けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

こんな夢を見た

今朝、うっすらとこんな夢を見た。まだ3歳か4歳くらいの幼い私と妹が遊んでいるところを父がすごく嬉しそうに眺めているという夢だった。

 

起きて、ああもう父の魂は天国にあるのかなと思ったりした。

 

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8月の末のことだ。父は北海道から帰宅して2日後だった。母からメールが来て、「お父さんが具合が悪いので救急車を呼んだ」と言われた。父は脳出血を起こしていた。

 

2年前に癌が発覚してその間に心臓の手術をして、ここへきて脳出血となり、もはや役満みたいな状態になってしまった。

病院へ駆けつけて聞いた父の容態は想像をはるかに超えて悪かった。

左の脳のかなりの部分に出血を起こしていて、左半球にある言語野、ウェルニッケ野というところがやられてしまっているとのことだった。

ドクターから説明を受けながら、ああ、学者は脳が商売道具なのになと、そんなことを考えていた。

 

その後、しばらく危篤状態が続いた。私と母は話し合い、もし脳出血が脳幹に達しても、手術や人工呼吸器はやらないでくれとお願いした。植物状態になって生きることに父が喜ぶとは思えなかったからだ。病院から私の携帯に何度も電話が来て、そんな話し合いをした。数日、寝たのか寝てないのか記憶も定かではなく、いつ「ご臨終です」という電話が来るのかヒヤヒヤしながら過ごしていたらげっそりと痩せていた。

 

父は一命は取り留めたのだが、脳に障害を負ってしまったので、なんだかすごい状態になってしまった。今は私は3日に一度の割合で病院へかなりの時間をかけて行き、オムツや日用品を補充して、言葉を発せられなくなってしまった父に大きな声で話しかけて、整容をして帰るという日々を送っている。

 

父は所属する学会から英語の本の依頼を受けていて、数百ページに及ぶ英語の本を書き上げたところで、その推敲をネイティブの知人の学者さんに頼んでいるところだった。

だから病院でソーシャルワーカーさんにそのような話をするとすごく驚かれた。ソーシャルワーカーさんは言葉を話せず、目線も定まらない父の姿しか知らないからだ。

 

父がまだ生きていてくれるのはありがたいことだとは思う。しかし、あの姿で生きることに父が喜びを感じるとはとても思えない。海外を飛び回り、あちこちを見て周り、それをどんどん論文や本にするのが父が生きる姿だった。

 

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8月の12日に、父が我が家に泊まりに来た。その時に、私は父に障害があることを打ち明けた。知能検査をしたら見事なまでに凸凹だったこと、その凸凹が学習障害に関係しており、そのことで勉強が全くわからなかったこと。

父はしまったという顔をして、申し訳なさそうにしていた。

脳出血のつい先週くらいにそんな交流ができたことは、神様の粋な計らいという感じがした。