もう12月になってしまった。この間に実にさまざまなことがあった。
長くなるのでかいつまんで書くと、
・父の脳出血のリハビリ専門病院に移った。介護タクシーでの転院を初めて経験した。
・この前後で母親が狂っていることがあちこちで足を引っ張られてしんどい。
・父、リハビリ病院で肺炎を起こし、治療ができる大学病院へ緊急搬送
・父、肺炎は良くなったが、相変わらずウェルニッケ失語状態 ⇦今ここ
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9月はまず脳出血や脳梗塞の患者を対象としたリハビリ専門病院を選ぶところからスタートした。
父の面会でパジャマなどを引き取ってきたあと、電車を乗り継いで、ソーシャルワーカーさんから紹介されたリハビリ専門病院に見学に行く。リハビリ専門病院では365日リハビリをしてくれるが、それなりの期間お世話になるので、あまりにひどい環境は避けたいところ。見学時は家族面談を兼ねていて、家族の背景みたいなのも結構聞かれる。
A病院:とんでもなく劣悪だった。日が当たらない、窓が狭い、暗い、臭い。ここは監獄だと本気で思った。実際、事故などを防ぐために建物の外には出られないらしい。暗さ、狭さ、院内のごちゃつき、ひどい悪臭に怖くて二度と入りたくないと思った。
が、しかし。母の意見は「劣悪な環境の方が早く家に帰りたいとなって、リハビリを頑張るからそこにしましょう」と言うのである。
元々、母と私は脳の思考回路がかなり違うので度々衝突してきたが、ここでこんな話になるとは。
B病院は私が一番気に入ったところで、綺麗、清潔、明るくて広い、リハビリ室がとても広くてスペースが広い、全体に明るい雰囲気。母は「この病院は在日だ、ソウカだ」と見てもいないのにギャーギャー。
脳出血で入院している病院には期限があるのでどこかに転院先を見つけなければいけない。しかしA病院は絶対に嫌だ、こんな場所だと父も参ってしまうと思い、母に隠しながら父の転院を決行した。幸いにしてB病院で父を受け入れてくれたので、介護タクシーを手配して転院の手続きをした。父と一緒に介護タクシーに乗りながら泣いた。
B病院は良い病院だった。
本当にここは良い病院で、非常にありがたかった。父は病室でいつもニコニコしていて、スタッフさん達からも「いつも笑顔で可愛いおじいちゃんね〜」という感じでとにかく笑顔が嬉しそうだった。頻繁にお風呂に入れてくれて、部屋も常に暖かい。ここで10月半ばから11月末までを過ごしたが、父はとても元気になって来ていた。私は週に2〜3回のペースで面会に行き、父の知人達もよくお見舞いに来てくれた。
母は見舞いに来なかったので、病室から電話をしたり、写真を撮って送ったりしていた。
母が見舞いに来たのが11月30日だった。私が病室で父に話しかけたら突然打たれた。私の態度が気に食わなかったらしい。実に母らしい行動だ。理学療法士さんがぶったまげていた。父はこのあたりで肺炎になっていて、笑顔が全く出なくなっていた。
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母の考えでは、父は脳出血から奇跡的な回復をして、また元の生活に1ケ月くらいで戻れるだろうと考えていたらしい。ここもまた母の思考回路のおかしなところで、8月に死ぬほどの状態になったなら回復に時間がかかると思うのが普通では?と思うのだが、
母の考えとしては「死ぬ寸前まで行ったのが生きているのだからそれだけ回復が早いはずだ」という考えがあるらしい。「それってアナタの感想ですよね」という感じだ。
なお、父の脳出血はこんな感じで、脳CTを見慣れた人ならば、この状態から回復するのは相当大変だろうというのは肌感覚的にわかっていただけると思う。(母はその辺は全くわからないし、何ヶ月も認めることができなかった)

さて、ここまで父の脳は激しく出血しているのにも関わらず、ごく一瞬だけかつての父に戻る時がたまにあるのである。こういうとき脳で一体何が起きているのだろうか。非常に不思議だ。
父は脳出血で初めに運ばれた病院で、一瞬かつての状態に戻り、看護師さんに「なぜ私はここに?」と尋ね、看護師さんが「あなたは脳卒中を起こしてこちらに運ばれたんですよ」と言うと「そんなに重症だったのか」と呟いて泣いていたそうだ。
私は父が泣く姿を見たことがない。父は心身ともに強靭な人だった。
しかし強靭な人が脳の一撃でこうまでなってしまうと、本人のダメージもすごい。
私は病室で正気に戻った父が「もう終わりにしたかった」と言うのを2回ほど聞いた。
私は元々安楽死賛成派なのだが、父がこのような状態になって、よりいっそう、安楽死はあるべきではないのかという思いが強くなった。
今の父は、左の脳の出血によって、右半身の麻痺、右目と右耳の機能失調、ウェルニッケ失語、そしておそらくだが脳出血が視覚処理の分野にまで達しているので、目に見えたものを情報として正しく処理できているかもわからない。歯はほぼ全部入院中に抜かれてしまったので自分の口で食べ物を食べることはほぼできない。ので、常に鼻から管を入れて経管栄養をしている。自分でトイレに行くこともできないし、その意思を人に伝えることもできない。
父はかつて好きだったアクティビティは何もできなくなってしまった。
だから意欲的でもないし、鉛のように重くなって痛む体がつらそうだった。
母はそれを全部病院のせいだと思い込んで退院したB病院にクレームの電話をかけていた。
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12月8日に、父が肺炎で入院した病院で、脳神経内科ドクター、ソーシャルワーカー、看護師、私(と夫)、母が集まって、父を次にどこの病院へ移送するかという話し合いがあった。この話し合いでも母が暴走というか、本当にドクターの話を全く聞いておらず、とんでも発言ばかりをした挙句、勝手に帰ってしまった。これはドクターもあかんと思うのだが、胸部CTの画像を、本人は見慣れているので説明しない。すると胸部CTの画像を、母は脳のCTだと思っていた。おまけに、母の中で勝手に、「お父さんは肺炎になったので、肺から脳に膿が飛んで、そのせいで脳の状態が悪化した」と勝手なストーリーを繰り広げていた。
この時のドクターはかなり若い人だったのだが、まぁこんなとんでもない気狂い婆さんに会ったことはなかなかないだろう。めちゃくちゃ声が大きくなって、明らかに怒っていた。話し合いに出席してくれた夫は怒りで奥歯を噛み締めてすごくきつかったと言っていたし、「あんな気狂いな人見たことない」とよく言うようになった。いや私も以前から母はおかしな人だと思っているが。
話し合いが終わった後、ソーシャルワーカーさんがポツリと、「お母様、何か診断受けてらっしゃるんですかね…」。
母は年齢的に診断を受けていないだけで、おそらく発達障害×自己愛性人格障害だと思う。
そして、今日、先ほどB病院に対して母が医療費を払っていないことが発覚した。
母曰く、「お支払いのご案内っていう紙はきたけど、請求書ってどこにも書いていないので払っていない」だそうである。
本当に本当に疲れた。
終わり

















