相変わらずの文章垂れ流しをします。中盤少し鬱ぽい記述があるかもしれないので、いやな人はリターンしてください。
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少し前になるが匿名ダイアリーでこんな増田があった。
私は同じく40代なのだが、実はこの増田と同じことを私も思っていた。それどころか、私は増田とは違って子供がいないので、正直、親を看取ったらもうさっさと死にたいなーくらいの感覚だったりする。子供がいたら「成長を見届けたい」とか「孫を見てみたい」とかがあったりするんだろうけれど、私の場合それらはほとんど叶わないので、それほど長生きしようとかいう感じもない。
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そこそこ長く生きていると、同じ人の人生をも同時に見ているわけで、「この人はこういうタイプの人なんだな」というのがわかってくる。「どうもこの人はタイミングが悪い人だな」とか、「貧乏クジ引きやすい人だな」とか、努力とはまったく別の次元で、なにかの大きな流れみたいなものが働いているのを感じるときがある。
私はここぞという大事な場面でプレッシャーから体調を崩してしまうことがトコトン多くて、さすがにそれが重なるともう変な挑戦はやめとこうという感じになるし、先方に迷惑をかけないためにはじめからリスキーな行動はしない。
こんな調子だ削ぎ落とすかのように自己肯定感がなくなっていって、体調が安定した人とはかなり大きな差がついてしまう。知人の多くは体調が安定して働けている人なので、40代ともなるとキャリアの差が激しくついてしまって落差がすごい。
しかし40代ともなると自分がポンコツなのはすでによく知っているから、それほど大きく落ち込むことはなく、なるようにしかならないという諦めを持ちつつ生きていたりする。
全教員に読んでほしい pic.twitter.com/0ne1lyWdvv
— アイムフリー☺︎ (@TeacherhaGreat) 2021年2月23日
最近見かけたツイッターであったやつ。
ただ、この漫画を読んで私が思ったのは、私みたいな強烈な無能人間からすると、「手を抜いても遂行できる」というのは、それだけその人の能力が高いんじゃないかと思うんだ。本当に無能だと、人が見ている見ていないに関わらずどんだけ頑張っても仕事が終わらないし、失敗を繰り返したりして周囲への迷惑のかけっぷりも半端ない。
私も本当に生真面目なタイプなんだけれど、すごく真面目なのに周囲に迷惑をかけてしまうというのが身を切られるように辛い時がある。中高年引きこもりとか、そのタイプの人ってこういう、「真面目だけど働くと周囲に迷惑をかけてしまうのでだんだん居場所がなくなって、結果的にそうなってしまった」という人も多いんじゃないかなと思う。
私も今、引きこもりに近いような生活を送っているけれど、生真面目なところも体調が安定しないことも自分が選んでなったわけではない。ここは自分に科せられた業なんかなと思っていたりする。
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私が、「人生ってかなり運なんじゃないか」と思ったのは、とあるニュースを見たことがきっかけである。
甲子園に関するニュースで、とある学校がお昼に寮母さんの作ってくれたおにぎりを食べたところ、多くの部員が食中毒を起こしてしまい棄権して敗退したというのがあった。このとき、たまたまおにぎりを握った人の手に傷があってその傷に絆創膏を貼っていたらしい。その状態でおにぎりを握り、さらにはおにぎりが冷えないようにとわざわざケースにお湯を入れたペットボトルを一緒に入れて保温していた。
それを食べた部員がバタバタと食中毒に倒れた。部員は誰一人悪くないのだが、あっさりと敗退が決まってしまった。試合をやり直すわけにはいかない。これまでの苦労が完全に水の泡である。寮母さんは部員たちを食中毒にしようなどとは思っていない。むしろ温かいままでおにぎりを食べてほしいという思いやりが皮肉にもこの結果となってしまった。部員からすればここまで忸怩たる思いというのもないだろう。中には「これが最後」という人もいただろうから、部員たちの悔しさたるや想像するだに泣けてくる。
しかし現実は残酷だし待ってもくれない。このあたりから、人生って運の要素がかなり大きいんじゃないか?と思う感じになった。
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10代、20代くらいのときは自分の事ががうまく客観視できない。頑張ればもうちょっとイケるんじゃないかと思いがちである。とくに私のような発達障害の場合、見た目が普通なので自分がポンコツなことがわからない。周囲ももちろんわからないので色々な仕事を振ってきたりもするのだが、どうしても上手くいかない。
私はこの外見とのギャップに散々苦しめられた。
ところが40代ともなると全体的に雰囲気が落ち着いてきて、タフそうに見られることがかなり減った。これはものすごくホッとした。人は視覚が強い生き物だから、呪縛から解放されたような感覚も持っていたりする。
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発達障害は、当事者がどうそれを捉えるかというのは人によって違うのだけれど、やはり健常者の人には届かない壁というものはあって、なんとかそれを受容しながら生きていくしかないのだろうと思う。
自分の人生というのを振り返ってみると、なんだかもう病気のオンパレードで、ちょっと笑ってしまうくらいなんだけれど、これはこれで仕方がない事だなと受け入れていくしかない。
私自身は子供の頃から感受性が強い子供だったんだけれど、このサイトだとHSPとアスペルガーは別のものだとはっきり書いてあるんだけど、私はIQの高低差が凸凹がすごいし、一方でHSPも確実にあるんだよなぁ。なんなんじゃこれは。アスペルガーかつHSPというタイプなのだろうか?
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それにしても40歳でやっと人生の折り返し地点?なんだかとても信じられない。
私は自分が一般的な平均寿命まで生きるとはとても思えないけれど、40歳だとこれからやり直しとかほとんど無理なのに、それを抱えたまま長く生きなきゃいけないのもしんどいと思うわー。
スピッツの『楓』という曲に「人と同じような幸せを信じていたのに」っていう歌詞があるんですけど、40前後だとこういう風に思って生きている人とか結構いそう。
ようつべ貼るのってダメなんでしたっけ?ダメだったらあとで消します。
とりあえず自分は「ポンコツな人」としてこれからも生きていきたいと思いますが、やっぱり限界がきたら安楽死したいと今でも思ってます。
なんか適当な文になってますが、おわり