このブログもあと数記事書くと100記事になります。
よくブログの指南記事とかで「とりあえず100記事をめざせ。なんとか100記事書けばついてくる人がいる」みたいなことを読んでいて、「そうなのか、フーン」と思っていたのですが、気がつけば100記事も目の前に迫ってきました。
ブログを書き始めてから生活の大きな変化があり、ずいぶんと自分の感覚も変わってきました。
ブログを書き始めた当初はもう、鬱が本当にひどくて、その影響からまんま鬱ブログだったなぁと思います。正直、100記事近くまでエントリを書き重ねることができるとは思っていませんでした。
最近は鬱になることはあっても、ブログにまでそれを吐き出すというほどのつらさはなくなってきました。
私が書いた鬱ブログは、おもに発達障害の、自分と似た苦しみを抱えた人が検索でたどり着くことが多く、共感してもらえることが多く、それ自体が私の救いになっていました。
今日は、セルフチョイスで鬱記事とアホ記事を整理して貼ってみたいと思います。
鬱記事トップスリー
この記事は反応も多かったですし、共感してくれる人も多かったです。
少し日が経って思うのですが、ようするに自己決定権を尊重してほしいという叫びなんだろうなと思います。
少し前、知人から相談を受けることがあったのですが、人は尊重されないとき、ものすごく苦しいし怒りを覚えるんだなと思いました。
私は今でも、自分の死は自分が選択し、自分で決定権を持ちたいと思っています。
どこで読んだかは忘れましたが、安楽死に賛成の人というのはなんと日本人のうちの70%にのぼるとか。早く法整備されてほしいですね。
第2位 稼げない人
これも安楽死を求めている記事です。ハンデキャップを背負った人はおしなべて稼げません。だからみじめなつらい思いを日常的にしなければならない。だから生きているのがすごくつらいという記事です。
なお、もうそろそろ100記事に達する当ブログですが、いまだ一円も稼げていません。
この事実に対してブコメで「そんなことも出来ないなんてバカなんじゃないのか」というコメントをもらったことがあります。見る人によってはそう見えるのでしょう。
しかし障害があるということはそういう事なんじゃないのかと私個人としては思います。普通の人が普通にできることを、どれだけ頑張っても出来ません。だからこそ苦しんでいるわけです。
第3位 生きづらさについて考えてみた(後編)
こちらも、発達障害による二次障害によって、生活に支障を来たすことですごくしんどいという記事です。この記事も反響が大きかった。
今でも強く思うのですが、発達障害の人がどれだけ社会適応できるかは、身体能力の高さが強く関わってきます。逆に言うと、どれだけ高い能力があっても、身体機能がはちゃめちゃだと、たいていの人は社会生活がままならないという事です。
次回はアホ記事トップスリーを書いてみたいと思います。
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先日、ラケルのマネをして作ってみたオムライスなのですが、やはりとろとろの卵というのがうまく出来ずに惜しい結果になりました。
またラケルに行きたいな。
おわり