にも一種の優生思想構造があって、それはもしかしたら健常者のそれよりもはるかにシビアなのではないかと思い、備忘録をかねてここに記す。

 

 

おわり

香山リカの記事を読んで雑感

ここしばらくブログからかなり遠ざかってしまっていた。

というのも、父が入院して心臓の手術を受けていたからである。

 

若い頃は痩せぎすでいつもカリカリしてすぐに子供たちを殴っていた父だが、今の容貌はもう立派なおじいちゃんとなり、性格はじつに穏やかな好々爺、たくさんの弟子に慕われる老学者になっている。どうでもいい話だが、wikipediaのとある学者の項には父の経歴が載っている。いちおう、日本においてはそれなりの学者になったのかなと思う。

負担の少ない術式とはいえ手術のリスクはゼロではないから(おまけに心臓である)、もし父が手術中もしくはその後の合併症で亡くなったらどうしようという大きな不安があった。このストレスは自分で気づかないうちにかなり大きくなっていて、じわじわと心がやられていたらしい。私はほとんど体が動かなくなり、こんこんと眠り続けた。7月中は入院準備などもしていたが、本当に昼も夜も寝ていた。

入院中は毎日病院へ通った。父は無事に手術を終えて退院したのだが、父を自宅へ見送ったあと、疲れ果てた私はそれからまたこんこんと眠り続けた。

いまだ、以前の日常生活に戻れないでいる。

 

 

さて、先日だが、このような記事があった。

news.livedoor.com

このブログを以前から読んでいる人はすでにご存知かと思うが、私は確定診断済みの女アスペルガーである。知能検査でもあきらかな凸凹があるし、幼い頃から日常生活でも社会生活でも支障をきたしている。冒頭に父の話が出ているが、父もまた立派なアスペルガーである。

 

私がこの記事を読んで、最初にふと思ったのは「なんで香山リカのところへ行くんだろう」という疑問であった。まぁ簡単に行けるところにあったから行ったのかもしれない。

発達障害の当事者や、精神科医の人であればよく知っていることだが、大人の発達障害の確定診断はとても難しいと言われていて、診断ができる専門外来も数が限られている。私がまだ京都に住んでいたころ、京都府で大人の発達障害の確定診断ができる病院はわずか2〜3ツだった。ようするにしっかりした診断をできる専門医がごくわずかなのである。自分の場合だが、カウンセラーさんの面談まで半年待ち、専門医の確定診断までには計10ヶ月を要した。そのくらい専門外来は混みに混み合っていた。

 

彼女たちは苦しんでいるのだ。

だから精神科の門を叩いたのに、専門医でもない香山氏が知能検査もしないうちから「あなたは違うと思う」という診断をしてしまうことに、私は疑問を感じる。

 

宮尾益知という医師の書いた、『女性のアスペルガー症候群』という本がある。

https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4-%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E7%89%88-%E5%AE%AE%E5%B0%BE%E7%9B%8A%E7%9F%A5-ebook/dp/B01FDIFFLW

 

これを読むとわかるのだが、女性のアスペルガーは男性のアスペルガーと違い、社会性が育っていて、一見それと判断できないことが多いと言われている(理由は不明)。

だから、初対面でふつうに話をしているだけではなかなかわからない当事者がいる。

私も、このようなブログなど書いているが、まず普通に接しているぶんには私がアスペルガーだということに気づく人はめったにいない。

 

発達障害に特徴的な、聴覚過敏/嗅覚過敏/触覚過敏のすべてを私は持っているが、それらの特性はよほど注意して気をつけていなければ他人にはほとんどわからない。(隠しているのもある)

女性のアスペルガーの場合、社会性に問題はないが、身体症状が出てそれに苦しむというタイプもあることがこの本には書かれている。私はまさにこのタイプで、身体症状のほうがひどい。

 

私は、こういう言い方をすると申し訳ないが、香山氏に否定された女性たちのうち、何パーセントかは本物の発達障害の当事者がいたのではないかと思えてならない。

 

わざわざ精神科医を訪れるくらいだから、彼女たちは困っている。少なくとも本人は支障や苦痛を感じている。その理由が知りたい、それは自然なことだ。

 

私の場合だが、発達障害の確定診断がおりたとき、涙がでるほど安堵した。

これまでの死ぬような苦しみはこのためだったのか。あんなに苦しんでいたのはこのためだったのか。胸の奥に大きな悲しみと悔しさ、同時に不思議な安堵感が広がって行くのがわかった。

診察室から出て廊下で泣いていた私に、カウンセラーさんが忘れた書類を渡しに来てくれた。

 

医師に期待をしすぎてはいけないが、患者のことを否定しないでほしいと思った。

 

自分が発達障害ではないかと悩み、苦しむ人が増えたのは、社会がそれだけ先鋭化して、高い能力があることが「普通」になってしまったという背景もあると思っている。

 

 

おわり

妻は、夫の友人とどのように付き合うのが正解なんだろうか?

愚痴ブログです。読みたい人以外は帰ってくれないか。

 

 

以前あった、夫の友人トラブルがいまだに尾をひいています。

夫も苦しんでいるし、私も心にわだかまりを抱えています。

以前、このことは記事にしました。

 

nenesan0102.hatenablog.com

 

そこでいろいろなコメントをいただいたんですが、

夫の友人たちとトラブルになってしまった話 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

理由も言わずずっと不機嫌にしているのも極端な態度で失礼だし、理由も聞かないでその場から泣いて退場するのも極端な気がする。

2018/02/26 15:48

b.hatena.ne.jp

 

まさにこのwoldさんのおっしゃるとおりで、私は今となっては理由を聞けばよかったなと思っています。

私は、夫は私の味方になってくれるだろうと思っていたのですが、夫は「Bの態度がそこまで酷かったとは思えない」との理由で中立の立場をとりました。

Bさんは夫にはニコニコして笑いかけてましたからね…。でも私には仏頂面を取り続けていたので、夫がどうしてもここを理解できないことに、私はすごく寂しさを感じています。つらい。

もともと3人の集まりなのだから、いくら以前から「会ってみたい」と言われていたとしても行かないのがいちばん正解だったのかなと思っています。

「会いたい」と言われていると聞かされて、ホイホイと出かけて行ったのがそもそも失敗だったなと。ホイホイと行っちゃうあたりがアスペだなぁと自分で思ったり。

 

で、今回、夫とまたこの件で険悪になり、ああ、離婚があるとしたらこのへんの亀裂からなんだろうなぁと思ったりしたんですが、いろいろ調べてみて、非常になるほどなと思うことがありましたので、ブログにぜひ書いておきたいと思って、いまこうして書いています。

 

私はモヤモヤしてしまったので、「妻 vs 夫の友人」という図式はあるのかなと思い、あれこれ検索をしてみました。するとこの図式で悩む人の多いこと!

そしてその背景にあるのは、夫側の心理なんですね。

この夫側の心理を書いてみますと…

「自分の友達たちはとても良いやつだから、自分の妻を大事にしてくれるに違いない(だって俺の妻なんだから)」

という先入観があるそうなんですね。

そして、いざ、夫側友人との集まりに妻が一人でぽこっと参加すると、

夫は夫と夫友人とのあいだにそれまでの付き合いがあるから、そちらを優先してしまい、妻を放置しやすい

妻は自分の友人たちと仲良くできるはずだ(だって俺が仲が良いんだから)というフィルタがかかりやすい

夫側友人には、もうすでに築きあげられている人間関係や共有された記憶などが確固たるものとしてあって、夫友人側には、妻を受け入れなければならない義理もとくにないですから、妻だけが放置されてアウェー、みたいなことは、けっこうあるようで、その手のお悩み相談がネットにはわっさわさ転がっているのを知りました。

 

それを知り、私は な、なるほど〜〜!!

 

友達の友達が、友達になれるとは限らないという事象がありますが、これは夫婦とその友人関係にも言えることで、夫と親しい人だから、妻も親しくなれるとは限らないのでしょう。

 

 

それから、これは夫の友人に会ってみて実際にあったことなのですが、

・夫に対する態度と、私に対する態度が全然違う。

・夫友人と二人きりで会ったときと、夫もまじえて会ったときの態度が全然違う

というのも体験したことがあり、げに人間関係は難しきものよと思っています…

 

 

おわり

ZIPPOの物語、それから

※7/7、記事を一部修正いたしました。

 

今年の2月に事件を知り、飼い主さんの許可を得て記事にさせてもらったZIPPO君のその後の記事になります。

2月に書いた記事はこちら。

nenesan0102.hatenablog.com

 

この記事の中でYと書かれている人物が、7月に入り書類送検されました。

飼い主であるzippohideさんの思いたるや、どれほどのものがあったかと。

こちらでは想像もつかないほどのご苦労や悲しみがあったと思います。

 

飼い主のzippohideさんのtwitterを読むとわかるのですが、警察はわざわざYの部屋から見つかった血痕を採取して、それを北海道から本州の分析施設に送り、それが人の血ではなく猫の血であることを突き止め、やっと書類送検にいたったそうです。とてもとても長かった。

 

ここからがまた問題で、はこのままだと不起訴や、かりに起訴されても罰金くらいの軽い刑になってしまう可能性が高いのです。現行の法律の限界ですが…

 

これを受けて、飼い主であるzippohideさんは、札幌地検へ陳情書を送れないかと、twitterで呼びかけています。

 

陳情書は書式がありまして、きちんとした書式で書く必要があります。

自分の場合ですが、下記のような形で書きました。

 

=======================================

 

 

札幌地方検察庁 検察官殿  

             平成30年7月6日

 

陳情書

================

======(本文)========

================

 

 

  住所    氏名   印

 

============================

 

こんな感じです。伝わりますでしょうか。

zippohideさんとやりとりをしていましたら、ふいにZIPPO君の写真が送られてきて

思わず涙が出てしまいました。

 

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※当初、厳罰を求めるものは「嘆願書」なのかと思い、嘆願書を書いてしまったのですが、嘆願書は減刑を求める場合に書くものらしく、厳罰を求める場合には「陳情書」となるんだそうです。ここの部分を修正いたしました。

 

 

 

おわり

新幹線殺傷事件について発達障害の自分が思うこと

東京から大阪へむかう新幹線の車内で、男女あわせて3人が斬りつけられ、一人の男性が死亡するという痛ましい事件が起きた。

www.sankei.com

亡くなった男性は、東大〜東大院卒の理系の外資系企業の研究者という超エリートだった。

各紙はこの事件を一斉に報道し、また、実父による他人事のようなコメントにも注目が集まっている。

母親は報道関係者にむけて出したコメントの中で「一朗は小さい頃から発達障害があり大変育てにくい子でしたが、私なりに愛情をかけて育ててきました。」と語っており、逮捕された小島容疑者には発達障害があったことがうかがえる。

 

小島容疑者の発達障害は自閉スペクトラム、いわゆるアスペルガーらしく、それは自分とまったく同じである。

この事件を受けて、発達障害の当事者会は「事件と発達障害とは何も関係ありません」といった声明を発表したりしている。だが、私は、この事件において、発達障害が因子になったことは否めないと感じている。私が感じるだけかもしれないが。

 

もちろん、発達障害だから犯罪をおかすわけではない。実際にデータで見ても、精神障害者の犯罪率は、一般人のそれよりも低いようだ。

news.livedoor.com

上記のニュースからの引用となるが、

一般の人が犯罪を犯す割合(精神障害者を除いたわが国の人口全体のうち、精神障害のない刑法犯の割合)は約0.2%であるのに対し、精神障害者が犯罪を犯す割合(精神障害者全体のうち、精神障害刑法犯の割合)は、約0.1%にすぎない。

私は発達障害者なので、発達障害の人の集まるネット上にあるコミュニティに属している。この事件があったのち、コミュニティはこの話題でもちきりである。

「よけいなことをしでかしてくれた」とか「さっさと殺してほしい」とかそういった意見も当事者のあいだから出ている。

そして、発達障害当事者たちの関心は、裁判においてどの程度、発達障害であることが判決に関わって来るのか?である。

弁護士側は、発達障害や特殊な家庭事情をもとに情状酌量を狙って来るかもしれないが、それは発達障害当事者たちにとっては、世間感情を逆なでし、自分たちがさらに迫害されるのではないかという懸念を生んでいる。

 発達障害の当事者たち、親御さんたちの多くは、発達障害者が特殊な特性を持っていても、社会に受け入れられることを望んでいる。しかし、小島容疑者によるこの事件が、発達障害とセットで報道されることによって、発達障害者への差別と迫害がさらに進むことを、多くの人が恐れている。そして、その恐れは小島容疑者への憎悪となっている。

 

 

この事件を報道した多くのニュースに目を通したが、すべてに目を通せたわけではない。だが、小島容疑者が感じた「死にたい」という絶望感は私は非常によくわかる。

私自身、人生がうまくいかなくなり、絶望して書いたのがこのブログである。

nenesan0102.hatenablog.com

nenesan0102.hatenablog.com

 

nenesan0102.hatenablog.com

小島容疑者は仕事が続かず、そのような自分にも絶望していたと思う。

小島容疑者を擁護するわけではないのだが、彼がおちいっていた絶望感、死を望む強い気持ちは、私は肌感覚としてわかるところがある。

 

殺したい欲求が自分にむかえば自殺になるし、他者にむかえば他殺となる。根底にある何かは実は同じなのだと私は思っている。

 

小島容疑者のまわりには、彼を理解してくれる人がいなかったのかもしれない。ここが不幸である。

彼が住んでいた家の祖母も「自殺するといって出て行きました」と言っていて、それなのに捜索願いを出した形跡もない。父親のコメントも、「長いこと会っていないのでわからない」という、ちょっと実父とは思えないほど他人事の感じで、この調子でずーっと本人が接せられてきたのだとしたら、かなり機能不全な家族だったのではないかという疑いを持ってしまう。

 

発達障害の当事者会は、会として「事件と発達障害とは何も関係ありません」と発表しているが、小島容疑者が、発達障害ゆえに人間関係がうまくいかず、少年時代はいじめに遭い、就職しても仕事がうまくいかず、孤立し、仕事をやめざるをえない状態にあったのであれば、とても関係がないとはいえないだろう。

 

私自身、発達障害であることは、人生に大きな影響をあたえている。障害とはそのくらい大きなものだ。だからこそ社会的サポートが必要なのだが、日本はまだまだ障害者に対する理解もサポートも低レベルだ。「生きる場所がない」と何度も感じてきた。

被害者は超エリート男性で、加害者が弱者である無敵の人という、この図式がもう、ものすごくつらい。

 

 

【新幹線3人殺傷】容疑者の母「自殺はあっても他殺なんて思いも及びませんでした」 コメント全文(1/3ページ) - 産経WEST

これ生活保護を含めて金銭的な支援受けてたのかな。

2018/06/12 04:48

b.hatena.ne.jp

自分もそうなのですが、発達障害者で一度でも働けた人の場合は、「働ける人物」と見なされて、金銭的な支援はなにもありません。

精神障害者手帳の等級は3級となり、障害年金的なものもいっさいありません。ここでなにがしかの金銭的な支援策があれば、話はまた違ったのではないかと思えてなりません。

 ■

かつてブログに書いた事もあるが、私の兄もまた、発達障害者で、さらに言うと統合失調症である。兄は強い妄想から包丁をにぎりしめて近所の人をまちぶせしたことがある。なぜか。殺すためである。

兄は用意周到に、近所の人が帰って来る時間を計り、殺害計画を練っていたのだ。

いつ、殺害事件が起こってもなんらおかしくなかったが、事件はたまたま、その家の娘が兄をストーカーと勘違いしたことで未然に防ぐ事ができた。

私は殺人者の家族になっていたかもしれない。そうならなかったのは、本当にただの偶然の重なりなのだ。

nenesan0102.hatenablog.com

 

かつてあったアスペルガー男性による殺人事件がある。ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、重い判決が出た。理由は「社会に受け皿がない」という理由だった。

司法が、アスペルガーの人は社会に受け皿がないことを認めてしまったという最低な判決だった。

diamond.jp

小島容疑者に対しては、できるかぎり彼自身で罪を償うべきだと思っている。

発達障害による情状酌量は許されてはならないと思う。

小島容疑者が、他者を殺害しようと思うところまで追いつめられていたことに私は同情する。だが、それで他者を傷つけてよいことにはならない。

 

反対意見ももちろんあると思うが、私は今でも、どこにも行き場のない、生きる場所が見つからない精神障害者に対しては安楽死を認めるべきだと思っている。

 

【新幹線3人殺傷】容疑者の母「自殺はあっても他殺なんて思いも及びませんでした」 コメント全文(1/3ページ) - 産経WEST

自殺したがっている障害者に安楽死の手段を提供してあげる事も一つの支援の形なのでは?と、同じく無職の発達障害者の一人として思うのです。もう未遂は疲れたなあと。

2018/06/12 08:27

b.hatena.ne.jp

 

最後に、犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。 

 

 

おわり