けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

重い本

 久々のブログです。

というのも、もともと使っていたパソコンがちょっと調子がおかしくなってしまい、これはもうあかんかなというところまで来ております。

 私が使っていたパソコンは評論家の柴那典氏のお下がりでして、非常に有り難かったのですが、いよいよもう寿命が来てしまったなという感じで、今このブログは夫のパソコンで書いています。

 

 去年の今頃に書いたブログに長いコメントをいただいたりして、これはあとでまた処理させていただきますけれども、ああ、あんなことがあったのだなーと感慨深く思ったりしているところです。

 

 少し前まで江戸時代にはまっていた私ですが、いや、いまだに江戸期はやはり好きで、イザベラ・バードのことを宮本常一が語っている本など読んでいたりもしますが(これがたいへん面白い)

今読んでいて、おお、と思った本がありますので、こちらで記事にしてみます。

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 なんかもう、見た目からしてすごいですが、これは極東軍事裁判で裁かれた、戦犯とされた人々の最期の遺書を集めた本です。

701篇が納められておりますが、701篇、全て遺書です。これだけの多くの遺書を読むというのは、なかなかに精神的なエネルギーのいるものですが。多くの人が家族にあてて遺書を書いています。妻子、そして郷里の母。最期の胸に残るのはやはりこのような人々の存在なのでしょう。

 

 極東軍事裁判について、私は歴史学徒でもないし、また法学者でもありませんから、何かを語ろうというのはありません。ですが、遺書をつらつらと読むにつけ、なぜこの人が死刑にならねばならなかったのだろうかとどうにも首をかしげてしまう。参謀など、中枢にいた人が有罪とされるのはわかりますが、なぜ書記官や通訳までが?この人たちはおそらくただ組織の末端の一員として、上からの命令に従っただけでしょう。命をもって償うほどの罪をおかしたのだろうか?というのをどうしても感じざるを得なかった。

 

 

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 数々の遺書のうち目を引いたのは板垣征四郎の遺書で、全てが漢詩でした。

板垣征四郎のことは特別詳しくありませんが、あの当時のエリート参謀の教養に私は目を見張ったのでした。漢詩を読み下せるようになりたい。

巣鴨プリズンにおいては、元総理大臣とか、元首相とか、そういったかつての権力者たちもあっさりと処刑されました。彼らの最期の遺書もまた、一編の遺書として他のごく一般の人々と同じく掲載されています。

 

 とにかくすごい本です。これを編纂された方々の尽力に敬意を抱きます。

巣鴨プリズン教誨師であった田嶋隆純氏は多くの死刑囚の最期を看取った人で、この人の胸にも様々な思いがあったことでしょう。(田嶋氏はこの本の編纂中に倒れ、四肢言語不自由の身となりながらも大きな仕事を遂行されました。)

 

ご興味のあるかたはぜひお探しください。

 

最後に、巣鴨プリズンにおける田嶋氏の前任の教誨師であった花山信勝氏の言葉が興味深かったのでこちらに載せておきます。花山氏は遺書にもたびたび名前が登場します。花山氏によって救われた人がそれだけ多かったのでしょう。

 

 刑死の直前、仏前に祝詞を朗誦した人もあれば、賛美歌を歌つた人もあつた。多くは念仏を称えて西方浄土を念じた人たちであつたが、それとともに『君が代』や『海行かば』などを歌い、日本国家と天皇陛下の万歳を三唱する人たちが多かつた。刑死後に天界に上昇して、それから復讐を、と囁いた人が一人あつたが、その他はほとんどと言つてよいくらい、看守の米兵たちに向つて慰労と感謝の辞を述べる人たちであつた。

刑場へと歩みながら、大地を踏むこの世のよろこびを口伝えられた青年もあれば、銃殺場へと急ぐ獄車のなかに居眠りし、目覚めてからも『死すること、まさに帰するが如し』と独言して平然たる老人もあつた。

およそ凡人の想像することもできぬ、崇高にして明朗な場面が、しばしば展開したのであつた。

 

 

 

おわり