猫の霊性についての話
「霊性」という言葉を初めて目にしたのはどこだったでしょうか。
おそらく明治期〜大正期あたりの文豪の作品の中で、女性を女神のように崇めるために用いられていたのを目にして、なるほどそういった視点があるのだなと思ったものです。
精神的な気高さ、物事に向き合う姿勢やその人のもつ心の純粋さ、それらすべてをひっくるめて生きる姿の素晴らしさを表現した感じでしょうか。
私の知人にも、もうこの人は生まれてきたステージが全然違う、魂の気高さが違うと感じてしまうような人がいます。
一緒にいると自分の情けないところや矮小さがクローズアップされていたたまれなくなるので、あえてあまり交流しません。だけど私はずっとその人のことを尊敬しています。
先日、こんな匿名ダイアリーがありました。
このダイアリーを読んで、私はかつて身近にいた霊性の高さを持っていた猫のことを思い出しました。
この世に天使がいるとしたら
個人的な体験で思うだけだけど、猫のうち数十匹に一匹くらいの割合でとんでもなく霊性の高い猫がいて、そういう猫に出会うと古代の人が猫を神として崇めていたのがよくわかる。猫さんは本当にすごい。
2016/07/05 03:11
どこで読んだのかは忘れたのですが、猫のうち、時折霊性の高い猫がいて、その種の猫というのは悲しみや苦しみを癒す力があるんだそうです。
これは複数の猫に接してみるとよくわかります。
霊性の高い猫というのはこちらの気持ちをすぐに察知してそっと寄り添ってきます。苦しみとか悲しみとか、負の感情を驚くほどの素早さで察知して、あえてその場に立ち向かって行くのです。まるでそれが使命であるかのように。
子供のころ、不思議な体験をしたことがあります。
私は機能不全の家で育ち、家の中は問題がたくさんありました。
殴られたり暴言をはかれたりする家がしんどくなり、プチ家出に走ったりします。
ある夜、ゴタゴタがあってまた家から飛び出しました。寝間着のままだったと思います。
泣きながら夜道をフラフラと歩いていると小さな影が寄り添って歩いてくるのに気がつきました。
飼っている猫でした。
猫がずっと自分の横をついてくるのです。
家で寝ていたはずの猫がいつの間にか横を歩いていたのです。
私は山に向かって歩いていました。(少し歩くと山があるのです。)
猫にはなわばりがあるので、ある一定の距離を歩けばもう家へ戻るだろうと思っていたら帰りません。ずっと横をついてきます。時折心配そうな声をあげながら。
30分ほど歩いていたら山道になってしまいました。
私は衝動的に山道へ来てしまったのです。
子供ながらにメンヘラでしたし、とくに生きたいという欲求もありませんでした。
崖が崩れてそれに飲み込まれるならそれでもかまわないくらいの気持ちでいたのを覚えています。
山の向こう側には川があり、少し前の雨で増水していました。
私は川まで行くつもりで歩いていました。
しばらく歩いていると、猫が急に草むらに向かって威嚇を始めました。
私はこの威嚇の声でハッと我に返ったのです。
我に返ってみると急にこの状況が恐ろしくなりました。何か自分の身に危険が迫っているのではないかと。
私はきびすを返すと、すぐに家に向かって歩き始めました。
猫は私の後ろをまっすぐに、でも前とは違った雰囲気で険しい顔つきのままで追って歩いてきます。
私は恐怖感がすごくなり、心臓がバクバクしたままで歩いたり走ったりしながら夜道を急ぎました。
結局、無事なまま、午前2時頃には家に帰れたのですが、猫はまるでこのことを忘れたかのように次の日にはけろりとしていました。
あのとき猫が突然威嚇を始めたのはなんだったのか。私には知るすべがありません。
猫がとにかく必死で私を守ろうとしてくれたんだと思います。
月明かりに照らされた青い青い空間で、地面に落ちた自分の影とつんと耳の立ったあのシルエットは今も目の裏に焼き付いています。
猫は人間よりもとても小さな体ですが、気高さ、生命エネルギーの強さ、純粋さは何倍もすばらしいものがあると今でも思っています。