けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

人種差別についての雑感

東京へ引越してきてまる3年以上が経った。こちらで暮らしてみて思うのは、外国人が少ないことだ。京都にいた時はとにかく外国人がたくさんいた。観光客もいるし、まず外国人を見ない日がないくらいだった。自分にもいろいろな国の知人友人がいた。

 妹のいた大学には、大学院生が留学生の面倒をあれこれみるという都合のよいプログラムがあったのだけれど、妹が担当になったのはチュニジア系フランス人の女性だった。すごく背が高くて、肌の色と髪の毛の色が黒いけれど、顔つきはほぼ白人という人だった。髪の毛はアフロみたいにちりちりの髪の毛だった。

 たまにアフリカから来たとおぼしき人々を見た。おそらく京大への留学生の家族かなと思うのだけれど、アメリカの黒人と雰囲気がまったく違うのだ。服装も言葉もまるで違う。

 よく家の近所を三ツ揃えのスーツをビシッと着こなした黒人男性が歩いていたので、たまにお互いに会釈をしていた。話すことはなかったけれど、京都のあの暑さの中で常に三ツ揃えのストライプのスーツを着こなしている彼に感嘆した。彼は一体なぜどうして、どういう経緯で京都へ来ていたのだろう。アメリカの人ではない感じもするが、どの国の人かもわからないうちに姿を見かけなくなった。

 

 先日、いつも掃除をしている公園で黒人女性を見た。話すことができたので聞いてみたらジャマイカの人だった。いま、私の住むあたりでは黒人を見る事はすごく少ないのと、ジャマイカ人と会ったのが初めてで、「へー!」となった。

 私の父は学者なのだがとにかく海外が好きで、チャンスさえあればポンポンと海外へ飛び出して行く人であった。観光ではなく人がほとんど行かないような場所へ調査に行っていた。

私が生まれる直前はアフリカにいて、母の「生まれそう」という電報を受け取ってフランス経由で3〜4日かけて帰国してなんとか間に合った。(間に合ってよかった)

 父にアフリカで何が大変だったかというのを聞くと、「黒人の顔が見分けがつかなくて困った」と言っていたことがある。アメリカの黒人のようなタイプではなくて、肌が黒すぎて青黒いレベルの人のことである。それでも数ヶ月経つと見慣れてきて、誰が誰かというのはわかってくるらしい。慣れってすごい。なお、このアフリカ滞在で、父はアフリカ人の驚異的な身体能力をまざまざと目にした。

 

 私が9歳か10歳くらいの時だったと思う。父はまた仕事で1年ほど海外に滞在して帰ってきた。南米のほとんど南極圏に近いくらいのところで、そこまで行くと僻地すぎてホテルそのものがないので、父と仲間の人たちは特別な許可を得て英軍基地に滞在していた。そのとき、その英軍基地に滞在していた日本人は父を含めてわずか数人。その他には英国の軍人と現地の白人(非軍人)しかいないという特殊な環境だった。

 父たちの集団はどこからどう見てもアジア人である。街を歩いているとき、道行く白人から唾を吐きかけられ暴言を吐かれた。この話を聞いた私は大変なショックを受けた。ショックを受けた私を見て、父は「あ、しまった」という顔をした。

私は「人種差別」というものがあるのは把握していたが、そこに日本人が、というか自分の父親が含まれるとは無邪気にも思っていなかったのだ。日本人は黒人ほどは肌の色は黒くない。そのため、ナチュラルに自分たちは被差別側ではないのだと、どこかでそう信じてしまっていた。

 

twitterで、こんな動画を見た。

 この動画の後半で女の子は泣き出してしまう。私は黒人ではないけれどああ、なんかこれわかる…となった。私にとって父は一人の人間だけれど、唾を吐いた白人から見れば「黄色い猿」なのだ。父が、一人の人間として見られなかったことに私は怒った。顔もわからない白人に強い怒りを覚えた。

 父があからさまな人種差別を受けた話はダイレクトにはこの話しか聞いていない。父は本当に様々な国へ行く人だったので、一人のアジア人として、それなりの差別に出会ってきている可能性がある。しかし彼は子どもにはそのような話をけして言わなかった。「しまった」という顔をしたのは、やはり日本人が被差別側だという話を子どもには言いたくなかったのかもしれない。 

  どこかの記事で、「ジェシー・ワシントン事件」についてコメントで書いたことがあった。ご存知ない方もいるかもしれないので記事のリンクを貼る。(閲覧注意、死体写真があります)

ja.wikipedia.org

 ジェシー・ワシントン事件は、1万5千人もの群衆が17歳の少年が生きたまま焼き殺されるのを歓声を挙げて見ていたという、おぞましい事件である。黒こげになった彼の遺体から歯が抜かれて土産物として売られ、リンチ光景を撮影した写真家はそれを絵はがきにして大もうけしたというのがもう、今の時代からすると絶句するレベルだが、この当時、ジェシーの歯を売った子どもにも、骨を売った人にもあまり大きな罪悪感はなかったであろう。

 この時代の黒人のおかれた過酷な環境、白人たちの残忍さ、集団狂気、しかしながらこの場でこれにおかしいと抗議できる人がいるだろうか。抗議をすればジェシーと同じく火にくべられて終わりだろう。

 私はこの事件を知ったときに大変な衝撃を受けた。時代背景を考慮しなければならないが、このグロテスクさはなんだ。ジェシーの母親や父親、そして友人たちはどう思ったか。これが黒人の少年ではなく、日本人の17歳の少年であったなら日本人はどう感じるのだろうか。

 日本人の少年でふと思い出したが、1992年のアメリカ、南部のルイジアナ州で、日本人の少年が白人男性に撃ち殺されるという事件が起きている。

ja.wikipedia.org

 なんと28年も経つのかと隔世の感すらあるのだが、このときの刑事事件の裁判で、10人いた黒人を含むすべての陪審員が犯人を『無罪』とした。人を銃で撃ち殺したのに、である。私はこのときまだ中学生くらいの年齢であったが、すべての陪審員が全員が無罪!?とかなり大きなショックを受けたのを覚えている。日本人が南部の地域へ行くとこのようなことになりかねないのだという衝撃があった。ニュースに写るご両親の顔が悲痛だった。ご両親にとっては28年の時はまだ止まったままなのではないかと心が痛む。

犯人はいっさいの賠償をすることもなく今にいたるようだ。

私はこのときの裁判にどこか人種差別的なものがあったのではないかと今でも強く思っている。

 私自身は日本に住む日本人であるから、アメリカ本土のことについてどうこうできる立場ではない。だが、Black Lives Matterのムーブメントによって、少しでも社会が良い方向へ行くことを願いたい。

小口先生のツイートに興味深いものがあったので載せておく。

アメリカだけでなく、多くの国でこれからもますます人種の混血は進んで行って、アメリカ人に多くいるが、何人かよくわからないという人が多数派になったとき、ようやく人種差別問題は解決していくのかもしれない。 

 

 

おわり