けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

アホの子だった自分  

先日こんな増田があった。

anond.hatelabo.jp

彼らは、勉強=キライ、怒られる、自分が惨めになるだけ、といった思い込みがある場合が多い。どうせ分からないのだから頑張るのは無駄、と思うらしい。で、Togetterでまとめられてた子のように無意識アパシー状態なる子が多かった。

 

以前から何度も書いているが、私は発達障害者である。

ついでに学習障害 (LD)とおぼしき症状もあって、小1のときはあまりにも勉強ができないため、隣のクラスの先生から「あの子は特殊学級へやったほうがいいんじゃないか」と言われていた。これを聞いた母親がすごく憤慨していたのをいまだに覚えている。

おぼしき、と書いたのは、その当時にはまだ「学習障害」という概念そのものがなかったからだ。だから当時に診断は受けていない。診断基準そのものもなかった。

私はとくに算数についていくことができず、それは小学生の最初から顕著だった。自分だけが理解できないことは、この増田が書いているようにすごくみじめだった。この増田はじつによくできない子の心情を理解している。そこがすごい。

 

こんな反論ブログもあった。

アホな子を教えるのは絶望的に大変だった話

 

叩かれている理由もわかるが、この人の言いたいことも一応わかる。これは私自身がアホの子だったからだが、やっぱり「どうしてもわからない」という事はあるんじゃないかと思う。

アホな子を教えるのは絶望的に大変だった話

自分は発達障害で、言語性IQが120近くあるが、動作性IQが60台で、これは軽度知的障害の枠にある。どんだけ努力しても成果が全然あがらない。あまりにもできない場合は軽度知的障害を疑う必要があると思う

2018/03/18 05:45

b.hatena.ne.jp

 

 ここでちょっと話題は変わるが、これを読んでいる人の中に、知能検査というのを受けた人はいらっしゃるだろうか。

私は36歳のときに、発達障害の確定診断のために知能検査「WAIS Ⅲ」(ワイズスリー)というのを受けた。

知能検査についてくわしく知りたい方は、こちらのブログを参照されたい。

h-navi.j

2回に分けて、いろいろなテストをしたり、ブロックを組み立てたりするのだけれど、これまでの経験から自分はかなりひどいアホの子だと思っていたのだが、結果は意外だった。

私の言語性IQは通常より高くて120近くあった。これに対して動作性IQはすごく低くて68しかなかったのだ。IQ68というと、これはIQの分類で軽度知的障害のレベルにあたる。(軽度知的障害は、IQ51〜71)

私の場合は、とりわけ「処理」という項目が低かった。だからマルチタスクを口頭のみで伝えられたりすると脳の処理が追いつかず、ぽかんとしてまさに「アホの子」になってしまう。

 

これは自分がアルバイトをしていたときに実際にあった話だが、

 

先輩「Aさんは明日10時、Bさんはあさって13時、Cさんは明日の17時、ねねさんは明日11時に出勤してね」 

私「???」

私「あの〜すみません、私はいつ何時でしたっけ?」

先輩「だからさっき言ったでしょ。Aさんは〜(リピート)」

私「えーと、あの私は何時でしょうか…」

先輩「あなた人の話ちゃんと聞いてるの?ふざけないでよ」

 

このとき、私の頭の中では情報の処理ができていない。

定型発達の人は自分がいつ出勤すれば良いのかだけを取捨選択して聞き、それを即座に処理することができるが、私のような障害者の場合、Aさんの予定、Bさんの予定、Cさんは…と頭の中が混乱してしまい、取捨選択や並行処理ができないのである。

何度も同じことを質問してしまい、もうあなたにはうんざり、という表情を返された経験は幾度となくある。そのたびに自分は駄目だ、相手に迷惑をかけてしまったという負の感情が澱のように積み重なっていく。

 発達障害の人でこのような経験を多くして、極端に低い自己評価になってしまっている人が大勢いる。

 

私は自分が知能検査を受けたあと、自分の特性がクリアになったことをすごく喜んだ。なぜあんなに苦しかったのか。自分だけができなくて皆から取り残され、みじめな思いをしていた理由がやっと解明されたのだ。原因は私の脳、IQにあったのだ。

がんばってもがんばっても人の半分にも追いつかない、どうして自分だけができないのか皆目わからない。相手のしゃべっていることが理解できない。全部、どうしようもなくつらかった。

 

 

「アホな子を教えるのは絶望的に大変だった話」では、「才能」という言い方をしているがありていに言えばIQのことだと思う。

以前、フミコフミオさんの記事で、こんなものがあった。

delete-all.hatenablog.com

私はこれを読んだときに、「鳶が鷹を生む」という普遍的に知られているはずのことわざに対して「なんで鳥の話が出るんだよ」という返しをする友人は、正直言うと言語性IQが低いんではないかと感じてしまった。

フミコさんが、ブログでその圧倒的な文才を見せているのとあまりにも違いすぎる。

ぞくに言われているように、IQが違いすぎると会話が成立しないというのを思い出してしまった。だから「これは二人にIQの差があるんじゃないのか」というコメントをつけたら、別の人から「そんなことを書く人だとは思わなかった」というコメントをつけられてしまったので、あちゃーと思い、コメントを削除してしまった。

だが、今でもこの友人とフミコさんのあいだには言語性IQの差があるのではとひそかに思っている。

  

しかし悩ましいのは、かりに学習障害や識字障害、知的障害のある生徒さんがいたとしても、それを塾側や家庭教師側はどうにもできないことだと思う。一人の子供を医療機関につなげるためには親の理解が絶対に必要だ。親が、自分の子供を障害児かもしれないと思うのは大変なストレスなのである。

 

アホな子を教えるのは絶望的に大変だった話

発達障害みたいな対象をどうにかするのは教育だけではだめで医療が必要になる。そういう認識なしで教育だけに責任を求め「お前の教え方が悪い!」っていうのはあまりに短絡的だと思う

2018/03/18 08:27

b.hatena.ne.jp

 最後に自分のアホの子エピソードを紹介すると、中学生で英語の授業が始まったときに「動詞」の意味がさっそくわからなかった。日本語としてわからなかったのである。「助動詞」になると、さらに意味不明である。

動きを表す言葉動詞なんですよ」と先生が言うので、ほほう、そうなのかと思っていたら「LOVE」も動詞だという。愛するってどこがどう動いているんだ。どこが動くんだ。RUNならわかるが、象徴的でわからない。私の頭の中に、「LOVE」という文字に足が生えて走って行く図が浮かぶが、混乱してなにがどうしたらこの図が「動詞」なのかさっぱりわからない。

おまけに「過去分詞」「三人称複数」とかが出てくると、言葉としてまったく意味がわからない。三人称単数?とかになると動詞にSがつく?なんでそうなるんですか?意味がわからない。

ようするに文法用語の意味がわからないことでつまづいていたのである。

私の英語の成績は最後まで散々で、テストでもほとんど点はとれなかった。

これは今だから分析できることで、当時は何がわからないのかもわからなかった。わからないことが恥ずかしく、先生に聞きに行くこともできないし、聞きに行っても「何が言いたいのかわからない」と追い返される始末だった。

 

勉強が理解できなかったときの混乱や、皆においていかれる恐怖や焦りを思い出すと、今でも泣けてくる。

前掲の増田はすごいと思う。この人に習って伸びて行った子供たちは本当にラッキーだと思う。

アホの子教えるのは楽しかった

個別指導塾で引き受けた軽度の発達障害言語障害の子らも、やっぱりみんな出会い頭に拒絶され続けてて、わかってくれる人、話を聞いてくれる人を求めてた。誰も低い所に留まっていたくなんかない。

2018/03/17 23:04

b.hatena.ne.jp

 

 

 

 

おわり

なぜ日本の昔話にはゾンビがいないのか?雑文

少し前、知人が「日本には幽霊の昔話たくさんあるが、どうしてゾンビの昔話がないんだろう」という疑問をtwitterでつぶやいていた。

 

答えは簡単で、それは

 日本が仏教国だから 

なのだけれど、これについて夫婦で話してみると面白かった。

 

言われてみればたしかに日本にはゾンビの話がない。

逆に言うと仏教伝来前の日本にあった、古代神道における「黄泉の国」がいわばゾンビの国にあたるとも言えなくない。「黄泉の国」は、腐ってくちはてた姿の人間だった人たちが、ふらふらしながら以前と同じようにモノを食べたり炊事をしたりして生活している(らしい)。

 

ここで「ゾンビ」とは何かをいちおう定義しておきたい。

ゾンビ英語: Zombie)とは、何らかの力で死体のまま蘇った人間の総称である。ホラーファンタジー作品などに登場し、「腐った死体が歩き回る」という描写が多くなされる。』

 

出典 wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93

 

ゾンビは基本的にアフリカの宗教である「ブードゥー教」などに登場するモノだから、ブードゥー教が入ってこなかった日本にはゾンビという概念が基本ない。

日本にはほんの40年ほど前まで土葬の習慣があった地域も多数あって、土葬だからアンデッド調のお話がありそうなものだけれど、こちらもやはりパッと思いつく昔話はないのである。

 

日本霊異記』に見る甦り観

日本霊異記』は景戒という僧によって編纂された平安初期の書物である。

これには各地の奇異な説話、仏法説話がおさめられていて、このような書物としては日本最古と言われているものだ。この中にいくつも「人が死んで、再び甦った話」というのが登場する。これがなかなか面白いので、簡単に紹介しよう。

河内の国に智光という聡明な僧がいたが、同時代にまた行基という高僧がいた。

天平16年(744)の冬、聖武天皇の信頼を得た行基が大僧正に任命される。それを聞いた智光は大いに嫉妬し、行基への嫉妬心を隠さないばかりか、ほうぼうに悪口を言ってまわり、あげく故郷の寺に引きこもってしまった。

智光は下痢の病となり、ついに臨終の床に就くが、弟子たちに『自分の遺体を燃やしてはならない。9日か10日、そのままにしておきなさい。そのままにしたまま法要をいとなんでほしい』と伝え、亡くなってしまう。

智光が死ぬと、すぐに閻魔王の使者が2名やってきて彼を連れて行く。見れば黄金の宮殿がそびえたっている。智光が「この建物はなんですか」と聞くと「この建物は行基菩薩がお生まれになる宮殿である。お前はそんなことも知らないのか」と言われる。

宮殿の前には2人の神人が立っていて、神人は智光を地獄へつれていくように使者に命ずる。智光を待っていたのは地獄での責め苦で、熱せられた銅の柱に抱きつかさせられたりして、肉は溶け、体も粉々になってしまうが、使者が「活きよ活きよ」と唱えればたちまち肉体はもとに戻る。

こうして3日間ずつ地獄の責め苦を受けた智光だったが、現世で法要が行われるわずかな時間のみ、地獄の苦しみから解放されるのであった。

使者によって智光はふたたび神人の前に引き出され、そこで行基を悪く言ったことによって地獄を味あわされたこと、そしてこの世界の火によって炊かれたものを絶対に食べてはいけないということを伝えられる。

はっと気がついてみれば智光は生き返っていた。弟子たちと泣いて抱き合った。

智光はのちに行基に会い、すべてを伝えて懺悔する。行基はおだやかに笑い、すべてをお許しになった。

 

『智者、変化の聖人を誹り妬みて、現に閻羅の闕に至り、地獄の苦を受けし縁 第七』日本霊異記中巻

 

この説話で興味深いのは、「9日も遺体を放置しておいてよく腐らなかったなぁ」というところと、「この世界の火で調理したものを食べてはいけない」と神人がさとす場面である。やはりここで、智光がなんらかの形でどこの世界ともわからない世界の火で調理したものを口にしていたならば、9日後の復活劇はなかったのだろうと思われる。

しかし9日間、遺体が腐りもせずにそのままであったというのは、説話とはいえだいぶ無理がありそうだが、そこはまるっと無視。けっこうご都合主義なのが日本霊異記だなぁという感じがする。

 

もうひとつ、復活譚をご紹介しよう。

 

 聖武天皇の時代、讃岐の国は山田郡に、衣女(きぬめ)という女がいた。

衣女はあるとき急病にかかった。そこで美味珍味の類のごちそうをたくさん用意し、神への捧げものとして奉っておいた。

そこへ閻魔王の使いの鬼が急いでやってきたが、鬼はへとへとになっていたため、そのごちそうを喜んで食べてしまった。ごちそうを食べてしまった鬼は衣女に申し訳ないと思い「おまえと同姓同名の女はいないか」と聞いた。衣女は、「鵜乗郡(うたれぐん)というところに同姓同名の衣女がいます」と答えた。

鬼は衣女を連れて鵜垂郡へむかうと、鵜乗郡の衣女のひたいにいきなり一尺ほどのノミを打ち立てて連れて行ってしまった。山田郡の衣女はこっそりと家に帰った。

閻魔王は、連れてこられた衣女が同姓同名の別人であることを見抜き、山田郡の衣女を連れてこいとおっしゃった。

そこで山田郡の衣女も連れてこられた。

閻魔王は、間違えて連れてこられた鵜垂郡の衣女に帰るように伝えたが、もうすでに3日ほど経ち、彼女の体は火葬されていた。

そこで鵜垂郡の衣女は閻魔王に「戻る体がありません」と訴えた。

閻魔王は鬼に「山田郡の衣女の体は残っているか」と聞く。かくして鵜垂郡の衣女のたましいは山田郡の衣女の体に戻ることとなった。

衣女は二つの家をもち、財産をもらい裕福となった。

だから鬼に功徳をほどこすのは悪いことではないのだ。

 

『閻羅王の使の鬼、召さるる人の餐を受けて、恩を報ひし縁』第二十五

日本霊異記中巻

 

 この話は、まさに平安初期ならではの「ちょっと待ってよ」と言いたくなる説話である。鬼への功徳をほどこしたのは山田郡の衣女であるのに、その体を鵜垂郡の衣女が乗っ取っている。なんの罪もないのに突如鬼にひたいにノミを打ち立てられて殺された鵜垂郡の衣女はじつに気の毒だし、体が荼毘にふされているから、赤の他人の体にたましいが戻らなければならないのだ。これは鵜垂郡の衣女にとってなんたる苦行かと私は思う。説話として何を説きたいのか、後世の私にはちんぷんかんぷんである。

 

この説話で着目すべき点は、「他者の体に別の人のたましいが入っている」という点で、それはもう別の人だろと私は思うのだが、体が腐ってはいないから「2人でひとつ」という都合のよい解釈で衣女は二家の財産をもらって普通の人として生きていっている。だが冷静に考えるとかなり怖い話である。

 

日本神話にはかなり細かくイザナミの体が腐った描写が出てくるのに、日本霊異記にはそういった描写がほとんどない。まるで遺体は腐らないかのような書き方すらされている。イザナミは、黄泉の国の食べ物を食べてしまった。黄泉の国の火で調理したものを食べてしまった。だからあのように腐ってしまったのか。復活することができなかったのか。キーワードは食べ物のようである。

 

腐敗への忌避感

以前、こんなエントリを書いた。

nenesan0102.hatenablog.com

日本人がどのようなことを恐怖に思ってきたかというのをざーっと書いた雑文である。

 

 ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、平安期に「九相図」という絵が描かれたことがあった。これはだいぶエグイので、ここで画像を載せることはしないが、美女が死に、その姿が朽ち果てていく様子をつぶさに描いた絵である。その変化の様相が「九相」であるので、「九相図」と呼ばれる。

一説には、僧侶の女人への煩悩をあきらめさせるためだとかいう説がある。また、仏教に流れる、肉体を不浄とする思想も含まれている。

「九相図」についてはこちらのブログが詳しいので、知りたい方は参照されたい。

japantemple.com

「九相図」をいまになって見てしまうと、「ああ、ここで動きだせばゾンビなのになぁ」などと思ったりしてしまうのだが、腐乱死体がいきなり何かを宿して動き出すとかいう話はやはり見あたらない。

その理由には、日本霊異記にも見られるように、人が亡くなるとすごい早さで閻魔王の使いの鬼がやってくる。それはもうかなりの早さである。そしてその人のたましいを連れて行ってしまう。

かりに死んでいても、人が動くためにはなにがしかのたましいが入っていなければならない。たとえそれが悪しきものであったとしても。

たましいが抜け出た肉体に、別のものが入るという概念が、当時の日本人にはほとんどなかったようだ。

 

遠丸立という人の『死の文化史』という本によれば、日本における火葬の記録は紀元700年に没した、僧の道昭という人が最古だそうである。だが、おそらくこの記録以前から火葬は行われていたであろうと推測している。古くさかのぼると、縄文時代の遺跡にも火葬と思われる跡があるそうである。それはやはり腐敗した死肉への忌避感情が根底にあることは明瞭である。

 

平安時代には火葬も行われていたが、「風葬」といって、遺体を野ざらしにすることも行われていた。「九相図」はこの風葬を描いたものである。

壇林皇后は、みずから風葬をのぞみ、帷子ノ辻に野ざらしにされた。朽ち果てて行くその姿をわざわざ絵師に描かせたと言われているが、これはあくまでも伝説で、本当のところはわからない。壇林皇后は大変な美女だったと言われているから、そんなにすごい美女で皇后にまで上り詰めた人物が、仏教への帰依により身をなげうった行動に出たというその衝撃が説話になったという見方が正しいだろう。

 

有名でないだけで、ゾンビの話があるかもしれない可能性

 

今回、私があたったのは『日本霊異記』『今昔物語』などで、平安期の各地の奇異珍妙なお話が多く載っている。『日本霊異記』はそれほど長くないが、『今昔物語』はおよそ1200編の話がおさめられている。これに『宇治拾遺物語』やらそのほかいろいろな物語、さらには室町〜江戸期などの書物を組み合わせると、物語は膨大な数となる。

私が知らないだけで、もしかしたらゾンビが登場するという話があるかもしれないのである。何かご存知の方がいらっしゃったらご一報いただければ幸いである。

 

 参考文献

 遠丸立『死の文化史』泰流社 昭和54年

 多田一臣(校注)『日本霊異記 中巻』筑摩書房1997年 

 ※本文中にある引用は筆者による略記である

 

痴漢体験を書いてみる

いま、匿名ダイアリーが痴漢関連の話題でもちきりです。

そこで私も便乗してみたいと思います。

 

anond.hatelabo.jp

anond.hatelabo.jp

anond.hatelabo.jp

 

以下、どうしようもない記述があります。私が露出狂にあった記述。閲覧注意(?)

 

 

まだ10代のころです。大きな商業ビルの中にある巨大CDショップに友人と一緒にCDを探しに行きました。

 音楽大好きな私。お目当てのCDの棚を目を皿のようにしてCDを探していたところ、顔の真横でブンブンと何かが振られている。

 

なぜこの男の人は私の真横へ来るんだろう?同じジャンルのCDを探している?私が邪魔?と思い少し場所を移動しました。

すると男の人はなおも真横にぴったりと来て、顔の脇でブンブン振ってくるわけです。

てらてら光っていてすごく綺麗なピンク色をしていましたが、見た事のないものを振られても反応できないので本当に何の感情も沸きませんでした。

 

私は完全にそれが樹脂でできたオモチャだと思っていて、なぜこの人はオモチャを私の顔のわきで振ってくるのかなと思っていた(知らないって、良いのか悪いのかわからんですね…)。

 ふと横を見たら少し離れたところにいた友人がものすごい形相をして早足でこちらに向かってきます。友人はものすごく険しい表情をして、私の腕を強く引っ張ると「すぐさまこの場から逃げて!!早く!!」と私に耳打ち!

あまりに鬼気迫るその表情にびっくりしながらすぐにその場から立ち去ったのですが、その直後に通りかかった男性店員に友人が「変な人がいます!局部を露出しています!」と告げても「ハァ?」とキョトンとした表情を返され、ほとんど話が通じません。

彼はまるでこちらが外国語かなにかを話しているかのように不思議な顔をして、本当にわからないという表情をしたあと、「あ、ボク用事がありますんで」とあっさりと立ち去ってしまいました。私と友人はあっけにとられましたが、店員を説得するよりまずここから逃げなければととにかく急いでエレベーターに向かいました。

 

露出狂はまだブンブンと振り回しながら店内をぐるぐると歩いていた。若い男性だったんですけど、目が座ってて、だれかを狙ってるというより、とにかく出したいというだけのような感じで。

せっかくCDを探しに来たのに、もうそのフロアから逃げるしかありませんでした。

 

そのとき、店内にいた客のほとんどがまったく普通の顔をしていたことが自分たちにとってはショックでした。これがいわゆる「正常化バイアス」なのでしょうか。

  

以下、少し偏見が入った主張になってしまいますが、それを承知で書きます。

 

若い男性には危機感に乏しい人がけっこうな割合でいます。

性犯罪についてとても無知で「俺とは関係ない」と思っている人。

 

私が真横で局部を露出されたのは、昼間の大型CDショップだったわけですが、「真昼間の大きい商業店舗内でそんなことが起きる訳がない」と本気で思っていたりします。

そう思っているので、こちらが必死に訴えてもまったく理解できない。 

 

 

私が子供のころに比べて、大型店舗が増えてきたなぁと思います。とくに郊外に。これらのお店は閉店間際になると人がまったくおらず、ゾクッとすることがあります。

 

以前、奈良県でこんな事件もありました。。

4vip.blog.jp

 奈良の田舎のほうとか、めちゃくちゃどこに行っても広くて、叫んでも人に聞こえやしないだろうなという場所はけっこうあります。。自分も奈良の田舎には何度か行ったことがあるので感覚としてわかります。

 

 匿名ダイアリーにはいろいろなコメントがついていて参考になるのですが、声を出しても誰もいない場所、それは昼間であってもかなり危険なのではないかと私は思っています。

 

 

それにしても自分が露出狂に狙われるとは思いもよりませんでした。

どこまでが痴漢と言うのはすごく線引きが難しいのですが、私はこれまでの人生で2回ほどけっこう露骨な露出男に遭ってしまっています。

 突発的に書いたのでちょっとちぐはぐかもしれませんが、おわり。

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

防災用品の見直しをしました

今日はあの3.11、東日本大震災のあった日です。

いまだに7万人を超える人々が、仮設住宅から戻れないままでいます。

亡くなられた方へ深く追悼の意を表したいと思います。

 

 

3.11のとき、私は京都にいました。とにかくすごい震災が起きたというのを知人たちがtwitterで言っていたのをハラハラしながら見守っていました。

東京タワーが曲がっている!というのが多かったです。衝撃でした。

 

夫はこのとき東京の会社で働いていたので、当時住んでいた神奈川県まで、徒歩で数時間かけて帰ってきたそうです。

 

3.11以来、日本は大きく変わってしまったと思っています。

原発もそうですが、地震の爪痕がとにかくすごく酷い。あちこちで家族が崩壊してしまったと、天災の恐ろしさを改めて感じる出来事でした。

 

 

さきほどなのですが、防災用品の見直しをしてみました。

出るわ出るわ消費期限切れのモノ。。。

 

f:id:nenesan0102:20180311133256j:plain

 

手回ししてスマホの充電ができるとかいう便利グッズも、なんと古いタイプの端子がついたまま。これは端子を新しく換え、充電できるかをやってみました。

 

気づいたこと。

 

雨用のグッズが皆無だった

2人の避難グッズとしてはアイテムが足りない

夫のパンツが入っていなかった

 

…あたりでしょうか。

f:id:nenesan0102:20180311133610j:plain

防災用の避難リュックは、GUで適当なリュックサックを買い、これにいろいろなモノを詰めていたのですが、あくまでも日常用ディパックですから、あきらかに量が2人だと足りないことがわかりました。

 

避難用リュックで私が気をつけていることといえば、

 

タンポンやナプキンを入れる

(これは震災のショックで突如生理がスタートしてしまう人が少なからずいるそうです。タンポンとナプキンの両方を入れています。また、震災のショックからスタートした生理が止まらなくなる不正出血となる場合も大震災のときには見られたそうです。

そのため、多めに入れています)

ニット帽子を入れる

(お風呂に数日は入れなくなります。そのさいに髪の毛の汚れを気にならなくしてくれるのがニット帽です。これをどこかで読み、ニット帽子を入れています)

下着は簡易の使い捨て

(使い捨てのショーツが売っていますので、これを入れています。普通のショーツを入れるよりかさばりません)

 

…こんなところでしょうか。

もっといろいろな知恵やアイテムがあると思うので、あちこちのブログなどを読んであらためて見直しをしたいと思っています。

我が家の場合はリュックを一段階、大きなものにし、二人が困らない最低限のアイテムを入れることになりました。

 

でもやっぱり震災は恐ろしいですね。

自分の知人の話なのですが、京都のお寺さんのお坊さんがいまして、震災直後から「苦しい、苦しい」という声が夜中じゅう響き渡って眠れなくなったという人がいました。

その人は夜中に起きだして本堂へ行き、朝方までお経を唱え続けたそうです。

 

亡くなられた方がどうか安らかに眠れるよう、ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

おわり

 

その後

少し前、『ZIPPOの物語』というエントリを書いた。

nenesan0102.hatenablog.com

 

これはなかなか反響があって、このブログをもとにリブログを書いてくださる人たちが現れた。私はこれがとても嬉しかったので、こちらに貼っておきたいと思う。

 

www.jennyjp.win

 

Jennyさん(id:jflkg4u) は、ものすごい早さでこの記事を書いてくださった。

こちらの記事についたコメントも憤りの声がありました。

 

猫大好きで知られるdk4130523 (id:cj3029412) さんも、こちらのブログをご自身のブログで取り上げてくださいました。

dk4130523.hatenablog.com

 

私が『ZIPPOの物語』のエントリを書いていたとき、怒りと悲しみで胸がいっぱいになって、涙をぼろぼろ流しながら書いていたので、夫がすごく心配して「ちょっと休んだら」とか「大丈夫?」とか言ってくれたのを思い出します。

 

また、飼い主であるzippohideさんにもこちらのブログをお伝えして読んでいただいたのですが、ご夫婦そろって泣いた、泣けたことでやっと次に進めるというメールをわざわざくださいました。

ZIPPOを、まさにあざむかれる騙される形で相手の手に渡してしまったことから、twitterでは@zippohideさんご夫婦を責めるようなひどいリプライもあって、奥様が心身ともに調子を崩されてしまっています。

 

私は、どうにかしてこの問題を取り上げてくれるメディアがないかと、わずかですが動いています。

 

季節は少しずつ春にむかって動いています。

暖かくなってきて、ZIPPO君がお父さんとお母さんのもとに帰ってこられるように祈りたいと思います。

 

 

最後に、リブログを書いてくださったお二方、ありがとうございました!

 

 

おわり

ZIPPOの物語

このブログのタイトルにもなっているとおり、私は猫がすごく好きで、愛している。

猫に個性があり、個々に性格がすごく違うことをよく知っている。

そして、何よりも猫の愛情深さをよく知っている。

  

今日、このエントリで取り上げるのは、北海道で今まさに起きている事件で、猫の名前をzippo(ジッポ)という。飼い主さんである@zippohide さんのご承諾をえて、今日のエントリを書かせていただいている。

 

なぜ私がこのブログでzippo君をとりあげることになったかというと、飼い主さんのツイートもさることながら、zippoの写真に胸をうたれたからである。

猫がこういう表情をしているとき、どれほど飼い主を信頼していて大好きか。写真を撮った飼い主とのあいだに、どれほど強い絆があるか。

zippoは見てのとおり、大変、愛らしい猫だ。どれほど大切にされ、かわいがられていたかは、この姿が雄弁に物語っている。

 

 

  

発端は、譲渡サイトである「メルカリ・アッテ」で、北海道、札幌のとあるご夫婦が猫を一人の男に譲渡したところから始まる。

 

ご夫婦はわけあって飼い猫を手放さなければいけなくなってしまったため、新しい飼い主を募集した。そこに応募してきたのがYと名乗る男だった。

しかし、zippoを引き渡した後、Yと連絡がつかなくなってしまう。

 

飼い主さんは執念でYの居場所を探す。するとYは病院に入院していた。

病室でYと飼い主さんが面会。するとYはここでとんでもないことを言いだします。

 

(メルカリ・アッテで)猫を6~7匹もらった

そのうち2~3匹は殴って殺した

ZIPPOは店の裏に捨てた

 

 

ここから、警察と連携をとりつつ、@zippohideさんは動き出します。

『殺して捨てた』という、本人の証言があっても、猫の場合、人間と違って遺体の現物がないと逮捕ができないそうだ。ここも法の壁である。@zippohideさんの悔しさたるやどれほどのものか。

さらにtwitterでは、@zippohideさん以外にもYに騙されて猫を渡してしまった人が現れます。Yは里親詐欺の常習犯だったわけである。

 

 

 

たしか、このあたりから、私も@zippohideさんのツイートを見守るようになっていったと思う。zippoへの強い想いに胸をゆさぶられ、悲痛なツイートに何度も涙を流した。

「メルカリ・アッテ」にも、里親詐欺が複数件起きたことに対して抗議のメールを送ったりした。

 

 

 飼い主さんはこの頃にはtwitterでフォロワー数も増え、この事件に衝撃を受けた人たちが、@zippohideさんをサポートするようになっていきます。

@zippohideさんのtwitterのフォロワーは、開始当初たった5人だったそうですが、今では800人を超えています。たくさんの人々が、zippoの行方を見守るようになったのです。

猫は本当に不思議な生き物です。こんなにも多くの人の心を、zippoはつかんでしまった。zippoはすごい。すごい猫です。

 

 

2月になって、zippo君を探すためのビラができあがりました。

 

 

2月下旬、zippo君が遺棄されたとおぼしき場所の近くで目撃情報が入ります。

なんとこの情報を受けて、関係のない人まで現場に向かって、zippoを探しに行っているのです。

 

 

2月25日現在、zippoはまだ見つかっていません。

ですが、とても多くの人々がzippoを見守っていて、どうか飼い主さんのもとに無事に戻れるようにと祈っています。

 

 

最後に、これまでの顛末を、飼い主である@zippohideさんがご自身のブログにまとめてらっしゃいます。これを貼っておきたいと思います。 

http://zippohide.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

 

どうか、一人でも多くの人にzippoのこと、そしてあまりにも酷い里親詐欺のことを知ってほしいと思い、ブログを書きました。

ツイートの引用をご承諾くださった@zippohideさん、いつも見守っています。

そして奥様がどうか元気を取り戻すことができますように祈っています。

 

 

 

おわり

 

 

銀座でお寿司を食べたいと思わない

先日、こんな増田があった。

anond.hatelabo.jp

 

まだ若いころ、私にも「いつか銀座でお寿司をつまんでみたい」というほのかな願望があった。きっと、めくるめくような体験なのだろうと思っていた。

だが、とある理由でその思いはほとんどなくなってしまった。

 

 

今から20年ほど前、大学生だったころ、友達に東京の大学へ通っている子がいた。

この人は非常におもしろい人生の人で、あれやこれやといろいろなバイトを体験していて、その話を聞くのがまたおもしろかった。

この子が、銀座でお水のホステスのバイトをしていたのだ。

そこがすごい高級クラブで、女子大生は東大とお茶の水、早稲田慶応あたりの眉目秀麗な女子しかやとわない。(この友達はめずらしい東大生女子)

しかし客層がすごい。友達は「村○さんはよく来た」と言っていた。

そういうレベルの客層なのである。

当時、村○さんはテレビで報道されない日はないくらいに時の人だったから、話を聞いて「おお、すげえ…」と思ったものである。

 

 

そんなところでバイトをしているものだから、彼女は感覚がだいぶ普通と違った。

クラブの客から株券をポンともらったとも聞いた。(よい時代である)

銀座の高級クラブのしきたりはよくわからないが、同伴とかいうやつで客と寿司屋にも行く。増田が行っていたみたいな、一人3万円〜くらいのまわらない寿司屋だ。

 

彼女がある日けっこう衝撃的なことを言っていたのだ。

「こないだ、すぐ近くに香水ムンムンの同業者が座ってて。ものすごい匂いで味なんか全然わからないの。同業者だしどこの店かもわかってるんだけど。お寿司は高いけどそもそも自分のお金で食べてるわけじゃないから何も痛くないけど」

 彼女は、両手で目の前の空気をばさばさとかきわける仕草をして、「あれは本当にくさかった〜!」と言っていた。

 

私はこれはなかなかの衝撃であった。

そうだ、夜の蝶は個人差はあれ、香水くさい可能性が高いのだ。

この友達はたまたまそういった類のものをいっさいしない人だったが、夜の蝶の中では希有な方だろう。鼻がひんまがるほどの香水をつけた人も全然珍しくないのだ。

 

私みたいな庶民にとって、一人3万円のお寿司なんて、かなり貴重な体験だ。

それが香水の匂いにまみれていたらどうなるか。

後からそういう客が近くに来ることは、こちらにはどうにもできない。

もし、そんなことになったら貴重な体験はめちゃくちゃな思い出になってしまう。

そんなの嫌だ。

 

そうか…銀座の高級寿司屋は、高級クラブの客とホステスが同伴で使うんだなぁ…

そう思ってから、 あこがれのような気持ちがどこかへプシュー…と消えてしまった。 お寿司の値段が高ければ高いほど、残念度が増して行く…。

 

 

「マンダリン・オリエンタル・ホテル」の寿司屋には行ってみたい気持ちをそそられるときもあるが、高所恐怖症なので、どこまで楽しめるかわからない。

www.mandarinoriental.co.jp

 

しかし、香水や柔軟剤の匂いをぷんぷんまわりに振りまきながらお寿司屋さんへ来るのは、やっぱりまわりの客に迷惑だと思うのは私だけだろうか。

 

 

 

おわり