私が八島監督とはじめて出会ったのはまだ京都にいたころで、およそ7年ほど前くらいだと思う。すごく小さなイベントでそのとき彼はまだ大学生だった。彼はとても腰の低い人物で、あんまりたくさんしゃべったわけではない私にわざわざお礼のメッセージを送ってくれるくらいに丁寧な人だった。
それはまぁさておき、彼が卒業制作でドキュメンタリー映画を撮って、しかもそれが「東京ドキュメンタリー映画祭」というので賞を獲得してしまったというので驚いて観に行った。
(※以下ネタばれあります)
このイベントは、映画の上映ののちに監督と企画した先生との対談があるという形式だったのだが、八島監督いわく「辺野古というとすぐに基地問題が語られるが、そこばかりにフォーカスするのではなく、人々の暮らし自体を見たかった」という意図でこの映画は作られている。だから辺野古は基地の街なのだけれど、そういった政治的なところはほとんど出てこない。
ただひたすらに人々の日常がありのまま映されている。
じつは、私はというと、まったく沖縄へ行ったことがない。本土から出た事すら1回くらいしかない。だから沖縄のことをほぼ知らない。
差別的な意図はまったくないのだが、沖縄は本州の方と本当に文化が違う。言葉も違うし民族衣装も違う。ああ、琉球なのだなぁとすごく感じるところである。
沖縄は、現在のところ、日本一出生率が高い。(そして、日本一、子供の貧困率も高い)
突出した出生率は、沖縄の文化が日本の本土の方のそれとかなり違うことを示している。映画の中にも登場するが、「モアイ」という風習がある。これは寄り集まった人たちが順繰りにお金を出し合って、そのうちの一人が全員分をもらえるという仕組みである。たとえば、10人が出し合って1ヶ月に1万円を出す。そのうちの一人が10万円をポンともらえる相互扶助制度なのである。
一方で、日本全体で言うと、かなり冷酷な国民性なのは、以前も何度かこのブログでは取り上げたことがある。日本人はほとんど、他者を助けようとしないのだ。
以前もはらせていただいたこのリンク
日本は他人に情け深い国民性だと思ってます?2007年の調査で多少古いですが、実は日本は「自力で生活できない人を政府が助けてあげる必要はない」と考える人が世界一多い国なんです。自由と自己責任の国アメリカより10%も高い。何も最近の傾向じゃなく日本人はそもそも個人主義の国だからです。 pic.twitter.com/BIqPnwVsXB
— 荒川和久@「ソロエコノミーの襲来」著者 (@wildriverpeace) November 6, 2017
この調査を沖縄と本土でわけてやったら、また話が違うのではないだろうかと思ってしまうくらいには、沖縄と本土とは文化が違うように思う。沖縄の場合、「自分たちで助け合うから国の助けはいらねえ」という人も中にはいそうであるが。
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私が映画の中でもっとも面白かったのは、97歳のおじいの高齢と健康を祝う行事だ。
この行事を「カジマヤー」と言い、映画に映る集落の中でも10年ぶりだと言う。
金襴でできた赤いちゃんちゃんこと焙烙ずきんをかぶったおじいを囲み、家の中で儀式を終えたあと、花とかモールで原色ギラギラに飾りつけたオープンカーにおじいを乗せて町内をまわる。オープンカーの後ろには拡声器のついたトラックが後続で走り、
「赤かざぐるまのおじいこと、金城◯◯さんは、おんとし97歳を迎えられましたが、大変元気で今も畑仕事を楽しんでいます。◯◯町としては10年ぶりのガチマヤーとなります。ぜひ、皆さんもおじいの健康にあやかってください!」
沿道の集落をまわると、人々があちこちからバラバラと出てきて、おじいに触ってみたり、同じく高齢の人をさわらせたり、かと思えばあちこちで勝手に踊っている。
おじいはおじいでノリノリで、完全に凱旋パレードの様相である。
この光景だけを見ると、ほとんど日本とは思えない。インドかフィリピンとか、そちらの方の文化にすごく近いようなノリだ。やはり沖縄は外国だという感じがする。
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私はもともと、かなり涙もろいたちなのだけれど、映画の冒頭でやはり涙が出てしまった。
八島監督がカメラに映し出したのは、辺野古に住むごく普通の暮らしをいとなむ人々だ。本土とまるで違う日常そのものがが強烈に胸に迫ってきたのだ。
…というわけで、東京近郊の人しか無理なんですが、10/4(金)にもまた上映会があります。(平日やけど…)
予告編もはっておきます。
行けそうな人はぜひ足を運んでみてください。
おわり