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似非科学や民間療法について思うこと(長文)

親戚に農家が多い。自分の実家でも家庭菜園と呼ぶには広すぎる大規模な畑を運営していた時期がある。残飯などをコンポストに貯めておき、それを畑の肥料として使うのだが、そのコントロールのために親がEM菌を使っていた。だから子どものころから私の中でEM菌は「畑や観葉植物に使うもの」だった。

母親はときどき、EM菌を水で薄めたものを匂い消しとして使っていた。だから「匂い消しにもなるのか」というくらいの認識だった。

数年前、付き合った彼氏に「頭、大丈夫?」と言われた。その発言からネットでバッシングされていることを初めて知った。EM菌を使っているというだけできちがい扱いされるのにかなり驚いた。

飲用したり、ガンや放射能に効くとうたう人がいるのにはさらにビックリした。土壌のコントロールに使うものをどうして人体に使用しようと思うのか。信じがたい。その発想に首をひねった。

その後、農家出身の女の子と話す機会があったが「親戚とかも畑に使ってますよ」というだけで、こうまで反応が違うものかと思った。

私はまったく、放射能に効くとか病気を治すとかいう効用は信じていない。あれはあくまでも堆肥のコントロールのためのものだと思っている。我が家と同じように農薬補助代わりとして農業や家庭菜園に用いている人までバッシングするのは少し違うのではないかと思う時がある。

www.huffingtonpost.jp

こんな記事があった。内容がいまいちよくわからなかったが…。

今日は民間療法やそれを取り巻く事象について書いてみたい。私は古い話が好きなので、どうしてもそちらに話が行きがちだが書いてみたいと思う。

 

 

まだ医療系の学生だったとき、私は「へんてこな民間療法を収集したい」という謎の欲求があり、こつこつと資料を集めていたことがある。

資料を集めていると、本当にさまざまなものに出会うもので、あんまりに面白いから取っておいたものの1つがこれである。

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これは戦前の話である。1934年(昭和9年)の婦人雑誌の記事(『主婦之友』1934年1月号)である。

当時は結核が不治の病として怖れられていたが、ある女性が自殺しようと石油を飲んだところ、意に反して結核がけろりと治ってしまったという。そのことが広まり、石油を飲むのが結核患者のあいだにブームになってしまった。石油を飲むなんてどう考えてもおかしいと現代の私たちは思うのだが、藁にもすがる思いで石油を口にする人がつぎつぎに現れた。当然の結果だが、石油が原因で死ぬ人が出た。

石油の成分のどこに薬理効果があったのかまったくもって不明だが、このような狂ったような民間療法は意外とたくさんあって、こういった類の話を集めていると「人類のもがき」みたいなものが浮かび上がってきてすごく面白かった。

 

昔の薬の中にはしっかりした薬理効果を持つものも存在する。

wired.jp

これはごく最近の記事だが、すごく古くからある薬に実際にきちんとした薬理効果があったという例は意外とある。時代によるフィルターはあなどれない。

 

 西洋医学は、膨大な知識の蓄積と科学的データの蓄積によって体系づけられているが、民間で集められたさまざまな症例や治療法がヒントになったものも多くある。このへんは医学史を紐解いてもらえば色々出てくるが、私個人としては西洋医学と民間療法というのは、車輪の両輪のようなものだと思っている。

古代ギリシャの医学者にディオスコリデスという人がいるが、この人は多数の薬草を調べあげてそれを書物(『薬物誌』)にしている。古代ギリシャの当時の薬草を使った治療というのは、民間治療のそれと大きな差はない。民間でどのような薬草が治療に用いられているかを丹念に広範囲に調べたあげた結果が、書物として医学の古典となっているのだ。民間療法から吸い上げた知識を蓄積し、取捨選択して抽出したものが今日ある西洋医学の礎となっている。

 

ちょっと話がそれるが、私が民間療法に強い興味を持ったのは、それが土地の文化を色濃く反映するものだからだ。たとえば、中東には「砂漠にずっと出ていると、あまりにも水分が少ないため、人の目の中にハエが卵を産みつけるので目から蛆虫を追い出すための方法」なんてものが存在したりする。こんなものは砂漠気候の土地にしかまずありえない。

漢方治療もそうだ。中国は広大なので、土地で気候がまったく違う。おのずと植生も変わってくる。北部では漢方に適する薬草が多く採れたために漢方が発達したが、南部で同じ植物を育てようとしても育たない。気候も土も水もあまりに違いすぎるからだ。だから南部では漢方は発達しなかった。当然の帰結として。

こんな感じで民間療法というのは、多くが土着の風土や気候を反映したものになる。日本は気候や地形がバラエティに富んだ国だから、民間療法も土地によって異なってきてそこを知るのもまた面白い。

余談だが、人肉を食べる治療法は世界各地にある。日本でも山田浅右衛門一門が人間の内臓から得た原料で丸薬を作り莫大な利益を得ていた。人肉による治療というのは、最大のタブーにして最大の魅力なのかもしれない。

 

昔は、今のように情報網も発達していないし、物流も恐ろしく貧弱だった。交通網も発達していない。ほとんどの人々は土地にしがみつくようにして生きていた。あの水俣病も当初は風土病だと思われていた。かつては、標準医療である西洋医学そのものの精度もまだまだ低かった。現代でも治せない病気がいくらでもあるように、医療の歴史というのは闘いの連続だ。山田浅右衛門の丸薬が、今ではどれだけのお金を積んでも手に入らないのと同様に、消えて行った民間薬がたくさんある。一子相伝で製造方法が秘密にされていた薬というのもけっこうあったりする。これはとてももったいないなと思う。1000年前の目薬のように、思いがけないところから発見があることはこれからもあると期待したい。

 

なぜ病院にかからないのか?

 

古いが、ここに興味深いアンケートがある。昭和26年に厚生省が行った、「なぜ病院での治療を受けないのか?」というアンケートである。古いものだが、ここから見えてくるものもあると思うので掲載する。

 

国民医療費総合調査(昭和26年/厚生省)

病院にかからなくても治ると思った 57.0%

他に良い治療法があった 14.5%

診療費が高い 11%

医師まで遠い 8%

医師にかかる暇がない 3%

医師にかかるのが嫌だ 2.4%

身近に知識のある人がいた 1.3%

その他 2.3%

出典『家で病気を治した時代 昭和の家庭看護』小泉和子/農山漁村文化協会/2008

 

昭和26年は、国民皆保険制度施行のちょうど10年前にあたる。医療保険がないがゆえに病院へかかれない人もいたであろう時代である。

では、現代の人々はどうなのだろうか。2013年の調査があるので、比較してみたい。

 

www.garbagenews.net

2013年の調査

病院に行くのが面倒だった 31.1%

病状が軽かった 30.0%

お金がかかると思った 22.2% 

できるだけ病院に行きたくない 18.9%

不調があるのは普通のこと 18.2%

病院に行く時間がなかった 16.6%

出典 http://www.garbagenews.net/archives/2041132.html

 

このデータ比較は意外だった。国民のGDPは昭和26年に比べたら桁違いに上がっている。生活水準もあがっているが医療費を気にかける人が昭和26年の調査よりも2倍に増加している。しかも、国民皆保険制度が普及したいま、多くの人の医療費負担は3割なのにである。興味深い。

病院にかかるのが嫌だという人は、2.4倍→18.9倍と大幅に増えている。医療サービス自体は発展の一途を遂げてきたが、なぜここまで病院にかかりたくない人が増えてしまったのか。(待ち時間が問題か)

 

 

少し前、アメリカで子どもを病院に連れて行かなかった親が逮捕されたというニュースがあった。

spotlight-media.jp

子どもは、中耳炎から脳炎を発症し、それが原因で亡くなっていたが、この夫婦は「子供を病院に頻繁に連れて行く金銭的余裕もなかった」と話していたのが悩ましい。

端的にホメオパシーを盲信的に信じているというよりは、金銭的な余裕がなく、子どもを病院に連れて行けないことと西洋医学への不信感等が複雑に絡み合って、このお母さんはじょじょにおかしくなっていったのではないかと思う。日本の自治体のように、子どもへの医療費助成のような救済制度があればこの子どもは救われたかもしれない。こと医療に関してはアメリカの制度は本当に貧弱だ。この親子は制度の犠牲者とも言える。

 

元プレイメイトの女性がカイロプラクティックで亡くなったという報道もあったが、アメリカの場合、好きで民間療法へかかっているというよりは、標準医療があまりにも高額すぎて病院へかかれないという事情を考慮しなければならないだろう。アメリカでは盲腸の手術で数百万円が飛んで行く。医療システムが日本とまったく違う。国民皆保険が普及した日本ですら費用を気にして病院へかからない層が2割強いる。これが保険制度がまともに機能していないアメリカであれば、さらにその割合は増加するのは必至だろう。

アメリカの医療費が高いのは薬価を製薬会社が勝手に定めているからだ。とんでもなく高額の薬が存在する。アメリカの医療費が高いのは、薬価がきわめて高いことに由来する。だからホメオパシーに関しての事柄は、アメリカと日本とでは背景が違うことをよく認識しておかねばならない。アメリカだとそこにすがるしかないが多く存在することを忘れてはならない。

 

 

2013年のアンケート調査で、医療費が高いことを理由に病院へ行かない人がいることが2割強ほどいるというデータがあったが、実際は日本の医療費はそれほど高くない。国際的に見ても、OECD比較のデータでは、むしろ低いグループにあたる。

日本は薬価基準を国が制定しているので、制度の大きな改革がないかぎり、いきなり医療費が跳ね上がることはない。だが何割かの人は病院での医療費を高いものだととらえている。これは大きな認識のズレだと思う。

実際は、ほとんどの自治体病院は赤字経営で、赤字を税金で補っている状態だ。とりわけ消費税が上がって以降、医療に使われる機材資材のすべてに消費税が加算されるようになったのに、診療報酬の改定は行われていないため、消費税アップ分がそのまま赤字になってしまう病院がほとんどになった。

日本の医療サービスは偉大だと思っている。こんなに清潔な空間で、プロとして長時間の教育を受けてきた人たちの医療サービスを、たった3割の負担で受けられること自体、素晴らしいことなのだが、医療現場を知らない人の多くは「もっと安くできるんじゃないのか」という意識を捨てることができない。なぜそう思ってしまうのかよくわからないが、安価でより良いサービスを受けたいという意識が医療の場にも満ちていることをよく感じていた。

標準医療に対して価格の面で不満があるのであれば、それこそ民間医療をぜひ試してほしいと思うのだが、こういう人は標準医療をもっと安い価格で受けたいのであって、民間医療を好む派とはまた別のグループであることが多い。

 

前にも述べたように、私は民間医療について調べるのが好きで、あれこれといろいろな資料を集めてきた。だからいろいろなものを知っているが、その中には完全に眉唾のものもあるし、逆に実際に薬理効果があるであろうものも存在する。この判別が難しく、祈祷の類と紙一重なのが民間医療の難しいところでもある。(あまりに面白いので、なるべく眉唾モノを集めようとしていた)

民間療法は基本的に安価で身近なものである場合が多い。庶民の知恵の集合体とでも言うべきものだから、標準医療を求めるあまり完全に民間医療を否定してしまうのは、少しもったいないと思う。

  

 

人類の歴史はそのまま病との闘いの歴史でもある。どれだけ科学が進歩しようと、どれだけ医療が進歩しようとも病が消えてなくなることはないし、不治の病もまだまだ存在している。あらたに生まれる薬剤耐性菌などもある。

私はコメディカルだから素人に毛が生えた程度の医学知識しか持ち合わせていないが、医療に関しての事柄は非常に線引きが難しい。医者本人がトンデモな治療法を掲げていることはよくある話で、これだと普通の人はどう判別していいかなかなかわからない。どこからが標準医療かというのも正直なところすごく難しい。

病に倒れ、体が苦しい状態で、どれほどの人が冷静な判断力のままで医療の選択ができるのだろうか。結核で苦しんで石油まで飲んだ人々のように、藁をもすがりたくなるのが多くの人なのではないか。 一番大事なのは判断力なのではないか。そんなふうに思う。すがってしまうのは限りなく宗教に近いもののような気がする。

 

 

 

おわり