けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

氷河期世代クライシス2

 さゆログさんの記事がホッテントリに入ってました。

www.sayulog.com

 

これ、私はすごい胸に迫るものがありました。この焦燥感、手に取るようにわかる…!

すごい勢いで落ちて行く自分を、懸命に救いあげようとしているのが伝わってきた。少し泣いてしまった。

 

私は一応既婚者ですが、現在、夫のことを激怒させていてひどい状態です。

私の発達障害の影響で夫がカサンドラ症候群におちいっている…。

h-navi.jp

 

今回の件もそうで、私は夫が放った言葉の意図が汲み取れない。

あとからいろいろ考えても、やりとりを辿っても頭をひねっても本当にわからないのだ。

言ってることがわからないことは、相手をすごくいらいらさせる。

これまで夫は強い忍耐力で私の特性に向き合ってきてくれた。

だが、もう限界値を越えてしまった。

 

なので、結婚してもコミュニケーションがうまくいかないと仲がこじれるし、離婚に至ることもある。結婚はするよりも維持することのほうがはるかに難しい。

 

昔はブログという媒体がなかったので、「苦しい」という声はほとんど可視化されなかったし、だれかの耳に届くこともなかった。でも、最近はどんどん、苦しい人たちの声は可視化されていってる。良いことだと思う。

 発達障害の独特なしんどさも、当事者の人がブログなどで発信をしたことで、ずいぶんと見えることが多くなったと思うし、発信するのは良いことだと思う。

 

 

先日書いたブログ、アクセスが多めにあって驚いた

nenesan0102.hatenablog.com

 

この図書館司書の女性の記事に関しては、いろいろな方面からの言及があったんですが…

anond.hatelabo.jp

 

ああ、この増田もまた「努力」とか書いちゃってる…。

これ「頼れる人脈を作っておかなかったあんたが悪い」とも読めるんですよね。。

彼女が困窮しているのは、もっと大きな構造的なことが原因なのに。

 

 

 以前あった国際比較のアンケートで、日本人が突出して貧者に対して冷酷だというものがあり、このデータを見たときに私はショックをうけたのを覚えています。

 

自力で生きていけない人たちを国や政府は助けるべきだとは思わないと言う人が日本では三人に一人以上もいることがアンケートでわかりました。

日本 38%
アメリカ 28%
イギリス 8%
フランス 8%
ドイツ 7%
中国 9%
インド 8% 

日本の貧困対策がどれほど貧困かよく分かる数字 - Afternoon Cafe

 

『子どもの貧困』などで知られる首都大学東京の阿部彩さんの本には、もっと細かなデータ、たとえば「貧しくても、子どもがクリスマスプレゼントをもらえるのは当然か?」とか、いろいろなアンケートが挙げられているのですが、日本人の回答は、他の国からものすごく離れて突出して厳しいものが多い。

 

宗教的なものかもしれないが、どうもいまいち背景がわからない。

他の国の数値には宗教的な背景がそれなりにありそう。イギリス、ドイツ、中国あたりはおしなべて10%を切っていて、救われるべきと考えている人が圧倒的な大多数なのだ。

 

なぜこんなにまで日本人は冷酷な人々なのか…この価値観は一体どこから来たのか。。

 

江戸時代にこんな言葉があった。

 

死んだなら、たった五両と笑うべし、生きていたなら二分と貸すまじ

 

これは意味としては、誰かが死んだなら「五両くらいだったら貸したのに」と言うが、生きている時には二分(1/2両)も貸さないということわざです。

これ江戸期にあったんですよね。。ということは、当時の日本人もかなり貧者に対して冷酷な面を持っていたのかもしれない。日本人が突出して冷淡なのには歴史的な背景もあるのかもしれない。

 

以前あった貧困JKの報道のときも女子高生バッシングが盛大に行われていたり、今回の図書館司書さんの記事でも「努力しろ」という意見がかなりの数あったのを思うと、あのアンケートでの数字も納得する。

それまで私は、日本人は同胞を助ける優しい人々だと、どこかで期待してました。日本が好きだし、頭がお花畑だったんで、完全にそう信じてました。

でも日本人は突出して他者に冷たい人たちだった

 

貧乏人は人への頼り方を知らない

実際には貧乏人が頼ろうとしたら周りの人は凄い勢いで離れると思う

2016/09/11 00:04

b.hatena.ne.jp

 

これ、いざ困窮すると身にしみて感じるんですよね。。

世間にはものすごい自己責任論が渦巻いているので、とてもじゃないけどよほど神経が太くないと声はあげられない。

 

私も、過去に自分が困窮したとき、完全に自己責任だと思ったのでだれかに頼ろうという気持ちはあまりなかった。というか身内に助けを求めたら断られたので、それこそ他人に助けてもらえるというわけがないと思った。もちろん距離を置く人も現れた。なんでかそういうときは不思議なくらい敏感に察知した。(もしかしたら被害妄想かもしれないけれど…)

 

なので、当時はよく自力で生きて行けなくなった人は安楽死させてくれないかなーとか考えてました。これは今も時々思います。ひどい考えだとは思いますが、人にも行政にも頼れなくなった人は餓死か自死するしかないわけですから。

 

貧乏人は人への頼り方を知らない

この女性を始め人生に躓く人は自己肯定感が低いんだよ。人を頼るには、自分にはその価値があるという意識が必須なんだよね。

2016/09/10 22:02

b.hatena.ne.jp

このコメントすごいなぁと素直に思った。すごい。

私もまったく人に頼れなかった。助けてと言うこともできなかった。

とにかく自己肯定感がなかった。自己肯定感があまりにもなかったから、いろいろなことを失敗してしまった。

私を救ってくれたのは夫だった。私は最後まで夫以外の人には何ひとつ話せなかった。

 

 

図書館司書の人の記事とか、さゆログさんの記事で思うのですが、もう昔とは「普通」という感覚を変えないといけない段階に来ているなと思います。

 

私はアラフォーですが、私の感覚で「普通」というと「大学を卒業して働いて、20代後半くらいで結婚して子どもを2人ほどもうけ、30半ば〜40代くらいで家を買って、子どもを複数、大学卒業させる」っていうのが子どものころ漠然とあった。

親の世代(団塊世代)なんかは、このモデルロールそのままの人が日本中にたくさんいます。

 

私の世代でも、このモデルロールの通りにやれた人はいるのですが、蓋をあけてみたら「親が土地を持ってたからそこに家建てた」だの「マンションの頭金は親に出してもらった」とかいう話が多くて、結局のところ親が資産持ってたからうまくいった、みたいな例が多い。

これが普通というのを内部に規範として持っていると、モデルロールから外れたとき、ものすごく自分がダメな人のように思えてくる。

目に見える場所にうまいことやってる人物が居る場合も多くて、なぜあの人はうまく行っていて自分はダメなんだろうという思いが強くなる。嗚呼、隣の芝生は青い。

 

再起が難しい社会だというのもありますが、子どものときに描いた大人の世界はこんなじゃなかったはずなのにという思いをどこかに持っている。

そしてその思いが本人をすごく苦しめている。こういう思いが積もって、自己肯定感を失っている人も多い。自己責任論、自分が努力しなかったからだと思う。そして誰にも助けてと言えなくなる。

 

図書館司書の人のインタビューには、「結婚や子どもを持つのはもう限られた人のものになった」という台詞が出てきますが、これは裏返してみると、氷河期世代の人は、ほとんどすべての人が、子どものころは自分はいつか子どもが持てると信じていたってことでもある。

いまの時代で子どもが持てる人というのは、肉体的にも精神的にも強い人。

なにがしかの僥倖に恵まれた人、才能に恵まれた人。安定した基盤を持っている人。環境に恵まれた人、そして、たまたま脱落しなかった人。そんな感じになってきた。

 

私はちょっと思うのですが、もう、普通というのを捨てたほうがいいんじゃないか

社会がこれだけ大きく変容してきたのだから、何が普通かというのを保っているほうが苦しい。とくに心を病んだ人はそういうものに縛られがちだ。そして、普通でない自分を恥じてしまう。

心身が弱っている人は、とにかくその日一日を乗り切ることしかない。

そんなふうに思っている。

 

 

 

おわり