こんなニュースがあった。私は「ああ、ついに出たか」と思った。
今年4月から、「障害者差別解消法」が施行され、その影響があちこちに出て来るのは必至だったからだ。「障害者差別をなくそう」という動きがあっても、現場の感覚とは大きなズレがある。とくに発達障害のような一見すると健常者にしか見えないような障害の場合は、見た目が普通なぶんだけ「甘え」「わがまま」と思われやすい。だから上から降ってきた法律による現場の混乱によって、トラブルが起きるのは時間の問題だったろう。被害者が気の毒でならない。
記事を読んだときに、ピンと来たのは、職場側が完全に勘違いをしているなということだった。
職場側の人が「障害に配慮する」ということを、「職場でビシバシ鍛えあげれば矯正できて、トライアルの後、別の仕事にも就けるはずだ」と勘違いしていたフシがある。
ビシバシすれば障害が治るんであればどれほどの人が救われるかと思うが、実際は酷くなるだけで治らない。発達障害は脳の問題だからだ。この職場の人たちはどこかで「甘えている」という意識があったのではないか。そんなふうに思う。こちらからすれば、やはり発達障害のひどさをなめてかかったなという感じがする。
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知人でアップルのエンジニアだった米国人がいる。
彼はプログラミングや数学はとてもよく出来るのだが、自分の家を自分で決められなかった。物件の情報を2つ3つ見ただけで頭が混乱して何がなんだかわからなくなるという。だからこれまで住んだシリコンバレーの家は、すべて彼の友人が決めてきたという。
私は自分が住む家を自分で決められない人がいることにびっくりした。(発達障害だとこういうことがままある)
私は不思議に思ったので彼にいろいろ聞いた。
「もし日本人だったら、あなたの家でしょ、あなたが決めないのはおかしいって思う人がいそうだけど…」
「そんなことで混乱するのは時間の無駄だ。僕には友達がいて友達は僕のことをわかっている。だから友達に希望を伝えて手伝ってもらう。苦手なことをわざわざして、効率を落とす必要を感じない」
私が驚いたのは、彼が他人のサポートを得ることについて何の後ろめたさもない事だった。自分には苦手なことがある。だから他人にやってもらう。苦手なことを他の人にやってもらって何が悪い?とキッパリと言う。本当にあっけらかんと言いきっていた。文化の違いを感じた。
私自身がそうであったように、多くの日本人は人に頼ることを悪いことだと思っている。他者への迷惑だと思う。「苦手なことを認識しているなら、なぜそれを克服しようと努力しないのか」という気持ちがどこかにある。
開き直っているアメリカ人(と言ってもサンプルが少なすぎるが)と全然違う。
よく、とてつもない高度な要求の求人が出て、しかもそれが薄給だったりするので、日本人の生産性が低い原因だと話題になっているわけだが、このひたすらに他者に対する高い要求は一体なんなのか。こういう、すべての事が完璧に出来て当たり前だという異常な要求の高さが、電通の過労自殺のような事件のおおもとを生み出す素地になっていないか。
日本の企業はなんでもオールマイティーな人物を要求してくる。以前、経団連が「理想的なビジネスマン」像を発表したことがあったが、そんな人物がなんでわざわざ日本で薄給で働くんだアホかみたいな完璧人間を掲げていた。
発達障害に限らず、人間には得意不得意がある。それは個性とも言うべきものだ。だから早い段階で自分の強みに気づいて、その特性を活かせることができると社会的に失敗しづらい。
発達障害の場合、能力のバラつきがあまりに大きい事、複数のことが同時にできないこと、他者との関係がうまく結べないこと、コミュニケーションに難があること、軽度の場合は発見が遅れてしまうこと。さらに言えば自律神経系の発達が遅れている場合があり、これが原因で体調が崩れやすいことなどが社会適応への壁になっている。
さて、冒頭の記事中で問題になった「場面緘黙」だが、これは他者からみるとなかなかやっかいだ。
場面緘黙を持っている人というのは、気心の知れた相手とはごく普通に話しているが、そうでない人が出てくると急に貝が蓋を閉じたように押し黙ってしまうのだ。
私自身は場面緘黙は持っていないのでそれがどういう心情で起きるのかあまりわからない。だが目の前で普通にしゃべっていた人が自分に対してのみ押し黙るというのは、これは実際に経験するとかなりイラッとくる。自分は何かこの人に対して悪いことをしてしまったのかとグルグルと考えてしまう。「それが症状」と言われてもなかなか心の底から納得できない。本人にその気がないのに敵を作りやすいのだ。だからこの症状があるとすごく大変だ。この被害者になった20歳の女性も小学校から高校卒業までずっといじめに遭っていた。
兵庫労働局、発達障害の非常勤女性に「いじめ」「虐待」 〜前局長ら5人処分 障害者雇用推進の役所がなぜ? - Yahoo!ニュース
私も発達障害あるからよくわかる。発達障害者はまわりをイラッとさせてしまうんだ。私もひどい虐待されてきたけど自分が相手をイラつかせている自覚がはっきりあった。ただ直し方が全然わからないのが地獄だった
2016/10/13 23:50
私は発達障害のためにひどい虐待を受けてきたし、空気が読めないので相手の望むように振舞うことができなかった。だけど直し方がまったくわからなかった。小学生の頃から何度も自殺未遂をした。生きるのが苦痛で仕方なかった。
障害者雇用は、現場も本人も大変
兵庫労働局、発達障害の非常勤女性に「いじめ」「虐待」 〜前局長ら5人処分 障害者雇用推進の役所がなぜ? - Yahoo!ニュース
前の職場でも障碍者雇用の人が体育会系崩れの正社員の人にいびられてたし、職場でアレな扱いされてる人とか噂なる人って見てると軽度知的障害とかアスペルガーとかそんな感じで辛さしかない。地獄。
2016/10/14 13:31
小学生のころ、運悪く軍隊型の右翼教師に目の敵にされてガンガン殴られていたが、発達障害の人と軍隊型の人はそりが合わない。これはもう宿敵みたいなもので、発達障害の人には「皆で一緒に行動」というのが徹底的に合わない。
発達障害の人は発達の程度が個々人バラバラなので、それぞれに対応が必要となる。多様性を尊重されうる環境でないと能力を発揮できない。だが多様性を維持するためにはコストがかかる。だから多様性が維持されるにはある程度社会にゆとりがないと難しい。
法律によって建前上は「障害者を雇用しましょう」ということになっているが、実際はとても難しい。働けている人は体調が一定していたり、障害の程度が軽度な人がほとんどだ。とりわけコミュニケーションに難のある発達障害者が社会適応できるには職場側の工夫がどうしても必要になってくる。それが本来の業務に支障をきたす場合があるので、発達障害者の雇用は敬遠されてしまう。
発達障害の人の多くは非正規などで負担の軽い仕事に就いているか、まったく就労できずに引きこもっている人もいる。ときどき「働けない人を無理に働かせないほうがいいんじゃないか」という意見があるが、私自身も、まぁそうよなーと思う時もある。どちらが良いのかはとても難しい。ケースによるとしか言いようがない。
ときどき、発達障害者に対して大規模な調査が全国規模で行われてくれないかと思うことがある。マクロ的な分析でなにがしかの処方箋が見えてくるのではないかと思うからだ。
この増田を読んだときに、ものすごい符合感があった。これこれ、これや!まさにこれや!そんなかんじだった。ただ、この人はもともとそれなりに社会適応が出来ているので軽度だったのだろうなというのが率直な感想である。病院へ行く前に自分で個人輸入して薬を飲もうと思える勇気や決断力もすごい。いろいろなところで胆がすわった人だ。
薬のおかげでここまで霧が晴れるように人生の輝きを取り戻せたことは本当に素晴らしいことだと思う。だからこのブログでこのダイアリーに言及したかった。
いま、発達障害の専門外来はどこも大変な混みようになっている。外来がパンクして新患の受付をしていない病院すらある。そのくらい発達障害に苦しむ人が年齢を問わず増えてきた。社会のあり方がここ数十年で大きく変容して「少し変わった人」くらいの扱いをされてきた人たちを受け入れられる場所が消えてしまったからだ。ある種の特性を「障害」として扱うようになり、そう呼ばれる人が増えてしまったという見方もできる。
私の母方の親戚には、発達障害の特性、とりわけADHDの特性を持つおばちゃんがたくさんいる。彼女達はコマネズミのように常にくるくると動き回って仕事をしていて「おっちょこちょいだがよく働く嫁だ」という評価をされていた。ジッとしていることができないから常に動いてるのだが、彼女たちを「障害」と認識した人は1人もいなかった。
人が持つなにがしかの特性を「障害」とするか否かは、社会のあり方によるものが大きい。私自身発達障害の生きづらさにずっと苦しんできたが、もしもパプアニューギニアの原住民として生まれていたら、同じ特性を持って生まれても、ここまで苦しまなかったのではないか。
発達障害の特性を持っていると、生きるのがとてもしんどい。できるだけ多くの人が早めに自分の特性に気がついて、適切な治療を受けられるようになってほしいと思う。
私は今回の被害者の女性がとても心配だ。これほどまでに障害のために痛めつけられて、彼女の傷が癒えるのには時間を要するだろうし、社会へ出ることへの恐怖感がさらにひどいものになっただろう。まだ若い人なので、どうか合う仕事場に出逢えますようにと願っている。
おわり