あえてリンクは貼らないけれど、ホッテントリで「天才数学少年と東大生」というのがあがってて、それを読むとどうしてもモヤモヤしてしまう。
あれから約1年、50円東大生と発達障害の数学少年が再会しました。 - うちの子流~発達障害と生きる
不謹慎かもしれないけど、俺も発達障害として生まれてみたいと思ってしまった。。でも、この子は恵まれた環境にいるのかもしれないなぁ。
2017/02/18 08:49
こんなブコメもあった。
この人が着目しているのは天才性であって、発達障害のしんどいところをしこたま持って生まれたような私からすると、お願いだから普通に生まれたかったとしか思えなくてつらい。
私が小さいころはそもそも発達障害という概念すらなかった。
時代が下るにつれて、発達障害という概念はどんどん広まってきたし、療育などもすごく整備されてきたと思う。
幼いうちからの周囲の理解や、適切な療育があれば、子どもはずいぶん良い方向に伸ばすことができるし、この天才少年のように早期から才能が目に見える形でわかっているのは非常にラッキーな方だと思う。
私は発達障害ゆえに周囲の大人の言うことがわからず、子どものころからバカスカ殴られて育ってきた。
だからこのような、周囲に愛されて才能を伸ばすことができた!みたいな記事を見かけると、悔しさとやるせなさが沸き上がってきて、どうにもしんどくてたまらない。自分の中にどす黒い感情がわきあがるのがわかって、ものすごくつらい。
同時に、世間の人に、才能があることを発達障害のスタンダードだと思って欲しくないし、もっと負の面があることを、社会に理解されてほしいと思ってしまう。
発達障害のつらいところは、二次障害として、ほとんどありとあらゆる精神障害のリスクをかかえこんでしまうことだ。
統合失調症、依存症のほぼすべて、鬱病、人格障害、人間関係トラブル…これらの二次障害によって人生が大きく狂っていく。
私のように、自律神経に問題を抱えた個体も出る。
発達障害のなかに、きわめて突出した才能を持った個体が現れることは知っている。
だが、それは本当にごく少数なのだ。
大多数の発達障害者が苦しみ、みずからの障害に大変な苦労を抱えながら生きているのだ。
非常にモヤモヤする。
私も突出した才能を持って生まれたかった。
突出した何かがあれば、私は殴られずに済んだのだろうか。
おわり