けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

香山リカの記事を読んで雑感

ここしばらくブログからかなり遠ざかってしまっていた。

というのも、父が入院して心臓の手術を受けていたからである。

 

若い頃は痩せぎすでいつもカリカリしてすぐに子供たちを殴っていた父だが、今の容貌はもう立派なおじいちゃんとなり、性格はじつに穏やかな好々爺、たくさんの弟子に慕われる老学者になっている。どうでもいい話だが、wikipediaのとある学者の項には父の経歴が載っている。いちおう、日本においてはそれなりの学者になったのかなと思う。

負担の少ない術式とはいえ手術のリスクはゼロではないから(おまけに心臓である)、もし父が手術中もしくはその後の合併症で亡くなったらどうしようという大きな不安があった。このストレスは自分で気づかないうちにかなり大きくなっていて、じわじわと心がやられていたらしい。私はほとんど体が動かなくなり、こんこんと眠り続けた。7月中は入院準備などもしていたが、本当に昼も夜も寝ていた。

入院中は毎日病院へ通った。父は無事に手術を終えて退院したのだが、父を自宅へ見送ったあと、疲れ果てた私はそれからまたこんこんと眠り続けた。

いまだ、以前の日常生活に戻れないでいる。

 

 

さて、先日だが、このような記事があった。

news.livedoor.com

このブログを以前から読んでいる人はすでにご存知かと思うが、私は確定診断済みの女アスペルガーである。知能検査でもあきらかな凸凹があるし、幼い頃から日常生活でも社会生活でも支障をきたしている。冒頭に父の話が出ているが、父もまた立派なアスペルガーである。

 

私がこの記事を読んで、最初にふと思ったのは「なんで香山リカのところへ行くんだろう」という疑問であった。まぁ簡単に行けるところにあったから行ったのかもしれない。

発達障害の当事者や、精神科医の人であればよく知っていることだが、大人の発達障害の確定診断はとても難しいと言われていて、診断ができる専門外来も数が限られている。私がまだ京都に住んでいたころ、京都府で大人の発達障害の確定診断ができる病院はわずか2〜3ツだった。ようするにしっかりした診断をできる専門医がごくわずかなのである。自分の場合だが、カウンセラーさんの面談まで半年待ち、専門医の確定診断までには計10ヶ月を要した。そのくらい専門外来は混みに混み合っていた。

 

彼女たちは苦しんでいるのだ。

だから精神科の門を叩いたのに、専門医でもない香山氏が知能検査もしないうちから「あなたは違うと思う」という診断をしてしまうことに、私は疑問を感じる。

 

宮尾益知という医師の書いた、『女性のアスペルガー症候群』という本がある。

https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4-%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E7%89%88-%E5%AE%AE%E5%B0%BE%E7%9B%8A%E7%9F%A5-ebook/dp/B01FDIFFLW

 

これを読むとわかるのだが、女性のアスペルガーは男性のアスペルガーと違い、社会性が育っていて、一見それと判断できないことが多いと言われている(理由は不明)。

だから、初対面でふつうに話をしているだけではなかなかわからない当事者がいる。

私も、このようなブログなど書いているが、まず普通に接しているぶんには私がアスペルガーだということに気づく人はめったにいない。

 

発達障害に特徴的な、聴覚過敏/嗅覚過敏/触覚過敏のすべてを私は持っているが、それらの特性はよほど注意して気をつけていなければ他人にはほとんどわからない。(隠しているのもある)

女性のアスペルガーの場合、社会性に問題はないが、身体症状が出てそれに苦しむというタイプもあることがこの本には書かれている。私はまさにこのタイプで、身体症状のほうがひどい。

 

私は、こういう言い方をすると申し訳ないが、香山氏に否定された女性たちのうち、何パーセントかは本物の発達障害の当事者がいたのではないかと思えてならない。

 

わざわざ精神科医を訪れるくらいだから、彼女たちは困っている。少なくとも本人は支障や苦痛を感じている。その理由が知りたい、それは自然なことだ。

 

私の場合だが、発達障害の確定診断がおりたとき、涙がでるほど安堵した。

これまでの死ぬような苦しみはこのためだったのか。あんなに苦しんでいたのはこのためだったのか。胸の奥に大きな悲しみと悔しさ、同時に不思議な安堵感が広がって行くのがわかった。

診察室から出て廊下で泣いていた私に、カウンセラーさんが忘れた書類を渡しに来てくれた。

 

医師に期待をしすぎてはいけないが、患者のことを否定しないでほしいと思った。

 

自分が発達障害ではないかと悩み、苦しむ人が増えたのは、社会がそれだけ先鋭化して、高い能力があることが「普通」になってしまったという背景もあると思っている。

 

 

おわり