メンヘラ記事です。嫌な人は読まないでください。
以前、こんな記事があった。シロクマ先生はすごくうまい表現をするなと思った。
私は発達障害だが、うまく発達する事ができなかった個体だ。
発達障害がとてもつらい。
相手の話が理解できない、言葉が違って聞こえる、言葉の裏にある意図がわからないなど、対人コミュニケーションに難があり、それがゆえにトラブルを起きてしまうのを物心ついた時から幾度となく繰り返してきた。
相手の話が理解できなかったり、意図を汲み取れないことは、相手を不快にさせてしまう。だから私は子どもの頃から殴られたり蹴られたりして、けっこうひどい暴力を受けてきた。
なるべく人とコミュニケーションをとらないようにしてトラブルを回避するくらいのことしか、今の私にはできない。どんどん孤立していくが、トラブルのほうが怖い。
脳の容量が極度に少ないので、少しいろいろなことをするとその処理ができなくなって気が狂いそうになる。
発達障害者の人には感覚過敏があるが、聴覚がおかしくなるのはいつも。ストレスマックスになると今度は五感すべてがおかしくなってくる。
あんまりにもしんどいので、いつのまにか自傷をするようになった。だから私の腕はリストカットやアームカットの傷跡で一杯だ。とても立派なメンヘラ。苦しいのでやっていた。自傷するとホッとするのだ。なぜこうなるのかわからない。
自分が抱えている多くの問題はほとんどが脳に起因している。
脳が弱い個体に生まれてしまったことを悲しく思う。
発達障害があると対人関係でそのつもりはないのにトラブルが起きてしまう。嫌われたりいじめられたりするのは日常茶飯事になるので、なるべく人と関わらないようにするという方向に気持ちが行く。少しずつ孤独になる。
いつの頃からか、発達障害があまりにもしんどいので、安楽死する権利が欲しいなぁと思うようになった。生きていくのがあまりにもつらいからだ。
まだ若いうちなら仕事にも就けるし、チャレンジもできる。失敗をしても「若いから」という理由でけっこう大目に見てもらえるが、歳がいってくるとそうもいかない。
仕事も続かないし、生きて行くことができないというのが目の前に立ちはだかってくる。だから発達障害の二次障害である鬱で自殺する人もいる。
だけど、本当なら自殺なんていう悲しい方法はとらずに、布団に包まれながら眠るように安らかに死にたい。
だいたい、自殺をしたらずっとその瞬間を苦しみ続けるとか地獄に行くとか言われているのは昔から納得がいかない。
知人で自殺した人がいるが、彼が苦しみぬいた結果その選択をしたであろう事は容易に想像がつく。苦しんだからこそ、天国で安らかに笑っていてほしいと思う。
なぜ日本では安楽死が認められないんだろうと思っていたが、障害者の親の団体が反対しているというのをどこかで読んだ。自分の子どもが殺されるのではという恐怖から強い反対をしているそうだ。
でもさ、これ親の団体だからこうなるんやろけど、親も仕事がなくて生きて行くのがしんどいとかだったらどうなんかなと思ってしまう。なんだか腹がたった。
私はできるなら安楽死したい。
生きていてもまわりに迷惑をかけてしまうばかりでつらい。
以前、どこかのブコメで「ときどき心中についての話を夫とする」というのを書いたらびっくりされたのかIDコールが来た。
自分は病気で働けないし治らない障害を複数かかえている。夫は働いているが、このままずっと働けない私を養う力はない。あんまりにも将来的に展望が見えないから心中を検討する事があるわけだが、その人からは「あなたのような人のために社会福祉があるのだ」ということを言われたが、これからの日本がそうまでして頑張って生きている価値があるようにも思えなかった。
社会保障のリソースは限られているから、生きていたい人に使って欲しいとも思う。
私のような、病弱で生きる力を持たない個体はできるだけ安らかに死ぬのが救いだ。
自殺してしまうと来世がないそうなので安楽死が認められて欲しい。
どうか、どうか来世では発達障害には生まれませんように。