けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

しんどい

昨夜から頭の中がグルグルしていて劣等感になやまされている。

 

ところで、シロクマ先生が少し前にこんな記事を書いておられた。

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

これについたコメントがなかなか鋭かった。

発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れない - シロクマの屑籠

発達障害者は過去においては『変わり者』として社会に包括されていた」という見方はあまりにナイーブな気がする。普通に邪魔者として排除され、人知れず貧困や阻害の中で死んでいったのではないか。

2017/07/04 21:41

b.hatena.ne.jp

 

私の母は70ちかい年齢なのだが、母がまだ子どものころ、少し知恵遅れみたいな人が季節ごとにぐるぐると地方をまわりながら農家のそのときに必要な仕事を日雇いで引き受け、いつのまにか別の土地へ移っている。そういう人たちが少なからずいたらしい。

 

かつての日本は今と少し仕事の形態が違う。パソコンもないしスマホもない。

だが体が強ければなんとかなった。そういう側面があったと思う。

どの時代にも貧者やスネに傷のある人物はいる。

どうしても働くことができない者、社会に適応できない人がいる。

 

 

少し前まで、好きなブロガーさんがいた。

その人はいつも率直でしっかりした文章を書いておられて、ああそうか、と気づかされることも多いブログを書いていた。その人の私塾に通おうと思ったこともあったが、どうにも言葉がきつい。もし私塾へ行ったら私はこの人に傷つけられてしまうのではないかという危惧があった。それで結局私塾へ行くことはなかった。

 

女友達がこのブロガーさんの私塾へ行った。しばらくとても楽しそうだったが、

ブロガーさんが、「キラキラ起業女子」をきつく批判する文章を読み、自分のことかと勘違いしてしまった。するとそのブロガーさんは「あなたじゃない」と言ってきたが

その後のブログで「勘違いしたバカ女」というエントリを書いておられた。

もちろんそのバカ女=私の女友達ではない。だけど、勘違いを加速させてもおかしくないタイミングだった。とても良い関係だった(と、ハタからは見えた)二人は、結局たもとを分つことになってしまった。

 

先日、そのブロガーさんのブログをちらっと読んだ。

「自分よりも圧倒的な才能のある人を目の当たりにしたとき、あなたはどうするか」ということが書いてあった。

私はもともと自己肯定感もなく、自分に自信がないタイプだ。

だから自分よりも圧倒的な才能を隣人に見いだしたとき、たいていは逃げ出してしまう。強い劣等感を持ちながら同じフィールドで闘い続ける意味を見いだせないからだ。

私のようなタイプの人間に対してそのブロガーさんは「このタイプは努力から逃げているだけ。早く人生を終わらせろ」と書いていた。

 

以前、「無能な発達障害者だが安楽死させてほしい」というエントリを書いたことがあるが、これは私がつねに心のうちに抱えている闇であって、どこかでこの気持ちに強く縛られているし、できることなら早く人生から降りたいと思っている。

 

やはり一定数、生きるが苦しい、どうにも社会にうまく適応できないという個体は存在する。

オランダでは精神障害認知症でも安楽死が認められるようになったという。

日本は遅れていると強く思う。

 

 

 

 

 

おわり