卵巣に腫瘍があることが発覚した。時折下腹が痛かったのだが、結局これやったのかという感じだ。卵巣の腫瘍は手術適用範囲まで膨れ上がっていたが、ピルを飲んで卵巣を休ませることで縮小する可能性があるとのことで、ここに賭けてみることにした。しばらく経っても縮小しない場合は手術になる。
私はもう子どもを持たないつもりでいるが、可能性から遠ざかってしまうのは、それが治療のためとはいえなんだか物悲しかった。
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このところ、子どもをもつか否かみたいなホッテントリがすごく多く、これがまた興味深くて、けっこう目を通している。
id:Ta-nishiさんの弟さんは中卒だそうだが、平均以上の年収を稼ぎ出して家族も持ち、子どももいるらしい。素晴らしいことだ。具体的に一体どんな仕事なのだろうか考えてしまうが、学歴が必要でない仕事であっても安定性が高く次世代を再生産できるくらいの経済的基盤を築けるというのは本当に素晴らしいことだと思う。
中卒や高卒でも、安定した給与のよい仕事に就けるのであればどんなに良いかと思うが、いかんせんそうもいかないのが現状で、就職活動のスタートラインに立つだけで奨学金を背負わなければいけない人もたくさんいる。結局のところ新卒偏重のこのシステムが諸悪の根源なんだろう。だがこの現状はおそらく今後も変わらないだろうから悩ましい。
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私は少し前に、自分の子ども時代があまりにもしんどかったので、子どもをあまり作る気持ちを持てないというエントリを書いた。
たまたまだが、このブコメのトップブコメがid:Ta-nishiさんだった。
自己肯定感と子どもについての話 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ
幸福な子供時代を過ごした人は幸福を再生産するために子供を産みたくなるし、不幸な子供時代を過ごした人は不幸を再生産しないために子供を産みたくなくなる。その通りだと思うしこういう話はもっと広まってほしいな
2016/09/28 12:21
子どもに関するエントリを読むと、子どもを持つことの肯定派には貧乏でもなんでも子どもを作れという原理主義派がいるが、やはり貧乏のしわよせは子ども自身に行く。
私は子ども自身の事を考えるのであれば、苦しい経済状況で子どもを持つのは、子どもに対して申し訳ないのではないかと思う。子どもに対してフランスのような手厚い保護政策があれば良いのだが、いまの日本では子どもを大事にする政策はほとんど取られていない。親の経済状況と子の自尊心や学校の成績は見事にリンクしているので、不幸な子どもを再生産するのには反対だ。子どもが貧困にあるということがどれほど苦しいか、どれほどその子自身の人格をゆがめてしまうかは、当事者でなければあまり想像がつかないのかもしれない。
まわりが裕福すぎるとつらい
小泉・竹中の改革で、日本人はバッサリと二分され、経済格差が広がるようになってしまった。氷河期世代はそのアオリをもろにくらった世代だ。氷河期世代で子どもを持っているのは裕福だったり環境に恵まれていたりの人たちで、そうでない層はワーキングプアになっている人もいてこの二極化がすごい。経済格差が人と人のあいだをバッサリと分断していく。
私のまわりには、いわゆる「上級国民」と呼ばれる人たちが多くいる。学生のうちは差がほとんどないが、歳を経るにつれてどんどん差が露になっていく。差がどんどん広まって行く。残酷な現実。差を気にしていると付き合うことができなくなっていく。これが本当にじわじわとメンタルにくる。相手は何も悪くないので、なおさら自分がみじめになる。
経済格差は当然嫁同士のあいだにも存在するわけで、元来コミュ症の私はこの付き合いが苦しい。だから夫の友人嫁とは付き合っていない…だけど、夫としては友達の嫁と仲良くして欲しいしそれを望んでいる。夫のまわりの人たちは裕福な人が多い。夫の年収の数倍ある人の奥様と付き合うことは苦しいものだ。どうしても比較してしまう。
夫の親友夫妻は、7千万のマンションを買って、10年でそのローンをすべて返してしまったそうだ。
少し前にこの夫の親友夫妻の奥様が子どもを生んだのだが、夫に彼らの映像を見せられて悲しくなって泣いてしまった。いや、実際はもっとひどくて、錯乱状態になってしまった。
その人たちに何の罪もないのに、私はぐちゃぐちゃに傷ついていた。
そのときの私は、とにかく自分には何も無い、何も無いと強く感じていた。
自分には何も無い、体力もない、稼ぐ能力がない、お金もない、産める体もない、育てられる環境がない、産める環境がない、自分を肯定する自信もない、幸せな子ども時代もない。
その幸せな夫妻に何の罪も無いのに。
夫にも申し訳ないことをした。
自分のような苦しい子ども時代を過ごす子どもはできるだけ減ってほしいと願っている。子ども時代が苦しいというのは、その人の一生をめちゃくちゃにしてしまうからだ。私はいまだに子ども時代の呪縛から抜け出せないままだ。
おわり