けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

土曜日が来た

ほぼ愚痴なのでどうでもいいブログです。

 

 

 

土曜日になりました。

私が夫に爆発してからあっという間に1週間が経ってしまいました。

 

夫は私に心を閉ざしていて、挨拶もしなければ御飯も食べなくなってしまいました。

部屋に引きこもっていて、休日も出てきません。

もともとかなり自分にとじこもるところがある人なので、こうなると解決策がありません。

夫は「この先も同じようにだましだましの生活を続けて行くなんてもう耐えられない」とメールで言ってきました。夫にはかなりダメージが大きかったようです。

夫が言うにはもう二人の関係は破綻しているそうです。

 

夫は、夫の言動によって私が負担を感じていたというのがすごくショックだったらしく、また何か指摘したら私の負担になるのではないかとものすごくビクビクして

私のことを徹底的に避けるようになってしまいました。

話したいけれど対話どころではない様子…。

 

振り返ってみると、やはりもともとの結婚観のズレみたいなものも少しあったのかなぁと思います。

夫は、それまでと同じ生活をしているところに私が妻としてポンと加わるというのを想定していた感じなんですが、

私は住む場所もがらりと変わるので、1から2人の生活を築いて行こうという感覚でした。

 

同じ部屋へ引っ越して私がびっくりしたのは夫の莫大なモノの量でした。

2人暮らしなのでそれなりにモノが多くなるのは想定していたので、それなりに広さのある部屋を選んだのですが、それをはるかに上回る夫の私物がすごかった。

 

お互いに引っ越しのさいにかなりモノを処分してきたはずなのですが、夫の荷物は私の想定していたモノの3倍くらいありました。本だけで段ボール10箱くらいあって、レコードが段ボールに2~30箱くらいありました。レコードはいまだにかなりの高さにうずたかく積まれています。

 

新しく引っ越したマンションでは、私が仕事を再開できるように、仕事部屋を取れる間取りを選んだのですが、夫のモノがあふれかえって全然片付かず、仕事が再開できないのです…。それで引っ越してしばらくはそのことにすごくいらだちを覚えました。

 

とにかくモノを処分して減らさなければ私の仕事が再開できないと強く訴えて、

いろいろと処分してほしいとお願いしたんですが、私がモノにあまり執着がないのに対し、夫の場合は自分のモノを手放すというのに身を切られるようなつらさを感じるようなんですよね。

 

それにしても驚いたんですけれど、「捨てられない人」というのはやっぱりそういう性分なんでしょうか。夫の場合は破れてぼろぼろになったジーンズとかを10本ちかくずーっと何十年としまいこんでいたり。(もちろん何年も着てません)

あとは何年も使わない食器とかも「これはあのときの飲み会でみんなで100均で買ったから…」「20年前におかんにもらったから…」と言う感じで、ずーっと持ってるんです。

思い入れがあってとにかく捨てられない。

捨てられないので仕方なくそれらを段ボールに入れ、他に置く場所がないので仕事部屋にするはずの部屋にずーっと置いています…

 

夫は引っ越し前にかなりいろいろな荷物を処分していたので、すごく頑張ってるなと思っていたんですが、蓋をあけてみたらもともとの量がすごすぎ、なんとか減らして、それでもモノがあふれているという状態でした。(すごい)

 

夫は平日はフルタイムで仕事をしていますから、私がかわりに片付けをしようかと言ってもそれは嫌だと言う。かといって仕事でものすごく疲れてしまって自分では片付けられない。

私は早く片付けを終えて仕事を再開したいのですが、それができないため、5月はものすごく焦りがありました。

 

夫がいま引きこもってるのはこの仕事部屋で、ここで寝てるとかなり狭くてしんどいと思うのですが…。

早く機嫌を直して欲しいですが、もともとが鬱気味なので難しいかもしれません。

 

それにしても私が京都にいて通い婚のような状態だったときは、そんなにまで口うるさい人ではなかったのだけれど。

やはり一緒に暮らしてみないとわからないことってたくさんありますね。

 

 

 

おわり

ブログで返答

名指しではありませんが、言及されました。

tyoshiki.hatenadiary.com

 

もともとの発端はこちらのブログの私のコメントです。

www.saiusaruzzz.com

「なんで離婚されたのかわからない」という男性の話を読んで思ったこと。 - うさるの厨二病な読書日記

世の中の夫の大半は奥さんにすごく甘えてると思うけどなぁ。奥さんの負担を考えもしないというのもあるあるだと思う。女性側は減点方式で、小さな不満が積み重なってある日ドカンとキレる印象がある

2017/06/14 11:42

b.hatena.ne.jp

 

ブログで、こんなふうに言及されたんですが…

女性としては、常にその場で臨機応変に判断して気を利かせて欲しくて、それが満たされないと不満に感じちゃうのかなぁ。 で、なんかそれで「文句を言わない」ことを「夫を甘やかしてやってる」って脳内変換しちゃうのって無茶苦茶自分に都合いいよね。

「女性から見ると男はたいてい鈍感であり、男から見るとたいてい女性は理不尽である」という話 - この夜が明けるまであと百万の祈り

 

こう書かれていたんですが、私が考える「甘え」とまるで種類が違ったので、ブログを書きました。ちなみにこの文は私にとっては「???」でした。

 

私が想定していた「甘え」というのは、夫が自分でできることを奥さんにやらせてしまう事を指しています。

 少し前にあったこの記事も、構図としてはとてもよく似ていると思う。

www.huffingtonpost.jp

夫がやらないで放置して記憶から消し去ったものを、奥さんがこまめに回収して片付けをしているから、だから家が綺麗な状態に保たれているのに、その事に夫が気づかないということがすごく多い。

この夫の行動の心理背景には「俺がやらなくても奥さんが片付けてくれるからいいや」という気持ちがどこかにある。これが「甘え」だと言いたいのです。

 

「甘え」で思い出したのですが、私はごく小さな頃、団地に住んでいたのですが、

実にさまざまなお父さんがいました。

これはもうほとんど病的だと思うのですが、ある家のお父さんは、家に帰ってくると玄関に直立不動で立っているそうです。そこへ奥さんが「おかえりなさい」と着替えを持ってやってきて、スーツから靴下まで、全部を脱がせて着替えをさせてやる。

奥さんが着替えさせないと、いつまでも玄関で直立不動のまま立ち続けているんだそうです。(怖い)

これはかなりヤバイレベルでしょう。仕事で疲れてしまって、もう家では何もしたくないという心情なのはそれなりにわかるのですが、幼児がえりもいいところだと思います。ひどい甘えだと思います。家で何もしない夫のことを「大きな長男」と揶揄する言い方がありますが、長男通り越して大きな赤ちゃんですよねもう。

 

この例はちょっと極端ですが、奥さんが夫の面倒を見ているうちに、「あれもやって、これもやって」と夫の要求がエスカレートしていくことはよくある事だと思います。

奥さんには「大人なんだからこのくらいは自分でやってよ」というのが少しずつ積もって行く。

このときに、不満を小出しにして「あなた、申し訳ないんだけどこのくらいはやってほしいんだけど」と言っても、奥さんに甘えた心理状態の夫は基本的にそれを流してしまいます。ほとんどの夫が奥さんの不満の小さなシグナルをスルーします。「えー、めんどくさ〜」「うるせーな」とかそんな感じで、全然受け止めないんですよね。そしてすぐに記憶から消えてしまう。

気持ちが伝わらなかったことで、ストレスを溜め込んだ奥さんが、ある日突然泣いて髪の毛を振り乱しながら不満を訴えたり、夫がわけがわからないくらいに激怒したり、いきなり実家へ帰ってしまったりするのにはこういう背景があると思う。男が鈍感だと言われるのはこのへんに由来があると思います。

そして言われた夫は「いきなりキレた、女は理不尽だ」「なんで言ってくれなかった」「早く言え」となる。言ったのに…。

このへんも男女あるあるです…。

 

 私がブコメで書いた「夫は奥さんに甘えていることが多い」というのは、このことを指していたので、返答ブログを書いてみました。

 

 

 

 おわり

 

無能な自分にびっくりした話

私は以前から安楽死推進派です。これは自分が安楽死で眠るように死にたいからです。

 

私は現在、働くこともできず、夫に養われてお金を出してもらって生きています。

だけどこれが心理的にけっこう苦しい。

早く自分で働けるようになりたいのですが、頻繁に体調を崩す身なのでなかなか難儀です。

 

普通に働ける身ではないから、せめて主婦業はがんばろうと、料理や弁当作りを頑張っていたのですが、先週の土曜日に疲れが高じてプッツンしてしまいました。

専業主婦すらもつとまらないほど自分は無能なのかと、ものすごく落ち込んでいます。

安楽死が法的に認められたなら、私はすぐに申し込みたいくらいには自分の無能ぷりに嫌気がさしています。

 

 

私は発達障害があるので、ストレスの処理が難しいです。

知らず知らずのうちにストレスを溜め込んでいて、それを処理できなかったらしい。

 

土曜日はいつも、朝起きてすぐ布団を干して、その布団にクリーナーをかけて戻し、布団カバーなどの大物を洗濯するというのが恒例行事のようになっていたんですが、

その後、御飯を作って二人で食べて、夫の髪の毛を切っていたら、ふいに涙が出てきました。

思えばこれが前兆だったのだと思う。

何もないのに涙が出るというのは、かなり心がやられている状態で、ここで手をとめて休んでおけば良かったのですが、その後もなぜかうまく休むことができずにきりきりと働き続けてしまいました。切った髪の毛の処理をして掃除をし、昼食の片付けをし、ベランダの掃除…気づいたら休む間もなく働きづめでした。(この間夫は昼寝をしていました。そして「掃除をしたあとすぐに布団に寝るとダニが嫌だ」との理由を言われていたので、掃除をした私は横になって休むのを遠慮した)

 

夫はもともとすごく神経質なタイプで、私はいろいろなことを指摘されてきました。

箸の洗い方にもダメだしをされましたし、とにかくあちこちで細かいのです。

だけど、夫の言っていることのほうが正しいし、実際に綺麗な状態にもなります。

夫自身がよく食器洗いをしてくれて、それはもうピカピカに洗い上げてくれました。

だけど、あれこれと細かいことを言われるたびにちょっとずつ自信を失っていったのも事実です。

 

土曜日に髪の毛を切ったあと、昼寝から起きた夫にまたダメ出しをされました。

夫からすればごく当たり前のことを言っているだけだったと思います。

だけど、私にとっては心の中につらいものが蓄積して、それがもうあふれそうなところまで来ていたところに、石をぼちゃんと投げられた感じになった。それで号泣しました。

 

私は発達障害があるので相手の感情や言いたいことを理解する力が弱いです。

だから夫が何を伝えたくてそれを言っているのか、さっぱり理解できないことがたくさんあります。

子どものころから同じクセがあって、大人の言うことが理解できず、飲み込みが悪く同じ失敗ばかりをたくさんするのであちこちで殴られてきました。

 

今も同じです。全然成長できていない。

夫の言っていることがわからない。理解できない。

同じ過ちをくりかえす。

何が悪いかわからない。理解できない。

理解できないから同じことをくりかえす。

 

 

こればかりです。

 

夫は、「障害があるのはわかってるけど、どうしてそれを直そうと努力しないんだ」と言います。直そうとするその姿勢が大事なのだと。

 

そんな正論ぶつけられても。

私は泣きながら夫に「あなたは定型の人と結婚したほうが良かったと思う。そしたら迷惑もかけずに済んだ!」と怒鳴りました。

 

その夜、夫が家を出て行ってしまいました。

 

夫は次の日の深夜に家へ帰ってきたのですが、私と顔を合わせたくないようで、部屋に閉じこもっています。

私もどうしてよいかわからない。

ただ疲れがどうしようもなくひどいので、今は家事や弁当作りを休んでいます。

 

弁当を作っていたころは、いつも朝4時50分くらいに起きて弁当を作っていました。

その後また寝るので大丈夫かなと思っていたんですが、やはり疲れていたんだろうと思います。

 

夫と一緒に暮らし始めたのは今年の4月末からなのですが、1ヶ月半でこんなに潰れてしまいました。

もともと引っ越しという大きく環境が変わる事自体がアスペルガーには忌むべきことなんですけど、やっぱり精神的な負担が大きかったんでしょうね。

 

私の兄はトウシツなんですけれども、あんまりストレスを溜めてしまうと自分もなりかねませんから、プッツンしなければ逆に発症の危険性が高まったかもなぁとも思ったりします。兄はストレスを溜めすぎて発病したので。

そう思うと、どうしてこんなにストレス耐性がないのかなと思います。そういう生まれなんでしょうけれど。

 

 

おわり

 

夫が家を出て行ってしまった

タイトルの通りなのですが、昨晩、夫が家を出て行ってしまいました。

連絡が取れず、どこにいるかもわかりません。

 

これまでアスペルガーの嫁に譲歩したり理解しようとしたり、

自殺しようとした私を引き止めたり、いろいろと頑張ってくれましたが、

夫のかかえていたストレスは相当なものだったと思う。

この先もアスペルガーは治らないので、もう限界かもしれません。

 

一説によると、アスペルガーの人の離婚率は8割にもおよぶそうで、

自分もアスペルガーひどいですし、治そうにも治りませんから、やはりいつか離婚になるのかもしれないと薄々思いながらやってきましたが、

けっこうあっけなくこの時期が来てしまいました。

 

アスペルガーの人が困ることは多岐にわたりますが、私の場合は

とにかく「相手の言いたいことがわからない」「何を伝えたいのかがわからない」

このへんが非常に困っています。

 

今回も発端は夫の要求に応えようとした私がストレスを貯め過ぎてプッツンしてしまったことが引き金なのですが、夫が求めていることはごく普通のことだったと思います。

ただ、アスペルガーの自分には負荷があった。

 

というかアスペルガー関係なく私自身のパーソナリティーが結婚に向くものではなかったのかもしれません。

 

夫が帰ってきても、はたして前のように穏やかに生活していけるかわかりません。

 

もし離婚になったら、私には生きて行くすべがないのでどうしたもんかなと思っています。

 

 

おわり

障害をクローズドにした人にどう接していいかわからない

タイトルの通りなのですが、今、これで悩んでいます。

 

私はこれまでの人生で発達障害のために大変苦しんできたので、このブログでもよく発達障害のことを書いてきました。

確定診断を受けたときの「やっぱりか…」という安堵感は今でもありありと覚えていて、これまでの苦しみの何割かがすーっと溶けて行った感じですらありました。

確定診断後、なんとか障害者枠での仕事に就けないかと考え、そのために障害者手帳も取りました。(ただし私は症状が身体に強く出るタイプなので体調が安定せず今も無職です)

 

最近、発達障害がテレビで特集も組まれたりして、非常にブームになっている感じですらあるのですが、理解者が増えて欲しいといつも願っています。

 

ところで、私は自分自身が発達障害者ですから、似た傾向の人はピンと来ます。

もちろん精神科医ではないから診断はできませんが、自分と似たものを感じる人が自分の周囲にもちらほらいます。

 

1年半ほど前の話になるのですが、知人の女の子が顕著な感覚過敏の症状に苦しんでおり、「つらい」とこぼしていたので、思わず(ここが本当にアスペなんですが)

それは発達障害による感覚過敏ではないのか」と、その人に伝えてしまったのです。

するとその子は激怒して、「私は障害者ではないし、ねねさんも障害者ではないと思う」と言ってきました。

私はどうして確定診断を受けた自分が精神科医でもない彼女にそういう言われ方をするのかなとトンチンカンもよい受け取り方をしていたんですが、誰か他人に「あなたはアスペじゃないの」と伝えることはとんでもない侮辱なのだということを、私は1年以上経て、いま、ようやく、やっと気がついたわけです。

 

私はリアルでは自分がアスペルガーであることを公開していません。

それは差別を怖れてのことなのですが、信頼のおける知人友人、ほんの数人にだけは自分の障害を打ち明けています。

今のところ、アスペルガーADHDであることを伝えたことで差別をしてきた人はいませんが、これから先どこで差別されるかもわかりません。

 

私はバカなので、たまたま自分のまわりに自分の障害のことで酷い態度を取る人がいなかったこと、自分が障害に気づいたことですごく救われたことなどを、

きっと他の人もそうに違いないと勝手に思ってしまっていたんですね。

 

私の中では、アスペルガーは単なる特性であって、人と違う脳の働きをしているという認識のほうが強くなってきたのですが、誰か他人に「アスペルガーじゃないの」と伝えることは「あなたは通常と違う、劣った人間なのだ」と伝えるのと同義なのかもしれないと、この件があってやっとわかったわけです。

 

 

しかし、相手にアスペルガーではないのかと伝えることが侮辱になるというのは、本当に私はわからなかった。言われた側がどう思うのかが、本気でわかりません。

このへんがまさにアスペルガーですが、こうして迂闊に相手の心をざくざくと切りつける発言をしているのだなぁと…。

 

私の妹もアスペルガーで、先に確定診断を受けたのは妹のほうだったのですが、少しでもアスペルガーの話題を出すと激怒して怒ります。

一体どういう心情なのかが私にはわかりません。「この私が障害者なわけがない」という怒りなのか、「できるだけ健常者であるように振舞っているのに、少しでも思い出させるのはやめてくれ」という気持ちなのか。「自分を障害者として扱うのはやめてくれ」なのか。だとしたらなぜそう思うのか。

とにかく私にはこの心情は現在のところわかりません。

 

発達障害にはこんな症状がありますよ、というのが大きく認知されるようになっていくと、クローズドでどうにかして健常者として振舞っていた人が「あの人、実はアスペじゃないの」という見方をされる可能性もあるのだなぁと、そんなふうにも思ったりしました。

 

私の中に、同じ苦しみを持っているのだから分かち合おうよという気持ちがあるのかもしれません。同病相哀れむことが気持ち悪い人もいるでしょうし、これまで必死に健常者として振舞ってきたのに、あんたのせいで!という気持ちもあるかもしれません。

  

発達障害に理解をしめす人もいるので、そういう人と交流をしていけたらという気持ちの一方で、自分はできるだけ人と関わらない方がやっぱり平和なんじゃないか。

そんな気持ちでいます。

 

 

おわり

最近の記事について雑感

前回、A子との関わりのブログを書いた。意外と反響があって、へえーとなっていた。

nenesan0102.hatenablog.com

 

私とA子との付き合いはゆるーく、つかず離れずでネット上のみだったが、数年におよぶものだったから、いろいろな話をした。

その中に、「かつての日本にも私たちと同じような“穀潰し”はいたと思うんだけれど、そういう人たちは一体どうしていたんだろう?」という話題が出たことがあった。

 

ここでいう「かつて」とは、明治とか大正以前である。

この頃の日本は、国民のほとんどが農民だったわけだが、そういう中で体が弱く生まれついた女性や子どもが産めないとはっきりした女性は、一体どこでどのように暮らしていたのだろう。

もちろん男性でも虚弱に生まれついて、農作業に耐えられない肉体の人は一定数確実にいたと思われるが、彼らは一体どうしていたのだろうか。

「おじろく、おばさ」というとんでもない風土慣習のある地域があるが、これだって体の病弱な個体は務まるものではない。

たまたま裕福な家に産まれた女性は「尼になる」という手があるが、尼に出家するにはかなりまとまったお金が必要になるので、これもかなりの財産持ちの家でないと現実的には無理だろう。(しかも実際は尼をするにはかなり体が強くないと暮らしに耐えられない…)

 

今のように社会福祉制度の整わない時代である。

穀潰しを生かせる余裕がある家ばかりではない。

おそらくだが病気になったのをこれ幸いと、まともな看病もせずに見殺しにされていた例がほとんどだと思う。

宮本常一の『日本残酷物語』には、困窮ゆえに家族を殺める話がぼろぼろと出てくる。家族の手による殺人はかつての貧しい日本では起こりうる出来事だったのだ。

 

私とA子は、やはり今の時代に産まれてよかったなと、やはり昔の時代は厳しいなと、そんな結論に達してしまった。

 

 

こんな記事があった。

gendai.ismedia.jp

 

私はたまたま理解ある夫に出会い、結婚することができたが、いつこの立場になってもおかしくないと思っている。

さらに言うと夫に養われて生きているため、なんらかの形で夫が亡くなった場合、私には自力で生きて行くすべがない。

以前も書いたが、私は資格を持っているし実務経験もあるのだが、体が弱すぎてほとんど働くことができない。A子もそうで、看護師資格があるが体が弱ってしまって働くことができない。こういう個体は、庇護するものがなくなったら、最終的には生活保護を頼るほかなくなってしまうだろう。

 

ときおり、街で女性ホームレスを見かけることがあるが、親が亡くなってしまったのち、どうしようもなくなって家を失いホームレスになってしまったのだと思う。このような人もこれからはどんどん増えていくだろう。

 

また、私自身もそうだったが、この世代はまだ発達障害の診断基準が確立していないため、発達障害をかかえているのにそれが見落とされてそのまま大人になった人が少なくない。

以前、引きこもりの調査をしてみたら非常に発達障害の割合が高かったというデータがあるが、この層にも発達障害が原因となった例が何割かは含まれているのではないかと推測する。

 

 

中高年が厳しい状況に置かれているのは男性も変わらない。

こんな記事もあった。

business.nikkeibp.co.jp

 この記事にコメントをつけたら、トップになってしまった。

白書もスルー? 40、50代男性の自殺率の高さ:日経ビジネスオンライン

年齢差別のひどい国で非正規雇用と貧困が拡大したら、仕事に就きづらい中高年が困窮して自殺するのは当たり前の話じゃないの…中高年になれば気力も体力も衰えるし内臓や関節も弱って病気にもなるし。

2017/06/06 09:50

b.hatena.ne.jp

 

しかしこの記事にはいまいちよくわからない部分がある。

自殺しているのは「お父さん」なのか、それとも孤独な「キモくて金のないおっさん」なのか。

お父さんの奥さんは「高いランチ」を食べる金銭的余裕がある。それはお父さんにはお金があるということを示している。

いや、違うんじゃないのか。お金がない人が困窮して自殺するのではないか。

もう少し掘り下げたデータを知る必要がある。

 

社会保障を必要とする弱者男性について、私は書いておきたいことがある。

 

私にとっては「キモくてお金のないおっさん」といえば西成だ。

 

私は、西成のことをよく知るまで、一体なぜあの地域だけがそんなに生活保護の人が多いのかと不思議に思っていた。大阪の人は怠惰なのか?

違った。

事実はまったく違ったのだ。

 

西成のすぐ隣に大正区という街がある。ここも大阪の下町で大変ディープな街なのだが、ここに住む人が教えてくれたことがある。

西成は生活保護が非常に通りやすい地域なので、全国各地から西成を目指して片道だけの交通費を持たされた老人がやってくるのだそうだ。

そして西成の近くで迷う。

知人は何度も道を聞かれたそうだ。

西成の区役所はどちらですかと。

鳥取や、中には北海道からだという人もいたそうだ。

 

「あそこは完全に姥捨て山だと思います」と知人は言った。

 

何らかの形で家族が養うことができなくなってしまったが、自分の住んでいる地域では生活保護が通らない。身内が生活保護なのも外聞が悪い。だけど生きていてほしい。

そうだ、西成へ行こう。

こうして西成に弱者が集まるようになってしまった。

ちなみに生活保護の全国平均は288人に1人だそうだが、西成のとある地域では2人に1人、4人に1人が生活保護という地域があるそうだ。

(これはこの知人が西成で行われた貧困の研究者の人の生活保護に関する調査を聞きに行ってその資料を見せてもらったもので、いわば又聞きなのだが、かなり衝撃的なデータであった)

 

この記事のブコメに「女はいいよな」というコメントがついていて、確かにそうだなぁと思わざるをえなかった。

この背景には、女性が悩みを共有する傾向があるのに対し、男性は1人で抱えてある日突然死を選んでしまうという傾向が強いという背景が大きくあると思う。

 

適当に書いてしまったので、あとで消すかもしれないが

 

おわり

 

 

会えなかった女友達のこと

かつてmixiというのが大流行りしたことがありました。

今もあるのですが、当時の流行はなかなかすごいものがありました。

 

前回のブログで、私は自分の体が弱い事について触れたのですが、基本的にはブログだからこう書いているだけで、現実で体が弱いという話を他人にしたことはほとんどありません。

なぜなら「甘えだ」と受け取られることがものすごく多いからです。

 

私はもともと子どものころから発達障害だったのですが、20代の前半で二次障害として鬱を発病しました。その頃から寝たきりになったり、起きられてもほんの少し活動を一時的に行えるだけという、基本的にはグダグダな状態になりました。

 

発達障害だとわかったのは30代なかばくらいのときで、それまでなぜこんなに体がしんどいのか本当にわからなかった。何度となく検査に行ったり、漢方薬を試したりいろいろやったのですが原因がどうしてもわかりませんでした。

とりわけ月経前症候群がひどく、生理前になると精神錯乱して自傷ばかりしていた。

20代前半はホルモン分泌も多いですからPMSも酷く出たんだろうと思います。

 

20代なかばのあるとき、mixiで一通のメッセージがある女の子から送られてきました。

メッセージを送ってきたのは、かりにA子としますが、A子は年齢も自分とほぼ同じ、

同じようにPMSがひどく、体がいつもしんどくて、寝たり起きたりの生活を送っているという、自分にとても良く似た女の子でした。

 

私たちは一気に仲良くなりました。

何しろ、現実世界で「体がつらい」と言っても「甘えるな」という声が必ず飛んでくるので何も言えない。mixiには日記機能がありますが、暗い事を書いて引かれるのも嫌だ。だけどこの人ならわかってくれる。

お互いがそんな気持ちで「今日もしんどい。死にたい。そちらは大丈夫?」というメールを頻繁に送り合っていた時期がありました。

同じ20代なかばの女性としての悩み、つらかった子どもの頃の話、通常のルートから外れてしまったこの人生。これからどうなるんだろうかという不安、かなりいろいろな話をしたことを思い出します。

 

A子とやりとりするうちに、彼女がもともとは看護師で大病院の外科の手術室勤務でバリバリ働いていたことを知ります。

 

A子は、23歳で卵巣癌を発症していました。

24歳のときに手術をして卵巣を両方とも取り、子どもが持てない体になった。

癌で卵巣を取ったことでホルモンバランスに異常をきたしてしまい、ひどく苦しむようになった。

抗癌剤治療によって体がすごく弱り、術後ほとんど働けない体になって家に引きこもっていた。

私がA子と知り合ったのはこの時期でした。

 

しかし医学的にはA子の体は「治って」いて、再発も転移もなかったため、「あなたは健康」という状態になっていた。だが働けない。体が弱ってしまって、資格があってもとても昔のようには働けない。癌の治療にもたくさんお金を使った。

A子は父親に働かないことをいつもなじられていて、「こんなことになるなら治らなければよかった」とよく嘆いていた。

 

A子は鬱もひどくて、よく「死にたい」というのを送ってきました。

私は、なぜA子が、まだ若いのにこんなにも大きな試練に飲み込まれなければいけなかったのかとよく思ったものです。

不幸に見舞われていなければ、A子は鬱にならずに今日も手術室でバリバリと働いていたかもしれないのに。

 

A子の場合、術後後遺症という状態なので、医学的な区分上は「癌は治っている」。働けないけれど、こういう状態の人に対しては何も救済措置がないことに私は唖然とするしかありませんでした。

私自身もそうですが、ただ体が弱い、病気はないけど働けない人というのは、行き場がないんですよ。生きて行く場所が社会にない。

  

 

 以前、こんなエントリを書いた事があります。

nenesan0102.hatenablog.com

 

 このエントリのブコメには、生活相談があるよとか、何がしかの救済措置が他にあるというコメントを下さった人がいて、それはとてもありがたかったのですが…。

私やA子には「他人や国のお金を使ってまで生きているのは心苦しい」というのがあったように思います。(A子も私も、子どものときに親からひどい虐待を受けて育っていました。だからこのような志向になったのかもしれません。)

 

どんな人でも加齢とともに体が弱って行くものですが、もともとが弱い個体というのは年を経るとさらに弱くなって行きます。

ずーっと寝たきりで、この先も良い展望が見えないとなると、たいていの人は鬱鬱としてきます。社会福祉のリソースは限られていますから、こんな自分がそれを使っていいのだろうかというのも感じてきます。

 (だから私は今でも、安楽死というのはひとつの救済措置としてあってしかるべきだと思っています。 )

 

 

A子はじょじょに精神状態がひどくなっていって、ある日ぷっつりとアカウントが消えてしまいました。

私は非常に心が揺らいで不安にさいなまされたのを覚えています。

結局、その後、A子と連絡が取れることは二度とありませんでした。

 

A子は鬱がひどかったので、鬱が極まって自分を殺めてしまったのかもしれないし、私と暗いメールをやりとりすることに不健全さを感じてもうどうでもいいやと思ったのかもしれません。

真相はわかりませんが、私は今も彼女に感謝しています。

 

 

おわり