今日は愛猫の誕生日だ。
まだ小学生のころ、家へ帰ったら子猫が生まれていた。
愛猫との出会いだった。
生まれたばかりの子猫というのは、何にもたとえられない不思議な匂いがする。
この匂いをかいだのは30年ちかく前のことなのだが、時折鼻腔の奥をくすぐってくる。何に似ているかと言われてもここがさっぱりわからない。
愛猫を生んだ母猫は、いつのまにかかき消すようにいなくなってしまった。何があったのかわからない。我が家は適当な外飼いをしていたので、どこかで事故にでもあったか迷って帰れなくなったのかわからない。とにかく我が家には愛猫、雌だったので彼女と呼ぼう。この猫だけが残った。愛猫家の誕生である。
小学生のときだったかと思うが、戦時中に「供出」という制度があったことを知った。
新聞の投書で、もう70歳をすぎたおばあちゃんが、子どものころに自分の愛猫をこの供出へ出さなければいけなかったことを悔やんでいた。愛猫を救えなかったことを何十年も心にしまい続けてきたのだ。
「供出」は、自宅で飼っている犬や猫を、軍のために「物資」として差し出すことを言う。拒否すれば「非国民」である。
定められた日に、犬猫を袋に入れて公園などに連れて行き、そこで袋のままめった打ちにして殺す。剥いだ毛皮は軍服にされるという。少女が愛猫を袋に入れて向かった先の公園で見たものは、おびただしい数の犬猫の死骸だった。
私は震え上がった。
もし、こんなことをされるのであれば、彼女を連れて一緒に遠くへ逃げよう。
それが叶わないのであれば、だれかに殴られて殺されるなんてとても耐えられない、それくらいなら私が殺す。
そのくらい、供出は衝撃だった。
私の愛猫…彼女はそれから18年以上も生きた。冬にひっそりと亡くなったが、猫としてはかなりの大往生だった。
その時、私は本当に心の底からホッとした。ああこれで彼女を「供出」へ出す恐怖に怯えなくても良いのだと。
彼女が亡くなってから、もう10年近く前になる。
それでもまだ彼女が誕生した日のことをありありと思い出す。そしてお祝いをしている。胸の奥でこれほど大きな存在はいない。
検索をしてみたら、戦時中の犬の飼育や供出についてもものすごく詳細に述べているブログがあった。せっかくなのでここへ貼っておきたい。
おわり