けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

お礼と返答(長文)

少し前、下記のエントリを書いたら、予想に反してバズってしまい、とても驚きました。

nenesan0102.hatenablog.com

すごい勢いでコメントがついていって、おお〜、はてなっぽい!とか思ってました。

コメント欄がじつに面白かった!

なので今回はこのコメントに対して、ご返答をざーっとしていきたいと思います。

 

イザナミについて

なぜ日本の昔話にはゾンビがいないのか?雑文 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

あ、あの…イザナミはどこ行っちゃったんでしょうか。右翼から抗議文届きそうですが…/id:ophites いや、イザナミがゾンビだと書いてないから言うとるねんで。名前出してるのにゾンビじゃない扱いは不敬

2018/03/17 09:35

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ありがたいことに右翼の方から抗議は来ませんでした。

イザナミは一応「黄泉の国」の住人になっているので、現世にそのままの姿で現れたわけではないので、すぐさまゾンビと定義するのは難しいかもしれません。

ただ、腐った姿のままで食べたりしゃべったり、意思疎通ができるので、非常に「ゾンビっぽい存在」だなぁと思っています。日本の古代(とされる時代)にこのような神話があることは、下に出てくる「モガリ」ともなんらかの関係があるのかもしれません。

 

■ロメロ以前について

なぜ日本の昔話にはゾンビがいないのか?雑文 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

そもそもロメロ以前に「腐乱死体が動き出す」ってアイデアはあったんだろうか。古そうなのはミイラだけど、あれを徘徊させるようにしたのはゾンビ以降な気がする

2018/03/17 09:33

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なぜ日本の昔話にはゾンビがいないのか?雑文 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

むしろゾンビが極めて特殊なケースだと思う。ゾンビがなぜ繰り返し創作のテーマになるのか以前ゾンビ愛好家として調べたのだけど、ためになる話だった。資本主義批判であったり、奴隷制度や民族差別、ゴア表現文字数

2018/03/17 13:48

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じつは今回のブログのテーマをうけて、知人にゾンビ映画を研究している人がいたので、その人に頼んだらなんと論文を送ってくれたんですね。

その論文によると、1932年に『恐怖城』という映画があって、簡単にあらすじを説明すると、ハイチへ、ニール(男)とマデリン(女)というカップルがでかけるんだけれど、マデリンに恋をした現地の呪術者によってマデリンがゾンビに変えられてしまう、が、愛のちからで彼女は人間に戻る…みたいな単純なあらすじです。

(これより以前には1929年に出版された『魔術の島』という本があって、これがアメリカでハイチブームをひきおこしたといわれています。)

この場合の「ゾンビ」は、ヴードゥー教の呪術者がいなければ存在できないという、いわば黒人の奴隷制度の暗喩的存在という側面があったようですね。…という感じで知人が論じていましたのでお借りしました。

自分はほとんどゾンビに対しての知識がなくて、古いタイプのゾンビを「ヴードゥー・ゾンビ」と呼び、ロメロ以降のゾンビを「モダン・ゾンビ」と呼ぶことも知りませんでした。(Iさん、論文をありがとうございました。)

 

■人でないモノの話

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室町末期「鎌倉大草紙」などの小栗判官の話がゾンビ物に近いかも。土葬後に閻魔に許され復活、土中から這い出るが、皮膚が腐り耳も聞こえないので、修行で身体を修復する。遠野物語にも死体が動く話があったような。

2018/03/17 09:45

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このコメントはすごくありがたかったです。すごい嬉しかった。来たこれ。

小栗判官のお話は、かんたんにまとめると以下のような感じです。

室町時代の武士、小栗判官は、敵からの襲撃から逃げおちた先で、その潜伏先の娘、照手姫を見初め、結婚の約束をする。しかし、潜伏先である相模横山家はじつは盗賊の一味で、小栗の行動に大激怒、小栗を部下もろとも、酒にまぜた猛毒で殺害してしまう。小栗と11人の部下の遺体は神野原に遺棄する。

照手姫はひそかに横山の家を抜け出すが、身を売られたり助けられたりして苦難の道を歩む。

一方、閻魔王のはからいによって小栗は現世に再生するが、その姿は餓鬼であり、鼻はもげおち皮膚は溶けていた。

小栗は藤沢の大空上人の助けを借り、車に乗せられたまま西へ向かう。小栗を乗せた車は、道中、照手姫に出会うが、二人はお互いのことがわからない。ついに小栗は熊野のたどり着き、熊野の「つぼ湯」で体を全快させる。

全快し、判官の地位を授けられた小栗は、横山のもとへ戻り、横山家を討つ。そして墓の下女として働いていた照手姫と再会。ようやく二人は晴れて結ばれたのであった。

ンモー、これは本当に悲恋と純愛の物語ですよね。浄瑠璃!って感じです。

小栗判官は体が復活したあとは長寿で、83歳まで生きて大往生だったそうで、なんだか良い話ですね。

 

 ■西行の反魂の術

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『撰集抄』に西行が死体を生き返らせようとした話があって,論じるひとによって「アンドロイド」「人造人間」「ゾンビ」と様々に称されているようです。

2018/03/17 11:31

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これは、あ、そういえばあった〜〜!と思いまして、さっそく本を手に入れました。

簡単に述べると以下のような話です。

西行高野山に住んでいたころ、友達が山を降りてしまい、一人になった西行は人恋しさに悩むようになる。そこで貴族の徳大寺家から教わった「反魂の術」をためそうと、人骨をそろえ術をためした。しかし出来上がったのは顔の色も悪く、吹き損じた笛の音のような声しかでない人と呼べないものだった。そこで高野山の奥に捨ててきてしまった。

のちに京へおもむき失敗の理由を聞いたが、その後西行が人をつくることは二度となかった。

 高野山の奥にできそこないの人造人間を捨ててきてしまうあたりがもう中世ぽさがありますねw

実はこれと類似した話があって、『撰集抄』より100年ほど下った時代に『長谷雄草紙』と呼ばれる絵巻物があります。

このお話は以下のような感じになります。

ある日、謎の男が、平安期の著名な学者である紀長谷雄の家を訪れ、双六の勝負をしようともちかける。男についていくと、男は羅生門をするすると登って行く。男は羅生門に住む鬼だったのだ。

男は長谷雄に、「あなたが勝ったら絶世の美女をさしあげよう。しかし自分が勝ったら、あなたの財産をすべてもらう」と言い、双六の勝負をはじめる。勝負をするうちに男は焦りから鬼の姿に正体を表すが、長谷雄はなんとか勝負に打ち勝つ。

数日して男が絶世の美女を連れてくる。この女を差し上げるが、100日間これとちぎってはいけないと強く言い残して姿を消す。

この女は、見目麗しいだけでなく人柄も大変素晴らしかったので、長谷雄はどんどんこの美女に惹かれていく。そしてついに、100日経たぬうちに彼女に触れてしまう。その刹那、絶世の美女は水となって流れ落ちる。

実はこの美女は、鬼がその術で、死体の良いところを寄せ集めて作り上げたいわば人造人間だった。100日経たないとそのたましいが安定しないという。

 このお話では、この人造人間をつくる術というのが鬼の持つ呪術であったことがわかります。西行の『撰集抄』においてはこの術はなぜか貴族が熟知している術だということになっていて、西行も自分の失敗について伏見前中納言師仲にその失敗の理由を尋ねています。

余談ですが、『長谷雄草紙』では、この続きがありまして、

後の日、御所から帰る長谷雄の車を鬼が襲い、美女を溶かしてしまったことをなじり、長谷雄につかみかかろうとする。そこで長谷雄は北野天神に祈る。すると鬼は退散して行った。

 …という記述がありまして、日本中にその名を轟かした怨霊であったはずの菅原道真が、けっこう早い段階で神、それも強い加護をさずけてくれうる神になっていたことがわかり、へえ〜、となるわけです。

 

キョンシー

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同じアジアの中国ではキョンシー居るのにね。一度死んでるって概念はあるのに、普通の人間として滞りなく日常生活してる話ばかりだし。閻魔大王の概念や鬼って怪異が浸透してるからなのかね。京極夏彦先生に聞きたい

2018/03/17 16:07

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これまた自分の知人に中国史をやっている人がいて、キョンシーについて訪ねてみたんですが、キョンシー自体はかなり新しい概念なんじゃないかということと言ってました。新しい概念だから日本にあまり伝わらなかったが、映画などでブームになったので、それを日本人も知っているのではないかと。

 

この知人がざーっと、唐時代の埋葬について教えてくれたんですが、当時の中国(唐)は、偉い人は死後も崇拝するためにミイラにするという風習があったそうです。

で、そのときに体に悪いものが入り込まないために、「方相氏」というシャーマンがいて、これは四つ目のある仮面を被っているいわば異形のスタイルをしていて、この方相氏が墓を祓ってから安置するというのが風習としてあったそうなんですね。

この風習はじつは日本にも渡ってきていて、平安期のごく初期は、当時の皇族や貴族なんかが唐にならって、亡くなったときに方相氏が重用されるという時代があったようです。

「方相氏」は、今も古いお寺や神社で行われる「追難会」というのに登場したりします。(方相氏と鬼の関係は非常に面白いので、いつか書きたいと思っています)

 

地獄が、閻魔王をトップにした官僚制を敷いた形になっているのは、これはもう完全に唐の官僚制のそっくりそのまま写しです。だから、地獄絵に残っている閻魔王の衣装も唐風なんですね、また当時の日本も平安初期は唐風の衣装でした。

 

キョンシーをコメントであげてくださった方はほかにも何人もいて、キョンシーもやっぱり人気が高いですね。

 

興味深かったコメント

なぜ日本の昔話にはゾンビがいないのか?雑文 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

モガリが衰退したからだよ。仏教伝来前は、喪屋に遺体をおいて腐る過程を見るモガリの風習があったから腐乱死体を目にできた。さらに仏教の他界観があの世を山の向こうとかじゃなくて観念化して措呈したから肉体否定

2018/03/17 16:04

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この方すごいです、さらっとすごいことを書かれています。すごい。

この方にお話うかがってみたくなりますね。「モガリ」ていうのがもう響きが古代ぽいですね。自分はさっぱり知りませんでした。いつか調べてみたいと思います。それにしてもかなり奇妙な風習ですね。何を目的に遺体が腐って行くさまを見ていたのかなと不思議になります。逆に言うと、この時代は腐肉への忌避感情がそれほどなかったのかなという仮説がたてられるかもしれません。仏教伝来以降は、肉体は汚らわしいものだという感じが出てきてしまいますが、古代神道の時代はそういうのがなかったのかもしれません。

なぜ日本の昔話にはゾンビがいないのか?雑文 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

縄文時代は屈葬や抱石葬が行われ、遺体の骨を折る風習もあり近年まで南方の離島に残っていた筈。遺体に悪いモノが憑いて動き出すのを恐れてと言われる。ゾンビの概念がわかりやすい昔話として見えづらいだけでは。

2018/03/21 14:59

b.hatena.ne.jp

昔の中国もそうですが、「たましいが抜けた体に悪いモノが入ってしまう」という思想は普遍的にあったんですね。このコメントはかなり後の方でいただきましたが、私が言いたいことが短くズバッと書いてあってすごい!と思いました。

 

なぜ日本の昔話にはゾンビがいないのか?雑文 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

非常に面白かった。結論としては①死んだら魂が鬼に即取られる②魂が抜けた死体は動かない③魂が復活することもあるが、腐体に宿るという話はない④それは腐肉に対する忌避感があるから、ということ?④が怪しいな…

2018/03/17 18:42

b.hatena.ne.jp

とてもきれいにまとめてくださいました。

西行の反魂の術の失敗や、長谷雄の絶世の美女が水となって流れ落ちるという表現を読んでいると、体そのものはしっかりあっても、たましいが安定していないことが失敗の原因になっているというのが読み取れます。

西行の場合も、長谷雄の場合も、たましいの安定のためにはかなりいろいろな条件が必要で、そこにフォーカスが行っている感じがします。

腐肉に対する忌避感情をしっかりと定めるのはなかなか難しくて、今の時点ではまだまだ資料が足りないなぁと感じています。腐肉に対しての忌避感情が強ければ、風葬や土葬はもっと早くに廃れていたのではないかと思うんですね。

昔の人なので、腐肉=病原菌の媒介という感覚がまったくないのかもというのは一つあるかと思います。平安期の病気はほとんど、鬼とか餓鬼とか、あとは虫とか、そういった原因があると本気で考えられていたのですよね。

 

なんだかだらだらと長くなってしまったのですが、興味深いコメントがほかにもたくさんたくさんあって、本当にありがとうございました。

 

 

 

おわり