けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

雑文

今日の雑文はおそらく重い記述が登場するので、それがいやな人はここで帰ってくれないか。

 

 

 

 

 

 

 

◼️

 

 

4月にとある出来事があった。

 

 私は、自分が障害者なのもあって、普段はけっこう、子供が発達障害とか、自身も発達障害だという人とやりとりする事が多い。

 

4月に初めて話したとあるお母さんは、お子さんがいるが健常児、ご本人もまた健常の人であった。健常というよりはかなり有能な人である。大まかな事は伏せるが、ずーっと正規雇用できた経歴の人だ。

この人と話して、私はあまりの違いに愕然としてしまったのだ。

 

障害児をもつ私の友人知人たちは、

「子供が学校で前に座っている子を殴ってしまうが一体どうしたらいいのか」

「子供は13歳だけど、公共の場所でもどこでも服を脱いでしまうし、トイレで大をするときに全裸にならないとできない」

「子供が癇癪を起こして暴れて押さえるのに必死、また怪我した」

とか、そういう事で悩んでいた。

 

4月に初めて話したお母さんにも悩みがないわけではない。

仕事がすごくキツイとか、成果を出さなければいけないとか、そういった悩みはもちろんある。

だが、あまりの落差に私はものすごく驚いてしまった。ショックだった。

しばらくそのショックから立ち直れないくらいに衝撃を受けた。

今もこのブログに書いてしまうくらいには衝撃は残っている。これが障害者と健常者の差なのか…という感じだろうか。

 誰にも話せないので、誰にも話していない。

 

 

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 農林水産省事務次官だった人が息子を殺害して逮捕された。

こちらもまた衝撃だった。

というのも、我が家にとても環境がよく似ていたからである。

 

私の兄は自閉症からの統合失調症だったのだが、家庭内暴力が凄まじくて、一番のターゲットにされた母親は、兄の暴力から逃れるために、家とは別にアパートを借りてそこに避難していた。アパートの場所がバレないようにするため、そのアパートの場所は私も知らなかった。とにかくそのくらい暴力は酷かった。

私や妹もよく兄には殴られたり蹴られたりしたが、それよりも兄のことが近所で噂になっている事の方が嫌だった。

 

 登戸の事件でも、犯人が発達障害なんじゃないかという憶測が一部にあったが、こちらの事件でも殺された息子さんは発達障害なんじゃないかという憶測があった。

私も、なんとなくこの殺された息子さんは、何がしかの発達障害があったのではないかなと思う。というのは、発達障害の人はとても依存症になりやすい性質だからである。

だが、これ一つでそう決めるけるのは安易すぎる。憶測の域を出ないから、ここはなんとも言えない。

だが、このくらいの年代の人は診断が遅れ、また、もともと発達障害の人が社会適応が難しいところもあって、中高年引きこもりにある一定数の発達障害者がいるのは事実であるから、この息子さんが発達障害であった可能性はゼロとは言えない。

 

 

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 私の兄はたまたま逮捕もされなかったし、たまたま殺人を犯すこともなかった。

だが、あのまま家にいたら悲劇的な事が起きていてもおかしくない。そのくらい、我が家は緊迫した状況に置かれていた。

 

兄はもうそろそろ精神病院の閉鎖病棟に入院して10年になる。

入院が良いかどうかは別として、このような環境にいると、とりあえず「近所の人を殺す」という心配は、今のところ、ない。

 

 私は、いつもけっこう親しくしている障害児をもつお母さんたちが、どれほどの重圧に耐えているのかと思う。

障害者はただでさえ就職が難しいし、仕事を続けることもまた難しい。

大企業の障害者枠とか、公務員の障害者枠に就ければ超ラッキーで、それも枠が限られているから、優秀な人が椅子を取っていく。

この子はこれからどうなるんだろうとか、色々な不安が胸をよぎるだろう。

おそらく今、多くの障害者関係のコミュニティでは、この事件や、今後、子供をどう見ていくのかとか、色々な話が出てくるだろう。

 

 

 

◼️

 

 

私は松っちゃんは好きでも嫌いでもないが、不良品発言には心底失望した。

誰も好き好んで不良品になりたいと思っていないし、望んでそう生まれてくるわけではない。

 

子供は親を選べないが、親もまた子供は選べない。

そんなことを思ってしまう事件がこのところ立て続けにありすぎて、とても悲しく思っている。

 

 

 

終わり

 

どうでもいい雑文

ツイッターで時々、どうでもいい夫婦の会話をつぶやいている。

 

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https://www.amazon.co.jp/%E6%A9%9F%E5%8B%95%E6%88%A6%E5%A3%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0-ORIGIN-%E3%82%B6%E3%82%AFII-144%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%AB-%E8%89%B2%E5%88%86%E3%81%91%E6%B8%88%E3%81%BF%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB/dp/B071JND3WB

 

夫氏、どうやら量産型女子というのを本当に知らなかったらしく、

実際にその出会い系広告を見せてもらったら、量産型ザク…じゃなかった、量産型女子の写真が出ておりました。

 

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私は可愛いと思うんですけどね。

量産型って多分、最大公約数的な若い女の子の魅力を具現化した感じで。

ただあんまりに似た感じになっちゃうと、じゃあこの子と横の子と何が

どう違うねんてなってしまうから、あんまりに没個性なのはどうかなとは思うが、

正直どうでもいいです(興味がない)。

 

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 違うみたいです。

 

 

 

おわり

すごい雑文

今朝の話なんだけど、夫が寝坊した。

いつも鳴るはずの時間に目覚ましがならなかった。

 

私はだいたいいつも6時半くらいに起きているのだが、夫が起きてこないので

ほおっておいた。

 

「うわぁ、遅刻や、どうして起こしてくへんたん」

「起こしてくれって言われてへん」

 

…という、まさにアスペルガーな会話をしていた。

 

起こしてくれと言われていないので起こさなかったのもあるが、

私が起こすのが当たり前になってしまうのがいやだ。

 

夫はまだうつ病があるので、休職になるかもしれないのだが、果たしてどうなるかなぁ。

 

 

おわり

 

ごみのポイ捨てについて私が思うこと

ブログを書くのが久々すぎて手間取っている私です。皆さんこんにちは。

 

先日、このようなまとめがありました。

togetter.com

 

これにコメントをつけたらどういうわけか人気でした。

学生間で「ポイ捨てする派」と「しない派」で議論をした際の「出先でゴミ箱がなかったら」に対する「しない派」の答えが揃っていた話 - Togetter

わいはゴミ拾いを常にしているから、バッグにはいつも3種のビニール袋が入っている。➀タバコの吸い殻および燃えるゴミ用、➁缶ゴミ用、➂プラスチックゴミ用 である。ドヤァ!!(`・ω・´)

2019/05/09 18:29

b.hatena.ne.jp

 

 ドヤァ!!とか書いていますが、実際は近所の公園内をぐるぐる歩き回って、ササッとごみを拾って分別して帰ってくるだけで、時間にすると10分かかるかかからないかでしょう。

 

 先日は公園わきの道路にかなり多くのゴミ(正確にはゴミじゃなくて、植物の花が落ちて飛んだものが風で吹き寄せられて溜まったもの)が集まっていたので、それを掃除したり雑草取ったりしてたんですが、こちらはさすがに範囲が広くて、2〜3時間ほどかかってしまいました。45ℓの袋パンパンになったので結構な量だったかもしれません。

 

 こんな調子でちょこちょこと片付けをしている自分が思うことは、ポイ捨てをする人は、

「ゴミは自然に消えて無くなるものだ」

…と、どこかで思っているフシがあるな、ということです。

 

実際には無くなりません。

私のような近所のおばちゃんがコツコツと片付けていることが多い。もしくは行政の方で手配した掃除の業者さんが動いている。ようするに人力でなんとかされているということです。

 タバコの場合は元々が紙と葉っぱなので、雨で濡れて崩壊して、それが風で飛ばされて風化していくことがありますが、フィルター部分はナイロンみたいなものなので、フィルターだけが残っていることがよくあります。

 

 私は公園内のゴミ拾いをしていて、缶飲料のプルタブを拾ったことがあります。

いつの時代wwwとかなり笑ってしまったのですが、おそらく20年以上、公園に放置されていたのでしょう。つまり、ポイ捨てしたゴミは消えてなくならないから、ともすると数十年放置されたままになる可能性もあるわけです。もしかするとこの時のプルタブ、昭和時代のものだったかもしれません。

 

middle-edge.jp

このブログを読むと、実にあちこちでプルタブがポイ捨てされていたことがわかります。あまりにもひどいので現在のプルトップ型へ変更されたくらいにひどかったわけです。 プルタブを踏んで子供が足裏を切ってしまうというのは結構ひんぱんに聞く話でしたね。

 

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 公園の掃除をしていると面白いもので、色々な人が話しかけてきます。散歩中の犬が「こいつはなにをしてるんだ?」と寄ってきたりする。私以外にも公園の整備をボランティアでしている人が何人もいて、仲良しの友達になったりします。

それから、たまに見回りにくる役所の人とも親しくなります。

 

 私の住む行政区にはおよそ300以上の公園があって、役所の公園課の人数人が、これら300以上の公園を管理しています。とてもこれだけの人数では公園を管理しきれないので、役所の人は掃除のボランティアさんをかなりありがたがってくれる。

 

 役所の人がゴミ拾いをすることもあるようですが、私がゴミ拾いをはじめる前、公園内はタバコの吸殻でいっぱいでした。役所の人に聞いたら、拾った吸殻が数百本に及ぶ時もあって、1年に何件かは、タバコのポイ捨てによるぼやが出るそうです。

乾燥した草や葉のある場所に火のついたままのタバコを捨てたら、そりゃ普通に火事になるだろ、と私は思いますが、そのような考えが及ばない人がタバコをポイ捨てしている。(個人的にこの行為は放火に近いものだと思っています。)

 

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これは先日、掃除の時に撮った写真です。中央に見える白いものがタバコ。すぐそばに枯葉があります。燃えるものがある場所にタバコを捨てる感覚が私にはさっぱりわかりませんが、やはり想像力の欠如なのでしょう。

 

 以前、こういう記事を書いたことがあります。

nenesan0102.hatenablog.com

 公園には年に数回ですが、このような巨大な粗大ゴミが捨てられることがあります。

大きなソファーが捨ててあったり、古い掃除機や布団、ゴザ、壊れた自転車などが捨ててあったりします。あまりにも大きなものは行政側に頼みますが、小さなものは自腹を切ってボランティアの人が片付けています。

 

 私が、このタイプの不法投棄をする人に対して思うのは、この手の人たちは「自分が捨てても誰かが片付けてくれる」と思っているんですね。

私は、それは周囲への甘えだと思う。片付ける人へのフリーライドだと思う。ポイ捨てをする人もどこかにこの心理があるでしょう。そう認識しています。


 

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 近所のあちこちのゴミ拾いをしている私ですが、やはりこういうことができるのは、今の生活にそれなりのゆとりがあるからであって、生活に困窮していた時代にはとてもじゃないけどできなかったなぁと思いました。先日、公園の掃除から帰ってきてお風呂に入った時、しみじみとそう思ったものです。

 余裕のない時代には、そもそも道端のゴミを目に留めることもありませんでした。

 

  ちなみに、街が汚いと、いわゆる「割れ窓理論」というやつで、汚さは加速していきます。街全体が汚い、人の目が行かないという感じになると、治安がどんどん悪化していきます。こういう時、最初に狙われてしまうのは人間よりも弱い生き物たちで、やはりはけ口として猫がターゲットになることが多い。私はこれが許せない。だからできるだけ綺麗にしておこうという思いがあります。

「えらいわねー」とか言ってくれる人がいますが、別に偉くないよ。猫の下僕なだけです。レッツ下僕!レッツ猫ちゃん!

 

 

◾️

 

 もし公園や道路の掃除をしようという人がいたら伝えておきたいのですが、厳重に装備をしましょう

頭はタオルか手ぬぐいでガード、マスクの上からさらにタオル。息苦しいですが、ゴミの中にはどのようなウイルスがあるかわかりません。わけわからん菌をもらって体調を崩しても、誰も責任は取ってくれません。

手はなるべくゴム手袋か軍手をしましょう。薄手のゴム手袋を数枚用意しておくと良いかも。私は、草むしりには軍手、土を触るときはゴム手袋、という感じで使い分けています。

服にはたくさんの砂埃、土ぼこりがつきます。すぐに洗える服で作業に当たりましょう。

(そんなわけで、私はだいぶ怪しい格好で掃除をしています。)

 家に帰ってきたらすぐに風呂に入りましょう。ガードしていても必ず粉塵を吸い込んでいます。できるだけ鼻うがいもしましょう。目も洗うとなお良し。

 

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 最後に、前回のブログ、私が下血してしまったというやつですが、検査に行ったところ、問題ありませんでした。綺麗な腸内でした。

ご心配をおかけしました。コメント下さったかた、ありがとうございました。

 

 

 

おわり 

近況とか

最近の近況。

 

あんまり明るい話題でもないので、暗いのが嫌な人はスルーでお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は今週末に大きな検査が控えています。

からだに負担がかかるものなので、それがもう気持ち的にしんどいのですが。

 

いつの頃からか腹のあたりがシクシクと痛むようになって、日常にそれほど差し障りはないのですが、原因がわからない。この痛いのが生理痛とほぼ同じで、時期的に被っているともう全然見分けがつかない。

 

3月の末くらいに、うーん、おかしいなー、おかしいなーと思っていたのですけれども、ある日突然ドバッと下血しました。

初めて下血というのをこの目で見ました。

俗に聞きますが、あーあー、本当に真っ赤に染まるんだなーという感じで。

後から考えると、自分が生理と勘違いしていただけで4日ほど下血していたようです。

 

まぁおそらく大腸ポリープあたりが濃厚なラインで、もしかしたら何もないかもしれませんが、検査しないと何もわからないので検査に行きます。

 

あんまり落ち込んだりとかはなかったんですけど、

医師から癌の可能性を指摘された時に、

 

「癌だったら、私は安楽死したい」

 

というのを、やっぱり思いましたね。いや、言わないですけどねw

ステージの進んでいる手術不可能のガンであれば、スイスの安楽死施設は受け入れてくれるはずです。

これまであちこち安楽死を主張してきましたが、自分自身が安楽死で死ねるならこれほど本望なことはないです。詳細なレポートをこのブログに残してから逝きたいと思います。それは後に続く人にとっても良き情報となるでしょう。

 

とはいえ、どちらかというと何もない可能性の方が大きいでしょうね。

 

ただ、死ぬレベルの癌だった場合、それは私にとってある種の救いなんですよね。

もう色々と生きるのに疲れてきた私は、誰にも責められない形でひっそりと死ねたらと思っています。そのくらい私は生きるのがしんどかった。

 

・私が死んだら、灰の半分を京都の東山の街全体が見下ろせる場所に撒いてほしい

・あまり墓には入りたくない

・可愛がっている猫のヒゲでも一緒に入れて焼いてほしい

 

今のところ、このくらいでしょうか。

 

私は今まで、発達障害に関するエントリを色々書いてきましたが、発達障害の人はものすごくストレスに弱いです。個体差はありますけどね。

そういう中で、統失を発病してしまう人もいれば、別の病気に罹患する人もいるでしょう。

私はとりわけストレスには弱いたちです。ストレスがすぐに体に出て苦しみます。

若い時に発達障害の二次障害でからだを痛めつけてきたため、その影響が出てきたのもあるかなと思います。

 

とりあえず検査を頑張ってきます。

 

 

 

おわり

 

 

 

不法投棄を目撃する

 今日のお題は、「ねねさん、不法投棄を目撃する!」です。

 

 以前から、近所の公園のタバコの吸い殻や小さなゴミを拾ったり、ささやかなボランティアを続けてきた私なのですが、今日、公園に行ったところ、バタン!と大きな音がして、何かと思ってそちらを見たら、隣接するアパートの住人がフェンスの上から大きな物を公園に向かって投げ入れたところでした。

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投げ入れられたゴミ

 びっくりして音のした方へ走っていって撮ったのがこの写真です。

 

いや、ほんとびっくりしました。こんなことをする人がいるんですね…。

 

 んで、本棚とおぼしきこの板数枚をまたアパートのところにソッと戻しておきましたが、見方によっちゃ私が不法投棄しているみたいに見えるではないか。誰にも見られませんようにと祈りつつ、ソッと置いてきましたが。

 

 驚いて、仲良くしているCさんにメールで連絡して数十分後に会ったところ、

なんと昨夜の11時半頃にCさんご夫妻が通りがかったところ、アパートのフェンス越しに、カラーボックス丸ごと、毛布、ゴザなどを一気に捨てている輩がおり、

ご夫妻でそのままアパート側にゴミを戻してきたと言うではありませんか。

 

うわぁ、これは悪質。。

 

 色々と話していて推測したのですが、まぁおそらく引っ越して行く人ではないかとの話でおさまりました。大型ゴミを出す余裕がなく、身近なところへ捨てたのでしょうが、本当にひどい。

 ゴミを捨てて行った人はその後もチラチラとこちらの様子を伺っていましたので、こちらが認識していることは相手にもわかったと思います。

 

私は、みなさまご存知の通り大変な小心者ですから、いまだに心臓がバクバクします。

 

 

 

またあとで追記するかもしれませんが、とりあえずおわり。

  

重い本

 久々のブログです。

というのも、もともと使っていたパソコンがちょっと調子がおかしくなってしまい、これはもうあかんかなというところまで来ております。

 私が使っていたパソコンは評論家の柴那典氏のお下がりでして、非常に有り難かったのですが、いよいよもう寿命が来てしまったなという感じで、今このブログは夫のパソコンで書いています。

 

 去年の今頃に書いたブログに長いコメントをいただいたりして、これはあとでまた処理させていただきますけれども、ああ、あんなことがあったのだなーと感慨深く思ったりしているところです。

 

 少し前まで江戸時代にはまっていた私ですが、いや、いまだに江戸期はやはり好きで、イザベラ・バードのことを宮本常一が語っている本など読んでいたりもしますが(これがたいへん面白い)

今読んでいて、おお、と思った本がありますので、こちらで記事にしてみます。

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 なんかもう、見た目からしてすごいですが、これは極東軍事裁判で裁かれた、戦犯とされた人々の最期の遺書を集めた本です。

701篇が納められておりますが、701篇、全て遺書です。これだけの多くの遺書を読むというのは、なかなかに精神的なエネルギーのいるものですが。多くの人が家族にあてて遺書を書いています。妻子、そして郷里の母。最期の胸に残るのはやはりこのような人々の存在なのでしょう。

 

 極東軍事裁判について、私は歴史学徒でもないし、また法学者でもありませんから、何かを語ろうというのはありません。ですが、遺書をつらつらと読むにつけ、なぜこの人が死刑にならねばならなかったのだろうかとどうにも首をかしげてしまう。参謀など、中枢にいた人が有罪とされるのはわかりますが、なぜ書記官や通訳までが?この人たちはおそらくただ組織の末端の一員として、上からの命令に従っただけでしょう。命をもって償うほどの罪をおかしたのだろうか?というのをどうしても感じざるを得なかった。

 

 

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 数々の遺書のうち目を引いたのは板垣征四郎の遺書で、全てが漢詩でした。

板垣征四郎のことは特別詳しくありませんが、あの当時のエリート参謀の教養に私は目を見張ったのでした。漢詩を読み下せるようになりたい。

巣鴨プリズンにおいては、元総理大臣とか、元首相とか、そういったかつての権力者たちもあっさりと処刑されました。彼らの最期の遺書もまた、一編の遺書として他のごく一般の人々と同じく掲載されています。

 

 とにかくすごい本です。これを編纂された方々の尽力に敬意を抱きます。

巣鴨プリズン教誨師であった田嶋隆純氏は多くの死刑囚の最期を看取った人で、この人の胸にも様々な思いがあったことでしょう。(田嶋氏はこの本の編纂中に倒れ、四肢言語不自由の身となりながらも大きな仕事を遂行されました。)

 

ご興味のあるかたはぜひお探しください。

 

最後に、巣鴨プリズンにおける田嶋氏の前任の教誨師であった花山信勝氏の言葉が興味深かったのでこちらに載せておきます。花山氏は遺書にもたびたび名前が登場します。花山氏によって救われた人がそれだけ多かったのでしょう。

 

 刑死の直前、仏前に祝詞を朗誦した人もあれば、賛美歌を歌つた人もあつた。多くは念仏を称えて西方浄土を念じた人たちであつたが、それとともに『君が代』や『海行かば』などを歌い、日本国家と天皇陛下の万歳を三唱する人たちが多かつた。刑死後に天界に上昇して、それから復讐を、と囁いた人が一人あつたが、その他はほとんどと言つてよいくらい、看守の米兵たちに向つて慰労と感謝の辞を述べる人たちであつた。

刑場へと歩みながら、大地を踏むこの世のよろこびを口伝えられた青年もあれば、銃殺場へと急ぐ獄車のなかに居眠りし、目覚めてからも『死すること、まさに帰するが如し』と独言して平然たる老人もあつた。

およそ凡人の想像することもできぬ、崇高にして明朗な場面が、しばしば展開したのであつた。

 

 

 

おわり