けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

雑文

先日、こういうブログを書いた。

nenesan0102.hatenablog.com

このブログはいくつかブコメしていただいて、その中でおっ、と思ったものがこちら。

学習障害の私が中学英語を復習してみた話 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

英語同じこと思ってた・・・中学で二回目の授業で脱落。友人のアカウントの欲しいものリストをスカイプしながら設定したことあるけど、一時的にパスワードを教えて貰えれば・・心的抵抗ありますよねえ。

2019/11/28 14:50

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おお、同じタイプの学習障害の人がいた。これはすごく私にとって面白い現象です。

というのは、学習障害というのは、カナダだったかと思うのですが、いくつかのパターンに分類できるらしくて、そのパターンが(カナダだと)52通りあるそうで、そのパターンと学習理解度をうまく組み合わせてLD児向けの授業をしているとかいうのをどこかのブログで数年前に読みました。

 

ところで、前回のブログでは私の英文法理解度がはちゃめちゃであるというのを書いていたわけなのですが、こんな私ですが、一応、外国人とのメールでのやりとりはできます。会話だと聞き取れない箇所が何カ所も出て来るので、会話でのコミュニケーションはほとんどできないのですが。

じゃあ、どういう感じで英語でのコミュニケーションを取っているかというと、

 ・断片的に覚えた言い回しと、その応用

 ・ことわざと、よく出て来るフレーズと、その応用

 ・ネイティブの人が使ってきたフレーズや単語をそのまま流用

という感じでなんとかやっています。

 

 

 10年ほど前になるのですが、やっぱり英語ができたらいいなーというミーハーな動機で、スカイプの英会話をやったことがあります。そのときすごく日本語の達者なイギリス人の先生がいて、「先生にポンと出してもらった写真について英語でひたすら説明をする」という練習を繰り返したことがあります。

これは私が自分で考えついた方法なのですが、先生がノリノリになってくれて、こちらのつたない英語説明をウンウンと聞いてくれて、最後に、この先生に「先生だったらどう説明する?」みたいに聞いて、先生のお手本を聞いておわり。こんな感じの練習を何ヶ月かひたすら繰り返したりしてました。(これは今でもすごくちからになったなと思っています。こちらが何かを伝えたいときにあまり困らない)

 

 このころ、私にはドイツ人とかイギリス人とかアメリカ人とかの知り合いが複数いて、とにかく彼らと交流したい一心でがんばっていたところがありました。

今でもクリアに覚えているのですが、ある日、頭の中がはじけたような感じになって、すべての英語が聴き取れる時がありました。あれは一体なんだったのか。わからないことがないというのがこんなにもストレスフリーなのかと非常に驚いたのを今でも覚えています。

ちなみに英語をしばらく使わないでいたら、聞き取り能力はズダボロになってしまい、今ではほとんど聴き取れません。あの現象はなんだったの。

 

友人にバイリンガルのおばちゃんがいるのですが、以前この人が

「私は中学生のある瞬間に、いきなり外国人の言っている英語がすべてわかるようになった。だから中学生から普通にしゃべってた」

と言っていたことがあり、自分の体験した「全部クリアに聴き取れる」というのは、これと似た状態だったのかなと思ったりします。

 

 

 ごくごく簡単な日常会話のくっちゃべりレベルのコミュニケーションはともかくとして、それなりの英文法がわからないとごく簡単な英文が読めないので、うーむと思っています。まぁぼちぼちとやっていこうかなと思います。

 

あと、前回のブログにいただいたブコメでこういうのがありました。

学習障害の私が中学英語を復習してみた話 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

小1の算数が出来ないと、普段の買い物や料理の分量や時間の管理等で困るような気がするけれど、どう対処してるか気になる。/前の記事で%とか何倍とか何割とか使ってるので、少なくとも算数は理解できてると思う。

2019/11/27 18:31

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 うまく説明ができなくて申し訳ありません。私の場合ですが、極度に理解が遅いのが原因です。だから小学生の1年生から算数は授業についていけてません。ですが、ものすごく遅れて理解できる場合もあったりします。

算数や数学の授業がその時間内にわかったことはまずありません。定型の人が1時間で理解する内容を、半年くらいの時間がかかるイメージでしょうか。(なので常に落ちこぼれで授業はちんぷんかんぷんなのでものすごくつらい)

発達障害の人で、日常生活が壊滅的になっている人は多くいて、私の場合も生活が破綻しかけたことがありますが、脳の弱い部分が引き金になっているのは確かだと思います。

 

 

あと、それから、高円寺ららぁさんがくださったコメント

学習障害の私が中学英語を復習してみた話 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

発達障碍者は「意味づけ」や「(自分に)納得のいく説明」を求めるし「理解したい欲」が強い。語学は説明のための「道具」に過ぎないので暗記でよい。「け」の文字はなぜこの形なの?と問うと学習が進まないのと同様

2019/11/28 12:15

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 これは本当にそうです。まさにこのとおりで、なんというか、そういう探究心が良い方向に向いて学者とかやる人とかはいいんですけど、くだらないところまで追求してたりとか。しかも納得できないと割り切れないし。特性って本当にやっかいだなと思います。だからたまに、下記のような記事があるとすごく喜んでしまったり。

toyokeizai.net

 この記事を読んで思い出したんですけど、日本語も昔の日本語はまったく今と発音違うとか聞いたことがあります。「ぐぁ」「ぐぃ」「ぐぅ」「ぐぇ」「ぐぉ」みたいな濁音があったとかなんとか。言葉はくるくる変わり続けるものなので、英語も昔は主語がいくつもあったとかいうのがありますよね。

 

 

あと、pikopikoponさんも触れてくれているのですが、アマゾンの欲しいものリストはもう私はちょっといいです。また「乞食」とか言って叩かれそうで嫌なんですよ。

 

 

雑文なのでこんな感じでおわります。

 

 

おわり

学習障害の私が中学英語を復習してみた話

■はじめに

 私は発達障害者である。ASD(高機能自閉症)、ADHD学習障害のすべてを持っている。 

 以前から書いているが、このブログはなんの収益化もしていなくて、それはなぜかといえば、どうやって収益化をしていいのかが私にはさっぱりわからないからだ。

2年くらい前だったと思うけれどそのことをブログに書いていたところ、ブコメで「私が教えましょうか」というコメントをいただいたことがあった。だが、私はこの人の申し出をスルーした。…というのは、このとても親切な人は、私が学習障害であることを知らないし、学習障害のひどさというものをおそらくひとかけらも知らないだろうと思ったからだ。普通の人が10分で理解できるところを3日くらいかけても理解できないのが学習障害なのである。だから私は多くの大人たちをイラつかせ、呆れさせ、目の前で大きなため息をつかれたり、学習そのものを放棄されるということを幾度となく体験している。

私は、自分がこのブログの収益化をまともにできないのは、おそらく学習障害と関連があると思っている。私は知能のうち、突出してきわめて低い項目があって、その低い項目が学習障害を引き起こしているのではないかと推測している。

今日は、その学習障害者のあられもない状態を書いてみたいと思う。

 

んで、なんで、このようなことをはじめに書いているかというと、今日、このようなコメントをいただいたからである。

 

希死念慮とか - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

Amazon欲しいものリストを公開されてないのかな…もし公開してもらえたら何か送らせていただきます

2019/11/25 09:07

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  コメントをいただけるだけですごくありがたいのですが、「欲しいものリストを公開する」ってことができないんです。何度か挑戦したんですけどできませんでした。何が悪いのか自分でもわからないのです。ただ、こう思っていただけて嬉しいです。ありがとうございます。

 

ちなみにブログの収益化は夫にも理解できないそうです。「なめてた。全然わからんかった」と言っていました。

 

 

 さて本題。私は学習障害があって、算数と英語がはちゃめちゃにできないタイプの学習障害である。算数は小1からさっぱりわからないし、英語は中1からまったくわからない。算数はもうどうでもいいのですが、英語くらいはちょっとくらいはできるようになりたい。というわけで、中学英語の問題集を買って、夫(TOEIC845)をつかまえて再学習をしてみることにしました。

 

まずbe動詞が理解できない

私「be動詞は、なぜ“be動詞”っていうのかがそもそもわからない」

夫「英語の動詞の中で大きく変化するのがbe動詞だから。そうやって区別して特別扱いするの。なんでbe動詞っていうのかはワシも知らない」

私「ふーん」

※頭ではわかったつもりでいるが理解できていないので、問題を間違えまくる。

 

私「私は中学生の時のいっぱつめの英語の授業で、こういうのが出たよ」

This is a pen.

 (これ は ペンです。)

私「それで、先生は、This=これ is=は a penって各単語に日本語が配当するみたいなことを言ってた。矢印を書いて、これがこれにあたりますよ、みたいな。」

私「それで私はすごく不思議になって、じゃあ「これはペンだぜ」とか「これはペンやぞ」とか言いたい場合はどうすればいいのか?って聞きに行ったけど、そういうのないって言われた」

夫「そうやね、そういうのない。英語はそういうのはないね」

私「でも、日本語だと、丁寧に言えとかすごいうるさいでしょ。ですますとか。英語にはどうしてそういうのがないのかがわからなくて。そこでもうわからんくなった」

夫「そういう疑問を持ったことすらなかった」

私「んで、先生が、この英語の単語は、日本語の単語にここに配当するんですよ、みたいなことを言って来るから、英語と日本語の単語数はすべて同一なんだと思ってたんよ」

夫「それは違う。先生が間違ってるよ。センスない先生やったんやな。ビートルズの『Let it be』って曲あるでしょ。あれは「あるがままに」みたいな意味なんだけど、3語になってへんでしょ」

私「そういわれてみればそうなんだけど、はじめに先生にそう教えられると、そうなのかなって思うもんなのよ」

夫「ワシの場合先生がよかったのかもしれんな」

 

三人称がわからない

私「そもそも“三人称”っていうのがわからないんだよね…。複数とか単数とかあって、図に書いてあってもわからない」 

夫「そうか…」

私「三人称単数と三人称複数?ていうのもわからないんだ」

夫「でもそこで動詞とかかわるから覚えないと」

私「なんかこう頭がグチャーってする。誰のことかさっぱりわからないんだ」

夫「そうか…」

 

三人称?のsがわからない

私「三人称のときに、動詞にsがつく?みたいな現象があるけど、どうしてsがつくのかがわからない」

夫「それは英語の癖みたいなもので。どうしてって考えても意味はないよ」

私「でもどうしてなのかがわからないと次にすすめないんだ」

夫「そうか…大変やな」

私「なぜみんながスッとわかるのに私だけはわからないのかがわからないんだよ」

 

DidとDoesとWasが混同

私「どういうときにどれになるのかがわからないんだけど…」

夫「そこは三人称を理解してないとわからないよ」

私「そうか…」

 

動詞の混同

例:私は彼をパーティーに招待しました。 

 ◯ I invited to him the party.

 ×  I was invaited to him the party.

私「どうして、I was invited だとだめなのかがわからないよ」

夫「was inveite だと、動詞がかぶっちゃうでしょ。英語だとそういうのをなるべく単純化しようとする。そういう言語なんだよ」

私「頭痛が痛い、みたいなやつか」

 

※ここについてはいまいち記憶があいまいなので、間違っていたらすみません

 

 

 というわけで、全部こんな調子だから、私は中学校の勉強についていけなくなってひきこもりになってしまった。今でもやっぱりどうにもわからないんだというのをあらためて認識した。

知的障害があるわけではないから、なぜわからないのかがまわりの人にはわからない。本人も困るし周りもすごく困るし、何より先生からすれば「教師の指導力がない」ということにされてしまうので、教師からはものすごく嫌がられる。

授業中にヒステリックに「私はできない子のために授業をしてるんじゃない!さっさと塾へ行きなさい!」と怒鳴られたことがある。この時はけっこう衝撃が大きくて、「ええ…学校ってわからないことを教えてくれる場所じゃないの?教えてもらわなくてもできるなら先生なんていらんくない…?」と強いいきどおりを感じた。

その後、補習塾へ通ったが、この補習塾ですら「勉強があまりにもできない」という理由でクビになってしまったので相当なものだと思う。

わけのわからない呪文のような授業を聞いているのはものすごく苦痛だったから、私が不登校になってしまったのはもう必然だったのかなとも思う。

 

 ■

 

もしかしたらうちの子って学習障害かも?という人がいたら役立ててください。なんの役にも立たないかもしれませんけど。

 

 

 

おわり

 

発達障害者の性差について雑感

先日、このようなエントリを書いた。

nenesan0102.hatenablog.com

 このエントリを書いたあと、私の脳内にあがってきたのが、発達障害男性の状況について、である。

もともとのエントリ、NHKのサイトで宇樹さんが取り上げられたものについたコメントでも、このようなものがあった。

News Up 生きづらい… 発達系女子の“トリセツ” | NHKニュース

ある精神科医が「引きこもり等で苦しむ人のうち、経済的人格的に優れた配偶者と結ばれた女性は人生が好転するケースがしばしばある」と言ってた。その他のケースがより困難である可能性はおさえといた方がよさそう。

2019/11/19 20:17

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 宇樹さんも私の場合もそうだが、これは一種の「救済」だと思う。

では、このパターンが男女逆で起きることはありうるのだろうか。

「引きこもりや二次障害を併発した発達障害男性が、健常者女性によって救済される」というパターンは、完全にないとは言いきれないが、やはり「発達障害の女性が救済される」というシチュエーションの方が、しばしば見かけるパターンである。だから、一部の発達障害者男性はこのことに「女はズルイ」という感覚を抱くようだし、男性がその障害によって救済されないこと、男性は強くあれというジェンダーロールが社会に存在することなども相まって、いっそうに置かれた状況を対照的にうかびあがらせるところがあると思う。

 

 以前から私はさまざまな疾病の男女差について大きな興味を持っていて、このような分野を研究する「日本性差学会」という学会も存在する。

発達障害に関して言えば、今の時点ではその男女比は4:1と言われていて、男性の方が女性の何倍も多いとされる。理由は左右の脳をつなぐ脳梁の解剖学的な差だとかホルモン差だとかさまざまな説があるがはっきりとは解明されていない。(男女比についても、論文によって差がある)

 

障害者のデータを内閣府のもので調べてみると、以下のようになる。

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出典:https://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h30hakusho/zenbun/siryo_02.html

 

 現在のところ発達障害は「精神障害」という枠組みに入るので、そのデータを持ってきてみたが、あまりにもおおざっぱなくくりのため、このうちの何%が発達障害にあたるのかがわからないが、精神障害全体でいうと65歳以下の枠組みでは女性の方が割合が多い。しかもこのデータだと、この女性のうち何割くらいが結婚しているのかとか、そういったことはわからない。今の時点では、どのくらいの発達障害女性が「結婚による救済」を受け、それがどのくらいの割合であるのかというのは調べるのが困難である。

発達障害男性にしばしば見られる「女は結婚できてズルイ」という感覚は、感覚としてはわかるのだが、家事や育児がまったくできずに離縁されたりする発達障害女性がいることを考えると、「けっこう崖っぷちなのではないか」という感じもなきにしもあらずだと思う。

 

 

 急に話が変わってしまうが、私はいつぞやネットで読んだとある言説に非常に納得したことがある。それは次のようなものである。

人の男と女には生まれ方の性差があって、男性は個人差が大きな個体がバラバラに生まれるのに対し、女は平均にもっとも近い個体が多く生まれる。 

…という説である。どこで見たのかもうわからなくなっているし、トンデモ説かもしれないのだが、この説に私は非常に納得してしまった。もしこの説の起源をご存知の方がいらっしゃればぜひご一報願いたい。

言われてみれば、男性は天才から障害者までの幅がすごく広いし、世界中を見渡してみてもビリオネアのほとんどは男性である。一方で刑務所の受刑者数やホームレスの男女比には明確な性差があって男性のほうが圧倒的に多い。

公立小学校の低学年のクラスで考えてもらえばもっとわかりやすいだろう。身なりがぐちゃぐちゃで遅刻ばかりで忘れ物も多いという生活が成り立っていないような児童は男児が多く、女児でそこまでのひどさを露呈する女児はあまりいない印象がある。

前出の内閣府の調査でもそうで、65歳以下の知的障害者数については、

知的障害者数(療育手帳所持者数)を性別にみると、65歳未満では男性が 49万7千人(62.5%)、女性が 29万5千人(37.1%) 

と、男性の方が圧倒的に数が多い。

 

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 (障害者全体や精神障害者数での性差はそれほど大きくないのに対し、知的障害者の性差が突出して大きいのがわかっていただけると思う。)

犯罪白書』(平成29年度版)からのデータ、刑務所の受刑者数の性差もまた大きい。

 

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出典:http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/64/nfm/n64_2_2_4_1_3.html

 男性受刑者数1万8462人に対し、女性受刑者数は2005人しかいない。じつに9倍もの性差がある。少年院への入院でもあきらかな性差が見られる。

 

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出典 http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/64/nfm/n64_2_3_2_4_1.html

このグラフは平成29年度の犯罪白書からお借りしたものだが、平成28年のデータでは女子は全体の7.6%にすぎない。9割以上の非行少年は男性ということになる。少年非行と知的障害〜境界知能に大きな相関があることは、宮口幸治先生が著書の『ケーキの切れない非行少年たち』で指摘しているとおりである。

しかしなぜこうした性差が現れてしまうのか、私には今のところはっきりとはわからない。が、私は「男性は女性に比べてその個体差が大きく、女性は平均的な個体が一番多く生まれる」という説を支持している。

 

 このように知的障害や発達障害を持って生まれてしまった男性がきわめて苦しい人生を強いられるのは想像にかたくない。最初にあげた「結婚による救済」はあくまでも結果論であって、離婚率の高さを考えたらけして安易に喜ぶべきことではないのだが、それでも「そのくらい希望を持ってもいいじゃないか」と思ってしまう気持ちはよくわかる。

 

 

 ここまで性差があるという話をしてきたが、同じく発達障害女性も苦しい人生を強いられるのはある。しかしながら発達障害女性と発達障害男性を比べると、やはり障害の程度にも性差があるのではないかと思うときもある。男性と女性を比べるというのは、そもそもがけっこう問題をはらんでいるが、発達障害男性もまた、マッチョ指向の男性社会の犠牲者だなという感じもする。

 これは私がほんのり思うだけだが、経済面で稼ぐことができない男性は、せめて家事スキルを少しでもあげてほしいと思う。そのことで救われるという保障はないのだが。

 

雑感なのでここで終わり。

 

 

おわり

発達障害女性の生き方とは(長文)

先日、こんな記事があった。

www3.nhk.or.jp

  宇樹さんはこの業界では有名人だから、登場するのかなと思っていたら宇樹さんであった。宇樹さんに罪はないのだが、「男に頼れてあなたはよかったね」と思われてしまう作りになってしまっているのはどうしてもいなめなくて、そこが残念な記事だと思った。

 

宇樹さんにとって、大きな支えになっているのが夫の存在です。インターネット上で、毎日の生活の苦しみをつづっていたところ、のちに、夫となった男性から「つらそうで見ていられない」と手をさしのべられたといいます。 

 

News Up 生きづらい… 発達系女子の“トリセツ” | NHKニュース

こういうケースには大抵配偶者がいて、いない場合の処世術はあまり語られない。また男性だと脱出が難しい現実も。

2019/11/19 16:04

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News Up 生きづらい… 発達系女子の“トリセツ” | NHKニュース

安定の「パートナーが支えになってくれています」系記事。パートナーがいないと結局無理だから記事にもならんのだろうなあ

2019/11/19 16:47

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 こう書くと身も蓋もないのだが、私も夫という存在に救われた一人で、夫がいなければおそらく今ここにこうして生きていることもないし、ブログ記事を書く事もなかったと思う。(あとになって夫もまた発達障害らしいというオマケがついてきたが) 

 

私を救ってくれたのは、夫が送ってくれる数万円の仕送りと、10年ほど前から患っていた難病によって得た障害年金だった。これで私は生き延びた。紐をタオルでぐるぐる巻きにしたものを自分で作製して、それをもちいて自殺しようと思っていたし、自殺する場所まで細かく決めていた。(一度これで首を吊った)

  

 どういう尺度なのかわからないが、私の場合は発達障害では障害年金は取れないと医師から言われていた。ASDに加えてADHD、LDも抱えているのだが、このへんは一体どういう基準なのかよくわからない。障害年金自治体によって差があること、過去に厚生年金を支払っていた人が優遇される等の基準があって審査の内幕は闇である。

 

 

 この記事を読んで残念だったのは、発達障害の女性がどうして困っているかがあまりしっかりと描かれていなかったことだ。

あくまでも自分が見てきた範囲で困りごとを書くと、

 @仕事に就けない、続かない、業務を遂行しうるだけの能力がない。

 @人間関係がうまくいかない。認知の歪みから頻発する対人関係トラブル。

 @体調が安定しない。業務を続けられるだけの体力、精神力がない。

 @能力が低いことでまわりについていけない。周囲に迷惑をかけてしまう。

 @人生で度重なる失敗が多く、自己肯定感が低いため、精神的に不安定になりやすい。

 @金銭の管理ができない。そのことによってまわりに迷惑をかけてしまう。

 @すぐにパニックを起こして混乱する。まわりを巻き込むこともある。

 @二次障害(鬱、双極性障害統合失調症その他すべての精神疾患)による生活への悪影響。

 @働くことはできても経済的に自立できるレベルまで届かない。

 @生活能力が壊滅的になく、一人ではまともに生活ができない。

 

 発達障害者は個々人によって特性の出方が違うので、いちがいにこうと言う事はできないのだが、おおまかに書くとこんな感じだろうか。自分が見てきたかぎりでは、女性は金銭面での管理ができない人が多くて、そのことで困っている人も散見される。

 

では、パートナーとなる男性が現れなかった場合、発達障害女性はどのように生きて行くのが一番よいのだろうか?

発達障害自体がまだ新しい概念のため、ロールモデルがあまりないのが現状であるが、自分の知っている例だと生活保護を受けている人が圧倒的に多い。生活保護は最後のとりでだが、「男」というセーフティネットがない場合、ストンとそこに行き着いてしまうのは当たり前の話という感じでもある。

独身でもしっかりと働いて経済面でも生活面でも自立できればそれで良いのだが、発達障害の女性だとこういう人はいても少数である。頼る人はいない、さりとて仕事もできないとなると、頼るのはおのずと行政になる。

 

 @障害年金生活保護を受ける。

 @支援センターなどで金銭管理のサポートをつける

 @大きなトラブルがなければ親元にいるようにする。少なくともホームレスにはならない。

 @生活保護障害年金を受けながら、作業所などで社会復帰をめざす。大企業の障害者枠での採用や公務員の障害者枠での採用、配慮のある企業が見つかれば超ラッキー。

 @できるかぎりSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)などの訓練を受ける。

 @就労可能な場合は、できるかぎり自由裁量度の高い職業を選択する。

 

…こんな感じだろうか。ようは頼るのが男か自治体か、という話になってくる。

 

実は、私はこの記事にこんなコメントを書いた。

 

News Up 生きづらい… 発達系女子の“トリセツ” | NHKニュース

先月、発達障害を苦にして自殺した女性の話を聞いたばかり。パートナーが見つからない発達女性の場合、死がパックリと口を開けて待っているイメージすらあります。女だがトップブコメの感覚はよくわかるよ

2019/11/19 19:30

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 ここで内容を書いてもおそらく個人特定には結びつかないと思うのでかるく書かせていただくが、亡くなったくだんの女性は看護師の資格を持っていた。しかし人の命を扱う病棟で働くにはあまりにも危険だとのことで、医療事務の資格を取ってそちらに移った。だが、短時間で正確な診療計算を行わなければいけない部署で発達障害によるミスが頻発、クレームの嵐となった。何年か頑張ったが、もともとが発達障害だからケアレスミスが減ることはなく仕事での失敗が積み重なるばかり。結局、ある日焼身自殺してしまった。

 この話を聞いたときに思ったのは、この人は非常にまじめてすごく頑張ってきたのだろう。しかし能力が足りなかった。一人で頑張って社会を生き抜けるだけの能力がなかったのだ。 できることなら自分のちからで生きて行きたかったろうと思う。しかしながら正確さとスピードが要求される現代では無理だったのかもしれない。病院にこだわることもなかったのだが、本人は病院で働きたかったのかもしれない。

しかし焼身自殺はあまりにもむごい。

私は、障害のある人は障害だからと割り切って、行政の援助や支援を受けてほしいと思っている。しかしその割り切りができないのもまた発達障害の特性だったりもするので、そこが難しい。

 

 

  NHKの記事では宇樹さんご夫妻に子供がいるかどうかは不明だが、実はけっこう多いのが、

発達障害が軽度で、それに気づかないままで結婚した女性が出産後、子供に発達障害があるのがわかり、もしや自分も?と調べてみたら発達障害だった」

というパターンである。

 

このパターンだと、じょじょに生活にほころびが生じていって、離婚してしまう話もちらほら聞く(もちろん離婚しない人もいる)。

ちなみにこのくらいのレベルの発達障害女性だと、仕事も軽くなら出来、結婚するくらいのコミュニケーションスキルは持っているという場合が多い。だからこそ気づかないままで結婚出産にいたるわけだが、このパターンだと「母子そろって発達障害のシングルマザー家庭」が出来てしまって、子供の障害の程度にもよるが、就労不可能という場合も多い。このタイプの家庭は母親側の実家に頼って生活している例が、私の見てきた限りでは多い。わけあって実家に頼れない場合、どうしても生活保護という感じになってしまうのが現状だ。

 

 ■

 

 NHKの宇樹さんの記事を読むと、まるで男に頼ることを推奨しているかのようにさえ見えてしまうが、タイミング良くパートナーを見つける事ができずにずっと苦しみ続けるシングル女性もいるわけで、やはりそこは対象として取材してほしいところではある。

 

 振り返ってみると、私がこのブログを書き始めたころ、私は発達障害は自分のせいだと強く思っていた。だから自分がカタをつけなければならないのだと思っていたし、働けないのも生きづらいのもすべてこのように生まれた自分の責任だと思っていた希死念慮がきわめて強かったのも、もとはその考え方からである。

だが、最近少しずつ考え方が変わってきて、障害を負って生まれたのは誰の責任でもないと開き直れるようになった。

 

発達障害のうちの「自閉スペクトラム」の特性を持つ人は案外多くいて、それが子供に遺伝するかとか、どのくらいの程度で遺伝しうるかはもはや運でしかない

ただ、今の時点でも、発達障害で年金をもらえるのはかなりラッキーな部類だと思うし審査に落ちる人もいる。これからの日本で障害年金の審査は厳しくなる一方だが、発達障害者は増える一方である。政府の政策によっては突如年金が打ち切られることもある。ここをどうしていくのかという問題がある。

(以前から書いているが、私は安楽死推進派である。障害を負って生まれることが誰の責任でもないからこそ、安楽死を認めてしかるべきだと思っている。

タンパク質の焦げる匂いをまき散らしながら死ぬことがどれほど残酷なことかと、くだんの女性の話を聞いて涙が出た。これからの日本に、弱者を守って行く余裕がもうほとんどないことも現実として考えるべきだと思う。なお、この人以外にも私は焼身自殺をはかった発達障害の当事者を知っている。幸いにしてこちらの人は生還、今は啓蒙活動を行っている)

 

 

ちなみに、私は「発達系女子」という呼び方はきらいである。なのでこの記事ではもちいていません。

 

 

 

おわり

 

 

 

ポンコツではない人がポンコツを自称しないでほしい

少し落ち着いてきたが、私はこのブログを目に涙をためながら書いている。

だからすごく怒りにまかせた文面になるかもしれないがお許しいただきたい。

ポンコツの人むけのハウツーみたいな記事があって、へえと思っていざ読んでみたら高級な家電のオンパレード。読むうちに涙が出てきた。この人のいう「ポンコツ」と、私が定義する「ポンコツ」はまったく違うのだなと断絶感がすごかった。

ポンコツが日常生活を送るためのハウツー #頑張らないで生きていく|池澤 あやか|note

それなりの能力と知名度を持つ人が、自称ポンコツとかダメ人間というのは本当に困難してる人にとって害悪でしかない。裏返せば私以下など人間ではない、みたいな物差しになるので。

2019/10/21 20:25

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正直なところ「ポンコツ」というのであれば、社会適応がどれだけ頑張ってもできなくて、人生に絶望して、死の淵に何度か立ったくらいの人が自称してほしいと思う。

そのくらいでないと、ポンコツといえないだろうと個人的には思う。

私の知人でこういう人がいる。私と同じ発達障害の人だ。

この人は月に何百錠もの薬を飲んでいる。発達障害とそれにともなう二次障害のための薬だ。これを飲まないと社会生活が送れない。薬の額は額面で言うと20万近くにのぼる。これに加えて障害年金(2級)をもらっている。

薬でなんとか精神面をたもち、発達障害の能力欠如をドーピングで覆い隠して、やっとのことで仕事をしている。仕事は障害者雇用で月に10万稼げたら良い方。10万に届かない月もある。こんな調子だから障害者年金がなければ生活していけない。あのね、こういう経済状況であの高級家電買えると思いますか?そんなの買う余裕がない人がたくさんいるってわからないの?(ばかなの?)

大量の薬と合わせると、この人が社会生活をいとなむために年間数百万のお金がついやされている。本人が稼ぎだせる額の2倍くらいのお金が支給されている。

う〜ん、働くことって…と複雑な気持ちになるが、やはりこの人が社会生活を送るためにはこのくらいの医療福祉のサポートが必要だということなのだ。

しかし、こういったサポートが可能なのも、現在はまだ社会保障をささえるだけの人がいるからであって、この先支える人がいなくなればどのようにけずられていくかわからない。「あんたの障害でしょ、自分で努力してよね」という時代はすぐそこまで迫っている。私が安楽死を求めているのはこの時代の到来をすごく恐れているからである。だが、私の恐れとは関係なくこういう時代はすぐにやってくるだろう。

  つい先日、話題になっている『ケーキの切れない非行少年たち』を読んだ。IQの低さや認知機能の弱さによって、人がどれほど困難な人生を歩まざるをえないかがつぶさに現れていた。ひどいなと思うのは、かつてはIQ85以下を知的障害と定義していたのに、これらの人々が15%ほどいるとなったとたんに「支援対象が多すぎるから」とばっさりと切り捨ててしまったことである。これら支援対象からはずれた人々は自分の人生はなぜこんなに困難なのかと苦しみながら底辺に近い仕事に従事したり、人に騙されたりホームレスになったり、ときには犯罪者になったりする。国の支援策がもう少しまともであったならと思わずにはいられない。

  私は自分自身をポンコツだと自認している。だからこのようなブログを書いていたりするわけだが。発達障害の確定診断のとき、私の知能検査のグラフはものすごい高低差があって、IQの値は15くらいの差があってもすごくしんどいと言われるそうなのだが、自分の場合50以上の開きがあった。というのは、突出して言語性IQが高くて、動作性IQの項目が極めて低かったからだ(最低値のほぼ二倍が最高値)。人から「それはしんどいでしょう」みたいなことを言われたことがあるが、私自身は健常者の脳になったことが一度もない。平均値から大きく外れた脳が自分のデフォルトであって、そうでない状態をいっさい知らないのである。だから私は健常者がどのような状態であるのかを知らない。健常者の人はこれほど苦しまないでいられるのだろうか。このへんもいっさいがわからない。ただ、私がこのような文章をそれなりのていで書けるのも、かなりの速さで本を読む事ができるのもある程度高い言語性IQのおかげであって、ここに救われているところがある。

  いわゆる健常者のふつうの人が、仕事をして、家での家事をこなすことが100の能力がいるとしたら、おそらく私には30くらいの能力しかそなわっていない(精神的にものすごく脆弱なことも含めて)。だから残りの70を別の人に肩代わりしてもらうか土俵から降りるかしかない。知人のように大量の薬を飲み年金をもらうことでそこをカバーする人もいるが、他人の助けを借りずに自立しうるだけの能力がない場合、これは本当にどうしたらよいのだろうか。必死にがんばって60くらいの能力でつっぱしることができるが、当たり前だが反動がきて結果的に体調や精神状態を悪化させるのがオチである。自分だってできることなら100とか、もっといえば150くらいの能力を持って生まれてきたかった。はなから低能力で生まれたかったという人はおそらくあまりいないだろう。私だって好きでポンコツに生まれたわけではない。もういい加減にポンコツな人生から逃れたいと願っている。

れいの記事を読んだ人はどうせこんな泡沫ブログなど目にとめないだろうがあの記事は本当に不快だった。

映画『ジョーカー』が話題となっている。観に行こうかなとも思っていたが、精神的に動揺をきたしそうなので行くのはやめた。だが、あちこちの記事を読んでいるとなんとなく内容がわかってきたのでいつか落ち着いた頃にみようかなと思っている。

 

 

 

おわり

 

 

 

 

がん治療に関する雑感(長文)


togetter.com

 こんなまとめがあったので、自分なりの雑感を書いてみたいと思う。

 ちなみに、これまでも代替療法や民間療法などについてはブログ記事を書いていて、ご興味のあられる方はそちらもお読みください。 

nenesan0102.hatenablog.com

nenesan0102.hatenablog.com

 

  昨年、2018年に、国民的漫画家であるさくらももこ氏が亡くなった。がんによる死、しかも53歳という若さでの死であったため、多くの人が衝撃を受けた。

togetterのまとめを読むかぎり、さくらさんは、もともと乳がんで標準医療を受けていた。それで一度は治っているが、がんがまた再発したという状況だったようだ。

さくらさんが民間療法をしていたことをなげく声もあるが、民間療法を選択したのには理由があったとも言える。

togetter.com

 さくらももこの件のtogetterまとめには、このようなツイートもあった。

 「けっこう元気!!」なのは、それはあなたの場合であって、さくらさんはそうじゃなかったんでしょう。二度と受けたくないと思うくらいには苦しかったのでしょう。

人の体というのは個人差が大きくある。だから安易に「私は平気だった。だからあなたも」というのは通用しない。これは標準医療にも民間療法にも言えることで、Aさんに通用したものがBさんに通用するとは限らないのが、医療のとても難しいところである。

 

重篤な副作用

いま、私の手元には『今日の治療薬』という、医師の机にかならず鎮座ましましている分厚い薬辞典がある。この本で、けっこう代表的な抗がん剤である「5-FU(フルオロウラシル)」をひいてみよう。この「5-FU」は、かなり多岐に用いられる抗がん剤で、消化器系のがん全般、乳がん、肺がん、子宮けいがんなどの治療に使われる。

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『今日の治療薬2018』より

 「5-FU」の「副作用」の欄にはこんな記述がある。副作用は多いので、とりわけ重篤なものを書き出してみよう「骨髄抑制、うっ血性心不全心筋梗塞、急性腎障害、白質脳症、肝不全」。命に関わる副作用が多数ある。

 腎障害もそれ自体が重篤な場合は、そこから人工透析になったりの可能性もある。心不全からダメージが腎臓に行く場合もある。骨髄抑制というのは、骨髄の機能がおかされ、それによって血液中の血漿成分が作られなくなり、ようするに血液そのものが劣化する状態となる。だからこの状態になると全身がものすごくしんどくなる。血漿成分である血小板が減少するから鼻血が出てとまらなくなったり、歯茎から出血がとまらないとか、そのような副作用がおきる。

 

 じつは私の知人が、消化器系のがんで、この「5-FU」による抗がん剤治療を受けた。消化器粘膜を攻撃する性質のある薬なので、口から肛門までびっしりと潰瘍ができ痛くて痛くてたまらなかったそうだ。さらに言うと腕にシミのようなものがぽつぽつとあるので、これはなに?と聞いたら、看護師さんの手違いで抗がん剤が点滴から落ちたものが火傷になり、それが数ヶ月経っても皮膚に残っていた。そのほか、爪が一時的に生えなくなり、すべての爪が伸びなくなった。

 しかしこの人の場合、それでも副作用はごくごく少なかった方だ。それはただの偶然であって、重篤な副作用があった可能性もあったわけである。

  私は、抗がん剤の、人体へのあまりの侵襲性の高さはどうなのかと思わざるをえない。

  2018年に本庶先生がノーベル賞を受けたがん治療薬「オプジーボ(二ボルマブ)」でも、副作用による死者が出ている。ここまでくるとちょっと治療自体がロシアン・ルーレットめいた感じすらある。脳機能障害を起こした場合、その後、脳機能がどこまで復活するのかはちょっとこの記事からはわからない。だが投薬の影響がきわめて深刻なのはあきらかだろう。

medical.jiji.com

 

■莫大な治療費用

 2014年に「オプジーボ」が登場したとき、その薬価はかなり高かった。体重60kgの人への投与の場合、月に300万、年間でおよそ3800万円がかかったという。 

www.ganchiryohi.com

 がん闘病を公表しているある写真家さんが、ブログで「僕の今現在のがん治療費用は、年間でだいたい6600万円ほどになります」と書いていた(※高額療養費制度があるので、本人負担額=6600万円ではない)。

  保険治療適用内であれば、高額療養費制度という救済措置が使えるが、最新薬を使った自由診療の場合、この高額療養費制度は対象にならない。だから中には家を売って治療費を捻出するという人もいる。

 

 高い薬というのは存在するもので、つい先日発表された難病の再新薬「ゾルゲンスマ」の一回あたりの薬価は2億を超えるものだった。国内でもっとも高い治療薬は、白血病治療薬「キムリア」で、一回の費用が3350万円である。いかに最新の医療費がぶっとんで高いものかというのがよくわかる。

  病気になると、ただでさえ体がつらくなって働くのが困難になる。おまけに医療費が、まるで悪魔がやってきてお金をもぎとっていくかのように吹っ飛んで行く。

 

■いかに生きるか 

 ここまで書いてきて、読んでいる人はどう思うのかわからないが、私自身はがんの標準医療を否定するという立場ではない。ただ、標準医療が体に合わない人が必ずいる。そういう人たちをどのように扱うか。この問題にまだ、病院や医師側は答えを出す事ができないでいる。身もふたもない言い方をすれば、標準治療も代替医療も、どちらも生存者バイアスなのである。「キノコが効いた」というのもあくまでもその人の場合に限っての話であるが、救われたい一心で代替医療を選択する人ももちろんいる。

標準医療というのは、膨大な蓄積データのうち、エビデンスがしっかりあるものを専門家が審議して定められた医療である。だが、だからといってそれが効くとは限らないのだ。ここが人間の体の悩ましいところである。標準医療で効果がなかった人や、あまりにも苦しい思いをした人が、いくらエビデンスがあると言ってもそこから離れてしまうのは無理もない。

 

  いまは、遺伝子解析がものすごいスピードで進んでいるから、遺伝子を解析して、それに合った副作用の少ない抗がん剤投与なども行われているが、抗がん剤治療を行って副作用がどのくらい出るか、どの程度の重篤な副作用が出るかなどは、すべてやってみなければわからない賭けみたいな部分があるのだ。

  私は、人々を標準医療から遠ざけるものは、肉体や精神へのひどい侵襲性と、成功率の低さ、それから高い医療費だと思っている。

 

  以前、がん治療に関して、このような文をどこかで読んだことがある。

Aさんはがんになり治療を行った。保険が適用されない最新の治療薬を使うため、長年住み慣れた家を売った。

Aさんのがんは治った。だが、Aさんに残されたのは、治療による莫大な借金と、副作用で弱り果てた体だった。Aさんは働けなくなり、住む家を失って小さなアパートで寝たきりになって生活するようになった。

それからしばらくしてAさんにがんが再発した。今度はもう治療するお金もなかった。

この文を読んだのはたしかまだ10代のときで、この人は一体なんのために生きるのかなとひどく疑問を感じてしまったことがある。Aさんはこの状態で幸せなのだろうか。

 

 

 いま、私の手元に『日本医療史』という本がある。この本の中に、日本の中世の死生観が取り上げられていて、それが興味深いのでここで引用したい。

中世の人々に希求された「頓死往生」「極楽往生」も、その前提には「臨場正念」という心安らかに念仏できる命終のときを得ることが不可欠とされる。

苦しむことのない安らかな死、それは仏への信仰によって支えられる死であったが、一方、いわゆる天寿をまっとうしたと言われるような老衰死も古来から理想とされる死となっていた。   

 

 「頓死往生」というのはぽっくり死ぬこと、「臨終正念」というのは、臨終のさいに念仏をとなえられるくらいのおだやかさで死にたいという願いである。つまり、苦しみぬいてうめきながら目をひんむいて死ぬというのはやっぱり嫌なわけだ。これは鎌倉時代に書かれた日記に登場する記述だ(『平戸記』寛元2年/1244年)。ああ、中世の人々もそのような感覚だったのだと私は妙に納得した。

 私自身、もともとから安楽死推進派ではあるが、手のほどこしようのないがんについては、安楽死などを認めてほしいという思いを持っている。

 

 

 ところで、民間療法に関して言うと、けっこうな額がアメリカにおいて支出されている。古いが、1993年の調査データがある。

アメリカにおける医療費支出額のうち25%が民間療法に費やされており、患者のうち約70%はなんらかの民間療法にかかり、その支出総額は137億ドルにのぼる。(民間療法を選択するのはおもに白人のエリート層)

ちなみに、アメリカでは標準医療に代替療法を取り入れるというのはけっこう行われているこころみで、これを「統合医療」(Integrative medicine)という。アメリカにはこれを研究するための「国立補完代替医療センター(NCCAM)」がある(1998年設立)。

  これは2010年のデータであるが、アメリカの病院協会に加盟する大病院のうち、42%の病院で統合医療が行われている。ハーバード大スタンフォード大をはじめとする有名大学による「統合医療連合」が設立され、今では57の大学が加盟して研究を行っている。

(※データが古いので、今現在は変化している可能性があるのですみません)

 

ja.wikipedia.org

 

 

  私は個人的にだが、標準医療側に立つ医師が、民間療法を選択した患者を「偽情報にだまされて…。情弱はこれだから」みたいに小馬鹿にする感じがどうにも好きではない。いや、あんたらの治療が苦しすぎてもう無理になったんだって、そこはちゃんと認めなよとも思う。標準医療に不信感を抱いている人は意外と多くいる。それがなぜなのか。なぜ患者さんが民間療法を選択したのか。きちんとその背景について考えるべきだと思う。

 

 眠れないので適当に書いてしまった。構成がうまくないのはお許しください。

 

 

 

おわり

 

■参考文献

 『今日の治療薬』南江堂/2018

 『日本医療史』新村拓/吉川弘文館/2006年

 『病気がイヤがる暮らし方』丁宗鐵/春秋社/2015年

 ※アメリカの医療費のデータは、丁先生の本の記載よりお借りしました。

 

 

 

グレタさんについての雑感

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(グレタさんのFacebookページのスクショ)

 

 スウェーデンの環境活動家の16歳の少女、グレタ・トゥンベリさんが話題だ。

後ろに大きな組織がいるとか、本人の主張に科学的根拠がないとか、デスメタルにされるとか、もう侃々諤々である。

それはさておき、この人はもともと発達障害界隈ではそこそこ有名人で、それはやはり本人がASDなどを公言していることで、 それに希望を見いだした人がグレタさんを(その主張とは関係なく)支持したりしていた。というのは、発達障害を持った人物が、それも16歳の少女がここまで多数の人々の賛同を勝ち得るというのはなかなかない出来事だからである。

このブログにもたびたび書いているが、発達障害を持っていると、普通の人ができることができなかったり、何度もつまづいたりそのことで叱責を受ける事が多い。人生の中でつまづくことが多いから、発達障害の人は自己肯定感がきわめて低かったり、自分は駄目だと思っている人がすごく多いのである。

 

 一番上にある画像は、グレタさんのFacebookのオフィシャルページである。

私がグレタさんを知ったころ、彼女のページには100万のいいね!がついていた。

今、このスクショを撮るために見に行ったところ、235万いいね!になっていた。

FaceBookの「いいね!」というのは日本語だと「いいね!」だが、英語だと「Like!」である。世界中の235万人もの人々が彼女を「好き!」と言っているのだ。日本だとグレタさんを冷笑する傾向がみられるが、グレタさんが、今現在の社会において、世界規模の著名人であるのは間違いない。

 

 ところで、私は少し前に、グレタさんについて同じくASDを持つ知人とやりとりをしたことがある。

グレタさんは発達障害のほかに、二次障害として社会不安障害などを持っている事を告白している。だが、彼女の精力的な活動はあまりそれを感じさせない。だから知人は、グレタさんがこれらの二次障害を克服したうえで活動しているのだと決めつけていた。

「どうやって克服したのだろう?その方法を教えてほしい」と言っていた。

私自身はあまりそうは思っていなくて、グレタさんはまだ、おそらくは二次障害にもASDそのものにも困っているところはあるだろうと推測している。だが、直接グレタさんのことを知っているわけではないので、この話は不毛だなと思い、さっさとやめてしまった。

 

 私はこのブログの読者が600人強いるが、それだけでもけっこうな心の支えになっている。数百万人の人々が自分に賛同をくれたら一体どれだけの高揚感であろうかと私は思うときがある。とりあえずグレタさんがそれなりにタフな心臓の持ち主であることは間違いないだろう。

 

  グレタさんの活動がこの先、どのような展開を迎えるのかはちょっと今のところわからないが、日本ではおよそ考えられないくらいヨーロッパでは環境活動のうねりが高まっていて、日本とかなり感覚が違う。そら別の国だから違って当たり前なのだが。

日本で、女子高生がいきなり学校の前で座り込みをはじめても、おそらくは誰も賛同しないであろうことを考えると、大きな違いを感じる。

 

 

 

おわり