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日本人の恐怖心についての雑感

雑感なので、すごく適当な記事です。

 

 

先日、日本三大怨霊という記事を書きました。

そのときに思ったのですが、時代によって「恐怖心」というのはかなり変遷があるわけで、人々がどのようなことを恐怖に感じていたかというのをさぐると面白いなぁということをちょっと思ったのです。

 

これは私が「へー」と思った話なのですが、古代神道だと、いわゆる「成仏」という概念はないのです。成仏というのはやっぱり仏教の概念なのですね。

古代神道では、人々は死んだら「黄泉の国」へ行くと言われていて、その「黄泉の国」ではふらふらとそのまま過ごす、みたいな感覚だったようなのです。だから「地獄に落ちる」という感覚がゼロですから、死ぬことの恐怖感はもちろんあったとは思うのですが、仏教伝来後とまたちょっと違う。

日本神話では、火の神を産んだために亡くなったイザナミを追いかけて、イザナギは生きたまま黄泉の国へ行くわけなんですけど、ここで醜く腐敗したイザナミの体を見てビックリ仰天、脱兎のごとく逃げ出します。

日本神話自体は編纂はのちの時代だとか言われているわけなんですけど、ここで見られる、神話における古い恐怖、それは「人体の腐敗」への恐怖なのかなと言えなくもない。

それから日本神話には、よく知られているように「ヤマタノオロチ」という化け物も登場します。これはもう聞くからに恐ろしい。八つの頭がある大蛇なんてもう考えただけでブルブルです。異形の化け物に対する、本能的な恐怖心がここに読み取れます。

 

 

前回も書きましたが、平安期になると今度は三大怨霊の一人である菅原道真公が現れて、恐怖の雷神として日本中に名を轟かせます。

平安時代は意外と天災の多くあった時代で、有名な貞観の大地震貞観11年/869年)、貞観大噴火(富士山の大噴火。貞観6年〜8年/864年〜866年)がありました。

道真は845年の生まれですから、だいたい10歳頃に富士山が大噴火していて、空は暗く覆われているし作物は穫れないしで、これはもう現地の人でなくても散々な状態だったと思います。それから23〜4歳のときに東北の方で大変な大地震と大津波が起きています。ほかにもマグニチュード7を超える地震が10年感覚で起きており、道真公のみならず同年代を生きる当時の人々は大変ビビったことでしょう。だからこの当時の人々の恐怖心は、まさに「天災」に対して向けられていたのではないでしょうか。ここで書きませんが、奈良時代もかなり飢饉とか疫病がひどかったようなので、この時代の人々は自然への脅威をつねに恐怖として持っていたと思われます。

道真公が、死去から27年もたってから清涼殿に雷神となって現れたというのも、落雷への強い恐怖感が、道真公を雷神にさせたのかなと思います。

落雷、怖いですよね…人とか一瞬で死ぬし…。

なお、かつての古代神道にあったようなおおらかな「黄泉の国」の概念はこの頃にはほとんどなくなっていて、いかにして極楽浄土へ行けるかというところに人々の切なる願いは集中します。

貴族たちが競って豪奢な寺院を建て、極楽浄土をこの世に再現しようとしたのも平安期です。この「極楽浄土」「往生」と対立する概念が「地獄」です。古代の人々には「地獄」という概念がまったくありませんが、いったん「地獄」を知ってしまうと、やはり地獄が怖くなる。ですから、この時代は地獄への恐怖心が浸透してきたという感じかなと思います。この時代に『日本霊異記』が編纂されており、各地の不思議な話、奇怪な話が集められています。

 

 

鎌倉〜戦国時代はカオスなので適当にいきます。

やはりこの頃の人々は餓えと戦での疲弊に恐怖を抱いていたのではないでしょうか。

新興仏教が強い勢力をもち、どんどん勢力を拡大していく中で、人々の恐怖心は、仏教による救済によってかなり緩和されている部分があったかもしれないと思わせられます。そのくらい、この時代の新興仏教の勃興はめざましいものがあります。

この時代に、現代にも連綿と受け継がれる仏教の一派の開祖、法然上人や親鸞上人などの高名な人物が登場しています。法然上人はもともとは武家の生まれですが、目の前で親を殺されるというショッキングな体験をして、それで仏門に入っています。

どこで読んだか忘れましたが、戦国時代は敵の武将の首は桶に入れて塩漬けにして運ぶのが通例だったとかで、その仕事は女子供の仕事だったそうです。しかしながらある一定以上になるとその仕事にもなれてきて、野菜を扱うように生首をあつかってしまうのだとか。本当かどうかは確かめようもありませんが。これらのエピソードでは、戦が多すぎて死体になれすぎてしまった人もいるというのが伺えます。

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 知恩院にある、鎌倉時代に製作された阿弥陀尿来来迎図。こんなに大勢でもって死のまぎわに迎えにこられるというのはまたそれはそれで怖いんじゃないかと思う…

 

 

江戸期は、あちこちで豊かな文化が花咲いた時代なのですが、この時期ものすごい恐怖とされたのは「火事」だと思います。江戸期には「三大火事」と呼ばれる火事があり、そのたびに町民は逃げ惑い、家をはじめとしてすべてを失う、みたいなありさまだったようで、火事がどれほど恐怖だったかがよくわかります。

丙午(ひのえうま)の由来は、八百屋お七が丙午の生まれだったからだそうですが、この年の出生率ががくんと落ち込んでしまうのが昭和まで続いています。このくらい、この丙午の呪いは日本人全体に広く知れ渡っていたことがわかります。これも一つの恐怖ですね。

火事→犯人の生まれ歳が丙午→丙午の女は火事を起こす→産むのやめとこ…という図式ですが、まぁずいぶん乱暴なものだと思いますが、それでも後世にわたって多大な影響を与えつづけているのですから、もう、日本人全体にかかった呪いのようなものと言ってもよいでしょう。(ちなみに私はてっきり、いわゆる三大火事のうちのひとつが八百屋お七によって引き起こされたのかなと勘違いしていましたが、三大火事と八百屋お七はあまり関係ないようです。)

江戸時代は、著名な『四谷怪談』が作られた時代でもあります。四谷怪談は、もともと四谷で起きたという実際の事件の報告書が元になっているようです。日本霊異記とまではいきませんが、このとき、あちこちの古い話や奇話が集められたようです。

またこのあたりで『百物語』の風俗も定着してきたようですね。百物語はもともと武家の肝試しだったようです。

恐怖の話というのは、ガチに恐怖というののほかに、それを楽しむという側面も持っていますから、人々がどのようなことを恐れて、またそれをネタとして楽しんでいたかというのはすごく興味深いところです。

『百物語』の方法は今読んでも怖いですね…私はすごく怖いと感じますが、ほかの方はどうでしょうか。しかし、この時代は現代のように電気がありませんから、百物語も本当の漆黒の闇の中で行われるわけです。どんだけ求めても光はありません。恐怖の感じ方が何倍も違うと思います。

江戸期は平穏な時代が続いたので、恐怖がエンターテイメント化するくらい、時代にゆとりがあったのかなと思わせられる変化です。

 

 

現代になると人々の恐怖感は複雑化します。人のありかたの多様化が背景にありそうです。現代はどちらかというと、恐怖というよりは不安を強く抱いている人が多いなぁという印象です。

たとえば、いま現代の世において、平安期のように「地獄に落ちるかも」と怖がっている人はほとんどいないのではないでしょうか。H木K子先生は「しかし地獄行く」とドスをきかせた声で話されていましたが、これもネタとしてしか受け取っていない人がほとんどでしょう。

宗教も大変多様化しましたし、文化そのものがすごく多様化しました。だから、日本人全体が「うわー、これは怖い」と感じている恐怖というのは、現在のところさしせまっているのは北朝鮮の脅威とかでしょうか。

 

anond.hatelabo.jp

私も人間が怖いです。ときどきサイコパスによる殺人事件が世間を賑わわせますが、恐ろしいのは人間だと思います。殺人事件はやっぱり怖い。

ちょっと時代はさかのぼりますが、戦国時代の武将の誰かだったかの話で、「見慣れない器で酒を飲んでいるなと思ったら、相手方の武将の頭部を半分に斬ったものを酒の器にしていた」という話があります。本当かどうかはわかりませんが、じゃあこれを聞いてサイコパスだと思うか。もしかしたらこの武将はサイコパスだったかもしれませんが、どちらかというと剛胆であることをまわりに示すためのパフォーマンスだったのではないかと思います。この当時はサイコパスという言葉はありませんが、武将の中にそれっぽい人物はけっこういたのではないかと思います。

 

天災…阪神淡路大震災では東日本大震災では、あらためて地震や天災の恐ろしさをまざまざと見せつけられ、恐ろしさに震え上がった人も多いと思います。

震災、貧困への恐怖、病苦への恐怖、国の変化への恐怖感、こうしたものが現代の恐怖観なのかなと思っています。天災や病苦、殺されることへの恐怖はいつの時代も普遍的ですね。

 

…というわけで、恐怖観の変遷を書いてみました。適当なのですが。

 

 

 

おわり