けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

散文

このところ、江戸時代にハマっている。

しかし、しっかりとアウトプットできるほどの知識量はまだない。

なので、適当な散文を書いてみたいと思う。

江戸ブログはほかにたくさんあるので、お好きな方はそちらを読んでいただきたい。

 

先日、こんな記事があった。

blogos.com

「息子介護」に問題が多い理由 『介護する息子たち』 平山亮氏インタビュー - 本多カツヒロ (ライター)

江戸時代はすごいよ。逆に「お役御免伺」(いわゆる介護休暇願や看護休暇願)を申請しなかった藩勤めの武士が、それを理由として処罰された例がある。

2018/12/04 07:01

b.hatena.ne.jp

物珍しかったのか、自分のコメントがトップブコメになってしまった。

 

それはさておき、江戸時代というのは、現代のわれわれが考えるよりはるかに健康志向の強い社会だったらしい。近代医療のない時代だから病気になったらおしまいだ。

だから、多くの人が健康であるように努力していた。健康であることが、社会人としてのあるべき姿だった(らしい)。

家の人が病気になったら、家族総出で看病するのは当たり前のことである。家人による看護のためのハウツー本まで出版されている。

 

江戸人にまともな医療知識というのはほとんどない。

だから、眼病に対して、「4歳以下の男児の尿で目を洗え」とかいう、まさにトンデモ療法が流布したりしていて、この頃の医療事情がいかにひどかったのかというのがよくわかる。今でもトンデモに走ってしまう人がいるが、江戸期は病気といえば「祈祷」である。「祈祷」じたいは明治あたりにいちおう法律で取り締まられているが、戦後すぐくらいまで各地に息づいていたようである。

衝撃映像はこちら

 

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 今ある日本料理というのが成立したのは江戸時代である。

今も残る多くの日本文化は江戸期を発祥としたものも多い。つい先日あった「七五三」もそのうちのひとつであるが、これらの季節ごとの節句行事のほとんどは、健康を願ったものだ。そのくらい、健康であることや、子供の健やかな成長というのは貴重なものだった。

 

で、よく勘違いされているのだけれど、江戸時代は意外と高福祉社会だったらしい。

どこの本だったか忘れたが、「高福祉社会だったからこそ、270年も続いたのだ」という説があり、あー、なるほどという感じでもあった。

 

江戸人の平均寿命はけっこう短い。だがそれは、当時の乳幼児死亡率がとんでもなく高いからであって、いったん大人まで成長した人は、けっこう長生きした例も多かった。70代、80代くらいまで生きる人もチラホラいたようである。

 

貝原益軒という人の記した『養生訓』という本は、かなり高額の本だったにもかかわらず、江戸時代を通じてのベストセラーの第一位だそうである。

ちなみにいま、この『養生訓』を読んでいるのだけれど、これがなかなか面白くてためになる。

貝原益軒自身は、江戸期の医師兼学者なのだけれど、江戸期の医者というのは、基本的には漢文が読めないとなれない。医学書はすべて漢文だからだ。だから貝原益軒の本にも古代中国の誰それがなんと言った、という話が頻繁に出てくる。知識の多彩さに驚かされる。

 

昭和時代によく言われていた「親からもらった体を傷つけるな」という教えは、この『養生訓』に出て来る話である。

だが、実際に『養生訓』を読むと、これの意味は、整形をするなとか入れ墨をするなという意味ではなくて、「節制なしに飲食をして胃腸を傷つけるな、早死にするぞ」である。都合よく意味が変えられていったことがわかる。

 

どうでもいいが、江戸期の医師というのは「僧形」といって、僧侶とほぼ同じ姿格好をしていて、社会的にも似た扱いをされていた。幕府からもらう位も、僧侶のそれと同じものを授与されていた。江戸期の医者は、寺の次男坊、三男坊がなることが多かったそうだが、それと何か関係があるのかどうかはわからない。

 

『養生訓』の中におもしろい記述がある。

「山の人は寒くて気をもらさないので、長生きである」という記述なのだが…

ここでいう「山の人」が、山伏、いわゆる修験道の僧侶をさしているのか、はたまた山に住む炭焼きとかの人をさしているのか、ひっくるめて「山の人」としているのかが謎である。当時は修験道の僧侶というのは、今よりはるかに数多く存在したそうなので、「山にいる人」という認識をされていた可能性もある。

江戸期の山に住む人は、当時は禁制であった獣肉を豊富に食べていた可能性があって、それを考えると栄養状態がけっこうよかったのかもしれない。

 

ただの散文なのでおわり。