けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

障害をクローズドにした人にどう接していいかわからない

タイトルの通りなのですが、今、これで悩んでいます。

 

私はこれまでの人生で発達障害のために大変苦しんできたので、このブログでもよく発達障害のことを書いてきました。

確定診断を受けたときの「やっぱりか…」という安堵感は今でもありありと覚えていて、これまでの苦しみの何割かがすーっと溶けて行った感じですらありました。

確定診断後、なんとか障害者枠での仕事に就けないかと考え、そのために障害者手帳も取りました。(ただし私は症状が身体に強く出るタイプなので体調が安定せず今も無職です)

 

最近、発達障害がテレビで特集も組まれたりして、非常にブームになっている感じですらあるのですが、理解者が増えて欲しいといつも願っています。

 

ところで、私は自分自身が発達障害者ですから、似た傾向の人はピンと来ます。

もちろん精神科医ではないから診断はできませんが、自分と似たものを感じる人が自分の周囲にもちらほらいます。

 

1年半ほど前の話になるのですが、知人の女の子が顕著な感覚過敏の症状に苦しんでおり、「つらい」とこぼしていたので、思わず(ここが本当にアスペなんですが)

それは発達障害による感覚過敏ではないのか」と、その人に伝えてしまったのです。

するとその子は激怒して、「私は障害者ではないし、ねねさんも障害者ではないと思う」と言ってきました。

私はどうして確定診断を受けた自分が精神科医でもない彼女にそういう言われ方をするのかなとトンチンカンもよい受け取り方をしていたんですが、誰か他人に「あなたはアスペじゃないの」と伝えることはとんでもない侮辱なのだということを、私は1年以上経て、いま、ようやく、やっと気がついたわけです。

 

私はリアルでは自分がアスペルガーであることを公開していません。

それは差別を怖れてのことなのですが、信頼のおける知人友人、ほんの数人にだけは自分の障害を打ち明けています。

今のところ、アスペルガーADHDであることを伝えたことで差別をしてきた人はいませんが、これから先どこで差別されるかもわかりません。

 

私はバカなので、たまたま自分のまわりに自分の障害のことで酷い態度を取る人がいなかったこと、自分が障害に気づいたことですごく救われたことなどを、

きっと他の人もそうに違いないと勝手に思ってしまっていたんですね。

 

私の中では、アスペルガーは単なる特性であって、人と違う脳の働きをしているという認識のほうが強くなってきたのですが、誰か他人に「アスペルガーじゃないの」と伝えることは「あなたは通常と違う、劣った人間なのだ」と伝えるのと同義なのかもしれないと、この件があってやっとわかったわけです。

 

 

しかし、相手にアスペルガーではないのかと伝えることが侮辱になるというのは、本当に私はわからなかった。言われた側がどう思うのかが、本気でわかりません。

このへんがまさにアスペルガーですが、こうして迂闊に相手の心をざくざくと切りつける発言をしているのだなぁと…。

 

私の妹もアスペルガーで、先に確定診断を受けたのは妹のほうだったのですが、少しでもアスペルガーの話題を出すと激怒して怒ります。

一体どういう心情なのかが私にはわかりません。「この私が障害者なわけがない」という怒りなのか、「できるだけ健常者であるように振舞っているのに、少しでも思い出させるのはやめてくれ」という気持ちなのか。「自分を障害者として扱うのはやめてくれ」なのか。だとしたらなぜそう思うのか。

とにかく私にはこの心情は現在のところわかりません。

 

発達障害にはこんな症状がありますよ、というのが大きく認知されるようになっていくと、クローズドでどうにかして健常者として振舞っていた人が「あの人、実はアスペじゃないの」という見方をされる可能性もあるのだなぁと、そんなふうにも思ったりしました。

 

私の中に、同じ苦しみを持っているのだから分かち合おうよという気持ちがあるのかもしれません。同病相哀れむことが気持ち悪い人もいるでしょうし、これまで必死に健常者として振舞ってきたのに、あんたのせいで!という気持ちもあるかもしれません。

  

発達障害に理解をしめす人もいるので、そういう人と交流をしていけたらという気持ちの一方で、自分はできるだけ人と関わらない方がやっぱり平和なんじゃないか。

そんな気持ちでいます。

 

 

おわり