けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

近況

鬱ブログな内容になるので、嫌な人はリターンしてください。

 

 

 

 

 

 

昨年末くらいから本当に調子がだめで、相変わらず寝たきりになっている。

私はもともと発達障害が原因で極度に疲れやすい人なのだが、それでもまだなんとかマイペースで休みながらであれば家事をこなすことはできた。ところが12月の末あたりからもう何をしていてもすごくつらい。皿を洗うのも料理をするのもすごく苦しい。こういうのは初めてで戸惑っている。もうとにかくしんどい。

かといえばじゃあ死にたいのか?と言われればそこまで明確な希死念慮があるわけではなく、ただただもう、徹底的に疲れている。苦しい。具体的にどこが苦しいとかいうのはうまく言えないのだが苦しい。

処方されているごく軽い抗不安薬を飲んで、その薬が効いてきたくらいでなんとか起き上がって家事してという感じになっている。

とにかく何をするにもしんどい。何がどうしてこうなった。

 

 

 ところで先日、twitterでこんなやりとりをしているのを見かけた。

 すごいなぁ、この人。健常者でも3カ国語ができて高学歴で大手企業なんてなかなかないよ。発達障害の一部にこういう突出した人っているんだよな。この人だって発達障害で困ってはいるんだろうけど、やっぱり発達障害者のすべてがここまで高能力ではないから、この人を基準にすることはできないよ。

 

やはり発達障害の個人差は大きい。

そう思うと、私はこれまで発達障害であることを理由に死にたいと思っていたが、本質的なところは発達障害じゃなくて自分に生きる能力がなかったことなんだ。

自分の力で生き抜けることができるだけの能力があれば、私はそこまで死にたがっていないかもしれない。食い扶持稼げないレベルの低能力に生まれたらそりゃしんどいよな…。問題なのは発達障害じゃなくて自分が低能力だということだったんだな。

 

 こんなツイートも見かけた。やまゆり事件が初公判をむかえていて、ふたたび障害者や障害者をとりまく環境に注目が集まっているが、やまゆり事件について、どこかのえらい先生だったかが「人を生産性で評価してはならない」というようなことをおっしゃっていたが、私は「じゃあ、どんなことで評価しているんだろう」と素朴に思ったものである。

誰がなんと言おうと、人には社会的な優劣がある。事故やら何やらが起きたとき、真っ先に救助されるのは王族貴族VIPなわけで、命の価値には明確な差がある。

障害者関連で誰か偉い先生とかが何かを語るとき、なんとなくしらじらしさを感じてしまうのは、その発言が現実と乖離しているからだろう。

前にも書いたが発達障害精神障害だと保険に入れなかったり、会社を解雇されたり、あきらかな差別があるんだもの。

 

 

 ところで先日、こんな記事があった。

gendai.ismedia.jp

 自分は女なのに、この記事にとんちんかんなコメントをつけている。一卵性双子である私と妹との現状の大きな違いである。

時々、このブログにも登場するが私には学習障害があって、小学校1年生からまったく勉強についていけない落ちこぼれの問題児だった。一方、妹には(一卵性双子であるのだが)学習障害はなく、中学生くらいから偏差値70超えをバンバン叩き出すようなかなりの秀才であった。

本人に聞くと「ああ、こういうことなんかなと思ったらだいたい合ってる」と言っていたことがあり、得意分野がそのまま彼女の研究分野となり、現在は国立大学で先生をしている。

 われわれは一卵性双子であるから、かなりの部分のDNAを共有しているし、育ち方もほぼほぼ一緒に等しい。とくに幼少期に差がつけられたとかもない。私の学習障害は幼少期にすでに始まっているから、一体何が原因なのかと思ってもやはりわからないのである。脳のどこかの神経回路の問題なのかなと思うのだが、自分はそっちの専門家ではないのでわからない。

学習障害についての研究は一体どこまで進んでいるのだろうか。ちょっとあとで調べてみようかと思う。

 

とりあえず今のところなんとか生きています。

 

 

おわり