けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

アメリカ

大統領選が終わりました。

町山さんのレポートがむちゃくちゃ面白かった。

町山さん童顔やから、おそらく相手の人はこの人を54歳のおじさんとは認識してなさそう。テンション高いのもあってパッと見20代後半〜30代にしか見えん。

www.youtube.com

町山さんは20年くらい前に深夜テレビで見かけて思ったんですけど、この人はほんと、仕草がすごくかわいらしいですよね。

それはさておき、この映像の中で出てくる、ノルウェー/イタリア系アメリカ人のジェシー・ジェームス氏(28)がすごい。理路整然と思うところを述べていてものすごく論が立つ。私はアメリカで言うところの右翼とかトランプの支持層の感覚がいまいちつかめなかったのですが、この映像を見てやっと彼らの考えがわかりました。

 

それにしても、アメリカという国がもう分断されてるなというのをすごく感じた。

見た目からして全然違う感じになってきた。

以前、森永卓郎が「これからの日本人は二極化していく。綺麗でお金持ちな日本人と、醜くて貧困な日本人に分かれて行く」と話していたことがあって、階層の固定化が続けばそうなるんだなとは思うんですが、アメリカの状態を見ると本当にしみじみと階層を感じる。もうね、見た目も言葉も服も振舞も文化も何もかも違う。同じ人間のはずなのに。

 

私が子どものころは、アメリカというのはすごく豊かで強い国だというイメージがあって、今のような貧困大国じゃなかったです。皆がそれなりに豊かで、広い家に住んでいて毛がふさふさの犬とか飼ってるイメージ。1980年代のアメリカはそういう部分があったんでしょうかね。

 

ジェシー・ジェームス氏の主張にはすごく納得させられたし、この人すごい!と思った。

高慢ちきなエスタブリッシュメントによる支配がもう嫌だというのが、アメリカにいる人の感覚なのかもしれない。

 

とりあえず備忘録としてこの映像置いておきたいと思います。

発達障害に対する勘違い

こんな増田があった。

anond.hatelabo.jp

 

彼らは誰がどう考えてもお前しか知らないだろそれ、という話を、こっちが知っている前提で話してくるのだ。

 

これは積極奇異型アスペルガーだと思う。こういう傾向を持っている中高年の人が意外といる。

相手がその話を嫌がっているとか、話題にのぼった人物を知らない等は一切意に介さない。ただ一方的に自分が話したいことだけをべらべらとしゃべりまくる。

自覚がない積極奇異型の人は意外とたくさんいる。本人は自分が相手とコミュニケーションが取れていると思い込んでいる。会話をしているから勘違いも無理もないのだが、それはキャッチボールになっていない。

人の話を聞かないので人に嫌われていたりするが、本人にはどうしてなのかもまったくわからなかったりする。

 

 

発達障害の子どもを持った母親にはときどき勘違いをしてしまう人が出てくる。

発達障害には特別な才能があるという勘違いである。

発達障害関連の本や記事などに「アインシュタイン発達障害だった」とか「モーツアルトエジソンもそうだった」とかいう記述がある場合がある。

読む人になんとか希望を持たせようとした著者の配慮かもしれないが、あたかも発達障害の子どもには秘められた才能があるかのように思ってしまうような書き方のものも、いくつもある。

これは大きな間違いだ。

才能がない発達障害のほうがはるかに大多数だ…というか、ほとんどの発達障害者に才能はない。

発達障害の人に大規模な疫学的調査を数十万人単位で行ってみればはっきりするだろうが、才能がない人のほうがほとんどだ。だからこそ社会適応できない発達障害当事者のために、公費を使って発達障害支援センターなどが自治体に設けられているわけだ。

かりに突出した才能があったとしても、それがマネタイズに結びつくかどうかはまた別の問題である。

 

 

発達障害という言葉がやっと出始めたのは私が10代のころだったが、うちの母親も盛大に勘違いをしていた。「うちの子は発達障害。良かったわ」と言っていた。

特別な才能があるのだと思い込んだのだ。

突出した才能がないとわかったら、今度は「発達障害なんかあるわけがない、うちの子は正常!くるりと手のひらを返してしまった。私が通ってる病院にわざわざ電話をして抗議までしてくるほどだ。(困る)

 

発達障害者は必ずしも弱者ではないし、その特性ゆえに身近な人を苦しめることもあるのだ

 

発達障害者が弱者であるかどうかは、これは難しいところだと思う。

社会に適応している発達障害の特性を持つ人は存在するが、困っている人もたくさんいるだろう。

自分の見聞きした範囲でしかないが、東大京大クラスの大学にいて、そこからドロップアウトしたり引きこもりになってしまう人は、多くが発達障害の特性を持っていた。

勉強はよくできても、人間関係でのトラブルや鬱が多発して、年齢が行くとともに社会適応できなくなってしまうのだ。就職活動でつまづく人も多い。

発達障害の悩ましいところは、原因がわかっていてもその対処方法がわからないことである。

身近な人を困らせていることも気づいている。

が、どのように方向転換してよいかがわからない。

発達障害の人に苦手なことをギリギリやらせると、もともとのストレス耐性が低いので、他人からは想像もつかないほどの苦痛を感じていたりする。結果としてストレスが極まって統合失調症を発症してしまったりする。

 

これは私の個人的な考えだが、社会適応できている場合は、障害に意識をフォーカスする必要はないだろう。いわゆる企業社会で生きて行けなくても別の方法でお金を稼ぐことができるのであれば、これも何も問題はない。

だが、発達障害ゆえの特性で働く場所が見つからなかったり、仕事を首になって困窮したり、人間関係でトラブルを引き起こすことが顕著であるならば、それは障害だと思うし、彼らは社会的な弱者だと言えるだろう。

 

 

おわり 

 

 

氷河期世代と結婚について雑文

headlines.yahoo.co.jp

こんなニュースがあったが「10年遅い」という意見がちらほらあった。そういえば10年前もちょうど安部政権である。

もうさすがに氷河期世代を「自己責任」と片付ける人はかなり少なくなったが、当時の自己責任論は本当にすごかった。バブル期入社組と氷河期世代との差がかなりあり、氷河期世代の社員だけがごっそりといない会社もけっこうある。

私のまわりもそうだが、氷河期世代は相当な能力のある人でも正社員になれなかった時代だ。早慶上智クラスで就活に失敗して非正規になった人がかなりいた。この政策は、そういった本当は実力があるが、たまたま非正規になってしまった能力のある人を救済しようという政策であって、おそらく何のスキルもない人材ははなからおよびではない。

氷河期世代を正社員化、採用の企業に助成へ (読売新聞) - Yahoo!ニュース

助成の悪用が後を絶たないのにまた作るのやめて欲しい、不要になったら「解雇にしたら助成金がおりないから自主退職してくれ」って言う会社が確実に出てくる。

2016/10/31 15:29

b.hatena.ne.jp

 

 

こんな記事もあった。

www.kandosaori.com

かんどーさんも氷河期世代だ。かんどーさんは叩き上げでここまで来た。彼女がこれまで女社長としてものすごく奮闘してきたことは、ブログを読めばよくわかる。

私も1人で個人事業主をやっていたからわかるが、結婚していない女を舐めてくる男性がいる。独身女性というだけで足元をみられる。恐怖だった。だからかんどーさんもこれまでに本当にいろいろな苦労をしてきたと思う。

「子どもを出産して育児しているあいだの生活費は生活保護ではどうか」という発言が出てくるが、生活保護は最後の砦だから貯蓄があると支給されないし、そもそもかんどーさんは車を持っているので、車を理由に受給は認められないだろう。そして三等親まで扶養照会が行く。生活保護はわずかな貯金さえ持てないから一度生活保護に行ってしまうと抜け出せなくなってしまう。次に事業を起こすための資金も貯められない(貯めた時点で保護が打ち切り)ということになる。この制度上の欠陥、どうにかならないものかと思う。

働いている女性のうちじつに7割近くが非正規だが、非正規にも産休育休はない。名目上はあるが非正規の女性が妊娠したら首になるのが当たり前だ。出産育児に何の保障もないという点では、女性経営者も非正規雇用もそこは同じだ。

こうして見ると、そら少子化にもなるよなぁと思う。

竹中平蔵は、日本人のすべてを非正規雇用にしたいようだが…

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小泉&竹中政権こそ、日本を弱体化した張本人だと私は思う。

 

氷河期世代少子化がごろりと進んだ世代だ。以前、医療費の制度を調べていて感じたが、氷河期世代団塊ジュニアだから、この世代でベビーブームが起きるであろうという予測を立てて制度設計がなされている。だからベビーブームが起きなかったことで、年金にしろ医療費にしろ、本来あったはずの制度が立ち行かなくなるのが決定的になった。

 

かんどーさんがブログで書いているように、自営業の女性にはたとえ妊娠しても何の後ろ盾もないし保障もない。子どもを産む程度のことで国に頼るような人は最初から子どもを持つなというのが、この国が出してきた判断なのだろう。

男性経営者が当たり前のように子どもを得て「これからは子どものためにも邁進します!」とやっているのと大きな差がある。ビジネスの第一線にいる女性の場合、子どもをいつ産むかはキャリア形成に大きな影響を及ぼす。男性がほとんど影響がないのと雲泥の差である。

かんどーさんが自営を選んだ経緯をどこかで読んだ記憶があるが、おそらくだが、その時点で「あれ、このまま自営で行ったら、私どこで子ども生むの!?」とハタと気づいていたら、もしかしたらかんどーさんは子どものために起業せずに雇われる道を選んでいたかもしれない。

私も発達障害があるが、かんどーさんにも同じ障害がある。発達障害の人は長期的な視野で計画をすることがすごく苦手だから、こういう部分が出てしまったのかもしれない。

 

以前、発達障害についてのブログを書いた。

 

nenesan0102.hatenablog.com

 

すると、こんなコメントをいただいた。申し訳ないけど笑ってしまった。

発達障害について思うこと - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

「とてつもない要求の求人が出て、しかもそれが薄給・・・このひたすらに他者に対する高い要求は一体なんなのか」結婚相手に年収1000万円を要求する家事手伝女性と同じで、発達障害の話とはあまり関係ない

2016/10/15 13:26

b.hatena.ne.jp

結婚相手に年収1000万を要求する家事手伝い女性のことはブログで一切触れていないけれど…なぜ??とても不思議だったが、きっと何か思うところがあったのだと思うが発達障害とは本当に何も関係ない。おかしかった。

 

私の母親はちと毒親風味がかかった人だが、私がまだ大学生のころ「年収1000万以下の男とは絶対に結婚してはいけない。相手を連れてきても絶対に認めない」と強く言われていた。しかも弁護士や医者、メーカー勤務はダメだと言う。医者や弁護士は高給リーマンの代表格だが、その二つがダメだとなると一体どんな人なら良いのか。今でも謎だ。

後になってわかったのだが、母親はまだ若いときにほとんど経済DVとも言えるくらいの生活費で生活をやりくりしていた。生まれてきた子どもは全員が自閉症発達障害だったからそのストレスもとてつもなかった。だがお金がないから気晴らしをすることもできない。母は過労の末に入院していたんだが、この入院費用もやはり気にかかっていたと思う。

年収1000万というとだいたい月の手取りが50万くらいになるわけだが、そのくらいあればしなくて良い苦労をせずに済む。体がつらくて歩けないときにためらわずにタクシーに乗ることができる。そう考えての発言だった。

子どもがいて、それなりの暮らしをしようと思えば年収1000万を理想としてしまうのもわからなくもない。子どもが複数いて、それぞれに教育を受けさせていたら、月に50万はあっと言う間に消えて行く。そのくらい子どもにかかる費用は高くなった。

 

氷河期世代は男性側が結婚できるだけの経済力を持てなくなってしまったため、それに引きずられて女性も結婚できない人が出てきた。

以前、どこかで読んだのだが、人間の女がそこそこの均一な能力や容姿を持って生まれてくるのに対し、男のほうは個体差がとても大きいらしい。これは保育園や小学校のクラスなどを考えてみればかなり納得がいく。女で極端に平均から逸脱した個体というのはかなり少数なのだ。

だから少数の有能なオスを多数の平均的メスで奪い合うという構図になる。景気が悪くなるとこの傾向がより強くなる。安定した経済基盤を持っていて結婚できるだけの男の総数がグッと減るからだ。女性の実に7割が非正規雇用なわけだから、もし子どもが欲しいと思ったら、とにかく何がなんでも正規雇用のそれなりに稼いでいる男性をゲットするしかない。それ以外に子どもをまともに持てる方法が見つからない。

だから私のまわりにいる非正規女性はだいたい子どもはいない。

 

自分のまわりで子どもを持っている人は、中学生くらいの頃から自分はいつ頃に子どもを産んでどんなふうな暮らしをして…というビジョンをしっかり持っている人が多い。年収◯◯万以下の男とは絶対に付き合わないという、したたかで賢い女の人たちが結果として子どもを得ている。肌感覚としてはそう感じる。どう考えてもハメられたなというできちゃった結婚で旦那が高給取りという人がけっこういる。だが子どもが生まれたらやっぱりかわいいもので、だいたいデレデレしている。 

 

それにしても北欧のように出産育児で手厚い保護がある国とは本当に違う。。

氷河期世代の女性で、就活に失敗して不本意ながら非正規雇用に就かざるをえなかった人もいるし、できることなら子どもを持ちたい女性もたくさんいるだろう。もうそろそろタイムリミットが近づいてきている。

個人的には、男性が子どもが欲しいからと若い女性を希望するのと、女性が子どもが欲しいからと一定以上の年収の男性を希望するのとはほぼ同一のものだろうなと思っている。

 

 

 

おわり

親戚のばあちゃんに麻について聞いた話

fujipon.hatenablog.com

今回は大麻の是非うんぬんではなく、自分が大好きな昔の話について書いてみたい。

 

親戚のばあちゃんに、いま92歳くらいの歳のばあちゃんがいる。(祖母の従姉妹)

この家に遊びに行って、押し入れを一緒に見ていたところ、中から麻の織物のような布が出てきた。

「これは麻をうちで育ててそれを織ったものだ」と言う。

聞けば戦前の話で、戦前に作ったものがまだ押し入れの中の引き出しにポンと入ってることに驚いたが、ばあちゃんが言うには「昔はどこにも当たり前にあった。山にちょっと入ったら生えてるからそれを取ってきて敷物作ったりだのいろいろしたもんだ」とあっさり言うではないか。

 

へーと思って聞いていたら、やはり麻が禁止になってすぐの頃はすごくゴタゴタがあったらしい。親戚宅からすぐの小高い山でも麻をこっそり育てていたのが見つかって、大捕り物騒動になったそうだ。田舎だからかこういうことが起きる。

ばあちゃんは「戦前までは同じことをしても捕まらなかったのに。なぜいきなりと不思議だった。ものすごく混乱が起きた。私らは麻がなくなって非常に困った」と言っていた。

 

別の親戚のオバチャンは、子どものころ山へキノコを獲りに入ったところ、たまたまケシの花が群生しているところに出くわしたそうだ。これも戦後すぐくらいの話なので、およそ70年近く昔の話だ。

そのおばちゃんいわく、あまりにも幻想的でうっとりと見とれるほどだったという。いわゆる品種改良された麻薬が作れないタイプのポピーは、姿形は一緒だがどうにも何かが違うという。どう違うのかはうまく説明できないらしい。天然のケシはポピーよりももっと大ぶりで、ゆらゆらと揺れるたびに、何か幻惑的な気持ちになるんだそうだ。

 

 

 

短いけどおわり

無題

メンヘラ記事です。嫌な人は読まないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前、こんな記事があった。シロクマ先生はすごくうまい表現をするなと思った。

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

私は発達障害だが、うまく発達する事ができなかった個体だ。

発達障害がとてもつらい。

 

相手の話が理解できない、言葉が違って聞こえる、言葉の裏にある意図がわからないなど、対人コミュニケーションに難があり、それがゆえにトラブルを起きてしまうのを物心ついた時から幾度となく繰り返してきた。

相手の話が理解できなかったり、意図を汲み取れないことは、相手を不快にさせてしまう。だから私は子どもの頃から殴られたり蹴られたりして、けっこうひどい暴力を受けてきた。

なるべく人とコミュニケーションをとらないようにしてトラブルを回避するくらいのことしか、今の私にはできない。どんどん孤立していくが、トラブルのほうが怖い。

 

脳の容量が極度に少ないので、少しいろいろなことをするとその処理ができなくなって気が狂いそうになる。

 

発達障害者の人には感覚過敏があるが、聴覚がおかしくなるのはいつも。ストレスマックスになると今度は五感すべてがおかしくなってくる。

あんまりにもしんどいので、いつのまにか自傷をするようになった。だから私の腕はリストカットアームカットの傷跡で一杯だ。とても立派なメンヘラ。苦しいのでやっていた。自傷するとホッとするのだ。なぜこうなるのかわからない。

 

自分が抱えている多くの問題はほとんどが脳に起因している。

脳が弱い個体に生まれてしまったことを悲しく思う。

発達障害があると対人関係でそのつもりはないのにトラブルが起きてしまう。嫌われたりいじめられたりするのは日常茶飯事になるので、なるべく人と関わらないようにするという方向に気持ちが行く。少しずつ孤独になる。

 

いつの頃からか、発達障害があまりにもしんどいので、安楽死する権利が欲しいなぁと思うようになった。生きていくのがあまりにもつらいからだ。

まだ若いうちなら仕事にも就けるし、チャレンジもできる。失敗をしても「若いから」という理由でけっこう大目に見てもらえるが、歳がいってくるとそうもいかない。

仕事も続かないし、生きて行くことができないというのが目の前に立ちはだかってくる。だから発達障害の二次障害である鬱で自殺する人もいる。

だけど、本当なら自殺なんていう悲しい方法はとらずに、布団に包まれながら眠るように安らかに死にたい。

 

だいたい、自殺をしたらずっとその瞬間を苦しみ続けるとか地獄に行くとか言われているのは昔から納得がいかない。

知人で自殺した人がいるが、彼が苦しみぬいた結果その選択をしたであろう事は容易に想像がつく。苦しんだからこそ、天国で安らかに笑っていてほしいと思う。

 

なぜ日本では安楽死が認められないんだろうと思っていたが、障害者の親の団体が反対しているというのをどこかで読んだ。自分の子どもが殺されるのではという恐怖から強い反対をしているそうだ。

でもさ、これ親の団体だからこうなるんやろけど、親も仕事がなくて生きて行くのがしんどいとかだったらどうなんかなと思ってしまう。なんだか腹がたった。

 

 

私はできるなら安楽死したい。

生きていてもまわりに迷惑をかけてしまうばかりでつらい。

 

 

以前、どこかのブコメで「ときどき心中についての話を夫とする」というのを書いたらびっくりされたのかIDコールが来た。

自分は病気で働けないし治らない障害を複数かかえている。夫は働いているが、このままずっと働けない私を養う力はない。あんまりにも将来的に展望が見えないから心中を検討する事があるわけだが、その人からは「あなたのような人のために社会福祉があるのだ」ということを言われたが、これからの日本がそうまでして頑張って生きている価値があるようにも思えなかった。

社会保障のリソースは限られているから、生きていたい人に使って欲しいとも思う。

 

 

私のような、病弱で生きる力を持たない個体はできるだけ安らかに死ぬのが救いだ。

自殺してしまうと来世がないそうなので安楽死が認められて欲しい。

どうか、どうか来世では発達障害には生まれませんように。

 

似非科学や民間療法について思うこと(長文)

親戚に農家が多い。自分の実家でも家庭菜園と呼ぶには広すぎる大規模な畑を運営していた時期がある。残飯などをコンポストに貯めておき、それを畑の肥料として使うのだが、そのコントロールのために親がEM菌を使っていた。だから子どものころから私の中でEM菌は「畑や観葉植物に使うもの」だった。

母親はときどき、EM菌を水で薄めたものを匂い消しとして使っていた。だから「匂い消しにもなるのか」というくらいの認識だった。

数年前、付き合った彼氏に「頭、大丈夫?」と言われた。その発言からネットでバッシングされていることを初めて知った。EM菌を使っているというだけできちがい扱いされるのにかなり驚いた。

飲用したり、ガンや放射能に効くとうたう人がいるのにはさらにビックリした。土壌のコントロールに使うものをどうして人体に使用しようと思うのか。信じがたい。その発想に首をひねった。

その後、農家出身の女の子と話す機会があったが「親戚とかも畑に使ってますよ」というだけで、こうまで反応が違うものかと思った。

私はまったく、放射能に効くとか病気を治すとかいう効用は信じていない。あれはあくまでも堆肥のコントロールのためのものだと思っている。我が家と同じように農薬補助代わりとして農業や家庭菜園に用いている人までバッシングするのは少し違うのではないかと思う時がある。

www.huffingtonpost.jp

こんな記事があった。内容がいまいちよくわからなかったが…。

今日は民間療法やそれを取り巻く事象について書いてみたい。私は古い話が好きなので、どうしてもそちらに話が行きがちだが書いてみたいと思う。

 

 

まだ医療系の学生だったとき、私は「へんてこな民間療法を収集したい」という謎の欲求があり、こつこつと資料を集めていたことがある。

資料を集めていると、本当にさまざまなものに出会うもので、あんまりに面白いから取っておいたものの1つがこれである。

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これは戦前の話である。1934年(昭和9年)の婦人雑誌の記事(『主婦之友』1934年1月号)である。

当時は結核が不治の病として怖れられていたが、ある女性が自殺しようと石油を飲んだところ、意に反して結核がけろりと治ってしまったという。そのことが広まり、石油を飲むのが結核患者のあいだにブームになってしまった。石油を飲むなんてどう考えてもおかしいと現代の私たちは思うのだが、藁にもすがる思いで石油を口にする人がつぎつぎに現れた。当然の結果だが、石油が原因で死ぬ人が出た。

石油の成分のどこに薬理効果があったのかまったくもって不明だが、このような狂ったような民間療法は意外とたくさんあって、こういった類の話を集めていると「人類のもがき」みたいなものが浮かび上がってきてすごく面白かった。

 

昔の薬の中にはしっかりした薬理効果を持つものも存在する。

wired.jp

これはごく最近の記事だが、すごく古くからある薬に実際にきちんとした薬理効果があったという例は意外とある。時代によるフィルターはあなどれない。

 

 西洋医学は、膨大な知識の蓄積と科学的データの蓄積によって体系づけられているが、民間で集められたさまざまな症例や治療法がヒントになったものも多くある。このへんは医学史を紐解いてもらえば色々出てくるが、私個人としては西洋医学と民間療法というのは、車輪の両輪のようなものだと思っている。

古代ギリシャの医学者にディオスコリデスという人がいるが、この人は多数の薬草を調べあげてそれを書物(『薬物誌』)にしている。古代ギリシャの当時の薬草を使った治療というのは、民間治療のそれと大きな差はない。民間でどのような薬草が治療に用いられているかを丹念に広範囲に調べたあげた結果が、書物として医学の古典となっているのだ。民間療法から吸い上げた知識を蓄積し、取捨選択して抽出したものが今日ある西洋医学の礎となっている。

 

ちょっと話がそれるが、私が民間療法に強い興味を持ったのは、それが土地の文化を色濃く反映するものだからだ。たとえば、中東には「砂漠にずっと出ていると、あまりにも水分が少ないため、人の目の中にハエが卵を産みつけるので目から蛆虫を追い出すための方法」なんてものが存在したりする。こんなものは砂漠気候の土地にしかまずありえない。

漢方治療もそうだ。中国は広大なので、土地で気候がまったく違う。おのずと植生も変わってくる。北部では漢方に適する薬草が多く採れたために漢方が発達したが、南部で同じ植物を育てようとしても育たない。気候も土も水もあまりに違いすぎるからだ。だから南部では漢方は発達しなかった。当然の帰結として。

こんな感じで民間療法というのは、多くが土着の風土や気候を反映したものになる。日本は気候や地形がバラエティに富んだ国だから、民間療法も土地によって異なってきてそこを知るのもまた面白い。

余談だが、人肉を食べる治療法は世界各地にある。日本でも山田浅右衛門一門が人間の内臓から得た原料で丸薬を作り莫大な利益を得ていた。人肉による治療というのは、最大のタブーにして最大の魅力なのかもしれない。

 

昔は、今のように情報網も発達していないし、物流も恐ろしく貧弱だった。交通網も発達していない。ほとんどの人々は土地にしがみつくようにして生きていた。あの水俣病も当初は風土病だと思われていた。かつては、標準医療である西洋医学そのものの精度もまだまだ低かった。現代でも治せない病気がいくらでもあるように、医療の歴史というのは闘いの連続だ。山田浅右衛門の丸薬が、今ではどれだけのお金を積んでも手に入らないのと同様に、消えて行った民間薬がたくさんある。一子相伝で製造方法が秘密にされていた薬というのもけっこうあったりする。これはとてももったいないなと思う。1000年前の目薬のように、思いがけないところから発見があることはこれからもあると期待したい。

 

なぜ病院にかからないのか?

 

古いが、ここに興味深いアンケートがある。昭和26年に厚生省が行った、「なぜ病院での治療を受けないのか?」というアンケートである。古いものだが、ここから見えてくるものもあると思うので掲載する。

 

国民医療費総合調査(昭和26年/厚生省)

病院にかからなくても治ると思った 57.0%

他に良い治療法があった 14.5%

診療費が高い 11%

医師まで遠い 8%

医師にかかる暇がない 3%

医師にかかるのが嫌だ 2.4%

身近に知識のある人がいた 1.3%

その他 2.3%

出典『家で病気を治した時代 昭和の家庭看護』小泉和子/農山漁村文化協会/2008

 

昭和26年は、国民皆保険制度施行のちょうど10年前にあたる。医療保険がないがゆえに病院へかかれない人もいたであろう時代である。

では、現代の人々はどうなのだろうか。2013年の調査があるので、比較してみたい。

 

www.garbagenews.net

2013年の調査

病院に行くのが面倒だった 31.1%

病状が軽かった 30.0%

お金がかかると思った 22.2% 

できるだけ病院に行きたくない 18.9%

不調があるのは普通のこと 18.2%

病院に行く時間がなかった 16.6%

出典 http://www.garbagenews.net/archives/2041132.html

 

このデータ比較は意外だった。国民のGDPは昭和26年に比べたら桁違いに上がっている。生活水準もあがっているが医療費を気にかける人が昭和26年の調査よりも2倍に増加している。しかも、国民皆保険制度が普及したいま、多くの人の医療費負担は3割なのにである。興味深い。

病院にかかるのが嫌だという人は、2.4倍→18.9倍と大幅に増えている。医療サービス自体は発展の一途を遂げてきたが、なぜここまで病院にかかりたくない人が増えてしまったのか。(待ち時間が問題か)

 

 

少し前、アメリカで子どもを病院に連れて行かなかった親が逮捕されたというニュースがあった。

spotlight-media.jp

子どもは、中耳炎から脳炎を発症し、それが原因で亡くなっていたが、この夫婦は「子供を病院に頻繁に連れて行く金銭的余裕もなかった」と話していたのが悩ましい。

端的にホメオパシーを盲信的に信じているというよりは、金銭的な余裕がなく、子どもを病院に連れて行けないことと西洋医学への不信感等が複雑に絡み合って、このお母さんはじょじょにおかしくなっていったのではないかと思う。日本の自治体のように、子どもへの医療費助成のような救済制度があればこの子どもは救われたかもしれない。こと医療に関してはアメリカの制度は本当に貧弱だ。この親子は制度の犠牲者とも言える。

 

元プレイメイトの女性がカイロプラクティックで亡くなったという報道もあったが、アメリカの場合、好きで民間療法へかかっているというよりは、標準医療があまりにも高額すぎて病院へかかれないという事情を考慮しなければならないだろう。アメリカでは盲腸の手術で数百万円が飛んで行く。医療システムが日本とまったく違う。国民皆保険が普及した日本ですら費用を気にして病院へかからない層が2割強いる。これが保険制度がまともに機能していないアメリカであれば、さらにその割合は増加するのは必至だろう。

アメリカの医療費が高いのは薬価を製薬会社が勝手に定めているからだ。とんでもなく高額の薬が存在する。アメリカの医療費が高いのは、薬価がきわめて高いことに由来する。だからホメオパシーに関しての事柄は、アメリカと日本とでは背景が違うことをよく認識しておかねばならない。アメリカだとそこにすがるしかないが多く存在することを忘れてはならない。

 

 

2013年のアンケート調査で、医療費が高いことを理由に病院へ行かない人がいることが2割強ほどいるというデータがあったが、実際は日本の医療費はそれほど高くない。国際的に見ても、OECD比較のデータでは、むしろ低いグループにあたる。

日本は薬価基準を国が制定しているので、制度の大きな改革がないかぎり、いきなり医療費が跳ね上がることはない。だが何割かの人は病院での医療費を高いものだととらえている。これは大きな認識のズレだと思う。

実際は、ほとんどの自治体病院は赤字経営で、赤字を税金で補っている状態だ。とりわけ消費税が上がって以降、医療に使われる機材資材のすべてに消費税が加算されるようになったのに、診療報酬の改定は行われていないため、消費税アップ分がそのまま赤字になってしまう病院がほとんどになった。

日本の医療サービスは偉大だと思っている。こんなに清潔な空間で、プロとして長時間の教育を受けてきた人たちの医療サービスを、たった3割の負担で受けられること自体、素晴らしいことなのだが、医療現場を知らない人の多くは「もっと安くできるんじゃないのか」という意識を捨てることができない。なぜそう思ってしまうのかよくわからないが、安価でより良いサービスを受けたいという意識が医療の場にも満ちていることをよく感じていた。

標準医療に対して価格の面で不満があるのであれば、それこそ民間医療をぜひ試してほしいと思うのだが、こういう人は標準医療をもっと安い価格で受けたいのであって、民間医療を好む派とはまた別のグループであることが多い。

 

前にも述べたように、私は民間医療について調べるのが好きで、あれこれといろいろな資料を集めてきた。だからいろいろなものを知っているが、その中には完全に眉唾のものもあるし、逆に実際に薬理効果があるであろうものも存在する。この判別が難しく、祈祷の類と紙一重なのが民間医療の難しいところでもある。(あまりに面白いので、なるべく眉唾モノを集めようとしていた)

民間療法は基本的に安価で身近なものである場合が多い。庶民の知恵の集合体とでも言うべきものだから、標準医療を求めるあまり完全に民間医療を否定してしまうのは、少しもったいないと思う。

  

 

人類の歴史はそのまま病との闘いの歴史でもある。どれだけ科学が進歩しようと、どれだけ医療が進歩しようとも病が消えてなくなることはないし、不治の病もまだまだ存在している。あらたに生まれる薬剤耐性菌などもある。

私はコメディカルだから素人に毛が生えた程度の医学知識しか持ち合わせていないが、医療に関しての事柄は非常に線引きが難しい。医者本人がトンデモな治療法を掲げていることはよくある話で、これだと普通の人はどう判別していいかなかなかわからない。どこからが標準医療かというのも正直なところすごく難しい。

病に倒れ、体が苦しい状態で、どれほどの人が冷静な判断力のままで医療の選択ができるのだろうか。結核で苦しんで石油まで飲んだ人々のように、藁をもすがりたくなるのが多くの人なのではないか。 一番大事なのは判断力なのではないか。そんなふうに思う。すがってしまうのは限りなく宗教に近いもののような気がする。

 

 

 

おわり

ちょっとお高いラーメンを食べてきた!

錦市場の近くに「五行」という、いつも人が並んでいるラーメン屋さんがあります。

先日そこへラーメンを食べに行ってきました。

 

本当は「猪一(いのいち)」という、これまたかなり並んでるお店に行こうとしてお店の前まで行ったんですが、いきなりの臨時休業だったんですよね。。

tabelog.com

 

なので気を取り直して「五行」へ行きました。

五行も並ぶかなーと思ったらすんなり入れました!ラッキー!

五行は本当にいつも店の前に人が並んでて、その半分以上が外人観光客という、外国人に大変な人気のようです。

tabelog.com

 

道から、厨房で炎がぐわーっと上がってるのがよく見えて、一体なんやろうと思ってたんですけど。焦がす味を作ってるんですかね。今もよくわかりませんがよく炎が上がってます。すごい迫力です。

 

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居酒屋なのでお通しきます(正直いらんけど…)。

ビールは夫が頼んだやつ。

 

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塩ラーメン!この細麺がとても良いです。

これもあっさりですごく美味しかった。

 

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こちらは名物の焦がし醤油ラーメン!これはスペシャル。ちょっとお高いです。1300円くらいする。

 

これがウマイ!!スープがめっちゃくちゃうまい!

大好きな味。焦がし醤油がこんなにウマイのかとびっくりするほど美味しかった。

麺は塩ラーメンより少し太い感じ。細麺でこのスープを食べてみたい。

焦がし醤油は本当に美味しかった。

焦がし醤油ラーメンにはメンマが入ってなかった。塩麺のメンマがとても美味しかったので、焦がし醤油ラーメンを細麺でメンマトッピングすると、私的には最強の布陣になるようだ。

 

 

雰囲気に流されて、秋限定のお皿(サンマの唐揚げ)を頼んだが、これは脂っこすぎて失敗。。

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夫婦二人とも食が細めなので、食べ過ぎてちとしんどかった。

しかしいつも行列しているのがよくわかるレベルに美味しかったし、ものすごく雰囲気の良い居酒屋だった。

 

なぜそう思われたのか謎だが、厨房にいる人がずっと英語で「サンキュー」と言ってきた。どこからどう見てもわたしら日本人だと思うんだけど。ほんまに外国人が多いので、中国人夫妻かと思われたのかも。

本当に美味しかったのでまた行きたい!おすすめです。

 

 

 

おわり