けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

母親がキ◯ガイすぎて死にそうになっている話

もう12月になってしまった。この間に実にさまざまなことがあった。

長くなるのでかいつまんで書くと、

・父の脳出血のリハビリ専門病院に移った。介護タクシーでの転院を初めて経験した。

・この前後で母親が狂っていることがあちこちで足を引っ張られてしんどい。

・父、リハビリ病院で肺炎を起こし、治療ができる大学病院へ緊急搬送

・父、肺炎は良くなったが、相変わらずウェルニッケ失語状態 ⇦今ここ

 

◾️

9月はまず脳出血脳梗塞の患者を対象としたリハビリ専門病院を選ぶところからスタートした。

父の面会でパジャマなどを引き取ってきたあと、電車を乗り継いで、ソーシャルワーカーさんから紹介されたリハビリ専門病院に見学に行く。リハビリ専門病院では365日リハビリをしてくれるが、それなりの期間お世話になるので、あまりにひどい環境は避けたいところ。見学時は家族面談を兼ねていて、家族の背景みたいなのも結構聞かれる。

 

A病院:とんでもなく劣悪だった。日が当たらない、窓が狭い、暗い、臭い。ここは監獄だと本気で思った。実際、事故などを防ぐために建物の外には出られないらしい。暗さ、狭さ、院内のごちゃつき、ひどい悪臭に怖くて二度と入りたくないと思った。

が、しかし。母の意見は「劣悪な環境の方が早く家に帰りたいとなって、リハビリを頑張るからそこにしましょう」と言うのである。

元々、母と私は脳の思考回路がかなり違うので度々衝突してきたが、ここでこんな話になるとは。

 

B病院は私が一番気に入ったところで、綺麗、清潔、明るくて広い、リハビリ室がとても広くてスペースが広い、全体に明るい雰囲気。母は「この病院は在日だ、ソウカだ」と見てもいないのにギャーギャー。

 

脳出血で入院している病院には期限があるのでどこかに転院先を見つけなければいけない。しかしA病院は絶対に嫌だ、こんな場所だと父も参ってしまうと思い、母に隠しながら父の転院を決行した。幸いにしてB病院で父を受け入れてくれたので、介護タクシーを手配して転院の手続きをした。父と一緒に介護タクシーに乗りながら泣いた。

 

B病院は良い病院だった。

本当にここは良い病院で、非常にありがたかった。父は病室でいつもニコニコしていて、スタッフさん達からも「いつも笑顔で可愛いおじいちゃんね〜」という感じでとにかく笑顔が嬉しそうだった。頻繁にお風呂に入れてくれて、部屋も常に暖かい。ここで10月半ばから11月末までを過ごしたが、父はとても元気になって来ていた。私は週に2〜3回のペースで面会に行き、父の知人達もよくお見舞いに来てくれた。

母は見舞いに来なかったので、病室から電話をしたり、写真を撮って送ったりしていた。

母が見舞いに来たのが11月30日だった。私が病室で父に話しかけたら突然打たれた。私の態度が気に食わなかったらしい。実に母らしい行動だ。理学療法士さんがぶったまげていた。父はこのあたりで肺炎になっていて、笑顔が全く出なくなっていた。

 

◾️

母の考えでは、父は脳出血から奇跡的な回復をして、また元の生活に1ケ月くらいで戻れるだろうと考えていたらしい。ここもまた母の思考回路のおかしなところで、8月に死ぬほどの状態になったなら回復に時間がかかると思うのが普通では?と思うのだが、

母の考えとしては「死ぬ寸前まで行ったのが生きているのだからそれだけ回復が早いはずだ」という考えがあるらしい。「それってアナタの感想ですよね」という感じだ。

 

 

なお、父の脳出血はこんな感じで、脳CTを見慣れた人ならば、この状態から回復するのは相当大変だろうというのは肌感覚的にわかっていただけると思う。(母はその辺は全くわからないし、何ヶ月も認めることができなかった)

さて、ここまで父の脳は激しく出血しているのにも関わらず、ごく一瞬だけかつての父に戻る時がたまにあるのである。こういうとき脳で一体何が起きているのだろうか。非常に不思議だ。

父は脳出血で初めに運ばれた病院で、一瞬かつての状態に戻り、看護師さんに「なぜ私はここに?」と尋ね、看護師さんが「あなたは脳卒中を起こしてこちらに運ばれたんですよ」と言うと「そんなに重症だったのか」と呟いて泣いていたそうだ。

私は父が泣く姿を見たことがない。父は心身ともに強靭な人だった。

しかし強靭な人が脳の一撃でこうまでなってしまうと、本人のダメージもすごい。

私は病室で正気に戻った父が「もう終わりにしたかった」と言うのを2回ほど聞いた。

私は元々安楽死賛成派なのだが、父がこのような状態になって、よりいっそう、安楽死はあるべきではないのかという思いが強くなった。

 

今の父は、左の脳の出血によって、右半身の麻痺、右目と右耳の機能失調、ウェルニッケ失語、そしておそらくだが脳出血が視覚処理の分野にまで達しているので、目に見えたものを情報として正しく処理できているかもわからない。歯はほぼ全部入院中に抜かれてしまったので自分の口で食べ物を食べることはほぼできない。ので、常に鼻から管を入れて経管栄養をしている。自分でトイレに行くこともできないし、その意思を人に伝えることもできない。 

父はかつて好きだったアクティビティは何もできなくなってしまった。

だから意欲的でもないし、鉛のように重くなって痛む体がつらそうだった。

母はそれを全部病院のせいだと思い込んで退院したB病院にクレームの電話をかけていた。

 

◾️

12月8日に、父が肺炎で入院した病院で、脳神経内科ドクター、ソーシャルワーカー、看護師、私(と夫)、母が集まって、父を次にどこの病院へ移送するかという話し合いがあった。この話し合いでも母が暴走というか、本当にドクターの話を全く聞いておらず、とんでも発言ばかりをした挙句、勝手に帰ってしまった。これはドクターもあかんと思うのだが、胸部CTの画像を、本人は見慣れているので説明しない。すると胸部CTの画像を、母は脳のCTだと思っていた。おまけに、母の中で勝手に、「お父さんは肺炎になったので、肺から脳に膿が飛んで、そのせいで脳の状態が悪化した」と勝手なストーリーを繰り広げていた。

この時のドクターはかなり若い人だったのだが、まぁこんなとんでもない気狂い婆さんに会ったことはなかなかないだろう。めちゃくちゃ声が大きくなって、明らかに怒っていた。話し合いに出席してくれた夫は怒りで奥歯を噛み締めてすごくきつかったと言っていたし、「あんな気狂いな人見たことない」とよく言うようになった。いや私も以前から母はおかしな人だと思っているが。

話し合いが終わった後、ソーシャルワーカーさんがポツリと、「お母様、何か診断受けてらっしゃるんですかね…」。

母は年齢的に診断を受けていないだけで、おそらく発達障害×自己愛性人格障害だと思う。

 

そして、今日、先ほどB病院に対して母が医療費を払っていないことが発覚した。

母曰く、「お支払いのご案内っていう紙はきたけど、請求書ってどこにも書いていないので払っていない」だそうである。

 

本当に本当に疲れた。

 

 

終わり

こんな夢を見た

今朝、うっすらとこんな夢を見た。まだ3歳か4歳くらいの幼い私と妹が遊んでいるところを父がすごく嬉しそうに眺めているという夢だった。

 

起きて、ああもう父の魂は天国にあるのかなと思ったりした。

 

◾️

8月の末のことだ。父は北海道から帰宅して2日後だった。母からメールが来て、「お父さんが具合が悪いので救急車を呼んだ」と言われた。父は脳出血を起こしていた。

 

2年前に癌が発覚してその間に心臓の手術をして、ここへきて脳出血となり、もはや役満みたいな状態になってしまった。

病院へ駆けつけて聞いた父の容態は想像をはるかに超えて悪かった。

左の脳のかなりの部分に出血を起こしていて、左半球にある言語野、ウェルニッケ野というところがやられてしまっているとのことだった。

ドクターから説明を受けながら、ああ、学者は脳が商売道具なのになと、そんなことを考えていた。

 

その後、しばらく危篤状態が続いた。私と母は話し合い、もし脳出血が脳幹に達しても、手術や人工呼吸器はやらないでくれとお願いした。植物状態になって生きることに父が喜ぶとは思えなかったからだ。病院から私の携帯に何度も電話が来て、そんな話し合いをした。数日、寝たのか寝てないのか記憶も定かではなく、いつ「ご臨終です」という電話が来るのかヒヤヒヤしながら過ごしていたらげっそりと痩せていた。

 

父は一命は取り留めたのだが、脳に障害を負ってしまったので、なんだかすごい状態になってしまった。今は私は3日に一度の割合で病院へかなりの時間をかけて行き、オムツや日用品を補充して、言葉を発せられなくなってしまった父に大きな声で話しかけて、整容をして帰るという日々を送っている。

 

父は所属する学会から英語の本の依頼を受けていて、数百ページに及ぶ英語の本を書き上げたところで、その推敲をネイティブの知人の学者さんに頼んでいるところだった。

だから病院でソーシャルワーカーさんにそのような話をするとすごく驚かれた。ソーシャルワーカーさんは言葉を話せず、目線も定まらない父の姿しか知らないからだ。

 

父がまだ生きていてくれるのはありがたいことだとは思う。しかし、あの姿で生きることに父が喜びを感じるとはとても思えない。海外を飛び回り、あちこちを見て周り、それをどんどん論文や本にするのが父が生きる姿だった。

 

◾️

8月の12日に、父が我が家に泊まりに来た。その時に、私は父に障害があることを打ち明けた。知能検査をしたら見事なまでに凸凹だったこと、その凸凹が学習障害に関係しており、そのことで勉強が全くわからなかったこと。

父はしまったという顔をして、申し訳なさそうにしていた。

脳出血のつい先週くらいにそんな交流ができたことは、神様の粋な計らいという感じがした。

 

 

ねねさん、お惣菜屋さんをする妄想をする

少し前、こんなダイアリーがあった。

anond.hatelabo.jp

昔はこのブログではお弁当の記事がかなり人気だった。相変わらずコツコツとお弁当は作り続けていますが、結局のところ作るのが好きなのでしょう。

そんな私は、最近ニトリのこいつにハマり、この容器に入れて保存をしたいという理由で、お惣菜をせっせと作っています。

www.nitori-net.jp

お弁当の常備菜にもこの容器が大活躍。普通にラップをかけて保存するよりもっと長持ちしますから、お弁当の副菜の保存容器としても非常に助かるわけです。

ただし大きい容器は蓋が割れやすい。私ももちろんバッキバキに割りました。

 

私の朝のお弁当ルーティンは、卵を焼いて常備菜おかずをちょこちょこと入れ、メインおかず(これは冷凍食品のこともあるし自作冷凍おかずとかもあるのですが)常備菜で色々入っていると手作り感がかなり出ます。

 

▪️

さて、皆さん江戸時代にあったアサリ売りをご存知でしょうか。

アサリの佃煮とかしじみの煮たのを小皿に入れ、それを大きな平たいザルみたいなのに乗せて棒で担ぎ、長屋のところを練り歩きながら売る。声を聞いた長屋のおかみさんが窓からチョイと呼びつけて、小皿に入ったおかずを自宅にある自分の皿に移し、小皿を返してそれで終わり。

これを初めて知った時、なんて合理的なのか!と思ったことがあります。

現代の人たちはすごく忙しいのになぜこのようなものがないのか。もし自分がお惣菜売りをするとするならば、やはりこれに似た感じにしたいと思うわけです。

 

玄米パンのホヤホヤ〜みたいな感じで、リキシャみたいなものに冷蔵庫ぽいケースをつけて人が集まる場所とか駅とか幼稚園の前とかそういう場所で売っていたらわりと良いんでないか、探してみたらそれっぽいリヤカーとかもあった。

こちらのサイトから持ってきました。こんなのあるんやねえ

ウッドデザイン賞 受賞作品データベース | 多摩産材リヤカー屋台 2020年受賞 受賞

 

さて、このリヤカーでどんなふうに売りましょうか。完全に妄想ですがいやー楽しいですね。では次に売っていきたい惣菜を並べてみよう。

▪️

これは人参ラペです。よく弁当にも入っている。オリーブ油とカンタン酢と少しだけ白ワインで味付けしています。最近はアーモンドを混ぜるのにハマっている。他にくるみ、レーズンとか混ぜても美味しい。

 

さつまいものレモン煮。はちみつとレモンだけで煮るんだけど美味しい。

 

キャベツとひよこ豆のサラダ。少しだけディルで風味をつけている。フレンチドレッシングぽいやつにマヨネーズ入れて和えている。

定番、切り干し大根の煮物。ただ煮てればできるのでそんなに手間はかからない。

オーガニックの切り干し大根がすごく甘くて好き。

 

これは一時期めっちゃブロッコリーが安かったのでその時期にハマっていたサラダ。

ブロッコリー、枝豆、ツナをピエトロドレッシングで和えてるだけ。

アボカドを入れてもすごく美味しかった。

 

肉じゃが。説明はいらない。出汁を使うと美味しい。

 

すげー蓮根が変色してしまった煮物。これでは売り物にならんと思うで

ちくわは紀文のやつがうまい。

 

もやしときゅうりとハムとほうれん草を使った中華風のサラダ。

 

▪️

とまぁ、こんな感じでお皿からトングか何かでとってほいと。

いやー、お惣菜ってええですねえ。

これを見てわかるけど、肉肉しいのがなさすぎ。肉は単価が高いから鶏肉やな。

 

 

まだまだ楽しい妄想はあるけど、長くなるので終わり。

ものっそい久々のブログです

本当に久々にブログを書いてみることにする。

と言うのは、また夫が具合が悪くなってきて、その辺の気持ちを整理したいと思ったからだ。

振り返ってみたら、このブログの最後の日記が2023年の冬だった。本当にはてなブログがあって助かる。

 

さて、その後2024年の冬くらいからだろうか?夫は酒を飲んで暴れるのは落ち着いたが、「もしかしたら双極性障害なのでは?」と思うようになってきた。

双極性障害は感情のコントロールが効かず、躁と鬱を繰り返す病気で、作家の北杜夫がなっていたとか、私にはその程度の知識がなかった。しかも躁状態の時は猫ミームのハッピーハッピー猫みたいに楽しいのかなと勝手に思っていた。

 

過去の日記に書いてあるが夫はうつ病になって一度会社を1年休職した。

その後も薬を飲みながらなんとか会社員を継続しているのだけれど、最近もう限界を感じてきている。

夫はコロナ罹患後に極端にキレやすくなった。突然激昂したかと思うと次の日には「俺はもう終わりだ」とか「保険金がこれくらい入るので俺がいなくてもよろしく」「エジプトへ行って死にたい」などと言ってきたりする。

この辺で私は初めて「躁状態=激怒の状態」というケースがあるのを知った。

 

で、激怒というのが、こちらも理解できるような納得いく怒りなのであれば、なるほどと思えるのだが、激怒の理由がさっぱりわからない。

例えば、「ローソンで199円のコットンを買ってきて欲しい」と頼んだら、買ってきてくれるが怒っている。夫なりに理由があるのだとは思うが、こちらは何が怒りポイントなのかがわからない。後から聞けば「10年以上前にお前に買い物を頼まれて、なんで俺がと。こいつは頭がおかしいんじゃないかと思った」と言ってくる。つまり過去にあった怒りに対して激怒しているのである。

 

夫はアスペルガーの特性を持っていて、その特性や感覚過敏は私とは違うタイプのものなので、最初はほとんど気が付かなかった。

私はアスペルガーの割にあまり嫌だった記憶を引き摺らないタイプで、トラウマがないわけではないがかなり忘れっぽいたちだ。一方で夫は辛かったこと、嫌だったことを長年ずーっと引きずって気持ちがつらいらしい。

夫はASDの素質がベースにあり、そこから二次障害として双極性障害を発症してしまったと考えるとかなりしっくりくる。

 

夫のうつ病の主治医に「双極性障害ではないか?」と聞いたこともある。やんわりと否定されてしまったが、双極性と考えると当てはまる箇所が多い。

双極性障害うつ病と間違えられやすく、双極性と判明するまで平均で4年以上かかるとも読んだ。患者は精神科医の前ではあまり激昂しないし、場合によっては演技もしてしまう。夫もドクターに対し、ほとんど正直な話はしていない。

 

以前から書いているが、私は兄が統失で親は発達で、それでなかなか人生が大変だったというところがあるが、あれま夫まで〜…という感じである。

世の中色々な人がいるけれど、私はそっち方面に縁がある人生なんでしょうねぇ

 

とりあえず、専門医による双極性障害の説明の映像を備忘録的に貼っておきます。

https://youtu.be/wDb6d44i1Mo?si=MlcPkSqGCT5HecNg

 

最近はお惣菜を作るのにハマっているので、次はお惣菜のブログを書きます。

 

終わり

 

夫がアルコール依存症になってると思う

もう、めっちゃ久々のブログ記事がこんなですわ…

忙しくてあまり書く時間がなかったんですが、今年の7月に夫がコロナにかかり、それを看病した私もコロナに倒れ、その後、夫と私が揃ってコロナ後遺症で酷い鬱になり、

そこから夫がだんだんおかしくなっていって夜中に酒を飲んで暴れるようになってしまった。

すごいのは、朝になったら本人は何一つ覚えていないのである。

 

つい先日もあったのだけれど、

 

-pm10:30 夫が「頭が死ぬほど痛い」と言うので、首と肩を温めて揉んでやり、頭痛薬を飲ませた。私は眠くて寝落ち。

 

-am0:30頃 寝落ちから起きた私が皿洗いをしていると、夫が「ちょっと」と言いながら台所に来て、すごい早さで冷蔵庫から氷を取ってグラスに酒を注ぎ、布団に入っていつの間にか飲んでいる。私びっくり、頭痛薬を飲んだんだから酒は飲むな、いい加減にしろと泣きながら説教、夫不貞腐れて布団に潜って寝落ち。

 

-am3:00 私眠れず、そこへ夫が起きてくる。「あなた酒を飲もうとしてたんだよ」「え?なに?なんの話よ?」と言いながらおもむろに大量に菓子を食べ始める。私呆れて寝る。

 

-am7:30 夫が起きてくる。大量のお菓子の破った袋を見て「え、何これ!どしたん?なに?」「あなたが食べたんだよ…」「ええ!!知らん。俺食べた記憶ない」

 

こんな調子である。

少し前は夜中に「ドンドン!」という音がするので、びっくりして慌てて起きたところ、部屋の外で夫が頭を壁に打ち付けている。その音が部屋にドンドンと響いて、そのことに怯えた飼い猫が悲しそうにひどく鳴いていて、それで目が覚めたらそんな状態だった。

ただ、私も酒を飲んだ夫が暴れることに慣れてきてしまったので、冷静に夫の行為を淡々と映像に収めておいた。

 

振り返ってみると、夫が酒を飲んで暴れるようになったのが今年の夏くらいで、やはりコロナ後のことだ。突然キレ出して、事実と違うことを怒鳴ってたり、ひどく責められたりしたが、そこも本人は何も覚えていない。発言を覚えていないだけでなく、私に突っかかって怒鳴ったことも綺麗さっぱり忘れている。

 

alcoholic-navi.jp

もうこのケースに本当にそっくりである。鬱だと言われていて、でも鬱の薬を飲んでも全く良くなる気配もない。鬱の薬と睡眠薬とお酒を一緒に流し込み、いつの間にか暴れている。

ちょっと一体どうしたものかという感じである。樹木希林もこんな感じに悩んだのだろうか。

 

酒にラリった夫が言うには、「破滅願望がある」のだそうである。

 

 

終わり

地域猫とご老人の孤独問題について考える(2)

前回のエントリのパート2です。

前回のブログを書いた後、あまりにも強い虚脱感に陥ってしまってブログを書くのがずいぶん遅くなってしまった。

前回のエントリはこちら↓

nenesan0102.hatenablog.com

私は6年ほどこの公園のボランティアを続けてきたわけだが、その間に色々な人が現れては消えていった。公園に来ていた人たちは何かしら問題を抱えた人がかなりの割合でいた。初期の頃に出会った女性は夫に頻繁に暴力を受けていた。この人はしばらく居たが徐々に来なくなってしまった。この女性も精神的に相当病んでいて、私もゴタゴタに巻き込まれたりした。

 

コロナ禍になってからとりわけ頻繁に来てくれたのは、50代の女性ボランティアのAさんで、なんと1日に3回も猫たちのために公園に来てくれた。1日3回も来ているものだから猫たちに愛着が沸くのも無理もないことで、猫たちもまたAさんに懐いていたと思う。だが、1日に3回も来ているとなると、同じ時間帯に来た人がAさんの長居に拒否感を示して役所に苦情の電話が入ったことが何度もある。

 

Aさんが猫たちにかける愛情はすごくて、夏は熱中症の予防のために保冷剤をわざわざ家から持ってきて猫の体を拭いてやり、冬場は毎日段ボールを用意して中に毛布を敷いてやり朝にまた回収するのである。(朝にハウスを回収するのは私とAさんとで交代に担当していた。冬場の気温がマイナスななか、朝7時前に行って回収する)

 

togetter.com

私は当初、このAさんにてっきり家族がいるのだろうと思っていたが、実は彼女はずっと独り身で働いていたが、ある日突然脳梗塞で入院。その後は以前と同じようには働けなくなり生活保護になってしまったという人だった。見た目がとても50代に見えないほど老けていて皆60代後半くらいだと皆が思っていたのだが、60前と聞いてびっくりしたものである。

Aさんは「私がおかしくなってしまうから、どうか猫を保護しないでください!」と強く主張していた。その気持ちはわかるが、やはりそのメンタルの問題はAさんの問題であって猫はAさんの孤独を癒す道具ではないのである。

 

このAさんについては、以前ブログを書いたことがある。(注:この過去の記事ではBさんとして登場している)

nenesan0102.hatenablog.com

このブログにあるように、ゆっくりと公園での時間を過ごすことで傷を抱えた人々がお互いにゆるい関係を結べることはとても良いことだと思う。公園から猫が消えてしまうと、こうした関係性はぷっつりと途絶えてしまう可能性もある。私もそのことは少し引っかかっていたので複雑な気持ちでいた。

 

6月の半ばくらいだったろうか。2匹いる猫のうち片方の猫が、3日ほど姿が忽然と消えてしまった。姿を現した時は前足を盛大に骨折していた。

目に見えて左足だけが腫れ上がり、足をぷらんとさせたまま歩いていたのを見て、さすがにもうこれは危ないという話が再度持ち上がってきた。

公園にいたもう一匹の猫も健康状態がひどく、脇腹の皮膚炎が痛々しかった。この子はいつもグッタリとして日を追うごとに痩せこけていくのがわかった。外猫というのは夏の暑さで死んでしまうことも多い。なんとか10歳まで生きてきているがこの夏を乗り切れるのか…。

K子さんという若いボランティアさんが、Aさんに「このままじゃ二匹とも長く保ちません。あなたは猫を死なせたいんですか?このまま早死にさせるか、保護するかのどちらかですよ」とキッパリと宣言した。これを聞いてAさんはさすがに目が覚めたのだろう。急に保護に同意してくれることになった。

それと同時に奇跡的に二匹揃って引き取ってくれるという里親さんがたまたま見つかったのである。

とても穏やかな里親さんで、猫たちを愛情をもって可愛がってくれた。猫たちは里親さんの家に引き取られ、伸び伸びと過ごすうちに見違えるように元気になった。

この写真は10月のものである。里親さんは定期的に写真を送ってくれる。

 

二匹の医療費は結構な額がかかったが、ボランティアたちで出し合った。ここでもまたAさんの関係で揉めたり色々あったが割愛。

いま猫たちの保護から4ヶ月ほどが経ったのだが、 Aさんは別の場所での餌やりに精を出しており、そちらで楽しくやっているようだ。(相変わらずいさかいは起こしている模様)

 

さて、この公園はどういうわけか変な人を呼び寄せてしまうところがあるようなのだが、変態おっさんが現れるよりも前のことである。60代くらいのよれたスーツを着たTというおっさんが公園に現れるようになった。

その人は猫の餌を大量に持っていて、我々餌やりをやるボランティアにその餌を大量に差し出して「僕も猫を飼っててね。あ、これ使ってください」みたいなことを言ってくる。ボランティアをやる人は多くがおばちゃんなので「あら!そうなの〜!」となって、Tはただ餌を持ってきているだけなのにいつの間にか輪の中に加わっている。 Aさんなんかは「Tさんすごく良い人!」となっていた。

ところがこの人が、いざ猫を捕獲する段階になってものすごく嫌な顔をした一瞬の、まさに苦虫を噛み潰したような表情を私は見てしまった。Tのその表情を見てどうにも訝しく思った。

 

猫の捕獲からしばらく経った頃、捕獲に携わったボランティアK子さんから緊迫した様子で電話がかかってきた。

「ねねさん!もしやTにお金とか貸してませんよね!?」

ああ…きたか。やはりそれか。

聞けば、Tはあちこちの地域猫の場に出没してはボランティアさんと親しくなり、親しくなった頃を見計らっては寸借詐欺を繰り返しているという。

とあるボランティアさんはすでにTに35000円も貸してしまっているというではないか。それ以外に別の地域で3人ほどがそれぞれにTにそれなりの額のお金を貸しているという。

私の脳裏に、猫たちを捕獲した時にTが歪んだような顔をしたのがありありと再生される。

前回のブログに書いた、GWにあった頓挫した捕獲の時Aさんの側にたち、猫の保護に強硬に反対したのがこのTだった。ああ、この人は最初からカモを探してきていたんだなと……。思えば Tは猫たちに積極的に関わるわけでもなくブラブラしながら公園でタバコを吸っているばかりで違和感があった。

しかし「寸借詐欺」というのは、それを詐欺だと立証するのが難しい。聞けば Tは「今度、100万くらいの大金が入るのでそのとき返します」と言っては姿をくらませてしまう。この言い方もすごい怪しい。

私とK子さんは「なんであの公園ってこんなやばいの…」とゲンナリしたものである。

 

実はこの公園には、近くに住むとあるおばあさんが、飼っていた猫が死んだら次々と適当に公園の土を掘って埋めていたというちょっとしたヤバイ話があり、「もしかしてこれのせい?!」となったりもしたが、真相は謎である。

 

インターバルがだいぶ空いてしまったが、ようやく色々あった一連の出来事をブログに書くことができた

 

それにしても公園には〇〇が落ちていたり、使用済みの〇〇が落ちていたり、本当にさまざまなことがあった。私があまりの疲れで燃え尽き症候群のようになってしまったのも無理はないかもしれない。

猫たちがいなくなった公園はごくたまに人が休んでいたりもするが、もうおばちゃんとおばあちゃんが集まってワイワイすることもないので、すごく閑散としている。一抹の寂しさは覚えるが、やはり猫たちを保護できてよかったと思うし、嫌がらせをしてきた人もこれでもう嫌がらせをしなくて良くなった。

 

 

また何か書くかもしれないが終わり。

地域猫とご老人の孤独問題について考える(その1)

つい最近の記事でこんなものがあった。

b.hatena.ne.jp

私はこれまで5年以上にわたって地域猫活動に関わってきたので、この事例ってアヒルを猫に置き換えたら日本のあちこちで起きている問題だなと思ったりした。

 

日本では私がしばらくブログを書かないうちに、安倍元総理が山上容疑者による凶弾に倒れたり…と思ったら、自民党統一教会との歴史的とも言える強固な癒着が次々と明るみに出てきたりして、なんだかすごい状況だ。

今日書くブログは、今の世間の状況とはだいぶズレがあるかもしれないが、一連の出来事について記録しておきたいのでブログを書く。

 

このブログではあまり取り上げていないと思うが、実は1年ほど前から、公園でひどい嫌がらせが続いていた。

↑このポスターは、行政側が作成したもので、役所の連絡先が入っている。地域猫への餌やりの方法などを説明したものである。

ポスターへの斬り付けだけでなく、冬場に猫ハウスの中に水を入れられる、猫ハウスを刃物で斬りつけられる、スプレーを大量に撒かれる、マジックで落書きされる等の嫌がらせがあった。

犯行は全て平日の午前中〜午後4時くらいの間に行われていて、私たちボランティアはあれこれ犯人を推察したりもした。「監視カメラを仕掛けて、犯行の記録を撮れば警察に突き出せるんじゃないか」とも言われたが、逮捕されたところでさほどダメージのない人物がやってそうだったし、復讐が向かうのは猫になってしまう。

公園を、刃物を持った人物がウロウロしているのも不気味だったが、公園の管理者はあくまでも行政なので、私たちは公園利用者でしかなく、警察への告発というのができない。

そうなると猫たちの安全を確保するためには、屋内に保護するのが一番良いことになる。それが根本的な解決になるからだ。公園の猫たちもどんどん高齢になってきて、目に見えて体が衰えてきていた。高齢になると貰い手が見つかりにくくなるし、病気の猫になるとなおさらだ。チャンスはもうあとわずかしかない。

5月のGWの頃である。ちょうど変態おっさんが公園に現れていた頃、公園では猫の捕獲作戦が始まっていた。

長年猫のボランティア活動を続けてきたBさんご夫妻に公園まで来てもらい、公園の猫を捕獲して一時預かりボランティアさんに引き渡すというスケジュールが組まれていた。(この一時預かりさんを探すまでに半年もかかった)

Bさんは、何か思うところがあったのだろう。50代女性ボランティアさんのAさんに何度も何度も確認をとっていた。Aさんは「もちろんです!捕獲に協力します!」とやる気満々だった、この時までは。

私は変態おっさんと遭遇するのがどうにも嫌だったので、申し訳ないと思いつつ猫たちの捕獲をAさんBさんご夫妻に一任することにした。

ドキドキしながら家で待機していると、Bさんからのメールが入った。

ダメでした突如Aさんが反対し始めて、説得してもどうしても無理でした…

 

え?何が起きたのだろう?と一瞬訳が分からなかった。

しばらく経つと、色々な背景が見えてきた。

Aさんは親身になって世話をしてきた猫たちと離れられなかったのである。

私自身も、いざ公園で何年も見て来た猫たちがいなくなってしまうことをリアルに考えたら、胸に突き刺すような寂静感が襲ってきたことがあった。

しかし、それ以上に私が恐れたのは、ある日いきなり猫たちが惨殺されているとか傷付けられているとかである。もしそうなってしまったら、私は一生「なぜあの時保護に踏み切れなかったのか」と悔やみ続けてしまうだろう。

だがAさんの主張は「虐待は起きないかもしれない」というもので、いや、流石にナイフであれだけ色々切り裂かれててそりゃ危機感薄すぎるやろ…という感じだったが、もうこうなるとどうしようもない。GWでの保護作戦というのは一旦中止になった。

 

私はBさんご夫妻へひたすら謝った。預かる予定のボランティアさんはケージなどを用意して待っていてくれてるわけで、その人もかなりお怒りとのことだった(そりゃそうだ)。

Bさんご夫妻は活動歴がすごく長いので、実に色々な人たちを見てきていた。惨殺された猫の遺体を見てもなお、自分が寂しいから猫を保護しないでくれ、この子だけが生き甲斐なのと頼む餌やりボランティアさんのお話をしてくれた。Aさんもまさに同類だった。それでBさんご夫妻は説得を諦めて帰っていった。生き甲斐とまで言うのであれば自分ちで飼えば良いのにと思うが、現実的には飼うことができないのだろう。

 

私もAさんの説得を試みたが頑として聞かない。それどころか自分のシンパを増やしていって「〇〇さんも△△さんも、やっぱり猫が公園にいた方がいいって言ってます!」と言う始末。そりゃ猫が公園にいて、自分が行きたい時に餌やりだけチョッとするのが楽しいし圧倒的に楽に決まってるじゃないか。

私だって猟奇的な嫌がらせがなければ保護せずにずっと地域のアイドルとして猫たちを見守ろうって思ってたよ…

てか、Aさんがいつの間にかそんな厄介な餌やりババアになっていたなんて、、

Bさんご夫妻は「もう呆れました」と言ってきたが、私は呆れるというよりは、Aさんが本音を言わずに保護に賛成してきたことに違和感が拭えなかった。

 

 

長いので後半に続く。

 

地域猫活動の難しさについては、別エントリもあります。

nenesan0102.hatenablog.com