けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

弱者男性論かいわいについて思うこと

久々にブログを書きます。

 

 最近、弱者男性論ではてな界隈が盛り上がってるなぁとか思いながらポツポツと読んだりしている。一番最初の発端の記事がなんだったかもう遡れないくらいなのでここではリンクは貼らないが、何人かが指摘していたけれど、「弱者男性」の定義がどうもいまいちはっきりしない。「社会的弱者」と「恋愛弱者」が混同されていると感じる時もある。

私は個人的には、「弱者男性」と言うと社会的弱者を思い浮かべることが多く、さらにいうと、社会的弱者男性はおのずと恋愛弱者にもなりやすい。

 

 私の場合の「弱者男性」の定義は、「なんらかの障害を持っていて、無職もしくは年収100万〜150万前後、一人での生活が困難等のハンデキャップがあり、そのことによって生きづらさを感じている」という感じである。だから、「年収900万ある彼女いない歴=年齢の童貞男性」みたいなのを弱者と言われると、「え、そうかな」という感じがする。それは「恋愛弱者」ではないのかなと。

 もうずいぶん昔の事になるが、まだ大学生のころ、おそらく発達障害と思われる男性と付き合ったことがあった。(私自身も発達障害なのだが、発達障害同士は惹かれやすいところがあるので、おそらくこの彼氏はなんらかの発達障害ではないかと思う)

彼氏は大学生だったのだけれど「授業がしんどい、人付き合いがしんどい」と言って不登校になり、あれよあれよと引きこもりになり、ネットゲームにズブズブと溺れていった。

その頃の私は夢みがちな女で、「この人を支えてあげたい」と思っていた。メンズリブ的な発想で、男の人だけが負担をかぶるということに違和感があった。

その頃「ミクシィ」というSNSが全盛期だったのだが、ひょんなことから「男性が弱くてもいいじゃないか」というような謳い文句の非公開コミュニティを見つけてそこに参加してみた。 そこで「彼氏を支えたいと思います」というような挨拶をうかつにもしてしまったところ、即座に「俺にもやらせろ」というメッセージが複数飛んできた。

そのコミュニティをよく読んでみると、要するに「自分の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれて稼いできてくれるおまんこが欲しい」という願望の人が集まるコミュニティだった。女性の人格などほとんど認めていない、ただの女体好きな(自称)弱者男性が集まっていた。そんな場所に彼氏持ちの女が入っていっても「おまんこがしゃべった」としか認識されない。私はびっくりして早々に退会してしまった。

女性の人格を全く認めず、おっぱいと女性生殖器のことしか頭にないような男性が人として魅力的であるわけもなく、それゆえにパートナーを得るのが難しいのだろうけれど、そのような男性は自分が「おまんこ」しか見ていないので「俺にはちんこがあるから、それだけで愛されたいんだ」と思っていたりして、あんたたちはどうしてそう、性的なところから離れられないんだ!と思っていた。

もちろん全ての弱者男性が女性を生殖器としてしか見ないというわけではないのだが、何割かは確実にこのタイプの人が含まれているために、弱者男性嫌悪というのはこの辺りに原因があるのかもしれないと思ったりする。

 

ちょっと話が逸れるが、少し前、橘玲の『女と男 なぜわかりあえないのか』という本を読む機会があった。 

女と男 なぜわかりあえないのか (文春新書)

女と男 なぜわかりあえないのか (文春新書)

 

 この本によれば、女の人が思う以上に男性は性的なことで頭がいっぱいであるし、性的なパートナーを得られないことは(女性が思うよりはるかに)苦痛極まりなく、社会的にも惨めな立場に置かれてしまう、というようなことが色々と書いてあって、女性の感覚と男性の感覚はこれほどまでに大きく違うのだというのがこれでもかと書いてあった。

 私の付き合っていた大学生の彼氏は、その頃ブログをつけていて、「彼女さんにこう言われました」というようなことをわざと匂わせて書いていた。するとそのブログに対してネトゲ仲間の連中がザワザワして、「あいつ彼女いるんかよ…」となっていた。そのとき私は、この人にとって「彼女がいる」という状態そのものが何かしらの支えなのかもしれないと感じたのを覚えている。

 

 結局、この彼氏はネトゲ依存があまりにも酷くなり、ゴミ溜めのような部屋で昼夜逆転生活、そのまま大学を中退、遠方の親御さんに引き取られて故郷へ帰っていった。

私は2年ほどこの彼氏に付き合い続けたが、2年にわたりネトゲを優先した彼氏と徐々に話も合わなくなってしまい、ペットボトルに尿を溜め出したのを見て「もうダメだ」と思ったのを覚えている。

 最近、広告で見ただけなのだが、「ケーキの切れない非行少年たち」の宮口先生が、新たに別の著作を上梓されていることを知った。

 私は、弱者と呼ばれる人のうちの何割かは発達障害や境界知能の可能性があるのではないかと思っている。発達障害と境界知能を合わせると、人口のうちのかなりの割合にのぼるからだ。私の元彼氏は完全なネトゲ依存症だったが、依存症になりやすいのもまた発達障害の特徴である。この本は是非とも読んでみたいと思っているがなんとも複雑な気持ちになりそうな本でもある。

 ところで、男性は別に弱者ではなくとも、家事育児を妻に押し付けてしまい、自分は何もしない「産んだ覚えのない長男」になってしまうのはちらほら聞く話である。私の知人も何人かこれで離婚している。

「支えられたい弱者男性」というのは、「好きな時間に寝て起きて全く働かず、好きな時間にゲームをしてアニメを見て、お腹が空いたら彼女にご飯を作ってもらってそれを食べて…」というような生活を願望として持っているようなところがあるのだが、いざ、「理解ある彼氏くん」を得た女性というのは、確かに社会的には弱者ではあるのだが、家事はこなしていたり子育てしていたりする場合が多い。 

女性側にも「できるだけ何もしたくない」という怠惰タイプの人がいて、「旦那が働いてお金稼いできて私は一日中ゲームしてる〜。あ、旦那が家事もしてね」という人がいないわけではないが、女性には家事を期待される場合が多いので、完全に家事もやらずにずっと遊んでいると呆れた旦那に離婚されてしまったりする。

弱者女性かつ怠惰なタイプの人はいないわけではないが男性に比べると圧倒的に数が少ない。だからこのようなタイプの女性が発信する情報というのはほとんど見たことがない。

統計を取りようもないのであくまで個人的感覚なのだけれど、生活が破綻するレベルの弱者女性は弱者男性に比べるとそこまで多くない印象である。

 

「産んだ覚えのない長男」というのをTwitterで検索してみるとまぁ出るわ出るわ。何がすごいって、これらの人々は別に弱者男性ではないということである。

自分もアラフォー世代なんだけれど、このくらいの年齢の男性で家事能力が壊滅的にないという男性はさほど珍しくない。

nikkan-spa.jp

弱者男性のみならず、弱者の人が恐れるのは孤独死であって、でも、このレベルになると弱者がどうというよりはセルフネグレクト状態になっていて、その間、誰にも助けを求められなかったことが大きな問題だろう。

弱者男性はそうではない男性よりも、より孤独死に近い距離に位置しているのは明らかで、将来的な不安を強く持っているが、それに対しての処方箋は何もないのが難しいところである。

かくいう私もバリバリの弱者女性だから、夫が亡くなったりするといつ何時孤独死まっしぐらになるかわからない。いつまでも永遠に健康で生きるというのはあり得ない話だから、どのようにその時を迎えるかというのをこの頃はよく考えてしまう。

 

 

 

最後は尻切れトンボ感があるが、終わり。

後でもうちょい推敲します。