けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

発達障害について思うこと

 こんなニュースがあった。私は「ああ、ついに出たか」と思った。

news.yahoo.co.jp

 今年4月から、「障害者差別解消法」が施行され、その影響があちこちに出て来るのは必至だったからだ。「障害者差別をなくそう」という動きがあっても、現場の感覚とは大きなズレがある。とくに発達障害のような一見すると健常者にしか見えないような障害の場合は、見た目が普通なぶんだけ「甘え」「わがまま」と思われやすい。だから上から降ってきた法律による現場の混乱によって、トラブルが起きるのは時間の問題だったろう。被害者が気の毒でならない。

togetter.com

 記事を読んだときに、ピンと来たのは、職場側が完全に勘違いをしているなということだった。

職場側の人が「障害に配慮する」ということを、「職場でビシバシ鍛えあげれば矯正できて、トライアルの後、別の仕事にも就けるはずだ」と勘違いしていたフシがある。

ビシバシすれば障害が治るんであればどれほどの人が救われるかと思うが、実際は酷くなるだけで治らない。発達障害は脳の問題だからだ。この職場の人たちはどこかで「甘えている」という意識があったのではないか。そんなふうに思う。こちらからすれば、やはり発達障害のひどさをなめてかかったなという感じがする。

 ■

  知人でアップルのエンジニアだった米国人がいる。

彼はプログラミングや数学はとてもよく出来るのだが、自分の家を自分で決められなかった。物件の情報を2つ3つ見ただけで頭が混乱して何がなんだかわからなくなるという。だからこれまで住んだシリコンバレーの家は、すべて彼の友人が決めてきたという。

私は自分が住む家を自分で決められない人がいることにびっくりした。(発達障害だとこういうことがままある)

私は不思議に思ったので彼にいろいろ聞いた。

「もし日本人だったら、あなたの家でしょ、あなたが決めないのはおかしいって思う人がいそうだけど…」

「そんなことで混乱するのは時間の無駄だ。僕には友達がいて友達は僕のことをわかっている。だから友達に希望を伝えて手伝ってもらう。苦手なことをわざわざして、効率を落とす必要を感じない

 私が驚いたのは、彼が他人のサポートを得ることについて何の後ろめたさもない事だった。自分には苦手なことがある。だから他人にやってもらう。苦手なことを他の人にやってもらって何が悪い?とキッパリと言う。本当にあっけらかんと言いきっていた。文化の違いを感じた。

 

 私自身がそうであったように、多くの日本人は人に頼ることを悪いことだと思っている。他者への迷惑だと思う。「苦手なことを認識しているなら、なぜそれを克服しようと努力しないのか」という気持ちがどこかにある。

開き直っているアメリカ人(と言ってもサンプルが少なすぎるが)と全然違う。

よく、とてつもない高度な要求の求人が出て、しかもそれが薄給だったりするので、日本人の生産性が低い原因だと話題になっているわけだが、このひたすらに他者に対する高い要求は一体なんなのか。こういう、すべての事が完璧に出来て当たり前だという異常な要求の高さが、電通過労自殺のような事件のおおもとを生み出す素地になっていないか。

日本の企業はなんでもオールマイティーな人物を要求してくる。以前、経団連が「理想的なビジネスマン」像を発表したことがあったが、そんな人物がなんでわざわざ日本で薄給で働くんだアホかみたいな完璧人間を掲げていた。

 

 発達障害に限らず、人間には得意不得意がある。それは個性とも言うべきものだ。だから早い段階で自分の強みに気づいて、その特性を活かせることができると社会的に失敗しづらい。

発達障害の場合、能力のバラつきがあまりに大きい事、複数のことが同時にできないこと、他者との関係がうまく結べないこと、コミュニケーションに難があること、軽度の場合は発見が遅れてしまうこと。さらに言えば自律神経系の発達が遅れている場合があり、これが原因で体調が崩れやすいことなどが社会適応への壁になっている。

 

 さて、冒頭の記事中で問題になった「場面緘黙」だが、これは他者からみるとなかなかやっかいだ。

場面緘黙を持っている人というのは、気心の知れた相手とはごく普通に話しているが、そうでない人が出てくると急に貝が蓋を閉じたように押し黙ってしまうのだ。

私自身は場面緘黙は持っていないのでそれがどういう心情で起きるのかあまりわからない。だが目の前で普通にしゃべっていた人が自分に対してのみ押し黙るというのは、これは実際に経験するとかなりイラッとくる。自分は何かこの人に対して悪いことをしてしまったのかとグルグルと考えてしまう。「それが症状」と言われてもなかなか心の底から納得できない。本人にその気がないのに敵を作りやすいのだ。だからこの症状があるとすごく大変だ。この被害者になった20歳の女性も小学校から高校卒業までずっといじめに遭っていた。

 

兵庫労働局、発達障害の非常勤女性に「いじめ」「虐待」  〜前局長ら5人処分 障害者雇用推進の役所がなぜ? - Yahoo!ニュース

私も発達障害あるからよくわかる。発達障害者はまわりをイラッとさせてしまうんだ。私もひどい虐待されてきたけど自分が相手をイラつかせている自覚がはっきりあった。ただ直し方が全然わからないのが地獄だった

2016/10/13 23:50

b.hatena.ne.jp

 私は発達障害のためにひどい虐待を受けてきたし、空気が読めないので相手の望むように振舞うことができなかった。だけど直し方がまったくわからなかった。小学生の頃から何度も自殺未遂をした。生きるのが苦痛で仕方なかった。

 

 障害者雇用は、現場も本人も大変

 

兵庫労働局、発達障害の非常勤女性に「いじめ」「虐待」  〜前局長ら5人処分 障害者雇用推進の役所がなぜ? - Yahoo!ニュース

前の職場でも障碍者雇用の人が体育会系崩れの正社員の人にいびられてたし、職場でアレな扱いされてる人とか噂なる人って見てると軽度知的障害とかアスペルガーとかそんな感じで辛さしかない。地獄。

2016/10/14 13:31

b.hatena.ne.jp

 小学生のころ、運悪く軍隊型の右翼教師に目の敵にされてガンガン殴られていたが、発達障害の人と軍隊型の人はそりが合わない。これはもう宿敵みたいなもので、発達障害の人には「皆で一緒に行動」というのが徹底的に合わない。

発達障害の人は発達の程度が個々人バラバラなので、それぞれに対応が必要となる。多様性を尊重されうる環境でないと能力を発揮できない。だが多様性を維持するためにはコストがかかる。だから多様性が維持されるにはある程度社会にゆとりがないと難しい。

法律によって建前上は「障害者を雇用しましょう」ということになっているが、実際はとても難しい。働けている人は体調が一定していたり、障害の程度が軽度な人がほとんどだ。とりわけコミュニケーションに難のある発達障害者が社会適応できるには職場側の工夫がどうしても必要になってくる。それが本来の業務に支障をきたす場合があるので、発達障害者の雇用は敬遠されてしまう。

発達障害の人の多くは非正規などで負担の軽い仕事に就いているか、まったく就労できずに引きこもっている人もいる。ときどき「働けない人を無理に働かせないほうがいいんじゃないか」という意見があるが、私自身も、まぁそうよなーと思う時もある。どちらが良いのかはとても難しい。ケースによるとしか言いようがない。

ときどき、発達障害者に対して大規模な調査が全国規模で行われてくれないかと思うことがある。マクロ的な分析でなにがしかの処方箋が見えてくるのではないかと思うからだ。

 

anond.hatelabo.jp

 この増田を読んだときに、ものすごい符合感があった。これこれ、これや!まさにこれや!そんなかんじだった。ただ、この人はもともとそれなりに社会適応が出来ているので軽度だったのだろうなというのが率直な感想である。病院へ行く前に自分で個人輸入して薬を飲もうと思える勇気や決断力もすごい。いろいろなところで胆がすわった人だ。

薬のおかげでここまで霧が晴れるように人生の輝きを取り戻せたことは本当に素晴らしいことだと思う。だからこのブログでこのダイアリーに言及したかった。

 

いま、発達障害の専門外来はどこも大変な混みようになっている。外来がパンクして新患の受付をしていない病院すらある。そのくらい発達障害に苦しむ人が年齢を問わず増えてきた。社会のあり方がここ数十年で大きく変容して「少し変わった人」くらいの扱いをされてきた人たちを受け入れられる場所が消えてしまったからだ。ある種の特性を「障害」として扱うようになり、そう呼ばれる人が増えてしまったという見方もできる。

私の母方の親戚には、発達障害の特性、とりわけADHDの特性を持つおばちゃんがたくさんいる。彼女達はコマネズミのように常にくるくると動き回って仕事をしていて「おっちょこちょいだがよく働く嫁だ」という評価をされていた。ジッとしていることができないから常に動いてるのだが、彼女たちを「障害」と認識した人は1人もいなかった。

人が持つなにがしかの特性を「障害」とするか否かは、社会のあり方によるものが大きい。私自身発達障害の生きづらさにずっと苦しんできたが、もしもパプアニューギニアの原住民として生まれていたら、同じ特性を持って生まれても、ここまで苦しまなかったのではないか。

  発達障害の特性を持っていると、生きるのがとてもしんどい。できるだけ多くの人が早めに自分の特性に気がついて、適切な治療を受けられるようになってほしいと思う。

 

私は今回の被害者の女性がとても心配だ。これほどまでに障害のために痛めつけられて、彼女の傷が癒えるのには時間を要するだろうし、社会へ出ることへの恐怖感がさらにひどいものになっただろう。まだ若い人なので、どうか合う仕事場に出逢えますようにと願っている。

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

業界の切迫感を肌で感じた話

今日のエントリはものすごく、くだらない話です。

私がアホでした。本当にどうしよもないんです…。

 

 

自分の先輩にちょっと有名な作曲家の人がいて、その人が「不動産屋から高級マンションの営業を受けまくってるんだけど、買える訳ないよね」という投稿をFBに載せていました。で、その写真で写っている物件が「60000万円」とか「48000万円」とか。一瞬アレッってなるでしょ。価格帯は4億〜6億です。そう書けばいいのに。60000万円とかまぎらわしい。(不動産業界のこういうところが嫌い!)

その写真で物件名がわかってしまったので、検索かけて調べたら高級賃貸として出ていた。月の家賃が100〜250万くらい。

その先輩はそこそこお金持ってるから営業に巻き込まれてしまうんだと思う。わざわざ営業が家まで来るみたいで面倒くさそう。

 いま、東京の住宅やマンションが売れなくなっていて、とくに高級路線のものは空き室がヤバイと聞く。

高級路線のマンションは高いから買える人が限られている。何しろ富裕層は全人口の1〜2%しかいないわけで、この人達だって節税対策に買うことはあるにしろそんなにぽんぽん買うわけでもない。マンションが欲しい層はもうすでに買い終えている。高級マンションは売れたら美味しいからポコポコ建ててしまったんだろうけれど、あんまりに見誤り過ぎ。富裕層は拡大しているとはいえ5億前後のマンションを買える層はさすがに総数が少ない。海外富裕層をターゲットにしたほうがまだいいんじゃないか。

 

 

私は間取り図がすごく好きだ。見ているだけでも楽しい。

東京に、住◯ハウジングという不動産屋があって、そこは間取り図が会員登録をしなければできないようになっている。クッソー、見たい!どうしても見たい…!そう思って会員登録をした。自分のアドレスと探している地域や電話番号を入力。会員登録できたー!間取り図をながめて嬉しい〜。

 

 

ある日、いきなり携帯に電話がかかってきた。

「住◯ハウジングの松本と申しますけど」

「ファッ!?」

「港区芝にお住まいの◯◯さんですよね?」

「ファッ!?ち、違いますけど…」

 

とかいうやりとりの後、やれ品川区の中古一戸建が8000万ほどで出るが買いませんかみたいな事をペラペラとまくしたてられた。

私はびっくりした。

ただたんにネットで会員登録をした、どこのウマの骨ともわからない人間に対して高額物件の営業をいきなり始めるのだ。いきなり電話口で1億前後の物件を一気に4件ほど紹介された。「品川区8000万、これはあと400万ほど値下げできます、大田区6800万、港区1億2800万…」値下げできますって知らんがな。間取り図もないのに決められへんがな。

そもそも電話だけで判別なんて、まともな人なら絶対にしないのに一体どういうつもりなの?新人のみそぎ?ローラー作戦?そもそもニーズがまったくわからない相手にこの人何考えてるの?この会社一体どういうマーケティング感覚なの?ノルマかなにかあるの?まぁノルマだろうな…切迫した感じが伝わってくるし。

会員登録のときに自分がどこへ住んでいるかという情報は打ち込む必要がないのに、私はなぜか港区芝の住民ということになっていた。おたくのシステム屋大丈夫なの…。

 

結局、「私は芝には住んでいません。間取りを見ないと判別できませんから登録したアドレスに図面を送ってください」みたいなことを伝えた(私はあくまでも間取り図が見たいのだ)

住所はどこかとしつこく聞いてくるので「どうしてそんな個人情報をそちらに伝えないといけないんですか!」と半切れ気味で言った。そもそも家を買いたいなら自分から動くって。

 

間取り図は送られて来なかった。楽しみに待ってたのに。送れヤ…

 

その電話の後、会員登録が末梢されていた…

 

間取り図見たいだけで登録した私も悪いんやけどさ。。何かミラクルが起きて買おうと思うかもしれないのに。そんな程度で会員登録末梢ってどんだけ器ちっちゃいねん!!

 

某大手高級マンション販売の企業が、負債額がすごいことになっているとニュースで読んだ。切迫してるんだな。。

 

最期に余談なんだが、不動産関係の広告やネット関係も切迫している感じがある。システム屋さんたちが寝ていないんではないかと心配になる。

これは以前FBに出ていた広告なのだが、思い切り値段が間違ってる(多分)。あんまりに面白いのでとっておいた。

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 私はこの物件写真で夫と「ねえ、パパン〜、この家買って〜♡」「ええよ、好きなだけ選び〜^^」という遊びをさせてもらった。

 

 

 

 

おわり

竹炭のススメ

寒くなりましたね、もう秋ですね。京都はまだ紅葉になってません。こないだの連休はすっごい観光客が一杯おりましたね。皆さん田舎からようおこしやす(嘘

錦市場のシャッターが伊藤若冲でいっぱいよ。

 

 

絶賛衣替え中です。

それで、もうあちこちから竹炭が出てきて、自分の行動にちょっと苦笑してしまいました。

nanapi.com

 

もう10年近く前なんですけど、やたら竹炭にハマったことがありました。

そのときに竹炭業者さんから直接買ったところ、めちゃくちゃたくさん買うことができました。

これを小分けにして不敷布の小さな袋に竹炭を入れて、家のあちこちに置いておきました。

 

竹炭には防虫効果や消臭効果などがあるそうなんですが、シロアリだけでなく、ゴキブリにも効くのではないかというのをちょっと持っています。

私は相当料理をする方なのですが、まったくゴキブリ…じゃなかった、Gを見ないのです。出た形跡もないです。不思議なくらい。

私自身がピレスロイド系農薬がダメなので、殺虫剤やバルサンも使ったことはないです。とにかく竹炭以外のものを一切使っていないのです。

 

竹炭は衣替えのときに一緒に手入れをしています。

煮立ったお湯を注いで、それから少し鍋で煮沸して、中に溜ったものを抜いていく。

このとき吸着した匂いがする。すっごいします。竹炭がいろいろなものを吸い込んでくれている。おお…となりましたね、最初は。

 

そういえばものすごく質がよい竹炭をゴハンと一緒に炊き込んだりとかしましたね。すっきりした味になる。

 

他にもいろいろな使い方があるそうです。竹炭のススメ。

nanapi.com

 

 

 

おわり

 

 

自己責任論者と、髪の話

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http://www.boriko.com/weblog/wp-content/uploads/matakaminohanashi.png

 

もうおなじみ、長谷川キャスター

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http://profile.ameba.jp/yutaka-hasegawa/

フサフサですね。

 

かねてから思ってたんですけど、自己責任論をぶっぱなす人って、だいたいハゲてないんですよね。

 

これで私が何を言いたいのかというと、ハゲてないがゆえに、彼らは人の痛みがわからないのではないかと思うのです。

 

ハゲてる人…てかうちの夫もハゲてるんですけど、ハゲてる人は頑張っても、なんやかんやでハゲていきます。

一方で、ハゲない人は何をしてもハゲません。

 

いま、この21世紀において「ハゲが自己責任だ」などという人は、ほとんどいないと思います。ハゲが遺伝性のものであることや、ホルモンの働きによるものだという事が科学的に証明されているからです。

 

ハゲる人は、そのハゲが努力ではどうにもならないことをよく知っています。

ハゲによって、人間性とはまったく関係ないところで他人に見下されたり、極端な話、道ですれ違った子どもに「ハゲ!」「カッパー」「ザビエル」と叫ばれたり等、プライドをけちょんけちょんにされる体験をさせられたりします。頭というもっとも目につきやすい部分に、いじられやすい身体的特徴があるからです。だからハゲている人は、圧倒的な理不尽さに直面し、自分が頭髪において弱者なのだという現実と向き合わされることになります。

 

私がパッと思いつく社会的影響力のある自己責任論者というと、小泉元首相がパッと浮かぶんですけど、この人あたりからですよ、すごい自己責任論が叫ばれるようになったの。彼も頭髪は健在なんですよね。竹中平蔵もそう。安部ちゃんも髪の毛フサフサですよね。橋下さんなんかもフサフサ。ここしばらくの経団連の会長もフサフサばっかり。

 

頭髪がある人というのは、自分の身体が、自分の意志でどうにもならない、コントロールできないということを、身を以て知る機会がないんではないかと思うんですよね。

だから、人間頑張ればどうにかなるみたいな万能感があるのではないか。上にあげた自己責任論者の強者たちは、身体的な特徴をだれかに小馬鹿にされるという経験はおそらくないでしょう。

 

たまたまなんですが、ハゲる人は何をしててもハゲて、ハゲない人は何をしてもハゲない、みたいなのって、長谷川さんがぶちあげたあの病気の構図にとてもよく似ているんですよ…。

 

長谷川さんの主張のバックに「医信」っていう医師集団があったそうなので、リンク辿ってクリニックのHPとか見たんですけどね、誰もハゲてないんです
これが20代前半からおでこの脇のほうがキてて、世の無情や儚さを知ったなら、また人に対しての感覚、少し違うんじゃないかしら…。

 

なんかどうしようもないことを書いてしまったけれど以前から思っていたので書きました。

 

 

 

おわり

 

少子化の影に地方衰退の現実があるんだよなと思った話

 子どもは高卒でもいいんじゃないかというエントリがいくつかあがっていた。

ta-nishi.hatenablog.com

www.pojihiguma.com

 

紆余曲折は経たけど、それなりのお仕事をして飯を食うに困らない。(転職をしなくても生きていけるのは、会社が地元に根差してしっかりしているから) 家を建てて同居していない子供に投資するくらいの生活はできます。

高卒でも人生困らない自分に大卒の重要性を理解できない理由がわかった - ポジ熊の人生記

 

 高卒であっても安定した生活を営んで、次世代の再生産ができるのであれば、どれほど良いか。ポジ熊さんもタニシさんもは大学へ行かなかったがそれなりの暮らしを営んでいる。これはとてもラッキーなことだ。

だが高卒でそれなりに豊かに暮らしていけるという人は、実際はかなり地域差が大きい。その地方がどれほど衰退しているかに左右される。個人の努力の問題ではないのだ。

 

 

 古い話になるが、昭和中期頃、地方には名だたる大企業の大規模工場がいくつもあって、それらの巨大工場ではおもに地元や周辺地域の中卒や高卒の人が働いていた。

私の親戚の伯父さんもそうした工員のうちの1人で、当時、富◯通の大きな工場で働いていた。高卒で就職したが、好景気の風が吹いて年収が600万以上あった。男の人だから多少ホラ吹いているかもしれないが、残業が多いと月の手取りが80万を越えたこともあったそうだ。この話を聞いたうちの母親は目をぎょろぎょろさせて仰天していた。

大学院を出て博士号を持つ自分の夫よりも高卒の伯父さんのほうが、手取りがはるかに良かったからだ。

伯父さんは大きな立派な家を建て、子どもは二人とも都会の大学へやった。

 

この伯父さんのケースは、昭和中期に、日本の地方のあちこちに見られた、もっとも成功したモデルケースだ。

 

 昭和後期からこの手の工場がごっそりと姿を消して、中国やタイ、フィリピン、インドネシア…そういった場所へ移ってしまった。もう戻ってこない。

工場の跡地はからっぽになった。跡地にイオンが出来たところもあるが、働いていた人はちりぢりになった。企業はその土地で働く人の生活なんておかまいなしだ。だって海外のほうが人件費が安いから。慈善事業をやってるわけじゃないんだから。

 

 若い人が働く場所がなくなった。若い人は仕事にありつくために都心を目指して故郷を捨てるほかなくなった。過疎化した場所にも仕事がないわけではないが、そのパイは限られている。

 地方の若者は、高給や快適な暮らしを胸に抱いて都会へ出るが、彼ら彼女らを待っているのは狭い部屋と高い家賃で、地方より良い給料を得ても、家賃に溶けるようにお金が消えて行ってしまう。

東京の20代前半男性の平均給与が240万というデータがあったが、この数字ではとても結婚はできない。日々暮らしていくのが精一杯だと思う。だから晩婚化する。

 地元に残った人が、有形無形の援助を地縁や親などから得られるのに対し、都会へ出た若者はそういった協力を得ることはできない。彼らは地縁を失ってしまうのだ。

 

 地方で地場産業がほとんどなく、若い人の仕事がなく、あっても薄給で働く場所が自衛隊か村役場しかないみたいなところは意外と日本のあちこちにある。沖縄のように米軍基地に依存している土地もある。原発に依存している地方もある。先月あった福井県美浜町の長の訴えは、この地方からどうか産業を奪わないでくれという悲痛な叫びでもある。衰退がきわまると、財政破綻になる。夕張市の厳しい状態を見てみれば、いかにそれが恐ろしいかがよくわかる。

 

 高卒でも安定してそれなりの給料が得られる仕事が日本の各地方に豊富にあれば良いのだが、多くの人は新卒切符をゲットして就職戦線で戦うしかない。このために、社会に出た時点で数百万の借金を背負わなければならない若者が増えている。

少子化で子どもの数が減ってきているのに、奨学金の割合は年々増えている。

f:id:nenesan0102:20161005143231g:plain

http://www.garbagenews.net/archives/1989935.html

 

半数を超える人が奨学金という借金を背負っているのは、さすがに異常な状態ではないのか。多額の借金を背負って大卒の非正規になってしまう人もいるわけで、一体これはなんだと思わざるをえない。

日本の国は子どもを育てようという意識がもうほとんどない。教育に関する費用(対GDP)がOECD中でも最下位クラスなのはよく知られたことだが、人材を育成するという気持ちがどこにも見られない。

 

 高卒で安定した仕事に就けるのであればどれほど多くの人が救われるだろうかとかねがね思っている。新卒切符のためだけのFラン私立大よりも、高専のほうがはるかに教育投資として良いのではないか。 高専のような学校をもっと増やす事はできないのだろうか?

 

 

 

おわり 

 

 

無題

卵巣に腫瘍があることが発覚した。時折下腹が痛かったのだが、結局これやったのかという感じだ。卵巣の腫瘍は手術適用範囲まで膨れ上がっていたが、ピルを飲んで卵巣を休ませることで縮小する可能性があるとのことで、ここに賭けてみることにした。しばらく経っても縮小しない場合は手術になる。

私はもう子どもを持たないつもりでいるが、可能性から遠ざかってしまうのは、それが治療のためとはいえなんだか物悲しかった。

 

 

このところ、子どもをもつか否かみたいなホッテントリがすごく多く、これがまた興味深くて、けっこう目を通している。

anond.hatelabo.jp

b.hatena.ne.jp

ta-nishi.hatenablog.com

id:Ta-nishiさんの弟さんは中卒だそうだが、平均以上の年収を稼ぎ出して家族も持ち、子どももいるらしい。素晴らしいことだ。具体的に一体どんな仕事なのだろうか考えてしまうが、学歴が必要でない仕事であっても安定性が高く次世代を再生産できるくらいの経済的基盤を築けるというのは本当に素晴らしいことだと思う。

 

 中卒や高卒でも、安定した給与のよい仕事に就けるのであればどんなに良いかと思うが、いかんせんそうもいかないのが現状で、就職活動のスタートラインに立つだけで奨学金を背負わなければいけない人もたくさんいる。結局のところ新卒偏重のこのシステムが諸悪の根源なんだろう。だがこの現状はおそらく今後も変わらないだろうから悩ましい。

 

 

私は少し前に、自分の子ども時代があまりにもしんどかったので、子どもをあまり作る気持ちを持てないというエントリを書いた。

nenesan0102.hatenablog.com

 たまたまだが、このブコメのトップブコメid:Ta-nishiさんだった。

自己肯定感と子どもについての話 - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

幸福な子供時代を過ごした人は幸福を再生産するために子供を産みたくなるし、不幸な子供時代を過ごした人は不幸を再生産しないために子供を産みたくなくなる。その通りだと思うしこういう話はもっと広まってほしいな

2016/09/28 12:21

b.hatena.ne.jp

子どもに関するエントリを読むと、子どもを持つことの肯定派には貧乏でもなんでも子どもを作れという原理主義派がいるが、やはり貧乏のしわよせは子ども自身に行く。

私は子ども自身の事を考えるのであれば、苦しい経済状況で子どもを持つのは、子どもに対して申し訳ないのではないかと思う。子どもに対してフランスのような手厚い保護政策があれば良いのだが、いまの日本では子どもを大事にする政策はほとんど取られていない。親の経済状況と子の自尊心や学校の成績は見事にリンクしているので、不幸な子どもを再生産するのには反対だ。子どもが貧困にあるということがどれほど苦しいか、どれほどその子自身の人格をゆがめてしまうかは、当事者でなければあまり想像がつかないのかもしれない。

 

まわりが裕福すぎるとつらい

 

小泉・竹中の改革で、日本人はバッサリと二分され、経済格差が広がるようになってしまった。氷河期世代はそのアオリをもろにくらった世代だ。氷河期世代で子どもを持っているのは裕福だったり環境に恵まれていたりの人たちで、そうでない層はワーキングプアになっている人もいてこの二極化がすごい。経済格差が人と人のあいだをバッサリと分断していく。

私のまわりには、いわゆる「上級国民」と呼ばれる人たちが多くいる。学生のうちは差がほとんどないが、歳を経るにつれてどんどん差が露になっていく。差がどんどん広まって行く。残酷な現実。差を気にしていると付き合うことができなくなっていく。これが本当にじわじわとメンタルにくる。相手は何も悪くないので、なおさら自分がみじめになる。

  

 経済格差は当然嫁同士のあいだにも存在するわけで、元来コミュ症の私はこの付き合いが苦しい。だから夫の友人嫁とは付き合っていない…だけど、夫としては友達の嫁と仲良くして欲しいしそれを望んでいる。夫のまわりの人たちは裕福な人が多い。夫の年収の数倍ある人の奥様と付き合うことは苦しいものだ。どうしても比較してしまう。

夫の親友夫妻は、7千万のマンションを買って、10年でそのローンをすべて返してしまったそうだ。

  少し前にこの夫の親友夫妻の奥様が子どもを生んだのだが、夫に彼らの映像を見せられて悲しくなって泣いてしまった。いや、実際はもっとひどくて、錯乱状態になってしまった。

その人たちに何の罪もないのに、私はぐちゃぐちゃに傷ついていた。

そのときの私は、とにかく自分には何も無い、何も無いと強く感じていた。

自分には何も無い、体力もない、稼ぐ能力がない、お金もない、産める体もない、育てられる環境がない、産める環境がない、自分を肯定する自信もない、幸せな子ども時代もない。

 

その幸せな夫妻に何の罪も無いのに。

夫にも申し訳ないことをした。

 

自分のような苦しい子ども時代を過ごす子どもはできるだけ減ってほしいと願っている。子ども時代が苦しいというのは、その人の一生をめちゃくちゃにしてしまうからだ。私はいまだに子ども時代の呪縛から抜け出せないままだ。

 

 

 

おわり

 

【石田氏】雑感をつれづれと書いてみる【どこへ行く】

 大学を中退して起業したあの石田氏、すごかったですね。バズり方がめちゃくちゃえらいことになってました。

 

…と思いきや、こんな記事が。(元記事は削除。私は魚拓を読みました)

www.yagirenta.net

このレンタさんという方はとても優しいひとですね。

しかし1部屋しかない空間に他人同士が暮らすのはかなり息がつまると思います。石田氏に転がりこまれて大変でしたね。。

 

自分の記事で恐縮ですが、石田氏の事がバズッていたときに、私もこんな記事を書きました。

nenesan0102.hatenablog.com

 

私はいわば穏健派みたいなところがあって、人生は一度しかないのだから、やりたいだけやればいいけど、とにかくリスクヘッジ忘れんなよというスタンスです。

 

その後、石田氏に対してのインタビュー記事が出て、これがホントすごかった。

menhera.jp

 

石田さんの「自分で自分の人生を選びたい」というお気持ちは、まぁ僕も近いとこあるのですごくわかります。
ですがその先にあるリスクも知った上で、注意しつつ、足元に気を付けつつフリーランスという獣道を歩いてほしいんですよ。今回みたいにネット中から批判の十字砲火を浴びるタイミングと、具合が悪い時期のタイミングが重なると、結構ヤバいですよ。フリーランス、自殺するひとめちゃくちゃ多いんで。

 

 

これすごいですよね。。バッサリ言われて石田氏もビビってしもてるし。。

 

私はこれを読んだとき「ああ〜ほんまや、ほんまや」とうなずいてましたね。

私自身が小さなお店を経営していたので広義の意味では起業家に入るんですが、 仕事がうまくいかなくなって貯金も底が見えてくると、死ぬ事しか考えなくなって行きました。この時期はもう本当に苦しかった。

 

私は5年ほど自分のお店をやっていたんですが、結局もたなくて今年の5月に店をたたみました。この間、自営業の私に話を聞きたいという人が数人現れて、そのたびに自分が持てるだけの知恵を会った人たちには伝えてきました。

私が、石田氏について「大人ができるかぎり知恵をさずけたほうがいいんじゃないか」と言っていたのは、自分自身が起業して非常につらい経験をしてきたからです。

 

起業したいと望む人はちらほらいるのですが、仕事がどこかから降ってくると思っている人が多い

なぜそう思ってしまうのかよくわからないんですが、組織で働いて仕事に追われて、この量の仕事を自分でフリーで受けたら儲かるのになとか思ってしまうのかもしれない。

石田氏も、あれだけバズったから仕事がボンボン飛び込んでくると思っていたのかもしれません。

 

レンタ氏のブログ(魚拓)にも出てきますが、起業家でグイグイ行ける人というのは、普通の会社からは飛び出してしまうくらいエネルギー過多で、とにかく外へ向かうパワーがある人が多い。

私自身、いろいろな人を見てきたわけですが、ちょっと変になって宗教みたいな方面へ行ってしまった人や、どうにもやっていけなくて会社員に戻った人、親や奥さんに食べせてもらっている人、某宗教団体がバックについていてそれで保っている人、今まさに厳しい人、いろいろな人を見てきました。

 

フリーランスになると、めちゃくちゃ勉強し続けないといけない。

これは自分自身に対してのいましめの言葉でもあるんですが、とにかくひたすら勉強。膨大に勉強しなければいけないことが出てくる。

フリーランスは、自分の知識や技量やアイディアをお金に替えて生活の糧にしていくわけですから、人よりも抜きん出てそれらを持っていないとすぐに埋もれていく。

だからたいていの人が常に勉強しているしアンテナを尖らせている。だからすごく疲れてくるしストレスも多大にかかってくる。

勉強することが嫌いな人が起業の道を選んではいけないと思っています。

 

どのくらい動けるか、人と会って話ができるか、自分のアイデアを現実のものにしていくかというエネルギー総量は、個人差がとても大きい。これは端的に知力とか体力とかとはまた別のもので、もともと持っている人は持っているし、持たざる人は持たないのですよね。だから気力があまりない人が起業家の道を選択すると転落と紙一重な感じがします…。

あと、少し前のエントリでも書いたんですが、自己肯定感が圧倒的にないと起業してもやっぱりポシャってしまう確率が高くなると思う。私は自己肯定感があまりにもなかったのでとても苦悩しました。

 

 

石田氏はどこへ行くんでしょうね。しんどい部分もあると思いますが、人生一回しかありませんので、後悔しないように頑張ってほしいです。

 

 

おわり