けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

鈴虫、松虫

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大学生のころ、京都の有名寺院のお坊さんと付き合っていたことがある。相当に有名なお寺さんなので、人に話すとびっくりされた。

(余談だがその坊さんと別れたあと、また別の坊さんと付き合った。出会った場所はまったく違うのに、どういうわけか同じ宗派だった。何かのご縁であろうか)

 

なんでまたその坊さんと付き合うことになったのかというと、大学の授業がそのお寺さんであり、唱うように読み上げるお経に心をつかまれてしまったからである。

お経をお坊さん2人で読み上げていくのだが、ビブラートのかかった美しい声がこだましていく。いわゆる声明(しょうみょう)というのともまた違うものらしいのだが、響く歌声がとにかくすごい。圧巻である。心がゆさぶられて気がつくと泣いていた。

 

 

京都の東山に「安楽寺」というお寺さんがあって、ここはなんとも悲しい伝説のある寺である。

 

鎌倉時代の初期、後鳥羽上皇の女官に、松虫姫、鈴虫姫という若い女性がいた。このとき、松虫姫19歳、鈴虫姫17歳。

二人は法然上人や法然上人の弟子である親鸞上人、のちに安楽寺の寺の由来となる安楽房という僧、住蓮上人などから仏教の教えを受けるうちに、みずからも仏門に入りたいという思いをつのらせていきます。

そしてついに、上皇の留守中に二人は御所を出奔、鹿ヶ谷にある住蓮上人と安楽上人の修行場をたずね、念仏会に参加します。そして二人は仏門に入りたいとの切なる想いを上人たちに訴えます。

しかし、一度は僧たちはこの訴えを退けるのですが、姫たちの詠んだ句、

“哀れ憂き この世の中にすたり身と 知りつつ捨つる 人ぞつれなき”

に心をうたれ、彼女たちの入門をゆるします。

松虫姫と鈴虫姫はさらに上人たちと親しくなり、後鳥羽上皇の留守中に上人たちを御所へ呼び、さらには「遅くなったから」という理由で御所に二人を泊まらせたとも言われています。

女房二人の身勝手な出家と、留守中に御所に上人たちを泊まらせたことに後鳥羽上皇は大激怒し、法然親鸞をはじめとする浄土宗の中心人物を流刑にし、住蓮上人、安楽上人の二人は処刑されてしまいます。

松虫姫、鈴虫姫も御所を追われて瀬戸内海にある小さな島で余生を送ったそうです。

 

この事件は「承元の法難」と呼ばれていて、鎌倉時代に起きた新興仏教への弾圧のひとつである。

安楽上人への処刑の方法はかなりすさまじくて、「羅切」(らせつ)と言って、男性の大事なあそこをチョンと斬ってしまったあとに斬首をするというかなり凄惨な処刑をしている。このことから後鳥羽上皇が松虫姫、鈴虫姫と上人たちの仲を疑ったことはおそらく間違いなく、御所に二人の上人を泊めていることからもそれは疑われても仕方のない感じである。二人とも今でいえばJKみたいな年齢であるから、ほんのかるい気持ちで「遅くなったからどうぞお泊まりください」くらいの感じだったのであろうけれども、安楽上人はたいへんな美坊主だったという説もあって、もしかしたら本当に男女の仲であったかもしれない。伝説なので、本当のところは誰にもわからない。

 

この悲劇の場所となった鹿ヶ谷の草庵にあった場所に、のちに建てられたのが「安楽寺」である。

紅葉の時期は大変美しい姿を見せてくれる。

 

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…というわけで、松虫姫、鈴虫姫の伝説を知ったときに、ああ、やはりお経に心をゆさぶられてよろめいてしまう人は過去にもいたのだなぁと思った次第である。

私も、仏門に入りたいと思っている。

 

 

 

 

おわり