けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

おいしいゆず大根と紅白なますの作り方

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ゆず大根です。

おいしいので、作り方を簡単に書いておきたいと思います。

 

材料 大根、柚子一個、こんぶ、すし酢、はちみつ

1.大根は拍子切りにして、できれば一部、面取りをしておきます。面倒くさい人はそのままで大丈夫。

2.塩をふり、しばらく置きます。10分ほど置くと水気が出てくるので、大きめの布巾にとって水気をしぼります。

3.柚子は皮を薄く剥き、ごく薄切りにしておきます。柚子本体を半分に切り、網の上で果汁を絞り、種はとり除いておきます。

4.柚子の果汁にすし酢を加え、約120ccにします。ここにはちみつを大2ほど加えていきます。甘さは好みがありますのでちょくちょく味見をして好みの甘さにします。このつけ汁にこんぶをつけておきます。

5.しぼった大根と柚子の皮を、つけ汁につけておしまい。ジッパー付きの袋などに入れて、冷蔵庫で保管します。

2時間くらい経てば食べられます。

 

メモ:大根、酢、ゆずなどの分量はほとんど適当に作っていますが、そこそこ美味しいものができると思います。柚子の果汁にすし酢を加えていくと、大変フルーティーで美味しいつけ汁ができあがります。

私が作るときのおおよその目安は、大根15センチくらい、ゆずは一個、使う皮は3×5センチくらい、乾燥こんぶは10センチほどをはさみで小さめに切っていれます。大根の面取りをするのは食べやすさが全然違うからです。

すし酢は市販のものを使っています。ミツカンとかのでOKです。

 

 

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 おせちにも使える紅白なますです。

大根:人参の比率を、5:1くらいにするのが赤くなりすぎないコツらしい。

今回はゆずがあるのでゆず風味にしてみました。甘酸っぱさのなかにゆずの香りがほんのり香り、すごく美味しいです。

 

材料:大根、人参、こんぶ、すし酢、ゆず1個、冷えただし汁

1.大根、人参はスライサーで千切りにします。スライサーがない場合は根性で千切りにしましょう。大根と人参に塩を加えてしばらく置き、水気をしぼっておきます。

2.ゆずは皮をうすくむき、細切りにします。使う面積は3×4センチを2枚くらい。多くしないのがコツです。

3.ボウルにすし酢を100ccほどそそぎ、ここにだし汁を加えて酸味をぼかしていきます。味見をしてお好みの酸っぱさに調整します。ここに昆布を加え、つけ汁にします。

4.つけ汁にゆず、大根、人参を加え、全体に和えてできあがりです。

 

メモ:ゆず大根のときもそうなんですが、塩を振ったあと、一度水を注いでから水気を切っています。そのほうがくどさが消えるかなと思います。

すし酢をだし汁でのばすことで、独特のまろやかさが出ます。

分量のめやすは、大根約12センチ、人参約3センチ、こんぶ10センチくらいでしょうか。紅白なますのほうはかなりつけ汁じゃぶじゃぶという感じです。

 

 

似たような箸休め2種ですが、よろしければお作りください。

日本人の恐怖心についての雑感

雑感なので、すごく適当な記事です。

 

 

先日、日本三大怨霊という記事を書きました。

そのときに思ったのですが、時代によって「恐怖心」というのはかなり変遷があるわけで、人々がどのようなことを恐怖に感じていたかというのをさぐると面白いなぁということをちょっと思ったのです。

 

これは私が「へー」と思った話なのですが、古代神道だと、いわゆる「成仏」という概念はないのです。成仏というのはやっぱり仏教の概念なのですね。

古代神道では、人々は死んだら「黄泉の国」へ行くと言われていて、その「黄泉の国」ではふらふらとそのまま過ごす、みたいな感覚だったようなのです。だから「地獄に落ちる」という感覚がゼロですから、死ぬことの恐怖感はもちろんあったとは思うのですが、仏教伝来後とまたちょっと違う。

日本神話では、火の神を産んだために亡くなったイザナミを追いかけて、イザナギは生きたまま黄泉の国へ行くわけなんですけど、ここで醜く腐敗したイザナミの体を見てビックリ仰天、脱兎のごとく逃げ出します。

日本神話自体は編纂はのちの時代だとか言われているわけなんですけど、ここで見られる、神話における古い恐怖、それは「人体の腐敗」への恐怖なのかなと言えなくもない。

それから日本神話には、よく知られているように「ヤマタノオロチ」という化け物も登場します。これはもう聞くからに恐ろしい。八つの頭がある大蛇なんてもう考えただけでブルブルです。異形の化け物に対する、本能的な恐怖心がここに読み取れます。

 

 

前回も書きましたが、平安期になると今度は三大怨霊の一人である菅原道真公が現れて、恐怖の雷神として日本中に名を轟かせます。

平安時代は意外と天災の多くあった時代で、有名な貞観の大地震貞観11年/869年)、貞観大噴火(富士山の大噴火。貞観6年〜8年/864年〜866年)がありました。

道真は845年の生まれですから、だいたい10歳頃に富士山が大噴火していて、空は暗く覆われているし作物は穫れないしで、これはもう現地の人でなくても散々な状態だったと思います。それから23〜4歳のときに東北の方で大変な大地震と大津波が起きています。ほかにもマグニチュード7を超える地震が10年感覚で起きており、道真公のみならず同年代を生きる当時の人々は大変ビビったことでしょう。だからこの当時の人々の恐怖心は、まさに「天災」に対して向けられていたのではないでしょうか。ここで書きませんが、奈良時代もかなり飢饉とか疫病がひどかったようなので、この時代の人々は自然への脅威をつねに恐怖として持っていたと思われます。

道真公が、死去から27年もたってから清涼殿に雷神となって現れたというのも、落雷への強い恐怖感が、道真公を雷神にさせたのかなと思います。

落雷、怖いですよね…人とか一瞬で死ぬし…。

なお、かつての古代神道にあったようなおおらかな「黄泉の国」の概念はこの頃にはほとんどなくなっていて、いかにして極楽浄土へ行けるかというところに人々の切なる願いは集中します。

貴族たちが競って豪奢な寺院を建て、極楽浄土をこの世に再現しようとしたのも平安期です。この「極楽浄土」「往生」と対立する概念が「地獄」です。古代の人々には「地獄」という概念がまったくありませんが、いったん「地獄」を知ってしまうと、やはり地獄が怖くなる。ですから、この時代は地獄への恐怖心が浸透してきたという感じかなと思います。この時代に『日本霊異記』が編纂されており、各地の不思議な話、奇怪な話が集められています。

 

 

鎌倉〜戦国時代はカオスなので適当にいきます。

やはりこの頃の人々は餓えと戦での疲弊に恐怖を抱いていたのではないでしょうか。

新興仏教が強い勢力をもち、どんどん勢力を拡大していく中で、人々の恐怖心は、仏教による救済によってかなり緩和されている部分があったかもしれないと思わせられます。そのくらい、この時代の新興仏教の勃興はめざましいものがあります。

この時代に、現代にも連綿と受け継がれる仏教の一派の開祖、法然上人や親鸞上人などの高名な人物が登場しています。法然上人はもともとは武家の生まれですが、目の前で親を殺されるというショッキングな体験をして、それで仏門に入っています。

どこで読んだか忘れましたが、戦国時代は敵の武将の首は桶に入れて塩漬けにして運ぶのが通例だったとかで、その仕事は女子供の仕事だったそうです。しかしながらある一定以上になるとその仕事にもなれてきて、野菜を扱うように生首をあつかってしまうのだとか。本当かどうかは確かめようもありませんが。これらのエピソードでは、戦が多すぎて死体になれすぎてしまった人もいるというのが伺えます。

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 知恩院にある、鎌倉時代に製作された阿弥陀尿来来迎図。こんなに大勢でもって死のまぎわに迎えにこられるというのはまたそれはそれで怖いんじゃないかと思う…

 

 

江戸期は、あちこちで豊かな文化が花咲いた時代なのですが、この時期ものすごい恐怖とされたのは「火事」だと思います。江戸期には「三大火事」と呼ばれる火事があり、そのたびに町民は逃げ惑い、家をはじめとしてすべてを失う、みたいなありさまだったようで、火事がどれほど恐怖だったかがよくわかります。

丙午(ひのえうま)の由来は、八百屋お七が丙午の生まれだったからだそうですが、この年の出生率ががくんと落ち込んでしまうのが昭和まで続いています。このくらい、この丙午の呪いは日本人全体に広く知れ渡っていたことがわかります。これも一つの恐怖ですね。

火事→犯人の生まれ歳が丙午→丙午の女は火事を起こす→産むのやめとこ…という図式ですが、まぁずいぶん乱暴なものだと思いますが、それでも後世にわたって多大な影響を与えつづけているのですから、もう、日本人全体にかかった呪いのようなものと言ってもよいでしょう。(ちなみに私はてっきり、いわゆる三大火事のうちのひとつが八百屋お七によって引き起こされたのかなと勘違いしていましたが、三大火事と八百屋お七はあまり関係ないようです。)

江戸時代は、著名な『四谷怪談』が作られた時代でもあります。四谷怪談は、もともと四谷で起きたという実際の事件の報告書が元になっているようです。日本霊異記とまではいきませんが、このとき、あちこちの古い話や奇話が集められたようです。

またこのあたりで『百物語』の風俗も定着してきたようですね。百物語はもともと武家の肝試しだったようです。

恐怖の話というのは、ガチに恐怖というののほかに、それを楽しむという側面も持っていますから、人々がどのようなことを恐れて、またそれをネタとして楽しんでいたかというのはすごく興味深いところです。

『百物語』の方法は今読んでも怖いですね…私はすごく怖いと感じますが、ほかの方はどうでしょうか。しかし、この時代は現代のように電気がありませんから、百物語も本当の漆黒の闇の中で行われるわけです。どんだけ求めても光はありません。恐怖の感じ方が何倍も違うと思います。

江戸期は平穏な時代が続いたので、恐怖がエンターテイメント化するくらい、時代にゆとりがあったのかなと思わせられる変化です。

 

 

現代になると人々の恐怖感は複雑化します。人のありかたの多様化が背景にありそうです。現代はどちらかというと、恐怖というよりは不安を強く抱いている人が多いなぁという印象です。

たとえば、いま現代の世において、平安期のように「地獄に落ちるかも」と怖がっている人はほとんどいないのではないでしょうか。H木K子先生は「しかし地獄行く」とドスをきかせた声で話されていましたが、これもネタとしてしか受け取っていない人がほとんどでしょう。

宗教も大変多様化しましたし、文化そのものがすごく多様化しました。だから、日本人全体が「うわー、これは怖い」と感じている恐怖というのは、現在のところさしせまっているのは北朝鮮の脅威とかでしょうか。

 

anond.hatelabo.jp

私も人間が怖いです。ときどきサイコパスによる殺人事件が世間を賑わわせますが、恐ろしいのは人間だと思います。殺人事件はやっぱり怖い。

ちょっと時代はさかのぼりますが、戦国時代の武将の誰かだったかの話で、「見慣れない器で酒を飲んでいるなと思ったら、相手方の武将の頭部を半分に斬ったものを酒の器にしていた」という話があります。本当かどうかはわかりませんが、じゃあこれを聞いてサイコパスだと思うか。もしかしたらこの武将はサイコパスだったかもしれませんが、どちらかというと剛胆であることをまわりに示すためのパフォーマンスだったのではないかと思います。この当時はサイコパスという言葉はありませんが、武将の中にそれっぽい人物はけっこういたのではないかと思います。

 

天災…阪神淡路大震災では東日本大震災では、あらためて地震や天災の恐ろしさをまざまざと見せつけられ、恐ろしさに震え上がった人も多いと思います。

震災、貧困への恐怖、病苦への恐怖、国の変化への恐怖感、こうしたものが現代の恐怖観なのかなと思っています。天災や病苦、殺されることへの恐怖はいつの時代も普遍的ですね。

 

…というわけで、恐怖観の変遷を書いてみました。適当なのですが。

 

 

 

おわり

日本三大怨霊について雑感

先日、ニャートさんがすごく面白い記事を書いておられた。

nyaaat.hatenablog.com

 

私事で恐縮なのだけれど、つい先日ごく浅い知り合いと話していた。

私「下鴨神社に行きたいんですよ」(ほぼ毎年、初詣は下鴨神社だった)

相手「あそこは怨霊を神として祀ったところだからエネルギーが強いんですよ!

私「へ〜。それは知らなかったです」

 

…って、知らないのも当たり前である。

下鴨神社はあとで調べたところ怨霊を祀った神社ではない。

この知人はおそらく「北野天満宮」と勘違いをしていた。

私は北野天満宮に特別な気を感じたことはないのだが、妹は北野天満宮が大好きでここは特別にすごい!と言ってはよく行っていた。北野天満宮菅原道真公を祀った神社である。

 

ニャートさんの記事とは方向性が違うのだが、今回の記事は怨霊についてとりあげてみたい。

 

日本三大怨霊というのは、

菅原道真

崇徳天皇

平将門

のお三方である。

 

このうち、平将門は亡くなったのが京都ではなく、岐阜や東京の神社で祀られている。平将門は大変な人気で、ゆかりのある神社が5〜6社もある。

京都に祀られているのは、菅原道真北野天満宮崇徳天皇安井金比羅宮(※ほかにもある)である。

このお三方の場合、「それは仕方ないかも…」と思うような目に遭ったあげくに、亡くなったあとに朝廷の重要人物がばたばた死んだり戦などが起きたりして、それはもう日本国中大パニックになったので、だから神として祀って怒りをしずめよう、みたいな発想でもって今も神社に祀られている。

平安時代からこっち、朝廷はどうにもならないものを鎮めるために、位をあげたり神として祀るみたいなことをよくやっていて、噴火した山に従位を与えるとか、とにかくおだててなんとかしようという焦りが見てとれる。

 

後世の私から見ると、いくらこのご三方のお力が強大であったとはいえ、直接的になんの迷惑をかけられていないごく一般庶民を巻き込むほどの呪力があるとはちょっと思えない。戦や大飢饉などが起きてしまったのは偶然の産物ではないかなと思う。

歴史をみれば、このお三方をしのぐ凄惨な目に遭った人物はそこそこいるわけで、じゃあなんでこのお三方が三大怨霊なのかなというと、やっぱり物語として面白いとかネームバリューとかいう部分があるだろう。それにしても井浦新崇徳上皇はもう、大変な熱演でしたネ。

 

 

私は、基本的に怨霊とか悪霊というのは、生前から恨みつらみがひどく、物事を根に持ちやすいとか、べったりした性格の人がなるのではないかなと思っている。

だから、ニャートさんがおっしゃっているように、大きな戦があった土地なんかでも、霊でギュウギュウにならないのはどんどん成仏しているからではないか。

また、生前にひどい目に遭ったとしても、元来が根に持つ性格でない場合、亡くなった瞬間にどうでもよくなって成仏していくのかなと思ったりする。

 

私のまわりにもごくわずかにいるのだが、やたらと性格がねっちりしていて、すごく執着心が強くて、恨みがましく、何かあればすべて他人のせいにし、ささいなことで人を逆恨みするような人っていませんか。そういう人が死後、うまく精霊になれずに、その性格のままで残ってしまうのが怨霊なのではないかと私は思っています。

 

で、このロジックでいくと、菅原道真公がそういうねっちりした、恨みがましい、とんでもない性悪な性格だったかというと、う〜ん、何か違う気がしてくる。何しろ政界の天才ですからね。ものすごい頭が切れて、ほかの人ができないようなことを軽々とできる天才って、たいていの場合そんな変なみみっちい性格してないんですよ。いや会ったわけじゃないけど。

崇徳院の怨霊としての影響は明治まであったそうだから、本当にすごい。だけどいくら神として祀ってあっておなぐさめしてますよって言ったって、何百年にもわたって「あの人、恨みすごいんだって!」って日本中の知らない人たちから思われてるのもちょっと気の毒ですよね。

ごく個人的にですが、道真公や崇徳院はけっこう早い段階でもう成仏されてたのではないかと思うんですよね。だいたい、朝廷の重鎮が亡くなるとかは毒殺を疑ったほうが現実的な路線なのですが、道真公のせいにしておいたほうが都合の良い人物がいたのだろうと思います。

平将門は平成の今でも、隣接するオフィスではお尻を向けて座っちゃいけないとか、そういう伝説があるようですね。しかし平将門の場合、首と胴体が切り離されたのに「我が体!ふたたび首とくっついてまた戦をしようぞ!」とよなよな青白く光りながら叫んでいたそうなのですが、これを聞くと恨みというより、雄々しさというか、戦が大好きでたまらないというような武士精神のようなものを感じてしまいます。

平将門は斬られたのちに首が空を飛んでいき、恨みのある人の腕を食いちぎった、その腕を途中でボトンと落とした等の伝説がありまして、この手の話には当時の人の恐怖観というか、ああ、こういうので盛り上がったのかなぁという感じがすごくする。

ゆかりある神社が多いのもすごいのですが、平将門の人気はすごい。とんでもない人気です。

 

この三大怨霊のことも出てくる、小松和彦先生の「日本の呪い」という本がめちゃくちゃ面白いので、気になる方はぜひ読んでみてください。

 

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 最後にすごくどうでもいいんですが…、かりに平安時代の地縛霊がいたとして、

でも、近代の人と平安時代の人はほとんど外国語というくらいに言葉が違うので、同じ場所に違う時代の地縛霊がいたとしてもまったく意思疎通できないのではないかなぁと思ったりした。

 

 

 

おわり

 

もうすぐ100記事なのですが[鬱記事注意]

このブログもあと数記事書くと100記事になります。

よくブログの指南記事とかで「とりあえず100記事をめざせ。なんとか100記事書けばついてくる人がいる」みたいなことを読んでいて、「そうなのか、フーン」と思っていたのですが、気がつけば100記事も目の前に迫ってきました。

 

ブログを書き始めてから生活の大きな変化があり、ずいぶんと自分の感覚も変わってきました。

ブログを書き始めた当初はもう、鬱が本当にひどくて、その影響からまんま鬱ブログだったなぁと思います。正直、100記事近くまでエントリを書き重ねることができるとは思っていませんでした。

最近は鬱になることはあっても、ブログにまでそれを吐き出すというほどのつらさはなくなってきました。

 

私が書いた鬱ブログは、おもに発達障害の、自分と似た苦しみを抱えた人が検索でたどり着くことが多く、共感してもらえることが多く、それ自体が私の救いになっていました。

 

今日は、セルフチョイスで鬱記事とアホ記事を整理して貼ってみたいと思います。

 

鬱記事トップスリー

 

1位 無能な発達障害当事者だけど安楽死の権利が欲しい

nenesan0102.hatenablog.com

この記事は反応も多かったですし、共感してくれる人も多かったです。

少し日が経って思うのですが、ようするに自己決定権を尊重してほしいという叫びなんだろうなと思います。

少し前、知人から相談を受けることがあったのですが、人は尊重されないとき、ものすごく苦しいし怒りを覚えるんだなと思いました。

 私は今でも、自分の死は自分が選択し、自分で決定権を持ちたいと思っています。

どこで読んだかは忘れましたが、安楽死に賛成の人というのはなんと日本人のうちの70%にのぼるとか。早く法整備されてほしいですね。

 

第2位 稼げない人

nenesan0102.hatenablog.com

 これも安楽死を求めている記事です。ハンデキャップを背負った人はおしなべて稼げません。だからみじめなつらい思いを日常的にしなければならない。だから生きているのがすごくつらいという記事です。

なお、もうそろそろ100記事に達する当ブログですが、いまだ一円も稼げていません。

この事実に対してブコメで「そんなことも出来ないなんてバカなんじゃないのか」というコメントをもらったことがあります。見る人によってはそう見えるのでしょう。

しかし障害があるということはそういう事なんじゃないのかと私個人としては思います。普通の人が普通にできることを、どれだけ頑張っても出来ません。だからこそ苦しんでいるわけです。

 

第3位 生きづらさについて考えてみた(後編)

nenesan0102.hatenablog.com

 こちらも、発達障害による二次障害によって、生活に支障を来たすことですごくしんどいという記事です。この記事も反響が大きかった。

今でも強く思うのですが、発達障害の人がどれだけ社会適応できるかは、身体能力の高さが強く関わってきます。逆に言うと、どれだけ高い能力があっても、身体機能がはちゃめちゃだと、たいていの人は社会生活がままならないという事です。

 

 次回はアホ記事トップスリーを書いてみたいと思います。

 

 

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先日、ラケルのマネをして作ってみたオムライスなのですが、やはりとろとろの卵というのがうまく出来ずに惜しい結果になりました。

またラケルに行きたいな。

 

 

おわり

日記と雑感

11月28日。火曜日。

相変わらずですが日課の公園の掃除をしています。

今日は公園の少し離れた場所にあるベンチのまわりの吸い殻を拾い集めました。

ふだん行かない場所で、よくこんなにあるなというくらいありました。

30数本拾った。同時にいつも思うのですが、よくこんだけ枯れた葉っぱがある場所でポイ捨てできるなぁ。この感覚がホントにわかりません。

以前、公園に市役所の人がやってきて軽く話をしたのですが、やっぱりタバコのポイ捨てが原因で木が焼け、ボヤが起きてしまったことがあるそうです。

 

ちなみにタバコと一緒に空き缶やティッシュ、タバコの箱、ガムの包み紙なども拾っています。最初はちと抵抗があったんですけどもう慣れてきました。

今日は茂みの奥に軍手と、脱ぎ捨てたパンティストッキングが捨ててありました。これは…

これはなんなんだ。なぜストッキングが…。ちょっと危険なかおりがするんですが。詳細は謎です。この二つは大きすぎて拾えませんでした。

 

 

今日は大矢誠被告の裁判の日です。ちょうどいま、これを書いているときに東京地裁の法廷で裁判をやっています。私は傍聴に行きませんでした。自分の精神が耐えられるとは思えなかったので行きませんでした。

大矢誠の事件については以前、エントリを書かせてもらいました。

nenesan0102.hatenablog.com

 

私はこの事件があまりにも心理的重圧になっていたので、東京地裁に宛てて個人的な意見陳述書を送りました。こんなことをしたのは人生で初めてのことで、無関係の一般人でもそういったアクションが取れることも知りませんでした。

 

 今日、twitterを見ていて、なんと漫画家のますむらひろしさんが傍聴の抽選に並んでいたというのを知りました。

 

 

少し前ですがこんなツイートもありました。

 

 

このツイートを見て、私は涙が止まらなくなりました。

子どものころから大好きだったますむらひろし作品。優しい不思議な物語の作者が、虐殺された猫さんたちを銀河鉄道の中に描いている。これはすごい供養だと思いました。

猫さんたちは、彼の描く穏やかな世界で、暖かな光の中でゆっくりと何にも心配することなく眠れるのです。

ますむらひろし氏にありがとうと伝えたいです。

 

 

 

おわり

ラケルが大好き

先日ですが、レストラン「ラケル」へ行って参りました。

じつはラケルへ行くのは2度目で、初めて行ったときもこの牧歌的な雰囲気に一気にやられました。

www.rakeru.jp

 

 

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手前が私の頼んだ「海老ときのこのあんかけオムライス」で、奥が夫の頼んだ「ビーフシチューオムライス」です。

どちらも甲乙つけがたい美味しさなのですが、夫のオムライスの方は鉄板に乗って供されるので、だんだんおこげが出来てきてそれがまた美味しい!

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 ジュージュー。

 

 

ところで、ラケルの何が良いって、メニュー表に社長である山中さんのお写真が載ってるんですけど、その写真がすごい良いんですよ。

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(HPより拝借いたしました)

 

ふつう、企業の社長さんのお写真て、ベージュ色とか灰色とかの背景でスーツですました顔で写ってるというのがすごく多くて、なんの面白みもないじゃないですか。

ラケルのメニュー表の内側にあるこの写真って、もう食事がめちゃくちゃ美味しそうだし、美味しそうな料理を前にした社長さんも嬉しそうなんですね。私は、ラケルのここが好きなんです。

 

ところで今回は食べなかったのですが…

これ…

ラケルダイニング秋の限定コース

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ハンバーグにローストビーフにオムライスにスープにサラダにデザートに飲み物までついてこの値段って…!すごいコスパじゃないですか?

 

秋…ていうかもう冬ですけど、このコースいつまでなんでしょうね。

次はこのコースが食べたいです。

 

私がラケルへ行くとなぜか毎回、ういういしいカップルが近くの席に座っているのですが、頬赤らめながらお料理を楽しそうにつついているカップルを見ているのがけっこう好きだったりします。

 

 

おわり

 

京都駅でおっさんに絡まれた話

こんな匿名ダイアリーがあった。

anond.hatelabo.jp

自分のコメントはこんなん

社会人になってから「酒もタバコもギャンブルもやらずに何が楽しいの?」..

28くらいの時に京都駅で声かけてきた小汚い60くらいのおっさんにほぼ同じこと言われたことある。(ギャンブルの代わりにセックスだった) 絶句したなぁ。この人こんな歳になってそんなことしか楽しみがないのかと。

2017/11/16 19:30

b.hatena.ne.jp

 

今から10年ほど前になるのだけれど、このとき京都駅のホテル・グランヴィアに入っているイタリアンレストランで同窓会があり、少しおめかししてランチの時間帯に京都駅近くに出かけていた。同窓会を終えて、14時頃だったろうか。京都駅の地下を歩いていたところ、観光客とおぼしきおっさんに声をかけられた。京都駅はすごく大きなターミナル駅で、いつもたくさんの観光客がいるから、道を聞かれたらなるべくきちんと応えるようにしている。

 

お「すみません、迷っちゃって。東京から取材で来たんだけど八条口はどっち?」

おっさんの毛玉だらけのよれたセーターにはコーヒーとおぼしき染みがべったりとついていた。うわ、きったね。心の片隅でそう思った。

私「あちらです、歩いて5分くらいで着きますよ」

お「京都に取材で来たんだけどね。よかったらコーヒーでもどう?」

私「すみません、私コーヒー飲めないんですよ」

お「じゃあお酒はどう?」(※真っ昼間である)

私「お酒も飲めないんですよ」

お「…(少し考えたあと)じゃあ、セックスしない?」

私「セックス嫌いなんですよ」

 

おっさんはすごくびっくりした顔をして、

「お酒もコーヒーも飲めなくてセックスも嫌いで、あなた何が楽しくて生きているの?」

 

私は純粋にびっくりした。

この人はこんなことしか楽しみがないのかと思ってしまったのだ。

 

おっさんは、おそらくだが京都へ来て羽根を伸ばし、奥さんの目の届かないところで行きずりのよその女とイチャコラして、あわよくばタダでセックスして、そら大人だもの後腐れのないセックスを一瞬だけ楽しんで、お互い楽しんだしいいじゃないのというのが、ありありと見て取れてしまったので、私はおっさんに嫌悪感を持った。

 

「お酒とコーヒーが飲めてセックスができれば楽しい人生なんですか?」

とか

「もういい歳なのに、そんなことだけで人生が楽しいんですか?」

と思ったけれど、こういうイヤミを言ったら即座に殴られてしまいそうな雰囲気だったので、「そうですね〜」と言って離れてしまった。おっさんは追いかけてこなかった。

ホッとした。

 

ようは道に迷ったふうを装ったナンパだったわけで。

(気づくの遅い)

お茶をするのもダメで、お酒を一緒に飲むのもダメだからじゃあセックスしようってなる発想もすごいね。

 

 この頃は飲めなかったけれど、最近すこしコーヒーの美味しさがわかるようになってきた。

 

 

 

おわり