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大西発言について個人的に思うこと

れいわ新撰組の大西つねき氏が、「命の選別」という発言をして大きな話題となっている。

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私は大西氏のことをうっすらとしか知らないのであるが、この人はもともと外資系(JPモルガン)にいてディーラーをやっていたという輝かしい経歴らしい。

1986年にJPモルガン入行だなんて…扱うお金の桁が違うよ…バブル時代だよ、すごそう。超がつくほどの勝ち組じゃん。

 そもそも弱者救済を掲げて実際に社会的弱者である障害者を候補者にした「れいわ新撰組」に、なぜこんなにもバリバリの社会的強者である大西氏がジョインしているのか、個人的には少し不思議な感じがしていた。大西氏は経済アナリストであるから、経済優先で考えるのならば障害者の存在となにかこう、しっくりこないものがあったからである。

  「れいわ新撰組」には、現在、木村さん、ふなごさんという二人の議員がいる。この二人は「特定枠」という特殊な方法をもちいて当選した経緯があって、この二人のかわりに山本太郎は議員の立場を失っている。

 実は私自身も、いったい、全国の人はどれだけ、この二人に期待があるのだろうかという関心があった。それで開票直後の得票数にかなり注目していたのだが、木村さんふなごさんともにだいたい4〜5千票くらいの得票数で、日本全体の有権者数が1億人を超えることを考えると、木村さんふなごさんを純粋に支持していた人はきわめて少数派であるのだなと、そんなことを考えたりした。木村さんふなごさんの二名で得た得票数をざっくり有権者数から割り出すと、1億強の有権者のうちの約1万で0.01%いかない程度である。本当にわずかだということがわかる。

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 「れいわ新撰組」の代表である山本太郎氏は、その知名度もあって99万票を獲得していていて、この票を「特定枠」で使って当選となったのが、木村ふなごの両議員なわけである。木村さんふなごさんの、重度障害者の人が国会議員になったというのは、国会の歴史の中でもきわめて画期的なことで、山本太郎自身が議席を失ってでもこの二人を国政に送り込んだことには大きな意味があったと私は思っている。

 ところでさきの大西氏の「命の選別」発言の映像を見たが、これはさすがにアウトである。党の方針とも合わない。しかしながら、どこかでこのような発言が出てきてしまうのも無理はないと思うところがちょっとある。そのくらい、多くのあふれかえる老人たちを抱えるのがこれからの日本だからである。

anond.hatelabo.jp

 この増田がリアルだ。この人は両親が相次いで要介護状態となり、その費用に毎月40万ほどがかかっている。もちろん親の年金などがあるからいきなり40万がごっそり出て行くわけではないが、帰省のための費用、その他の雑費など、出て行くお金はかなりあるだろう。だが今の時代だからこの費用で済んでいるのであって、これから先、親の年金は減らされ、介護費用はますます高くなる。そして何より介護の手がなくなる。だから20年後とかになると「両親二人で月70万かかる」とかなってもおかしくない。これが少子化の現実である。

 この増田の場合は、まだ両親の年金がある。しかし世の中には無年金の人だってゴロゴロいるし、はたまた子どもの方が、「一人娘で重度障害」とか、そういったケースも確実にある。この先、ますます削られて行く社会保障費でそのようなケースをいつまで救済できるのだろうか。当事者の困窮はすさまじいのではないか。

 しかし、それでも命の選別というのはしてはいけない。

なぜ老人に近い年齢の大西氏がこのような発言をしてしまったのだろうか。自分が選別される側になるという感覚がごっそり抜け落ちていたのだろうか。

 私自身は積極的安楽死推進派であって、このようなことを書くと「じゃあお前も植松だろう」という混同をされがちなのだが、自己決定権と、命の選別というのはまったくの別物である。ここが難しいのだが、社会的弱者が否応なしに追いつめられて、本当は不本意だけれど“自分の意思として”安楽死を選ばざるをえなくなったとき、やはりそれはマクロで見れば「命の選別」となってしまう。

ただ、私自身としては、困窮のはてに自死せざるをえないのはまったく人道的ではないと思うので、選択肢としての安楽死はあってほしいと思う。

nenesan0102.hatenablog.com

(このブログを書いたのももう3年も前になるのかと思うとちょっと感慨深い。)

 

つい先日、障害者であることの経済的な損失というのをふと考えて暗澹たる気持ちになった。まともに働けないことから始まって、生涯単位での医療費、単純計算でも億単位で損失しているんじゃないかと思う。もちろん人間を生産性で見る事は表向きにはそれは駄目なんだけれども、「それはわかってるけどすげぇキツイっすわー」というのが本音である。無能な個体に生まれるともうすごくしんどい。

 

  時々考えてしまうのだけれど、私が安楽死を望んでいるのは生きていること自体が苦痛だからであって、障害がなく別の個体であったならばまた感じ方は違う。大西氏のように、自分自身のちからで人生を切り開いてきたような人はメンタリティがまったく違う。架空の話であるが、私が大西氏に生まれていたなら、積極的安楽死なんてことは言い出さずに人生をエンジョイしていただろう。

 私が安楽死を望んでいるのは、「自殺があまりにも残酷な死に方であるから」という理由である。自死は本人だけでなく周囲にも大きなダメージを与える。

 この先の日本で、ずーっと安楽死尊厳死が認められず、老人介護をとりまく環境が悪化の一途をたどるのであれば、介護による殺人、それこそ「伏見介護殺人事件」のような悲しい事件がごく当たり前のことになってしまう可能性がある。それは人道的であると言えるのだろうか。

www.dailyshincho.jp

  大西氏の発言は私はうかつであったと思うし、命の選別は許されることではないだろう。コロナ禍によってさらにますます厳しくなる財政事情や少子化によるこの先の日本のことを考えたら、はたして今のままの路線を放置していてそれで良いのだろうかというのは思う。 議論することから逃げることで苦しむ人をわざわざ生み出しているように思えて仕方ない。個人的にはもう議論すべき段階に入っていると思う。

 ちなみに尊厳死については八割もの人々が賛成しているというアンケートがある。いい加減に法整備について議論をすすめてもらいたいものである。こちらのサイトは、「尊厳死」と「安楽死」との違いがわかりやすく説明されているのでおすすめ。

www.minnanokaigo.com

 

 

おわり