こんな増田があった。
彼らは誰がどう考えてもお前しか知らないだろそれ、という話を、こっちが知っている前提で話してくるのだ。
これは積極奇異型アスペルガーだと思う。こういう傾向を持っている中高年の人が意外といる。
相手がその話を嫌がっているとか、話題にのぼった人物を知らない等は一切意に介さない。ただ一方的に自分が話したいことだけをべらべらとしゃべりまくる。
自覚がない積極奇異型の人は意外とたくさんいる。本人は自分が相手とコミュニケーションが取れていると思い込んでいる。会話をしているから勘違いも無理もないのだが、それはキャッチボールになっていない。
人の話を聞かないので人に嫌われていたりするが、本人にはどうしてなのかもまったくわからなかったりする。
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発達障害の子どもを持った母親にはときどき勘違いをしてしまう人が出てくる。
発達障害には特別な才能があるという勘違いである。
発達障害関連の本や記事などに「アインシュタインも発達障害だった」とか「モーツアルトやエジソンもそうだった」とかいう記述がある場合がある。
読む人になんとか希望を持たせようとした著者の配慮かもしれないが、あたかも発達障害の子どもには秘められた才能があるかのように思ってしまうような書き方のものも、いくつもある。
これは大きな間違いだ。
才能がない発達障害のほうがはるかに大多数だ…というか、ほとんどの発達障害者に才能はない。
発達障害の人に大規模な疫学的調査を数十万人単位で行ってみればはっきりするだろうが、才能がない人のほうがほとんどだ。だからこそ社会適応できない発達障害当事者のために、公費を使って発達障害支援センターなどが自治体に設けられているわけだ。
かりに突出した才能があったとしても、それがマネタイズに結びつくかどうかはまた別の問題である。
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発達障害という言葉がやっと出始めたのは私が10代のころだったが、うちの母親も盛大に勘違いをしていた。「うちの子は発達障害。良かったわ」と言っていた。
特別な才能があるのだと思い込んだのだ。
突出した才能がないとわかったら、今度は「発達障害なんかあるわけがない、うちの子は正常!」くるりと手のひらを返してしまった。私が通ってる病院にわざわざ電話をして抗議までしてくるほどだ。(困る)
発達障害者が弱者であるかどうかは、これは難しいところだと思う。
社会に適応している発達障害の特性を持つ人は存在するが、困っている人もたくさんいるだろう。
自分の見聞きした範囲でしかないが、東大京大クラスの大学にいて、そこからドロップアウトしたり引きこもりになってしまう人は、多くが発達障害の特性を持っていた。
勉強はよくできても、人間関係でのトラブルや鬱が多発して、年齢が行くとともに社会適応できなくなってしまうのだ。就職活動でつまづく人も多い。
発達障害の悩ましいところは、原因がわかっていてもその対処方法がわからないことである。
身近な人を困らせていることも気づいている。
が、どのように方向転換してよいかがわからない。
発達障害の人に苦手なことをギリギリやらせると、もともとのストレス耐性が低いので、他人からは想像もつかないほどの苦痛を感じていたりする。結果としてストレスが極まって統合失調症を発症してしまったりする。
これは私の個人的な考えだが、社会適応できている場合は、障害に意識をフォーカスする必要はないだろう。いわゆる企業社会で生きて行けなくても別の方法でお金を稼ぐことができるのであれば、これも何も問題はない。
だが、発達障害ゆえの特性で働く場所が見つからなかったり、仕事を首になって困窮したり、人間関係でトラブルを引き起こすことが顕著であるならば、それは障害だと思うし、彼らは社会的な弱者だと言えるだろう。
おわり