けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

雑感(長文)

いつものくだらない書きちらしです。

昨年の年末、親しくしている友人に子どもが生まれた。

友人の夫は外国人で、人種的にはコーカソイドが黒くなったやつという不思議な風貌をした人である。生まれた子どもは一応、日本人とのハーフ(最近はダブルとか言うらしいが)になるのだけれど、新生児の今の時点では外国人の血が強く完全に外国人の赤ちゃんにしか見えなかった。

 私がびっくりしたのは、この旦那さんが、「子どもが無事に生まれたから」という理由で駅にいるホームレスのお爺さんに「いつもより豪華な贈り物をしてきた!」と嬉しそうに言っていたことである。私の周囲にはムスリムの人がほとんどおらずムスリムにこのような習慣があるということすらさっぱり知らなかったので、この話を聞いたときはかなり驚いた。日本人で「子どもが生まれたからホームレスにいろいろ贈り物をしてきたよ!」という旦那さんがいるだろうか。まずいないだろうからお国柄の違いってすごく大きいものだなと思ったものである。

この習慣を「ザカート」と言い、ムスリムのあいだではそれなりに一般的な行為のようである。

ja.wikipedia.org

 自分の子どもが生まれたことを祝って、貧者にいつもよりたくさんのほどこしをおこなった旦那さんの行動を私はすてきなことだと思った。妻である友人はムスリムではないのだが、彼女もまたこのことをすごく喜んでいた。願わくば日本でもこのような習慣は根付いてほしいと思うが、残念ながらそういう感じの風土でもない感じがする。そのあたりにはもしかすると日本の場合、根底に「貧困は自業自得」という感覚が強くあるのかもしれない。

先日、こんな増田があった。

anond.hatelabo.jp

 この増田については思うところが色々あるが、貧困研究の本を何冊か読んでみればわかるが、貧困と障害とには大きな関係性があって、そのあたりを無視して貧困についての話をしてもあまり意味がないよなというのが私の率直な感想である。

鈴木大介さんと阿部彩さんの本だったと思うが、貧困におちいって苦しんでいる人の先祖をさかのぼるとだいたい炭坑夫であるとか、肉体的に厳しく事故にも遭いやすく低賃金の仕事に就いていることが多いという記述があって、昭和の一時期が一億総中流とか言われたりして見えなかっただけで、日本って実はすごい階級社会なんだなと思ったりした。

貧困を救えない国 日本 (PHP新書)

貧困を救えない国 日本 (PHP新書)

 

 

「貧困」の逆で、経済学者の橘木俊詔という人がお金持ち研究をしていて、その本を読むとなかなか面白いのでご紹介しよう。一代で資産100億くらいを築いた人にインタビューを行うと、だいたいかならず「私は運がよかった」という答えが返って来るのだそうである。

橘木氏の本に『お金持ちになる人の特徴』というのがいくつか出て来るのだが『心身ともに強靭、運がいい』というのが特徴なんだそうである。これは言われてみればたしかにそうで、貧困におちいってしまう人の多くが「心身脆弱、運が悪い」とも言えなくもない。

私自身、貧困な人間であるが、やはり先天性の障害があるしその障害ゆえに心身ともに脆弱な身で、なんでこんなにというくらい病気ばかりしてきたのでなるべくして貧困なのだろうなと思っている。

日本のお金持ち研究

日本のお金持ち研究

 

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ところで、先日このような増田もあった。

anond.hatelabo.jp

このエントリにこのようなコメントがついていた。

「理解のある彼くん」は彼氏のことではない

毒親発達障害で苦しんだけど今は理解のあるパートナーのおかげで幸せですという体験記の作者はほぼ確実に女性

2021/01/18 22:04

b.hatena.ne.jp

 私自身がまさにこのパターンなわけだが、これについて軽く書いてみたいと思う。(あくまで個人的感想ですが)

 発達障害の女性がパートナーを得て幸せになってそれを体験記としてブログに書く話はよくあるのだが、じゃあ逆はなぜないのか。私も時折不思議には思ったりしていたのだが、やはり、まだまだ「男が女に養われている」というのを恥とする風潮は強くあって、それを発信するという感じにならないのではないかと思う。日本の賃金格差はまだまだあって大人の男性一人を養える経済力のある女性の絶対数が少ないのもあるだろう。

一方で夫に養われる妻の場合、それが「恥」という風潮にはまだならない。私を理解してくれる夫が現れて私を救ってくれた!という、ちょっとシンデレラストーリーのような側面を持っているので、そちらに目が行きがちになるのがあると思う。

 

 世の中には「発達障害の男性と結婚した妻の発信するブログ」というのもあるのだが、そのうちのかなりの割合が「カサンドラつらい」になってしまって「離婚」の文字が踊っているのを見ると、たしかにこれは非対称だなと思う。

でも中には「発達障害の夫を支えて頑張っている」というブログもあるのだが、じゃあそれが注目されるかというと、「夫に救われた系」に比較するとそれほど注目されているとは思えない。女性側からの発信にシンデレラ的要素で華やかなところがあって、支える妻には「糟糠の妻」的なイメージになってしまうのかもしれない。

hattatsu-spouse.blog.jp

  私の生家は、私の父親が年代的に診断は受けていないものの確実に発達障害で、母親はそれをずっと50年近くにわたって支えてきた。

金銭管理がほとんどできない特性を持つ父のかわりに家計管理をし、田舎とはいえ小さな一戸建ての家を建ててやりくりをし仕事をし、健康に気を配った食事を常に作り続けて、そのおかげで父はかなり健康体だ。だが父親が「自分は発達障害だけど妻のおかげで生きている!」という発信をするかというとちょっとこれは考えられない。父親は自分の障害を自分で認めないだろうし、何よりも妻の妻としての働きを評価していないからだ。

 

発達障害で苦しんだけど今は理解のあるパートナーのおかげで幸せですという体験記の作者はほぼ確実に女性」という主張は、文脈的にどうしても「だから女はズルイ」というところに行き着いてしまいがちなのだが、このタイプの発信をする男性発達障害者は発言時、自分が思うようなパートナーを得られていない場合が多い。

 私は以前から、生物学のとある一説である、「♂は個体差が激しく生まれ、♀は平均に近い個体がもっとも多く生まれる」という説を強く支持しているのだが、これは人間にも、もちろん発達障害にもあてはまる。発達障害の女性に比較すると発達障害男性は症状の開きも大きく特性も個体差が激しい。それなりの収入を得ていて結婚して子どももいて…という発達障害男性がいる一方で、パートナーもおらず低収入で仕事も転々というような人もいる。

 以前、このブログにブコメだかなんだかで私が発達障害なのにパートナーを得て結婚していることを揶揄されて「まんこパワーすごい」というコメントをされたことがあった。これは裏返せば「俺だってちんこあるだけで女に養われたい」という意味である。

発達障害の女性が通常の仕事で働く事ができず性風俗などに従事する話は有名だが、それはたしかに「まんこパワー」なのかもしれないが、逆に男性が女性相手の性風俗に従事しようとなると相当に高度なコミュニケーション能力が必要とされるという話を考えると、男女は本当に非対称な生物であるなと思う。

 弱者男性といえば、発達障害で生まれ10代なかばで統合失調症を患った私の兄もまた「弱者男性」にバッチリあてはまるわけだが、不思議なことに兄は「若い」だとか「きれい」だとか「巨乳」だとかそういうものを女性にほとんど求めない人だった。

だいぶ昔の話になるが、兄は一時期障害者の作業所に通っていて、そこで知り合った女性を家に連れてきたことがあった。対応した母によれば「歳は多分45歳すぎくらい。知的障害のあるデブな人」だと言っていた。このとき兄はまだ20代だったので、この人選に母はかなりびっくりしたらしい。

その女性はほがらかな人でいつもケラケラと笑っていて、一緒に笑う兄も幸せそうだったという。ところがやっぱり兄の病状が悪化してしまい色々あって二人は別れてしまった。「別れたらしい」という話を聞いて、そうかぁと思ってしまった。やはり障害者同士となるとお互いに生活力がないし(兄は一度たりとも経済的自立をしたことがない)、たしかにこれはどうするのが良いのだろうかとちょっと考え込んでしまった。この彼女は兄の初めての彼女だった。

 

発達障害かつ弱者男性はどのように救済されるのが一番幸せなのだろうか?ロールモデルがない中でむやみにシンデレラ的な願望を持ってしまうとなかなか大変そうだと思う。

 

 

なんとなく尻切れトンボになったが、おわり。