けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

(その2)ALS嘱託殺人事件について思うこと

京都のALS女性嘱託殺人事件ですが、元衆議院議員である奥様の怒濤のブログ更新が話題です。

ameblo.jp

障害のせいで、どこにいても生きづらく、いつも焦っていて

「今ここ」を生きることができなかった夫。いつも死にたい

気持ちを抱え、死にきれなくて。医者の仕事をやめたい

のにやめられなくて。とうとう逮捕されるようなことをした

これを読むかぎり、「死にたいのは自分だったんじゃ」って感じですよね。

先日、奥様が記者会見を開いたようなんですけど、このニュースでも「自宅で自殺未遂を繰り返していた」と言っててなんかすごい。これ家族にとっての心理的な負担は相当なもんですよ。

 

本人のツイートには以下のようなものがあります。

 夫は厚労省技官の医師免持ち官僚で妻は自民党衆議院議員って、まれに見るパワーカップルだと思うんだけど実情はこんな感じなのかと思うと、パワーカップルもはたから見るのだけではわかりませんね。

以前からこのブログで書いてきていますが私自身もアスペルガーです。さらに大久保容疑者は私とほぼ同じ学年なんですけど、この世代は子どもの頃は「アスペルガー」の概念自体もなく、当事者は完全に置き去りにされていた世代です。解決法がないのに、20代の頃にはすでにネットで侮蔑用語としての「アスペ」が存在していました。今のようにサポート体制が何もありませんから、勉強だけは出来るタイプのアスペルガーの人は当たり前のように高い能力を求められてその中で苦労したという感じでしょうか。

私の妹もまた高学歴のアスペルガーです。妹が行っていたようなハイクラス大学だとちょこちょこいるんですが、「家も裕福で親もふつう、大切に育てられてきて教育費もバンバンかけてもらって容姿端麗、性格も良く能力がすべてすごく高い」…みたいな人が本当にいる。

一方でアスペルガーの人というのは、遺伝性が高いので親もかなりの割合でなんらかの発達障害だったりして「勉強はできるけど家族環境がいびつで機能不全家族」ということが多い。機能不全家族で育ってきているから健全な人間関係を築き上げることが出来なくて、仕事でも能力が凸凹なのであちこちでミスをして周囲から責められて「なんでこんなことができないの?◯大卒なのに?」とか言われて惨めな思いをすることが多くて、そのうちに死にたみが増してきてしまう、こんな感じでしょうか。

アスペルガーから見ると、全方向に能力が高い人って「こいつには敵わない」って感じで、羨ましいしつらい。へたに近い場所にいるとよけいにつらい。自尊心ガリガリ削られて行く感じです。

いま、大久保容疑者の優生思想の側面ばかり強調されているけど、アスペルガーの人でみじめな思いを積み重ねて行くうちに優生思想になってしまった人って少なくないんじゃないかなと私は思います。その優生思想って、自分自身の無能さを突きつけられたことによる反動なんじゃないかと私は思っています。

大久保容疑者の持つ優生思想が、本来の意味での優生思想なのか、それとも自分自身の苦しさの反動なのかはちょっとわかりませんけど、奥さんもブログで書いてますけど、仕事がまともに勤まらないほどですから本人のつらさは相当だったと思います。

note.com

 三春さんが書かれたこのブログがいまバズっておりますが、じつは以前からこの国際比較調査は有名で。なんかもう、ものすごい日本人って強烈に冷酷ですよね。多分世界一に冷酷ですよね。データ見るかぎりでは。

私は、こんな冷酷な社会に暮らしていたら生きづらい人は当然のように自殺を選択するだろうと思っていて、実際に自殺の数はものすごい。

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これは厚労省で出しているここ数十年の自殺の統計ですが、2万人超えがずーっと来ているんですよね。単純計算ですが、10年で20万人とか超えてる。小さな都市が消滅するくらいの規模で人が自殺で消えている。自殺って完遂できないことも多いけど、何十倍とも言われる未遂者の数を考えると膨大な人が自殺をしようと行動に移すところまで行っているわけです。なぜこんなにも自殺が多いのかはそういう研究の人がいますのでここでは分析まではしませんが、他者に極端に厳しい世界一の自己責任社会というのは要因のひとつでしょう。安楽死が話題にのぼると、かならず「今だって自殺は自由なんだからさっさとしろ」みたいな意見を言う人がいますけど、自殺は人道的にもどうかと思うし、本人の尊厳が保たれてると思います?私は自分がかなり極論言ってるのは承知ですが、自殺が残酷だから安楽死があるべきだという考えなんですよね。

 

それにしても優生思想というのは難しいもので、人間誰しも「もうちょっと能力が高ければよかったのに」って思うことはそれなりにあるんじゃないかと思うんですよ。

大久保容疑者が優生思想を持っていることをあげつらう報道とかありましたけど、じゃあさー、おたくの会社でどんだけ障害者を正社員としてやとってんの?私めちゃくちゃ無能のアスペだけど私のこと雇ってくれるの?って言ったら全然無理なんですよ。

組織で能力が極端に低い人がいると周囲の足を引っ張るしそれを理由にして障害者を雇わない企業はいくらでもあります。正義の立場から優生思想を責めてるのは気持ちよいんだろうな。

note.com

ところで、最近になって報道がありましたが、日本ではいまだに、新型コロナ感染者が出ると、嫌がらせをするという陰湿な土壌があります。報道されてないだけで暗数は相当あるんじゃないですかね。

www.shinmai.co.jp

 それで、これは一体なんなんだろうかとちょっと不思議だったんですね。

すると、こんな調査がありました。

president.jp

 「感染症にかかるのは本人が悪い」って、何かちょっと医学的に間違っている気もするんですけど。しかし日本は改めて、自己責任論大好きの世界一の冷酷民族なんだなーって感じしますよね。

窓に石を投げ込んで鬱憤はらしてるような人って、自分だけは感染しないって思ってるんでしょうか。自分がされたら?という想像力がないのかな。

三春さんのブログにあった国際比較の調査でも思ったんですが、他者に冷酷って、それだけ想像力が乏しい人が多いのかなとちょっと思ってしまいます。「自分が困窮するかも」という想像ができないし、強い弱者嫌悪があるのが日本人の特徴なのかなと。

自己責任論って楽じゃないですか。他者は助けなくていいし動かなくていいし。

ALS嘱託殺人の被害女性は、もうTwitterやブログを特定されていて、それらをさかのぼって読む事ができます。このあいだじっくりと読んでしまった。

彼女は舌も自分では動かせなくなっていましたから、まぶたの動きだけでずっとこれを書いてきたんだなと思うと胸に迫るものがあります。

ameblo.jp

それにしても思うんですが、安楽死の要件にあるのが「肉体的な苦痛」ばっかりで。精神面での苦痛ってすごく人にとって、QOLにとっても大きなものだと思うのに、なんでまるっと無視されてるんでしょうね。体と精神って切り離せないものだと思うんですけどね。

 たしかに「社会が加害者だ」というのは非常によくわかる感覚です。

 

 私も一人の無能型アスペルガーとして周囲にたくさんの迷惑をかけてきましたけど、迷惑をかけてしまった時の相手のこわばった顔とか、次に顔を合わせたときのまるでゴミを見るかのような目つきとかね…。そういうもの抱えた人にはこういうのきれいごとに感じちゃうんですよね。

無能でも障害者でも弱者でもその人らしく生きていける社会とかあったら理想的ですけど、現実的には難しいんだろうなぁ。何よりも国にお金も余裕もないよな。

今回のALS女性嘱託殺人事件は、安楽死尊厳死のありかたを問うとともに、容疑者がうまく社会適応できなかったアスペルガーという点でも、深く考えさせられる事件だったなと思います。終わってないけど。

 

 

 

おわり