けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

ゾンビに関するとても適当な解説(雑文)

先日、こんな増田がありました。

anond.hatelabo.jp

私はブコメ欄を読むのが好きな人なんですが、ごくわずかに私の記事を思い出してくれる人がいたようでした。嬉しい。

nenesan0102.hatenablog.com

増田には、「火葬だからじゃないか?」というコメントをつけている方がすごく多かったのですが、私も当初はそう思ってたんですけど、日本において火葬が一般化したのは昭和に入ってからの出来事で、それ以前は土葬がごく普通という地域すらあったわけです。ではなぜ、ゾンビ的物語は生まれなかったのだろう?と考えたブログです。

で、このブログはバズってしまいすごく反響があったので、それについて書いたのが返答ブログです。

nenesan0102.hatenablog.com

 

さて、この増田が書いている「なんで日本でゾンビ映画って作れないの」とのお話ですが、日本にもゾンビ(が出て来る)映画はあるようですね。

 

何で日本ってゾンビ映画作れないの

日本で火葬の習慣が一般的になったのは意外にも20世紀に入って以降なので時代劇でゾンビ映画が作れる。(と思ったら既に2015年「ゾンビ時代劇・新撰組オブザデッド」が制作されており評判はすこぶる悪い)

2018/06/10 03:42

b.hatena.ne.jp

ちなみに江戸時代の場合は、大きな樽に死体を入れて、それをそのまま土葬にするのですが、このときに体を小さく折り曲げた形にします。これを「屈葬」と言いまして、なかには手足の関節を反対側に折ったりするという処置をした例もあったようなのですが、それが意味するところは、死後の復活を恐れてのことではないかという見方もあるようです。

 

歴史的な背景

ところで、日本とアメリカではゾンビの扱いがまったく違います。

日本でゾンビ映画が好きな人というのも、基本的にはアメリカのゾンビ映画をさしていると思います。日本において、邦画で、幅広く受け入れられたゾンビ映画というのは、私の記憶のかぎりでは全然ないです。

ここには歴史的な背景があって、アメリカでは、1929年に発表された、『魔術の島』という本が、ゾンビの発祥の地であるハイチ・ブームを引き起こしたと言われています。1929年というと日本では昭和4年です。このアメリカで起きたハイチ・ブームが、日本にまで波及したという記録はおそらくですがないと思います。

アメリカ→ハイチと、日本→ハイチでは、距離的な遠さが全然違うのです。

アメリカでは、ハイチ・ブームを受けて、実際にハイチへ旅行に訪れる人もたくさんいたわけですが、日本からハイチへ行くなどというのは、昭和初期の頃にはいくらブームが起きても無理な話だったでしょう。

 

さらにこのハイチ・ブームを受けて作られた映画が、1932年の『恐怖城』という映画で、この映画の中では、女主人公が、ブードゥー教の呪術師によってゾンビに変えられてしまうというエピソードが出てきます。ロメロ以前のアメリカにおけるゾンビが出て来る映画というのはおそらくこれが初ではないかと言われています。

 

ところで、ゾンビにはこれまた歴史的な背景があって、ゾンビの本来のスタイルは、「死者が、ブードゥー教の呪術師によって死後も無理矢理働かされる」というのが元来の姿です。ブードゥー教はアフリカ生まれの宗教ですが、ハイチにおいて大きく成長した宗教です。

もともとブードゥー教という宗教におけるゾンビがあり、1920年代〜30年代にかけてのハイチ・ブームが背景にあり、元来のゾンビ像に吸血鬼をプラスして登場したのが、1968年の、ジョージ・A・ロメロによるゾンビ映画となるわけです。ですから、近代ゾンビはロメロによる創作と言っても良いのかもしれません。ロメロ監督によるゾンビ映画は世界中で大ヒット、いわゆる「ゾンビ像」は、このロメロによる近代ゾンビというのが一気に広まります。この認識が日本でもかなり幅広く受け入れられたようです。

 

さて、一方で日本におけるゾンビ像というと、ブログにあるように過去の物語をあたっても、ゾンビ的なものはほとんどありません。『小栗判官』の物語がかろうじてゾンビぽさを持っているのですが、魂を失うとか人を襲うとかそういうことはしません。

近代ゾンビ的な発想は本当に今の時代ならではなのだと思います。さらに映画となると、基本はロメロ路線のゾンビ映画が日本でもヒットしたので、ゾンビ映画というとアメリカのものを思い出す人がほとんどでしょう。

 

簡単に書いてきてしまいましたが、日本で、邦画のゾンビ映画が作られない、あまりなじみがないのには、宗教的、歴史的な背景があるのです。

 

 

 

だいぶ簡単に書いてしまいましたが、おわり。