けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

近況とか

最近の近況。

 

あんまり明るい話題でもないので、暗いのが嫌な人はスルーでお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は今週末に大きな検査が控えています。

からだに負担がかかるものなので、それがもう気持ち的にしんどいのですが。

 

いつの頃からか腹のあたりがシクシクと痛むようになって、日常にそれほど差し障りはないのですが、原因がわからない。この痛いのが生理痛とほぼ同じで、時期的に被っているともう全然見分けがつかない。

 

3月の末くらいに、うーん、おかしいなー、おかしいなーと思っていたのですけれども、ある日突然ドバッと下血しました。

初めて下血というのをこの目で見ました。

俗に聞きますが、あーあー、本当に真っ赤に染まるんだなーという感じで。

後から考えると、自分が生理と勘違いしていただけで4日ほど下血していたようです。

 

まぁおそらく大腸ポリープあたりが濃厚なラインで、もしかしたら何もないかもしれませんが、検査しないと何もわからないので検査に行きます。

 

あんまり落ち込んだりとかはなかったんですけど、

医師から癌の可能性を指摘された時に、

 

「癌だったら、私は安楽死したい」

 

というのを、やっぱり思いましたね。いや、言わないですけどねw

ステージの進んでいる手術不可能のガンであれば、スイスの安楽死施設は受け入れてくれるはずです。

これまであちこち安楽死を主張してきましたが、自分自身が安楽死で死ねるならこれほど本望なことはないです。詳細なレポートをこのブログに残してから逝きたいと思います。それは後に続く人にとっても良き情報となるでしょう。

 

とはいえ、どちらかというと何もない可能性の方が大きいでしょうね。

 

ただ、死ぬレベルの癌だった場合、それは私にとってある種の救いなんですよね。

もう色々と生きるのに疲れてきた私は、誰にも責められない形でひっそりと死ねたらと思っています。そのくらい私は生きるのがしんどかった。

 

・私が死んだら、灰の半分を京都の東山の街全体が見下ろせる場所に撒いてほしい

・あまり墓には入りたくない

・可愛がっている猫のヒゲでも一緒に入れて焼いてほしい

 

今のところ、このくらいでしょうか。

 

私は今まで、発達障害に関するエントリを色々書いてきましたが、発達障害の人はものすごくストレスに弱いです。個体差はありますけどね。

そういう中で、統失を発病してしまう人もいれば、別の病気に罹患する人もいるでしょう。

私はとりわけストレスには弱いたちです。ストレスがすぐに体に出て苦しみます。

若い時に発達障害の二次障害でからだを痛めつけてきたため、その影響が出てきたのもあるかなと思います。

 

とりあえず検査を頑張ってきます。

 

 

 

おわり

 

 

 

不法投棄を目撃する

 今日のお題は、「ねねさん、不法投棄を目撃する!」です。

 

 以前から、近所の公園のタバコの吸い殻や小さなゴミを拾ったり、ささやかなボランティアを続けてきた私なのですが、今日、公園に行ったところ、バタン!と大きな音がして、何かと思ってそちらを見たら、隣接するアパートの住人がフェンスの上から大きな物を公園に向かって投げ入れたところでした。

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投げ入れられたゴミ

 びっくりして音のした方へ走っていって撮ったのがこの写真です。

 

いや、ほんとびっくりしました。こんなことをする人がいるんですね…。

 

 んで、本棚とおぼしきこの板数枚をまたアパートのところにソッと戻しておきましたが、見方によっちゃ私が不法投棄しているみたいに見えるではないか。誰にも見られませんようにと祈りつつ、ソッと置いてきましたが。

 

 驚いて、仲良くしているCさんにメールで連絡して数十分後に会ったところ、

なんと昨夜の11時半頃にCさんご夫妻が通りがかったところ、アパートのフェンス越しに、カラーボックス丸ごと、毛布、ゴザなどを一気に捨てている輩がおり、

ご夫妻でそのままアパート側にゴミを戻してきたと言うではありませんか。

 

うわぁ、これは悪質。。

 

 色々と話していて推測したのですが、まぁおそらく引っ越して行く人ではないかとの話でおさまりました。大型ゴミを出す余裕がなく、身近なところへ捨てたのでしょうが、本当にひどい。

 ゴミを捨てて行った人はその後もチラチラとこちらの様子を伺っていましたので、こちらが認識していることは相手にもわかったと思います。

 

私は、みなさまご存知の通り大変な小心者ですから、いまだに心臓がバクバクします。

 

 

 

またあとで追記するかもしれませんが、とりあえずおわり。

  

重い本

 久々のブログです。

というのも、もともと使っていたパソコンがちょっと調子がおかしくなってしまい、これはもうあかんかなというところまで来ております。

 私が使っていたパソコンは評論家の柴那典氏のお下がりでして、非常に有り難かったのですが、いよいよもう寿命が来てしまったなという感じで、今このブログは夫のパソコンで書いています。

 

 去年の今頃に書いたブログに長いコメントをいただいたりして、これはあとでまた処理させていただきますけれども、ああ、あんなことがあったのだなーと感慨深く思ったりしているところです。

 

 少し前まで江戸時代にはまっていた私ですが、いや、いまだに江戸期はやはり好きで、イザベラ・バードのことを宮本常一が語っている本など読んでいたりもしますが(これがたいへん面白い)

今読んでいて、おお、と思った本がありますので、こちらで記事にしてみます。

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 なんかもう、見た目からしてすごいですが、これは極東軍事裁判で裁かれた、戦犯とされた人々の最期の遺書を集めた本です。

701篇が納められておりますが、701篇、全て遺書です。これだけの多くの遺書を読むというのは、なかなかに精神的なエネルギーのいるものですが。多くの人が家族にあてて遺書を書いています。妻子、そして郷里の母。最期の胸に残るのはやはりこのような人々の存在なのでしょう。

 

 極東軍事裁判について、私は歴史学徒でもないし、また法学者でもありませんから、何かを語ろうというのはありません。ですが、遺書をつらつらと読むにつけ、なぜこの人が死刑にならねばならなかったのだろうかとどうにも首をかしげてしまう。参謀など、中枢にいた人が有罪とされるのはわかりますが、なぜ書記官や通訳までが?この人たちはおそらくただ組織の末端の一員として、上からの命令に従っただけでしょう。命をもって償うほどの罪をおかしたのだろうか?というのをどうしても感じざるを得なかった。

 

 

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 数々の遺書のうち目を引いたのは板垣征四郎の遺書で、全てが漢詩でした。

板垣征四郎のことは特別詳しくありませんが、あの当時のエリート参謀の教養に私は目を見張ったのでした。漢詩を読み下せるようになりたい。

巣鴨プリズンにおいては、元総理大臣とか、元首相とか、そういったかつての権力者たちもあっさりと処刑されました。彼らの最期の遺書もまた、一編の遺書として他のごく一般の人々と同じく掲載されています。

 

 とにかくすごい本です。これを編纂された方々の尽力に敬意を抱きます。

巣鴨プリズン教誨師であった田嶋隆純氏は多くの死刑囚の最期を看取った人で、この人の胸にも様々な思いがあったことでしょう。(田嶋氏はこの本の編纂中に倒れ、四肢言語不自由の身となりながらも大きな仕事を遂行されました。)

 

ご興味のあるかたはぜひお探しください。

 

最後に、巣鴨プリズンにおける田嶋氏の前任の教誨師であった花山信勝氏の言葉が興味深かったのでこちらに載せておきます。花山氏は遺書にもたびたび名前が登場します。花山氏によって救われた人がそれだけ多かったのでしょう。

 

 刑死の直前、仏前に祝詞を朗誦した人もあれば、賛美歌を歌つた人もあつた。多くは念仏を称えて西方浄土を念じた人たちであつたが、それとともに『君が代』や『海行かば』などを歌い、日本国家と天皇陛下の万歳を三唱する人たちが多かつた。刑死後に天界に上昇して、それから復讐を、と囁いた人が一人あつたが、その他はほとんどと言つてよいくらい、看守の米兵たちに向つて慰労と感謝の辞を述べる人たちであつた。

刑場へと歩みながら、大地を踏むこの世のよろこびを口伝えられた青年もあれば、銃殺場へと急ぐ獄車のなかに居眠りし、目覚めてからも『死すること、まさに帰するが如し』と独言して平然たる老人もあつた。

およそ凡人の想像することもできぬ、崇高にして明朗な場面が、しばしば展開したのであつた。

 

 

 

おわり

あれから1年…!

 自分のブログを見返してみて驚いたんですが、去年の今日、こんなブログを書いていました。

nenesan0102.hatenablog.com

 ちなみに、このあと夫は心療内科にかかり「鬱病」と診断され、薬を飲みながら1年が経ちますが、薬は飲んでいますがいっこうに良くなるきざしはありません。

というのも、主治医の先生いわく、夫はおそらく自閉スペクトラムなんじゃないかと。

その二次障害として鬱になっているのであれば、そりゃあ治るのは難しいですよね。

そしていまだによくお酒は飲んでいるし、その空き缶や空き瓶を片付けるのも私の仕事です。

 

 鬱の影響からか夫には異常食活動が見られるようになり、この1年で10キロ肥ってしまいました。

肥った影響で気道狭窄がおきて、夜中はたいていいびきをかいているし、異常な呼吸音とかが見られるようになりました。睡眠時無呼吸症候群の可能性がありますが、まだ病院には行けていません。

 

もうひとつ、夫の特徴的なところは、鬱病ですと診断されたあたりから、ぱたりと家事をやめてしまったことです。

それまでかなりの頻度で皿洗いなどをやってくれる良き夫だったのですが、いつのまにか家事をほとんどしなくなってしまいました。

今では、我関せずという感じで、家にいるときはいつも漫画を読んでいるかアニメを見ているかのどちらかになっています。この間、私はいつもくるくる動き回って、洗濯をしているか片付けをしているか、調理をしているかのどれかです。夫は漫画に夢中で、こちらの動きにもほとんど興味を示しません。

 

私は仕事を再開し、それなりに頑張ってもいて、でも家事も普通にこなしています。お弁当もエントリを書いていませんが、できるだけ作っています。

ところが、夫のいびきで夜中に起こされることが増え、だいたい朝の3時とか4時とかに起こされて。

それでそのまま寝られないときはお弁当の準備をして、それから少しだけうとうとして、自分の仕事、仕事が終わったら晩ご飯の準備、みたいな感じのスケジュールになっていました。

 

前回のエントリのケンカは、私があまりにも疲れ果ててしまい、あなたが鬱なのはわかっているけど、なんとか助けてほしい、お願い、という気持ちでした。

夫に食器洗いを頼み、それから自分は洗濯物の処理をしてうまく時間を作り早くお風呂に入って寝よう、みたいな感じだったんですけど、夫がいつまでも漫画を読んでいるので、それでさすがにもう嫌気がさしたんですよね。

 

次の日、夫が空けたビールの中瓶を見てものすごくカーッときて、大声で泣きながら、ビール瓶で買ってあったケーキをたたきつぶしたり、夫のマグカップを叩き割ったりしました。

 

 夫はどういうわけか、私に対して悪いことをしたという意識はみじんもないらしく、まったく謝ってくれません。

その後、お互いが交互に家出をしたりして、しばらく冷却期間をおいたんですけど、

やっぱりものすごく苦しいときにやられたことって、どうしても許せないですね…

 

一時は仲直りしましたが、あのときの気持ちを思い出すと、怒りで涙がぼろぼろ出てきます。

せめて自分の飲んだお酒の瓶や缶くらいは自分で片付けてほしいし、自分が使った食器も自分で洗うくらいはしてほしい。「この人は鬱だから」と甘やかしてしまった私が悪いのでしょうか。

 

話し合いをしようにも夫が鬱に逃げ込んでしまうというか。

鬱がひどくて動けないような人に家事を頼んでもやっぱり無理だし、

しばらく私の人生修行は続くのかもしれません。

 

 

 

おわり

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

 

新年しょっぱなから、夫にものすごくイライラしています。

読みたくない人はここで帰って下さい… 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日のことになるのですが、私の体調がすごく悪く、夕飯も薬を飲みながらなんとか作った感じで、もうこれはあかんと判断して、夫に「ごめんやけど食後の皿洗いをお願いできないか」と頼んだんですね。

夫は「うん、わかった」とすぐに返事をしてくれたので、そのつもりでいたのですが、

いくら待ってもやらない。ずっと漫画を読んでいる。

もともとすぐに皿を洗うというタイプではないので、私は私で別の家事をしながら様子を見ていたのですが、夫は漫画に夢中。

 

あ、こらあかんわ、この人に頼んだのがそもそも間違いやったと思いまして、

自分で皿を洗いはじめました。(この時点でもうイライラMAX)

私が皿を洗ってるのに気づいた夫がやってきて、「洗うよ」「洗うから」と言うんですが、こっちからするとそうじゃなくて一言、謝ってほしいんですよ。

(結局、残った少しのお皿を夫が洗ってくれて、夫はそれで「俺はやった」と思ってしまったらしい)

 

 ちなみに自分の記憶のかぎりでは、お皿を洗ってくれと頼むことは月に1度もなくて、頼むのは相当に体調が悪いときなんです。だから、夫は選択肢をあやまったなと思いますね。また読める漫画を優先してしまったところが。

 

ケーキを買ってあったんですけど、あんまりイライラがすごかったので、私が手で叩きつぶしました。

 

夫はよく、しんどそうな私に対して「休みなよ」と言ってくれるんですが、かわりに家事をしてくれるわけではありません。他に家事をしてくれる人がいるわけでもありません。だからしんどくても私がやるしかないんですよね…。

 

 

おわり

作山窯のカップを探しています

タイトルの通りなのだが、岐阜県にある「作山窯」というところが5年ほど前に作ったカップ&ソーサーを探している。

正確に言うと、LAのファッションブランドである「プラネット・ブルー・ワールド」が、作山窯とコラボして作ったのがこの商品である。

このフォルム、色合い、使い心地、すべてを気に入っていた。

黄色もかわいいが、緑もすごくかわいい。ずっと探してきたが、どうにも見つからなかった。

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このカップ&ソーサーを1客、所有していて、来客用に使っていたのだが、

自分の不注意から上にごく軽く百均の皿をおとしてしまったところ…

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あああああああああああああ

 

…というわけで、必死に探しています。

 

ちなみに、検索をかけると、「Origami」なるアプリで買えるかのようなページが存在するのですが…

 

origami.com

 

いざ、実際にアプリをダウンロードして探してみてもいっさいありません。

(かなしい…)

 

どうにもならないので、作山窯にメールを出して聞いてみたのですが、

すごく丁寧なお返事をくださったんですが、やっぱりないとのこと(泣)

 

こういうの、どうやったら再販してもらえるの?

誰か教えてください。

 

あと、売ってるところをご存知の方がいらっしゃいましたら、どうかどうか教えてください。よろしくお願いします。。

 

作山窯のサイトはこちら。

非常にすてきな食器がそろってます。でも、自分がいちばん欲しいのはないんだよなぁ…

www.sakuzan.co.jp

 

 

 

おわり

散文

このところ、江戸時代にハマっている。

しかし、しっかりとアウトプットできるほどの知識量はまだない。

なので、適当な散文を書いてみたいと思う。

江戸ブログはほかにたくさんあるので、お好きな方はそちらを読んでいただきたい。

 

先日、こんな記事があった。

blogos.com

「息子介護」に問題が多い理由 『介護する息子たち』 平山亮氏インタビュー - 本多カツヒロ (ライター)

江戸時代はすごいよ。逆に「お役御免伺」(いわゆる介護休暇願や看護休暇願)を申請しなかった藩勤めの武士が、それを理由として処罰された例がある。

2018/12/04 07:01

b.hatena.ne.jp

物珍しかったのか、自分のコメントがトップブコメになってしまった。

 

それはさておき、江戸時代というのは、現代のわれわれが考えるよりはるかに健康志向の強い社会だったらしい。近代医療のない時代だから病気になったらおしまいだ。

だから、多くの人が健康であるように努力していた。健康であることが、社会人としてのあるべき姿だった(らしい)。

家の人が病気になったら、家族総出で看病するのは当たり前のことである。家人による看護のためのハウツー本まで出版されている。

 

江戸人にまともな医療知識というのはほとんどない。

だから、眼病に対して、「4歳以下の男児の尿で目を洗え」とかいう、まさにトンデモ療法が流布したりしていて、この頃の医療事情がいかにひどかったのかというのがよくわかる。今でもトンデモに走ってしまう人がいるが、江戸期は病気といえば「祈祷」である。「祈祷」じたいは明治あたりにいちおう法律で取り締まられているが、戦後すぐくらいまで各地に息づいていたようである。

衝撃映像はこちら

 

 ■

 今ある日本料理というのが成立したのは江戸時代である。

今も残る多くの日本文化は江戸期を発祥としたものも多い。つい先日あった「七五三」もそのうちのひとつであるが、これらの季節ごとの節句行事のほとんどは、健康を願ったものだ。そのくらい、健康であることや、子供の健やかな成長というのは貴重なものだった。

 

で、よく勘違いされているのだけれど、江戸時代は意外と高福祉社会だったらしい。

どこの本だったか忘れたが、「高福祉社会だったからこそ、270年も続いたのだ」という説があり、あー、なるほどという感じでもあった。

 

江戸人の平均寿命はけっこう短い。だがそれは、当時の乳幼児死亡率がとんでもなく高いからであって、いったん大人まで成長した人は、けっこう長生きした例も多かった。70代、80代くらいまで生きる人もチラホラいたようである。

 

貝原益軒という人の記した『養生訓』という本は、かなり高額の本だったにもかかわらず、江戸時代を通じてのベストセラーの第一位だそうである。

ちなみにいま、この『養生訓』を読んでいるのだけれど、これがなかなか面白くてためになる。

貝原益軒自身は、江戸期の医師兼学者なのだけれど、江戸期の医者というのは、基本的には漢文が読めないとなれない。医学書はすべて漢文だからだ。だから貝原益軒の本にも古代中国の誰それがなんと言った、という話が頻繁に出てくる。知識の多彩さに驚かされる。

 

昭和時代によく言われていた「親からもらった体を傷つけるな」という教えは、この『養生訓』に出て来る話である。

だが、実際に『養生訓』を読むと、これの意味は、整形をするなとか入れ墨をするなという意味ではなくて、「節制なしに飲食をして胃腸を傷つけるな、早死にするぞ」である。都合よく意味が変えられていったことがわかる。

 

どうでもいいが、江戸期の医師というのは「僧形」といって、僧侶とほぼ同じ姿格好をしていて、社会的にも似た扱いをされていた。幕府からもらう位も、僧侶のそれと同じものを授与されていた。江戸期の医者は、寺の次男坊、三男坊がなることが多かったそうだが、それと何か関係があるのかどうかはわからない。

 

『養生訓』の中におもしろい記述がある。

「山の人は寒くて気をもらさないので、長生きである」という記述なのだが…

ここでいう「山の人」が、山伏、いわゆる修験道の僧侶をさしているのか、はたまた山に住む炭焼きとかの人をさしているのか、ひっくるめて「山の人」としているのかが謎である。当時は修験道の僧侶というのは、今よりはるかに数多く存在したそうなので、「山にいる人」という認識をされていた可能性もある。

江戸期の山に住む人は、当時は禁制であった獣肉を豊富に食べていた可能性があって、それを考えると栄養状態がけっこうよかったのかもしれない。

 

ただの散文なのでおわり。