けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

生理、その他雑感

こんな増田があった。

anond.hatelabo.jp

 率直な感想を述べると、ああ〜、こういう人いるいる!という感じ。

私も発達障害学習障害を持っているから、増田がここで挙げているような計算はほぼすべてわからない。生まれたくてこう生まれたわけではないのだが、それにともなう叱責も不都合もすべて自分で引き受けなければならない。

 この人の場合、子どもが欲しいかどうかで話が大きく変わってきそうな感じがする。この奥さんが様々なハンデキャップを抱えているとして、それはやはり子育てをするさいにもハンデキャップとなるわけで、その部分を増田および近親者がサポートをするほかない。母親と似た性質や発達障害を抱えた子どもが生まれてきたらかなり大変だというのは容易に想像がつくと思うけれど、親子ともどもハンデキャップを持っているというのは別に珍しい例でもなんでもないので、子どもをもうけるときは覚悟がいると思う。定型発達の奥さんと定型発達の子どもであっても子育てはすごく大変だししんどい。父親としてサポートをするつもりがないのであれば子をもうけないほうがいいんじゃないかと思う。

この奥さんは水商売をしてきていた人だそうだが、たまたま、今読んでいる本にこのような記述があったのを思い出した。

貧困を救えない国 日本 (PHP新書)

貧困を救えない国 日本 (PHP新書)

 

鈴木:僕の妻はPMS(月経前症候群)がひどくて生理がとても重いんです。妻に、インフルエンザと生理、どっちが辛いって聞いたら。妻が即答して生理の方が辛いって言ったんです。インフルエンザって、結構死ぬかと思うくらい辛いじゃないですか。それよりも生理の方が辛い。それが毎月来る。

生理がないということだけで、男性にはとても大きなアドバンテージがあったんですね。

(略)

自分の取材記録を検索してみたら、生理痛がひどくて、起きれない日もあって、一般職をあきらめてセックスワーカーに転じた人の話が相当数あったんですね。   

(『貧困を救えない国 日本』70ページより。太字は私によるもの) 

私はこの話で「うわぁ」と思ってしまうのだが、みずからの生殖器の不調に悩まされる女性が、その生殖器を使った商売をせざるをえないという部分にものすごい業を感じる。体の不調によって技能を売る事ができず、最後に残ったとりでがみずからの性器というのは、これはもうなんという悲しい業なのかと思う。

しかしながら月の半分が使い物にならない人を社員として受け入れてくれる企業があるかと言えばおそらくないだろう。

結婚は弱者女性にとってセーフティネットのひとつなわけだがこれからの時代には結婚できる男性そのものが減っていく。それはセーフティネットの縮小を意味するので、さらに社会負担は増大していくという悪循環になっていきそうである。

強者女性が弱者男性を庇護下におくというのはないわけではないが圧倒的に少ないケースだ。そこにはやはり生殖が不均衡であるという背景がある。

小林製薬の調査によると、女性のうちじつに85.9%の人がPMSを感じたことがあるそうである。(PDF注意)

https://www.kobayashi.co.jp/corporate/news/report/pdf/v31.pdf

PMS以外に、PMDD(月経前不快気分障害)というものがあって、精神症状がより強い人はこちらに分類される。私自身は生理前のメンタルの落ち込みがものすごくて、ほぼ毎月のように自傷をしたり強い希死念慮に耐えかねて自殺未遂とかをしていたのだが、クリニックでは「PMDDの人はもっとすごいよ」と言われてびっくりしたことがある。

女性の自殺は生理前後に集中するという話もあって、女性の人生と生理はものすごく深い関係にある。生理やPMSによって人生が狂ってしまう人も確実にいるだろう。

月経のはなし - 歴史・行動・メカニズム (中公新書)
 

 『月経のはなし』という本によれば、幼い頃に虐待を受けた女性は生理やPMSがひどくなる傾向にあるらしい。この理由はまだはっきりとわかっていないが(おそらくは虐待によって脳が正常とは違った状態になってしまうからだろうと思われるが、医学的には原因不明)この理不尽さもすごい。成長過程で虐待されて苦しい思いをしてきたのに、それが原因でさらに苦しみを抱えてしまうことになるとは。一体どんな罰なんだよと思う。

この『月経のはなし』という本は、月経に絡む古今東西の歴史の話などを集めたもので、月経があるがゆえにいかに女性がしいたげられてきたかというのが非常によくわかる一冊である。ご興味のある方にはぜひご一読をおすすめしたい。

 

 一般の労働に従事できない、自力では生活が成り立たないほどに月経に苦しめられているのなら、それはもはや「月経障害」と言えるのではないかと思ってしまうくらいだが、残念ながら現在では月経による障害認定というのはされないため、おそらくはなんらかの精神疾患等として障害年金などを受給するという方法しかないのかなと思う。(これが出来る人とそうでない人がいると思う)

  生理の病的な重さによって一般就労ができず、セックスワーカーに従事したとしても、じゃあそれで50代60代までセックスワーカーをやっていけるかというと非常に難しい。こうしてセックスワーカーに流れた人の多くはおそらくはいずれ働くことができなくなり、生活保護にならざるをえないのではないかと推測する。

 この手の生理の話が話題にのぼると「病院で治療すれば」というコメントが散見されるが、病院では手のほどこしようがない病態というのは意外とたくさんあって、社会的な弱者とか就労できない人というのはそうした病気を抱えていることが多い。

 少し前、シロクマ先生のコラムで、このようなものがあった。

gendai.ismedia.jp

 シロクマ先生が「現代の話」をしているのは承知の上なのだけれど、私は「いや、昔の日本ってもっときついよなぁ」というのをどうしても考えてしまう。近現代のような福祉の発達していない時代には社会的弱者はもう相当な困窮を強いられていたのではないか。弱いものを助けるというのは社会にかなりの余裕がないとできない事で、これからの日本社会は以前のような余裕をさらに失って行くからおのずと過去へ回帰する感じになるのかなと思ったりしている。

この記事が出たころ、たまたま赤坂憲雄という民俗学者の『境界の発生』という本を読んでいた。 

境界の発生 (講談社学術文庫)

境界の発生 (講談社学術文庫)

  • 作者:赤坂 憲雄
  • 発売日: 2002/06/10
  • メディア: 文庫
 

 ここに、中世という、福祉のほとんどない社会において、弱者たちがどのようにその苦難と向き合っていたのかが描かれている。

疫病や不具は古くは悪霊(もののけ)の手で外部からもたらされる穢れであり、一定の服忌と禊祓によって払拭できる性質のものであった。しかし、仏教的な宿業観と結びつき肥大化した触穢思想に覆われた中世社会にあっては、前世・現世で犯した悪業が報いとして顕われた業罰として考えられた。

(『境界の発生』94ページ)

中世より以前にも疫病などが大流行したことがあったが、たとえば平安期の疫病の大流行は、「菅原道真公の怨霊によるもの」とされている。ウィルスという概念がないので、とにかく何かに原因を求めてしまった結果の「怨霊」である。

これが鎌倉時代になると、怨霊の仕業というよりは「お前の行いが悪い」という強烈な自己責任論になってしまった。何がどうしてこうなってしまったのかはわからないが、社会規範の変容があったようだ。

盲目、らい病、不具者など、弱者になった者はそれまで暮らしていた共同体を追われて流浪の民となった。このとき、彼らは自分の身を守るために僧侶の姿をすることが多かった。というのは、仏教国において僧侶は特別な身分であって、僧形であれば命を奪われることが少なかったからだ。仏罰をその身に受け、その罰を清算するための流浪の旅である。赤坂はこの流浪の旅を「穢れを浄化するための旅」としている。(なんか『もののけ姫』みたい)

個々人がどのように「仏罰」を受け入れて、そして共同体を去って行ったかまでは想像するくらいしかできないのだが、生すべてが仏教思想にもとづいて動く社会においては意外と割り切れた人もいるのかもしれない。障害や疾病を「罰」とする考え方は、公正世界仮説にも登場するものだが、私自身はこれも一種の障害の受容なのではないかと思うときがある。「障害者を受け入れられない社会が悪い」とか「障害を生かして前向きに生きよう」とかよりもよほどしっくりくる部分がある。何しろ1000年近く前なので現代とは社会のありようも価値観もかなり違っている。

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  鎌倉時代は絵巻が数多く製作され、現存するものも多数あるのだが、意外にも弱者の姿がしっかりと描かれている。(たまたま手元にあったので一遍上人絵伝から)

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これは『一遍上人絵伝』(1299年ごろ製作、国宝、清浄光寺蔵)の一場面だが、寺で畳を運ぶ顔の濃い人物が一遍上人、寺の床下には今にも死にそうな病人の姿がある。最期の場所を求めて寺院へたどり着いたのだろうか?親子?どんな病気?詳しいことはいっさいわからないが、一遍をはじめとする他の人物が何も気にとめていないところを見るとありふれた光景だった可能性がある。

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こちらも『一遍上人絵伝』から。神社とおぼしき鳥居のすぐ下でおそらくらい病と思われる人々が前に器を置いて物乞いをしている。らい病の人は病によって鼻が落ちてしまうのでこうした頭巾で顔を覆っている。それにしても神社のものすごい近くに居るが鳥居にかけこむ少年はとくにそれを気にしている様子でもない。

 こうした絵巻に登場する弱者の姿を見ていると、彼らは共同体からは「排除」されているものの、けして社会から排除されたわけではなかったのかもしれないという感じもしてきたりする。

  突如、月経の話に話が戻るが、近代以前に、「業病」と言われる「らい病」に、月経の血が効くという、トンデモな治療法があったらしい。月経血を服用するのかはたまた患部に塗るのか、詳しいことが謎なのだが、治療というよりは呪術の域を出ない。薬理効果はあまりないと思うのだが効いたのだろうか。

敬虔な仏教国である当時の日本において、女性が成仏できないとされたのは月経、出産にまつわる「血の穢れ」思想によるものが大きい。血が流れ出ることは死を強く連想させるからだ。「らい」もまた「穢れ」の一つであるが、穢れを穢れによって清めるという、対消滅のようなことが行われていたらしい。

それにしても現代のわたしたちは、それほど大きな「穢れ」を月経について感じてはいないだろう。中世を思えば隔世の感である。1000年近いのだからそりゃそうなのだが。月経について口にのせるのもはばかれる、という時代ではなくなってきたことは喜ばしい事であるが、まだまだ月経の医学的側面には謎が多く、いくら頑張って治療しても一般就労ができるまで回復しないという人もいるし、ピルだってすべての人に効果があるわけではない。中学生くらいで生理の到来とともにメンタルバランスを崩してグダグダになっていく人は少なからずいるし、健康な男性が基準とされている社会においては、より男性に近い肉体を持つ生理の軽い人がすべての面で有利なのはどうしてもあるだろう。子どもを生まなくなった現代の女性ならではの特徴かもしれない。

尻切れトンボ気味だがおわり。