けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

いろいろ雑記とお礼

一個前のエントリを書いたところ、反響が大きくてちょっと驚いた私です。

コメントをくださった皆様、ありがとうございました。

nenesan0102.hatenablog.com

こちらの記事にいただいたコメントも、ブコメも、大変ためになるものばかりでした。

 

私へのバッシングに関して言うと、記事のいちばん始めに書いておりますが、正直言うとそんなにまで気にかけていません。あとから冷静に考えると、わたしがいま、強い希死念虜と戦っているのはバッシングとはあまり関係がない感じです。

これはニャートさんの記事についたコメントだったかと思いますが、こちらは情報をある程度出している、相手はそれを知っている、その時点で負けなのですというコメントがあり、非常に納得しました。

 

練炭計画 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

自殺を決めた人は遅くても2,3年内に実行するから説得が無駄なのは知ってるが、生活保護に「落ちる」、生活保護スティグマと捉える等、生保受給者に対する偏見が自分の首を締めてないかは自分自身に問うてみてほしい

2019/08/17 12:51

b.hatena.ne.jp

高円寺ららぁさんからこのようなコメントをいただいて、いろいろと思い返してみたんですが、ちょっとかいつまんでしか書けないのですが、

結婚して、今の家に引越してきて、京都でやっていた仕事を再開できました。これは私に取って大きな喜びであり、また社会とのほんのわずかなつながりです。

言い訳するなと言われたら終わりなのですが、自分は発達障害があるため、いわゆる「普通」の働き方はできません。障害者手帳は持っていますが障害者枠ですら働ける場所がない。そうした中でフリーランスでなんとか働けるという環境をようやく取り戻した感じでした。自分にとっては10年なんとか続けてきた仕事です。ただ、体がもたないため、これで自分が生きて行けるくらい稼げないのが現状です。かといってじゃあ他の仕事ができるか?というと、あんまりにも低能力すぎて勤まる仕事がないのです。

私の仕事は、それなりの量の仕事道具がいるし特別広くはないのですが専用の場所もいります。

 

私の住む自治体だと、二人世帯の生活保護の住居費の基準値は約7万円です。

このため、生活保護を受給する場合は今住んでいる部屋を出なければいけません。(今住んでいる部屋が基準値を超えているため)

生活保護を受給するとなると、同時に私は仕事場を失うことになります。

このへんの制約が私にとって大きなジレンマです。

自分がやりたい仕事をしたい、これはやはりわがままなのかもしれません。しかし障害者用の作業所に通っても工賃が月数千円とかにしかならないので、自分の仕事をしたほうがある程度のお金にはなるのです。(ただ、それできちんと食えるレベルまで稼げないのですが)

 

かつて結婚前から、私は発達障害ゆえに働いても働いてもどうにもお金が稼げない、お人好しで人にいいように利用されてしまうといった面があって、馬鹿と言ったらそれまでですが、働けば働くほどどんどん困窮していきました。当時の私は病院にかかるお金もなかったため、歯がぼろぼろでした(歯の中が腐っていた)

自分の圧倒的な無能さを思い知り、はっきり言うと絶望しました。自分のことをひどく呪っていたのもこの頃で、この時期に安楽死への渇望が出てきた感じです。

発達障害がなく、健常の人として産まれてきていたらこうなっていなかったと思うんですが、もうここは嘆いても仕方がないです。

 

Vtuberかなんかやろうかなとも思っていますが、う〜ん、どうでしょうか。

人生相談とかしたらなにか相談きたりしますでしょうか。

 

 

さて、ここからいきなりまったく別の話題を書かせていただきます。

 

8月に入り、原爆投下、お盆ときて終戦記念日となりました。

8月なかばには日航ジャンボ機の墜落事故の慰霊の日もありました。この墜落事故についてはたくさんの本があるのですが、それらの本でひときわ私の目をひいたものがあります。それは、「小さな赤ん坊が、ひとつのかすり傷もなくまるで眠っているような形であった。首だけが。」という記述で。あの惨状のなか、ひじょうに不思議な感じがした、みたいな記述をされている人がいました。

 

これはちょっと話が変わるんですが、私の遠縁の親戚の人が長崎で被爆をしていて。

ご本人から原爆の話を直接聞くことはついぞなかったのですが、そのおじいちゃんが原爆に関する手記を残していて、つい先日、それを目にする機会がありました。

手記を書いたおじいちゃんは当時学生だったのですが、

『学校の裏手にまわってみると、◯◯君が一人ふらふらと歩き回っていた。彼はかすり傷ひとつ負うことなく無傷なままだった。どういうわけか一糸まとわぬ完全な全裸だった。いくら呼びかけてもなんの返答もない。仕方がないから××君と両脇をささえ、××君の下宿へ運んだ。3日後、泡を吹いて死んだ。』

 

こういう、すさまじい状況の中で、ひとつの傷も負わない、こういう記述を見かけると、人智を超えた何かを感じてしまうのです。(私だけでしょうか。)

 

親戚のおじいちゃんのこの手記は本当にすごいものがありました。

長いのでちょっと今ここでは書けないのですが、原爆投下というものがどれほどの地獄であったかというのがものすごくよくわかるものでした。 

 

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さて、私はいろいろなコメントをいただきながらも、一方で逃げるように本を読みふけってみたり、このあたり本当に自分はアスペだなぁと思うのですけれども、そのうちまた何か記事を書いてみたいと思います。

 

皆様、あたたかなコメントをありがとうございました。

 

 

おわり