前回のブログにはたくさんのコメントをいただきました。
ちょっと疲れてしまってきちんとお返事を返せておりません。
すみません。
ここ数日、とにかくネットから離れようとしていた感じです。
台風もあったし、疲れがすごいです。
私にはとくに何の被害もありませんでしたが、親しい友人が、台風で自宅に停めてあった車に大木が直撃し、その片付けの最中に足に植木用の鋏がブッスーし、5針縫うという大惨事になっていました。千葉の被害のほうがものすごいのですが、報道されないところでこうした小さな悲劇はたくさん起きてるんだなと思ったものです。
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ところで先日、わが実家のことをふと思い返してみたのですが、それについて今日は書いてみたいと思います。
中学1年生だったと思いますが、母親が新聞を見てからあわててどこかに電話をかけていました。それまで、我が家はずっと賃貸に住んでいたのですが、どうも母親がかなり良い条件の建築条件つき土地を見つけたらしい。私は今でもその新聞広告を鮮明に記憶しています。
さて、あれよあれよと家が完成し、その年の冬くらいには入居することになりました。
ところが、あとでわかったのですが、この土地はもともとが沼地で、どうもそのような土地はよくないらしいのです。科学的根拠があるかどうかは私にはわかりません。
家を建てている最中を見に行った記憶があるのですが、大工さんがコツコツと仕事をしていました。職人の姿をカッコイイと思ったものです。この大工さんは私の家を建ててすぐ亡くなったと聞きました。白血病だったそうです。まだ34歳だったとかで、子供心に衝撃でした。しかしこれは家のせいなのかなんなのかわかりません。
私の部屋は北側の一室だったのですが、この部屋で寝るようになってすぐ、強烈な金縛りに毎晩のように襲われるようになります。
ほぼ毎晩金縛りが起きて、私の上に黒くて大きな固まりとか、鎧武者のような人が落ちてきます。鎧が落ちてくるときはかならず大きな「ガシャーン!」という大きな音がします。ものすごい衝撃が腹に来て、とにかく重い苦しい痛い。
当然ながら私は不眠におちいり、金縛りに効くと言われるものがあればすべて試してみました。お守りを何個も身につけて寝たりしました。
ですが、ほぼすべて一時的な効果しかなく私はどんどん衰弱していきました。
結局、部屋を妹と取り替えてもらうことで金縛りは解決したのですが、今度は兄の奇行によって不眠がまたひどくなることになります。
兄は、新しい家に引越してから奇行が目立つようになりました。夜中に雄叫びをあげ、さほど広くもないベランダを何度も何度も往復して夜中じゅう走り続けるようになりました。
これに私はまいってしまい、金縛りはおさまったのに、今度は兄のせいで眠れない状態になり、精神面ががたがたでした。
この頃私は成長期の子供がよくかかる膝の病気にかかり、所属していた部活をしっかりできなくなってしまい、そこから部の女子たちからいじめられるようになります。膝の痛みはかなりひどく、歩くのも困難なくらいひどかったのですが、なんとかがんばって学校には通っていました。
過去のブログにも書いたかなと思うのですが、兄の奇行がどんどん異常になっていきます。兄は統合失調症だったわけなんですが、あんまりにもひどかったので、近所で噂になるようになっていきました。
兄が母に暴力を振るうので、家の中がどんどん荒れていきました。新築の家なのに壁にぼこぼこ穴があいて、冷蔵庫なんかも兄が殴る蹴るをするので、あちこちがぼこぼこになっていました。
母は兄からの暴力を避けるために家をよく留守にするようになりました。最初はすごく安い古旅館とかに泊まっていたのですが、行きつけが閉館してしまったため、家から離れた場所に2万くらいの安いアパートを借りました。こうして母は家から出て行ってしまいました。
母のかわりに兄のターゲットになったのは私で、難癖をつけられて暴力をふるわれるようになりました。でも、私への暴力は母ほどにはひどくなかったため、あまりダメージは大きくなかった。それよりも近所の人とかが変な目つきでこちらを見ることのほうが苦しかった。
私は夜のうちにおかずを何種類か作っておき、兄が寝ているすきを見計らって帰ってきた母の洗濯物を受け取り洗濯、その間に母がものすごいスピードでタッパーにおかずを詰め込み、ビニール袋にそれを突っ込み入れ、5分しないうちに家をまた飛び出していきます。
母が一瞬だけ帰ってきたことを知ると、兄が激怒して部屋をめちゃくちゃにして暴れるのですが、それを片付けるのは全部私の仕事でした。
中学2年生のちょうど9月、私はひどい鬱になり、布団から起き上がれなくなりました。このまま7年間ほど私は引きこもるのですが、その話はここでは割愛します。
この時代は、今のように皆が簡単にメンタルクリニックにかかるような時代ではなく、兄がトウシツになったこともはじめはまったくわかりませんでした。(余談ですが、林先生のブログのようなものも当時は一切なかったので、とにかくまったくわからなかったのです)
私がひどい鬱状態になり頻繁に手首を自分で切り、そんなことを繰り返しているうちに妹もまた不登校になってしまいました。
こうして、
『子供たちは全員ひきこもり、母は家から逃亡、夜中に得体の知れない叫び声が聞こえる家』
という状態になってしまったのです。
その後も、兄がかなり本格的な自殺をはかったり、錯乱した妹が家の一階に油を撒いて火をつけようとしたり、あとから思っても子供たち全員が自殺をはかるってすごい話だなと思うのですが、子供全員のメンタルがおかしくなりました。
時は流れ、私が大学生になったころのことです。この頃、私は実家を出ていて、母とは時々電話で連絡を取り合っていたのですが、ある日母が「この電話は盗聴されている」と言いだしました。ああ、ついに母まで発病したか…そうか…そうよな、ストレスすごいしな…。
ところが実家へ行って母に会ってみると意外にもふつう。
だが、「盗聴されている」というのは変わりません。母はビニール袋に入ったコンセントを私の前に置いて、「これ、おかしくない?」と言いました。
あきらかに粗悪な、灰色のプラスチック製で、やけに巨大なコンセントが5〜6個、そのビニールには入っていました。そのうちの一個は、母によって解体されていた。
コンセントはどこをひっくり返してみても、どこにも製造の場所などの記号や印字がありません。日本製だったらJISマークがあるはずですが、どこにもない。
母によれば、このコンセント類は、家具に隠れたコンセントタップなどのありえない場所から発見されたとのこと。そんなところにこのようなコンセントをつけた記憶はまったくないし、そもそもどこで売っているのかすらわからないと。日本製ではないであろうコンセントを前に、私も母も、一体どうしてよいのか途方にくれました。
コンセントは、おそらく誰かが家に侵入して取り付けていったものだと思います。
田舎の家だから、平気で鍵をあけっぱなしにしていた父母が悪いわけなんですが、ちょっとどうにも不気味。
結局、このコンセントの謎は今でも解明されていなくて、母がコンセントを解体したとき、得体のしれない機械が中に入っていたそうですが、私はその実物は見ていません。
私の実家が新しく建ってから30年ほどになるわけですが、この間、幸いにして誰も死人は出なかったものの、なんというか、とにかく大変だったなと。
これ以外にも母が病気を患ったりとか、兄が脚立から落ちて腕を折ったり、父が心臓病になったりだとか実にいろいろなことがあるわけなんですが。
私はたまたま僧侶の知人が多いので、機会があったら除霊とか頼んでみようかなと思っています。
私自身は、やっぱり家相はあるんじゃないかという思いです。信じない人は信じなくていいと思いますが、私はあると思います…。
おわり