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小川治兵衛の庭

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無燐庵

 

 今日は1人の天才庭師のことを取り上げてみたい。

庭師、造園家という仕事はとても奥が深い。植物や樹木について、その生態を熟知していなければならないし、まっさらなところから庭を造り上げることになれば、なによりクリエイティブでなければならない。素晴らしい庭園は、春夏秋冬にそれぞれの表情を見せてくれる。その変化まで計算して庭が造られている。

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  私は庭のことはほとんどわからない。ものすごいど素人である。

だけど、好きな庭があって、そこへ行くと落ち着いたり癒されたりする。穏やかさや美しさに感嘆する。

好きだと感じる庭の多くが小川治兵衛の手によるものだと知ったときは、少し感激した。ようするに小川治兵衛の作る庭が自分の感性に合うのだと思う。

 

小川治兵衛は日本の庭師の中でもレジェンドオブレジェンドみたいな人だ。天才庭師と呼ばれている。小川治兵衛。どのような人なのだろうか。簡単に経歴を調べてみる。

 小川治兵衛は、万延元年(1860)、江戸の末期に山城国乙訓郡神足村(いまの長岡京市)に生まれ、昭和のはじめに亡くなっている。江戸、明治、大正、昭和という激動の時代を生きた人である。

明治12年(1879)に、「七代目小川治兵衛」を襲名している。このときわずか19歳。たった19歳で宝暦年間より続いてきた小川治兵衛の名を継いでいるということは、よほどその才覚が目覚ましかったのだろう。

小川治兵衛の庭の仕事はそうそうたる物で、南禅寺、無燐庵、円山公園大徳寺高台寺、八坂神社、平安神宮などなど、誰もが知るような観光名所がずらりと並ぶ。

これらの名勝に共通するのは、美しいだけでなく、どこかなよやかなのである。

なだらかに作られた丘、おだやかな起伏のある地形を生かした造形、丸みをおびた曲線がえがく小さな小さな小川。

ごっつい岩とか雄々しさを好む人もいるが、小川治兵衛の庭にそういったものの印象はほとんどない。京都の人はやはりはんなりとしたものを好むのだなぁと思ったりもする。

 

 

 南禅寺のすぐそばにある無燐庵は、山県有朋の別邸だ。

ここの庭が私は大好きで、何度か訪れている。とりわけ紅葉の季節はものすごく美しい。南禅寺がもう人でごったがえする時期に、無燐庵はかなりひっそりしている。穴場だと思う。

murin-an.jp

 

 無燐庵は、明治27年(1894)〜明治29年(1896) にかけて造営された庭である。このとき小川治兵衛は30なかばくらいの脂ののった歳の頃で、無燐庵の前にも山県有朋の指示によって庭を造営している。

 無燐庵より前の時期に造営された邸宅の庭は、もとの名を「高瀬川源流庭園」と言う。現在は「がんこ二条苑」となっている。

「がんこ二条苑」は、ほどほどの値段で大変美しいお庭が楽しめるので、私は外国人に「なにかおすすめの店はないか」と聞かれたときは、よく「がんこ二条苑」を提案していた。

お屋敷・高瀬川二条苑 | 店舗を探す | がんこフードサービス株式会社


高瀬川源流庭園についての写真はこちらが素晴らしいのでリンクを貼っておく。

高瀬川源流庭園(高瀬川二条苑)/角倉了以別邸、山県有朋第二無鄰菴跡/京都の庭園と伝統建築/造形礼賛

 

 無燐庵や高瀬川源流庭園の施主である山県有朋は、1838年(天保9年)の生まれだから、無燐庵が造営されていたときはだいたい56〜58歳くらい。小川治兵衛の20歳ほど年上である。

長州のおさむらいさんだった山県有朋が、これだけ繊細で美しい庭をぞくぞくと造り上げたというのがなんともいえない。

山県有朋と小川治兵衛の関係は、ただの施工主と庭師というものを超えた何かがあるように思える。この二人は互いの感性を理解しつつ、弟子と師匠のような関係でもあったのではないかと思えてくる。山県有朋を施主として、小川治兵衛は次々と大きな仕事を成功させ、才能を開花させていく。二人に強い信頼関係があったのは疑うまでもないだろう。

  山県有朋はもともと庭を造るのが趣味だったようだ。センスが本当に良い人だったのだろう。東京にある「椿山荘」もまた、山県有朋による造庭だと知って驚いた。

hotel-chinzanso-tokyo.jp

無燐庵と違い、椿山荘は大正12年に大震災を経験している。このときの被害は大丈夫だったのだろうか。

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 話を無燐庵に戻そう。

私は2年ほど前に結婚したのだが、このとき、無燐庵で婚礼写真を撮れないかと思い、京都市に問い合わせたことがある。

ところがこのときの京都市の返答は「NO」で、なんでも婚礼写真撮影のために業者が生け垣にぶつかってしまったり、重い婚礼衣裳が調度品に当たって傷がついたりしたことがあったらしい。それで自分の場合は諦めたのだが、その後あっさりと婚礼写真OKになった旨が「市民しんぶん」に出ていた(悔しい!)。私は無理だったが、一生の記念写真を名勝で残すのもありだと思う。

 私は無燐庵の庵のところで写真を撮るのが好きで、15年くらい前にも同じ構図の写真を撮っている。何年かあとにも同じ場所で撮れたら良いなぁと思っている。

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 つい先日知ったのだが、東京には「椿山荘」のほかに、「旧古河庭園」というところが、小川治兵衛の手によるものだそうだ。1919年(大正8年)に建てられたそうだから、小川治兵衛はこのとき59歳。キャリア40年以上のベテラン庭師、この頃は名声が轟きわたっていた頃と思う。しかしこちらも4年後に大震災に見舞われているので、アホみたいだが大丈夫だったのかなと思ったりする。丹精こめて造り上げた庭の、大地震による破壊というのはどれほどのダメージかと心をはせてみたりする。

 

旧古河庭園は、いまとても行ってみたいところの1つである。

旧古河庭園|公園へ行こう!

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旧古河庭園 on Twitter: "日本庭園の紅葉がハゼを中心にずいぶん進んできました。バラと一緒に紅葉をお楽しみいただけるのも当園の魅力です。ぜひご来園ください!
#紅葉 #旧古河庭園 https://t.co/TWfkjI23Bp"

 

今回、このエントリを書くにあたって、小川治兵衛の庭の年表などが作れないかなと画策したりもしたのだが、いつ造園されたのかという記録がはっきりしない庭もかなりあり、諦めました。年代ごとに追ったらすごく面白いんじゃないかというのは今でも思っていたりします。

これから紅葉の季節になるので、紅葉狩りへ行かれる人はぜひ小川治兵衛の庭に足を運んでみてください。

 

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ここから余談(ステマ)になるのですが、退蔵院という有名寺院があるのですが、ここのお庭もまたとても綺麗です。

www.taizoin.com

 このお寺さんでは、お食事をいただきながら庭を見るというプランをやってまして、それが非常に美しい。

taiken.onozomi.com

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いいですね、お弁当。お弁当大好きなのでたまりません。

京都を訪れる予定のある方はぜひご一考ください。

京都のお寺さんのほとんどはだいたい足元が寒いですから、足の防寒だけ気をつけていただければと思います。

 

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追記 2017.11.24

 このエントリを書いたあと、しばらく経ってから、清風荘庭園という庭園もまた小川治兵衛によるものだと知りました。清風荘庭園はもともと、西園寺公望の別邸だったそうなのですが、紆余曲折を経て京都大学に寄付されたものなんだとか。

こちらのページに小さな写真がありますが、それだけでも美しさが伝わるさすが小川治兵衛という感じの風景です。

 

名勝清風荘庭園 試験公開 — 京都大学

 

清風荘庭園は基本は非公開です。ですが、京大の教職員と一緒だとかなり自由に見られるんだとか。私は身内が京大の先生やってたんですが、それは数年前の話なので、その頃にこの情報を知っていれば…!ちょっと悔しい。

清風荘庭園は、京阪出町柳駅からすぐの場所にあって、外から見ると森がある!みたいな感じです。すごく空気がよかったのを思い出します。

 

 

おわり