安楽死おばさん
少し前、とある人から「安楽死おばさん」というコメントをもらった。
すごいネーミングだなぁと笑ってしまった。
私はあちこちのブコメで「安楽死を法整備してほしい」と書いている。自分自身もできれば安楽死で死にたいと思っている。
自分が安楽死おばさんなら、橋田壽賀子女史は「安楽死おばあさん」である。
92歳の著名な脚本家である橋田壽賀子は、昨年『安楽死で死なせて下さい』という本を上梓して大きな話題となった。NHKの「クローズアップ現代」という番組でも取り上げられた。
一方、この橋田壽賀子さんの主張に対し、「それは違う」と主張しているのが、医師の長尾和宏さんである。
先日このようなコラムがあった。
私は、長尾先生のコラムを読んで違和感が強くあった。
橋田壽賀子が、「認知症になってまわりに迷惑をかけたくないから」として安楽死を望んでいるのに対し、長尾先生のコラムは「癌になった場合の末期緩和ケア」をどこかで念頭におかれて書かれていると感じたからだ。
橋田さんの主張は、認知症になって自分が自分であることすら認識できなくなり、自分の糞便を食べたりするようになってまわりに迷惑をかけるくらいなら、スイスへ行って安楽死したい、というものであって、そこに「今は緩和ケアがすごく発達しているから、苦しまずに逝けますよ」というのは何かズレている。
また、長尾先生のコラムを読んでいて思ったのは、どこにもお金の話が出てこないのだ。
私は、長尾先生に聞いてみたい。お金のまったくない人も手厚い医療や看護を受けられるのですかと。答えはNOだろう。医療サービスは慈善事業ではないからだ。
手厚い医療サービスには、当然その代価が必要になる。その代価を払えない人たちやその家族は置き去りにされる。
長尾先生は、このようなお金がない医療サービスを受けられる余裕がない人々のことをどう考えているのだろうか。
世の中は橋田壽賀子先生のような、家にお手伝いさんが複数いるようなお金持ちばかりではない。お金がなく、医療サービスを受けられる余裕のない人に対して「今は手厚い緩和ケアがあるので、死を恐れなくて大丈夫ですよ」というのはどうにも空しく響く。ケアを受けられない人々をどうするのか、それが一番難しいところなのではないか。
私は氷河期世代だけれど、この世代には非正規のままで中年をむかえ、老後への爆弾を抱えた人が多数存在する。
増え続ける非正規雇用やワーキングプアの問題。単身世帯や無貯金世帯の増加。
下記リンクに貼った「老後破産」の問題は、今よりさらに悪化した姿となって、私が老人になる頃には阿鼻叫喚の地獄絵図になっていることが容易に想像できる。
NHKスペ「老人破産」見た、ひとり身は国民年金では暮らせないし、介護年金は取られ損(国民年金の半額取られる)。カネがないひとり身の老後はミジメそのもの。今回の取材協力者も積極的に生きたいとは考えていない。今こそ、安楽死(尊厳死)について考える時期。いつかは死ぬのだから安らかな死を
— namura (@nanameno0) 2014年9月28日
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少し前、「孤独死したくなければ誰でもいいから35歳までに籍を入れろ」というtwitterが話題になったことがあった。
私は結婚している身だけれど、やはり夫が先に亡くなってしまったら孤独死である。
つい先日あった夫の深夜の家出騒動のとき、夫はかなり細かく夫が死んだ場合の指示を出してきた。口座が凍結される前に預金を引き出してほしいと言って、通帳の場所や保険金のことなどを伝えてきた。
それを読んで、私は自分が一人取り残されてしまうことを覚悟した。
私の場合、夫が亡くなってしまうと、夫の死後どうやって生きていくかが問題である。私は能力が高い個体ではない。難病や障害をかかえている。病気があって体が虚弱だと、それだけでかなり生きるのはつらい。
夫が鬱で耐えきれずに死んでしまった場合、私には生きていくすべがない。
夫も人生にすごく疲れているから、この先も(病院にかかったとしても)自殺のリスクは高い。
夫から悲鳴のようなメールが届くなか、私自身もあまり生きることを望んでいないものだから
「早く一緒に安楽死できるようになればいいのにね…」という返事をしてしまった。
夫がどう感じたかはわからない。
どこかで読んだ調査では、安楽死に賛成する人は国民の7割ちかいそうである。
私は安楽死を望んでいるのはものすごく少数派なのだと思っていたから、このアンケート結果には少し驚いた。
国が安楽死を法整備化できるまでには多くの問題が山積している。安楽死や自殺幇助の解禁は非常に難しい問題だから、この先も法整備化される可能性は少ないかもしれない。だがこの先、増え続ける高齢化社会の問題に対して、にっちもさっちもいかなくなった政府がどうしようもなくなって解禁に踏み切るかもしれない。
安らかに逝きたい。それだけである。
おわり