今しがた、直筆での遺書を書いたところだ。
実は、わけあってとある薬を飲む事ができない状態になっていた。
みるみる悪くなる自分の精神状態に苦笑いしていた。
自分はやはり薬に助けられていたのだなと。
薬がなければ、満足に生活自体も送れない不具者なのだとまざまざと突きつけられた感じで。
※これは私の知人がネットで書いていたことである。発達障害に加えて統合失調症を二次障害で発病した人の叫びである。
フォントが一緒なので勘違いしそうだけど、わたしが書いた文ではない。
だが、この文章には強く共感する。
以前、安楽死に反対の立場の人が、「安楽死は甘え。まばたきをするだけでも苦しいというレベルでないと認められない」というのを書いていたが、何もお前に認められる必要はねーよと思ったりもしたんだが、精神を病むと寝ているだけでもめちゃくちゃにきつい。苦しいから殺してくれ、くらいは思うし、体中のあちこちがずきずきしてすごく苦しい。だからこそ精神を病んでしまった人の自殺率は高いわけで、私は自殺が残酷な死に方だからこそ安楽死を認めてほしいと思っている。
なぜ、私が手書きの遺書を書き、またこうしてブログでもいろいろ書いているかというと、自分が偶発的に死んでしまう可能性があるからである。
私は今でも安楽に死ぬことを望んでいる。
なんとかこの苦しみから解放されたい。
強い希死念慮に抵抗できなくなって事故のように死ぬ可能性がある。
だからこの文章を残している。
最初、この匿名ダイアリーにコメントをつけていたのだけれど、結局消してしまった。
私は、自分の生活費をまともに稼げたことはほとんどない。能力が足りなさすぎてお金を稼ぐことができない。発達障害だというのが判明するのが遅かったから、一体なぜこんなにも自分だけがおかしいのかと不思議でならなかった。
生活費を自分で稼げるのは普通のことなのか?
なぜ自分だけが普通から逸脱しているのか?
私の場合は、やはり脳が弱い。
多くのタスクをこなすことがストレスになってしまう。
信じられないほど精神的に脆弱だ。
だからまわりにたくさんの迷惑をかけてきた。
今も夫によって支えられているから生きているだけの話で、自分一人の能力ではとても生きて行くことはできない。
なぜこのような体に生まれてしまったのか、何か仏罰なのだろうか。
私は遺書に、以下のことを書いた。
・私の灰を、京都の森にまいてほしい
・墓に入るつもりはない
・猫の毛、ひげと一緒に荼毘にしてほしい
他はあまり思いつかなかった。
戒名は自分ですでに考えてある。
こんな増田もあった。
この人は就労以降支援より、なにがしかの強い資格を取ったほうがいいと思う。
司法書士あたりはだめなのだろうか。
もしくはストレスをためない職場であればなんとかなりそう。
まだ若い。なんとか模索してほしいです。
おわり