こんな増田があったので、貼ってみる。
自分はかなり常識のない人間だと、最近でも思っている。
20代あたりはとりわけ酷かった。
とんでもなく他人に迷惑をかけた。もう取り返しがつかないが。
自分はアスペルガーで、かつこれは親からの遺伝で、父親もまたアスペルガーである。子供も全員がアスペルガーだから、私の家族は母親をのぞく全員が自閉スペクトラムである。ちなみに母親も定型発達ではない。母方の家系の女性はほとんどがADHDである。
こういう家で育ってしまうと、基準値がそもそも普通からズレているから、いろいろとやっかいな事がおきる。
このへんは以前もかるく記事で書いてみたことがある。
これはあくまでも自分の例なのだけれど、2〜3歳で言葉がまだおぼつかない頃に、
母親が「こんにちは」とか「ありがとうございます」とかの言葉を覚えさせようとしたそうだ。
すると父親が激怒。父親いわく「子供のくせに媚を売るな!」というよくわからないロジックで、挨拶をすることを禁止された。
かくして非常識な幼児ができあがった。挨拶することを禁止されているから、大人に「あら、ねねちゃん、こんにちは」と言われてもどう返してよいかわからない。
「こんにちは」と言われたら「こんにちは」と返すのが普通なら常識なのだが、挨拶を禁じられているから、何を話してよいかわからず押し黙ってしまう。
幼児のころの私とその兄弟は、大人から挨拶されてもそれをガン無視するという行動に出ていた。ただ幼児なので、意外とスルーされていた。当然ながら保育園ではハブられた。
2〜3歳の幼児は子供同士で遊ぶのが常だが、これも禁止されていた。
父親はかなりひどく聴覚過敏を持っていたのだが「遊び声がうるさい」という理由で複数で遊ぶことを禁じられていた。だから、幼児がいるのに、それぞれ個別で黙々と言葉を話さないまま遊ぶという、奇妙な習慣ができあがった。
以前から何度かこのブログでも書いているが、我が家の母親は育児に疲れ果てて、半年ほど入院したことがあった。入院から帰ってきた母が見たのは、幼児3人が無言のままお互いに背をむけて一人遊びをしているという光景で、これはもうかなり衝撃だったらしい。
だが、自閉症がもつ特性なのか、一人で黙々と遊ぶことがつらかったという記憶はまったくない。
私は物心ついたくらいから、発達障害ゆえの失敗を日常生活でくりかえすことが多く、そのたびに父親に頭を殴られていた。
だから、保育園で気に食わないことがあれば、同じロッカーを使っていた男子の頭を、事あるごとに殴っていた。その男子は殴られる事がとても嫌だったようだが、私は気にしなかった。保育園児の私は、なぜ自分が殴られているのに、よその人を殴ってはいけないのかが理解できなかった。
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小学3年生くらいの時だったが、ある日、習字の授業中にクラスの班の子らが「親に殴られたことはあるか」という話題をはじめた。
班の中にとてもおとなしい、優秀な女の子がいたのだが、その子が「生まれて一度も親にぶたれたことがない」と言い出したのだ。
これを聞いて私は逆上した。そんなことがあるわけがない。自分はこれだけ殴られている。どこの親だって子供を殴っているに決まっている。親だってそう言っている。心の底からそうだと信じていた。なぜ私がこれだけひどく殴られていて、この子が殴られないのか。どうしても理解できなかった。
きっとこの子は嘘をついているに違いない。
「うそつき!」
私は言った。
先生がとんできた。
私は言った。
「○○ちゃんは嘘を言っている!子供が親に殴られないなんてことがあるわけがない。
それは本当の親なのか。とても信じられない、私の親はどこの親も子供を殴ると言っている!殴らない親なんていない。そんなの本当の親じゃない!」
女の子は泣き出していた。
私の話を聞いた女の先生は、「ウッ」と言うなり泣き出してしまった。
そして教室を飛び出して行ってしまった。
先生が突如いなくなった教室は騒然とした。
この後、どのように収集がついたのかさっぱり記憶にない。
今思い返してもひどく非常識な子供だったなぁと思うし、正直いってこんなやつがいたらまわりだってかなり迷惑だったに違いない。
そんなわけで、私は常識は近しい大人たちによって作られると思っている。
おわり