けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

ポンコツではない人がポンコツを自称しないでほしい

少し落ち着いてきたが、私はこのブログを目に涙をためながら書いている。

だからすごく怒りにまかせた文面になるかもしれないがお許しいただきたい。

ポンコツの人むけのハウツーみたいな記事があって、へえと思っていざ読んでみたら高級な家電のオンパレード。読むうちに涙が出てきた。この人のいう「ポンコツ」と、私が定義する「ポンコツ」はまったく違うのだなと断絶感がすごかった。

ポンコツが日常生活を送るためのハウツー #頑張らないで生きていく|池澤 あやか|note

それなりの能力と知名度を持つ人が、自称ポンコツとかダメ人間というのは本当に困難してる人にとって害悪でしかない。裏返せば私以下など人間ではない、みたいな物差しになるので。

2019/10/21 20:25

b.hatena.ne.jp

 

正直なところ「ポンコツ」というのであれば、社会適応がどれだけ頑張ってもできなくて、人生に絶望して、死の淵に何度か立ったくらいの人が自称してほしいと思う。

そのくらいでないと、ポンコツといえないだろうと個人的には思う。

私の知人でこういう人がいる。私と同じ発達障害の人だ。

この人は月に何百錠もの薬を飲んでいる。発達障害とそれにともなう二次障害のための薬だ。これを飲まないと社会生活が送れない。薬の額は額面で言うと20万近くにのぼる。これに加えて障害年金(2級)をもらっている。

薬でなんとか精神面をたもち、発達障害の能力欠如をドーピングで覆い隠して、やっとのことで仕事をしている。仕事は障害者雇用で月に10万稼げたら良い方。10万に届かない月もある。こんな調子だから障害者年金がなければ生活していけない。あのね、こういう経済状況であの高級家電買えると思いますか?そんなの買う余裕がない人がたくさんいるってわからないの?(ばかなの?)

大量の薬と合わせると、この人が社会生活をいとなむために年間数百万のお金がついやされている。本人が稼ぎだせる額の2倍くらいのお金が支給されている。

う〜ん、働くことって…と複雑な気持ちになるが、やはりこの人が社会生活を送るためにはこのくらいの医療福祉のサポートが必要だということなのだ。

しかし、こういったサポートが可能なのも、現在はまだ社会保障をささえるだけの人がいるからであって、この先支える人がいなくなればどのようにけずられていくかわからない。「あんたの障害でしょ、自分で努力してよね」という時代はすぐそこまで迫っている。私が安楽死を求めているのはこの時代の到来をすごく恐れているからである。だが、私の恐れとは関係なくこういう時代はすぐにやってくるだろう。

  つい先日、話題になっている『ケーキの切れない非行少年たち』を読んだ。IQの低さや認知機能の弱さによって、人がどれほど困難な人生を歩まざるをえないかがつぶさに現れていた。ひどいなと思うのは、かつてはIQ85以下を知的障害と定義していたのに、これらの人々が15%ほどいるとなったとたんに「支援対象が多すぎるから」とばっさりと切り捨ててしまったことである。これら支援対象からはずれた人々は自分の人生はなぜこんなに困難なのかと苦しみながら底辺に近い仕事に従事したり、人に騙されたりホームレスになったり、ときには犯罪者になったりする。国の支援策がもう少しまともであったならと思わずにはいられない。

  私は自分自身をポンコツだと自認している。だからこのようなブログを書いていたりするわけだが。発達障害の確定診断のとき、私の知能検査のグラフはものすごい高低差があって、IQの値は15くらいの差があってもすごくしんどいと言われるそうなのだが、自分の場合50以上の開きがあった。というのは、突出して言語性IQが高くて、動作性IQの項目が極めて低かったからだ(最低値のほぼ二倍が最高値)。人から「それはしんどいでしょう」みたいなことを言われたことがあるが、私自身は健常者の脳になったことが一度もない。平均値から大きく外れた脳が自分のデフォルトであって、そうでない状態をいっさい知らないのである。だから私は健常者がどのような状態であるのかを知らない。健常者の人はこれほど苦しまないでいられるのだろうか。このへんもいっさいがわからない。ただ、私がこのような文章をそれなりのていで書けるのも、かなりの速さで本を読む事ができるのもある程度高い言語性IQのおかげであって、ここに救われているところがある。

  いわゆる健常者のふつうの人が、仕事をして、家での家事をこなすことが100の能力がいるとしたら、おそらく私には30くらいの能力しかそなわっていない(精神的にものすごく脆弱なことも含めて)。だから残りの70を別の人に肩代わりしてもらうか土俵から降りるかしかない。知人のように大量の薬を飲み年金をもらうことでそこをカバーする人もいるが、他人の助けを借りずに自立しうるだけの能力がない場合、これは本当にどうしたらよいのだろうか。必死にがんばって60くらいの能力でつっぱしることができるが、当たり前だが反動がきて結果的に体調や精神状態を悪化させるのがオチである。自分だってできることなら100とか、もっといえば150くらいの能力を持って生まれてきたかった。はなから低能力で生まれたかったという人はおそらくあまりいないだろう。私だって好きでポンコツに生まれたわけではない。もういい加減にポンコツな人生から逃れたいと願っている。

れいの記事を読んだ人はどうせこんな泡沫ブログなど目にとめないだろうがあの記事は本当に不快だった。

映画『ジョーカー』が話題となっている。観に行こうかなとも思っていたが、精神的に動揺をきたしそうなので行くのはやめた。だが、あちこちの記事を読んでいるとなんとなく内容がわかってきたのでいつか落ち着いた頃にみようかなと思っている。

 

 

 

おわり

 

 

 

 

がん治療に関する雑感(長文)


togetter.com

 こんなまとめがあったので、自分なりの雑感を書いてみたいと思う。

 ちなみに、これまでも代替療法や民間療法などについてはブログ記事を書いていて、ご興味のあられる方はそちらもお読みください。 

nenesan0102.hatenablog.com

nenesan0102.hatenablog.com

 

  昨年、2018年に、国民的漫画家であるさくらももこ氏が亡くなった。がんによる死、しかも53歳という若さでの死であったため、多くの人が衝撃を受けた。

togetterのまとめを読むかぎり、さくらさんは、もともと乳がんで標準医療を受けていた。それで一度は治っているが、がんがまた再発したという状況だったようだ。

さくらさんが民間療法をしていたことをなげく声もあるが、民間療法を選択したのには理由があったとも言える。

togetter.com

 さくらももこの件のtogetterまとめには、このようなツイートもあった。

 「けっこう元気!!」なのは、それはあなたの場合であって、さくらさんはそうじゃなかったんでしょう。二度と受けたくないと思うくらいには苦しかったのでしょう。

人の体というのは個人差が大きくある。だから安易に「私は平気だった。だからあなたも」というのは通用しない。これは標準医療にも民間療法にも言えることで、Aさんに通用したものがBさんに通用するとは限らないのが、医療のとても難しいところである。

 

重篤な副作用

いま、私の手元には『今日の治療薬』という、医師の机にかならず鎮座ましましている分厚い薬辞典がある。この本で、けっこう代表的な抗がん剤である「5-FU(フルオロウラシル)」をひいてみよう。この「5-FU」は、かなり多岐に用いられる抗がん剤で、消化器系のがん全般、乳がん、肺がん、子宮けいがんなどの治療に使われる。

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『今日の治療薬2018』より

 「5-FU」の「副作用」の欄にはこんな記述がある。副作用は多いので、とりわけ重篤なものを書き出してみよう「骨髄抑制、うっ血性心不全心筋梗塞、急性腎障害、白質脳症、肝不全」。命に関わる副作用が多数ある。

 腎障害もそれ自体が重篤な場合は、そこから人工透析になったりの可能性もある。心不全からダメージが腎臓に行く場合もある。骨髄抑制というのは、骨髄の機能がおかされ、それによって血液中の血漿成分が作られなくなり、ようするに血液そのものが劣化する状態となる。だからこの状態になると全身がものすごくしんどくなる。血漿成分である血小板が減少するから鼻血が出てとまらなくなったり、歯茎から出血がとまらないとか、そのような副作用がおきる。

 

 じつは私の知人が、消化器系のがんで、この「5-FU」による抗がん剤治療を受けた。消化器粘膜を攻撃する性質のある薬なので、口から肛門までびっしりと潰瘍ができ痛くて痛くてたまらなかったそうだ。さらに言うと腕にシミのようなものがぽつぽつとあるので、これはなに?と聞いたら、看護師さんの手違いで抗がん剤が点滴から落ちたものが火傷になり、それが数ヶ月経っても皮膚に残っていた。そのほか、爪が一時的に生えなくなり、すべての爪が伸びなくなった。

 しかしこの人の場合、それでも副作用はごくごく少なかった方だ。それはただの偶然であって、重篤な副作用があった可能性もあったわけである。

  私は、抗がん剤の、人体へのあまりの侵襲性の高さはどうなのかと思わざるをえない。

  2018年に本庶先生がノーベル賞を受けたがん治療薬「オプジーボ(二ボルマブ)」でも、副作用による死者が出ている。ここまでくるとちょっと治療自体がロシアン・ルーレットめいた感じすらある。脳機能障害を起こした場合、その後、脳機能がどこまで復活するのかはちょっとこの記事からはわからない。だが投薬の影響がきわめて深刻なのはあきらかだろう。

medical.jiji.com

 

■莫大な治療費用

 2014年に「オプジーボ」が登場したとき、その薬価はかなり高かった。体重60kgの人への投与の場合、月に300万、年間でおよそ3800万円がかかったという。 

www.ganchiryohi.com

 がん闘病を公表しているある写真家さんが、ブログで「僕の今現在のがん治療費用は、年間でだいたい6600万円ほどになります」と書いていた(※高額療養費制度があるので、本人負担額=6600万円ではない)。

  保険治療適用内であれば、高額療養費制度という救済措置が使えるが、最新薬を使った自由診療の場合、この高額療養費制度は対象にならない。だから中には家を売って治療費を捻出するという人もいる。

 

 高い薬というのは存在するもので、つい先日発表された難病の再新薬「ゾルゲンスマ」の一回あたりの薬価は2億を超えるものだった。国内でもっとも高い治療薬は、白血病治療薬「キムリア」で、一回の費用が3350万円である。いかに最新の医療費がぶっとんで高いものかというのがよくわかる。

  病気になると、ただでさえ体がつらくなって働くのが困難になる。おまけに医療費が、まるで悪魔がやってきてお金をもぎとっていくかのように吹っ飛んで行く。

 

■いかに生きるか 

 ここまで書いてきて、読んでいる人はどう思うのかわからないが、私自身はがんの標準医療を否定するという立場ではない。ただ、標準医療が体に合わない人が必ずいる。そういう人たちをどのように扱うか。この問題にまだ、病院や医師側は答えを出す事ができないでいる。身もふたもない言い方をすれば、標準治療も代替医療も、どちらも生存者バイアスなのである。「キノコが効いた」というのもあくまでもその人の場合に限っての話であるが、救われたい一心で代替医療を選択する人ももちろんいる。

標準医療というのは、膨大な蓄積データのうち、エビデンスがしっかりあるものを専門家が審議して定められた医療である。だが、だからといってそれが効くとは限らないのだ。ここが人間の体の悩ましいところである。標準医療で効果がなかった人や、あまりにも苦しい思いをした人が、いくらエビデンスがあると言ってもそこから離れてしまうのは無理もない。

 

  いまは、遺伝子解析がものすごいスピードで進んでいるから、遺伝子を解析して、それに合った副作用の少ない抗がん剤投与なども行われているが、抗がん剤治療を行って副作用がどのくらい出るか、どの程度の重篤な副作用が出るかなどは、すべてやってみなければわからない賭けみたいな部分があるのだ。

  私は、人々を標準医療から遠ざけるものは、肉体や精神へのひどい侵襲性と、成功率の低さ、それから高い医療費だと思っている。

 

  以前、がん治療に関して、このような文をどこかで読んだことがある。

Aさんはがんになり治療を行った。保険が適用されない最新の治療薬を使うため、長年住み慣れた家を売った。

Aさんのがんは治った。だが、Aさんに残されたのは、治療による莫大な借金と、副作用で弱り果てた体だった。Aさんは働けなくなり、住む家を失って小さなアパートで寝たきりになって生活するようになった。

それからしばらくしてAさんにがんが再発した。今度はもう治療するお金もなかった。

この文を読んだのはたしかまだ10代のときで、この人は一体なんのために生きるのかなとひどく疑問を感じてしまったことがある。Aさんはこの状態で幸せなのだろうか。

 

 

 いま、私の手元に『日本医療史』という本がある。この本の中に、日本の中世の死生観が取り上げられていて、それが興味深いのでここで引用したい。

中世の人々に希求された「頓死往生」「極楽往生」も、その前提には「臨場正念」という心安らかに念仏できる命終のときを得ることが不可欠とされる。

苦しむことのない安らかな死、それは仏への信仰によって支えられる死であったが、一方、いわゆる天寿をまっとうしたと言われるような老衰死も古来から理想とされる死となっていた。   

 

 「頓死往生」というのはぽっくり死ぬこと、「臨終正念」というのは、臨終のさいに念仏をとなえられるくらいのおだやかさで死にたいという願いである。つまり、苦しみぬいてうめきながら目をひんむいて死ぬというのはやっぱり嫌なわけだ。これは鎌倉時代に書かれた日記に登場する記述だ(『平戸記』寛元2年/1244年)。ああ、中世の人々もそのような感覚だったのだと私は妙に納得した。

 私自身、もともとから安楽死推進派ではあるが、手のほどこしようのないがんについては、安楽死などを認めてほしいという思いを持っている。

 

 

 ところで、民間療法に関して言うと、けっこうな額がアメリカにおいて支出されている。古いが、1993年の調査データがある。

アメリカにおける医療費支出額のうち25%が民間療法に費やされており、患者のうち約70%はなんらかの民間療法にかかり、その支出総額は137億ドルにのぼる。(民間療法を選択するのはおもに白人のエリート層)

ちなみに、アメリカでは標準医療に代替療法を取り入れるというのはけっこう行われているこころみで、これを「統合医療」(Integrative medicine)という。アメリカにはこれを研究するための「国立補完代替医療センター(NCCAM)」がある(1998年設立)。

  これは2010年のデータであるが、アメリカの病院協会に加盟する大病院のうち、42%の病院で統合医療が行われている。ハーバード大スタンフォード大をはじめとする有名大学による「統合医療連合」が設立され、今では57の大学が加盟して研究を行っている。

(※データが古いので、今現在は変化している可能性があるのですみません)

 

ja.wikipedia.org

 

 

  私は個人的にだが、標準医療側に立つ医師が、民間療法を選択した患者を「偽情報にだまされて…。情弱はこれだから」みたいに小馬鹿にする感じがどうにも好きではない。いや、あんたらの治療が苦しすぎてもう無理になったんだって、そこはちゃんと認めなよとも思う。標準医療に不信感を抱いている人は意外と多くいる。それがなぜなのか。なぜ患者さんが民間療法を選択したのか。きちんとその背景について考えるべきだと思う。

 

 眠れないので適当に書いてしまった。構成がうまくないのはお許しください。

 

 

 

おわり

 

■参考文献

 『今日の治療薬』南江堂/2018

 『日本医療史』新村拓/吉川弘文館/2006年

 『病気がイヤがる暮らし方』丁宗鐵/春秋社/2015年

 ※アメリカの医療費のデータは、丁先生の本の記載よりお借りしました。

 

 

 

グレタさんについての雑感

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(グレタさんのFacebookページのスクショ)

 

 スウェーデンの環境活動家の16歳の少女、グレタ・トゥンベリさんが話題だ。

後ろに大きな組織がいるとか、本人の主張に科学的根拠がないとか、デスメタルにされるとか、もう侃々諤々である。

それはさておき、この人はもともと発達障害界隈ではそこそこ有名人で、それはやはり本人がASDなどを公言していることで、 それに希望を見いだした人がグレタさんを(その主張とは関係なく)支持したりしていた。というのは、発達障害を持った人物が、それも16歳の少女がここまで多数の人々の賛同を勝ち得るというのはなかなかない出来事だからである。

このブログにもたびたび書いているが、発達障害を持っていると、普通の人ができることができなかったり、何度もつまづいたりそのことで叱責を受ける事が多い。人生の中でつまづくことが多いから、発達障害の人は自己肯定感がきわめて低かったり、自分は駄目だと思っている人がすごく多いのである。

 

 一番上にある画像は、グレタさんのFacebookのオフィシャルページである。

私がグレタさんを知ったころ、彼女のページには100万のいいね!がついていた。

今、このスクショを撮るために見に行ったところ、235万いいね!になっていた。

FaceBookの「いいね!」というのは日本語だと「いいね!」だが、英語だと「Like!」である。世界中の235万人もの人々が彼女を「好き!」と言っているのだ。日本だとグレタさんを冷笑する傾向がみられるが、グレタさんが、今現在の社会において、世界規模の著名人であるのは間違いない。

 

 ところで、私は少し前に、グレタさんについて同じくASDを持つ知人とやりとりをしたことがある。

グレタさんは発達障害のほかに、二次障害として社会不安障害などを持っている事を告白している。だが、彼女の精力的な活動はあまりそれを感じさせない。だから知人は、グレタさんがこれらの二次障害を克服したうえで活動しているのだと決めつけていた。

「どうやって克服したのだろう?その方法を教えてほしい」と言っていた。

私自身はあまりそうは思っていなくて、グレタさんはまだ、おそらくは二次障害にもASDそのものにも困っているところはあるだろうと推測している。だが、直接グレタさんのことを知っているわけではないので、この話は不毛だなと思い、さっさとやめてしまった。

 

 私はこのブログの読者が600人強いるが、それだけでもけっこうな心の支えになっている。数百万人の人々が自分に賛同をくれたら一体どれだけの高揚感であろうかと私は思うときがある。とりあえずグレタさんがそれなりにタフな心臓の持ち主であることは間違いないだろう。

 

  グレタさんの活動がこの先、どのような展開を迎えるのかはちょっと今のところわからないが、日本ではおよそ考えられないくらいヨーロッパでは環境活動のうねりが高まっていて、日本とかなり感覚が違う。そら別の国だから違って当たり前なのだが。

日本で、女子高生がいきなり学校の前で座り込みをはじめても、おそらくは誰も賛同しないであろうことを考えると、大きな違いを感じる。

 

 

 

おわり

丸二食堂

 先日、写真を整理していたらなつかしい写真が出てきた。

 

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丸二食堂 2012年8月の写真 

 

というわけで、消費税があがってしまった。

 

ニュースで、「夫婦がやっている小さな食堂が、増税に耐えきれずにのれんをおろしました」というのを見るたびに丸二食堂が心配になる。

 

 とりあえずまずは丸二食堂の情報を載せておく。 

tabelog.com

 

 丸二に行けばわかるが、おじさんとおばさんが働く厨房の前で注文をするから、大きなフライヤーとかそういったものが垣間見える。

丸二のテーブルに座ればちょこっと欠けたコップを平気で使っている。それが丸二の味なわけであるが。

  店内にある調度品のいくつかは壊れている。私は座ったイス席の座面ががっぽり取れたことがある。それが丸二である。しかしよくよく考えれば買い替える余裕がないのかなとも思う。フライヤーとかの大きな調理機材が壊れてしまったら丸二は耐えられるのか。心配になる。

 

  いつだったか忘れたが、先輩の結婚式でどこかで見た顔のご夫婦がいるなと思ったら、正装した丸二のおじちゃんとおばちゃんで、その先輩はよほど丸二が好きだったのだろう。そのくらい私のまわりの人々に丸二食堂は愛されていた。正装した二人はちょっと恥ずかしそうにして常連の人々に挨拶をしていた。   

 

今日のこの記事は丸二の応援記事である。ぜひとも行ける人は丸二定食を食べに足を運んでほしいと思います。京阪神宮丸太町が最寄りです。京大前までバスに乗って、そこからぶらぶら歩くのもいいと思います。

 

 東京へ引越してきて思ったんですが、こういう個人がやってるタイプの定食屋がほとんどなくて驚いた。自分が知っている地域にないだけかもしれませんが。

 

 

 

 

おわり

やしま監督の映画『辺野古抄』を観てきた。

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  私が八島監督とはじめて出会ったのはまだ京都にいたころで、およそ7年ほど前くらいだと思う。すごく小さなイベントでそのとき彼はまだ大学生だった。彼はとても腰の低い人物で、あんまりたくさんしゃべったわけではない私にわざわざお礼のメッセージを送ってくれるくらいに丁寧な人だった。

それはまぁさておき、彼が卒業制作でドキュメンタリー映画を撮って、しかもそれが「東京ドキュメンタリー映画祭」というので賞を獲得してしまったというので驚いて観に行った。

 

(※以下ネタばれあります)

 

 このイベントは、映画の上映ののちに監督と企画した先生との対談があるという形式だったのだが、八島監督いわく「辺野古というとすぐに基地問題が語られるが、そこばかりにフォーカスするのではなく、人々の暮らし自体を見たかった」という意図でこの映画は作られている。だから辺野古は基地の街なのだけれど、そういった政治的なところはほとんど出てこない。

ただひたすらに人々の日常がありのまま映されている。

じつは、私はというと、まったく沖縄へ行ったことがない。本土から出た事すら1回くらいしかない。だから沖縄のことをほぼ知らない。

 

 差別的な意図はまったくないのだが、沖縄は本州の方と本当に文化が違う。言葉も違うし民族衣装も違う。ああ、琉球なのだなぁとすごく感じるところである。

 

  沖縄は、現在のところ、日本一出生率が高い。(そして、日本一、子供の貧困率も高い)

突出した出生率は、沖縄の文化が日本の本土の方のそれとかなり違うことを示している。映画の中にも登場するが、「モアイ」という風習がある。これは寄り集まった人たちが順繰りにお金を出し合って、そのうちの一人が全員分をもらえるという仕組みである。たとえば、10人が出し合って1ヶ月に1万円を出す。そのうちの一人が10万円をポンともらえる相互扶助制度なのである。

  一方で、日本全体で言うと、かなり冷酷な国民性なのは、以前も何度かこのブログでは取り上げたことがある。日本人はほとんど、他者を助けようとしないのだ。

 以前もはらせていただいたこのリンク

 

 この調査を沖縄と本土でわけてやったら、また話が違うのではないだろうかと思ってしまうくらいには、沖縄と本土とは文化が違うように思う。沖縄の場合、「自分たちで助け合うから国の助けはいらねえ」という人も中にはいそうであるが。

 

 

私が映画の中でもっとも面白かったのは、97歳のおじいの高齢と健康を祝う行事だ。

この行事を「カジマヤー」と言い、映画に映る集落の中でも10年ぶりだと言う。

金襴でできた赤いちゃんちゃんこと焙烙ずきんをかぶったおじいを囲み、家の中で儀式を終えたあと、花とかモールで原色ギラギラに飾りつけたオープンカーにおじいを乗せて町内をまわる。オープンカーの後ろには拡声器のついたトラックが後続で走り、

 「赤かざぐるまのおじいこと、金城◯◯さんは、おんとし97歳を迎えられましたが、大変元気で今も畑仕事を楽しんでいます。◯◯町としては10年ぶりのガチマヤーとなります。ぜひ、皆さんもおじいの健康にあやかってください!」

 沿道の集落をまわると、人々があちこちからバラバラと出てきて、おじいに触ってみたり、同じく高齢の人をさわらせたり、かと思えばあちこちで勝手に踊っている。

おじいはおじいでノリノリで、完全に凱旋パレードの様相である。

この光景だけを見ると、ほとんど日本とは思えない。インドかフィリピンとか、そちらの方の文化にすごく近いようなノリだ。やはり沖縄は外国だという感じがする。

 

 

 私はもともと、かなり涙もろいたちなのだけれど、映画の冒頭でやはり涙が出てしまった。

八島監督がカメラに映し出したのは、辺野古に住むごく普通の暮らしをいとなむ人々だ。本土とまるで違う日常そのものがが強烈に胸に迫ってきたのだ。

 

…というわけで、東京近郊の人しか無理なんですが、10/4(金)にもまた上映会があります。(平日やけど…)

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 予告編もはっておきます。

www.youtube.com

 

行けそうな人はぜひ足を運んでみてください。

 

 

 

おわり

なぜ自転車やバイクのタバコが取り締まられないの?

こんな記事があった。

www.bengo4.com

 

 私からすれば、自転車やバイクでのタバコの方がはるかに危険だと思っている。

 

  もう10年以上昔の話になるのだけれど、私は小さな原付に乗っていた時代がある。

京都のとある大きな道路をバイクで走っていたときのことだ。

信号待ちで、前にいたおじさんがかがみこむような動作をした。その瞬間私は「あっ、ヤバい」と思った。その直後から、そのおじさんの吸うタバコの煙が私の顔を直撃しはじめた。

大きな道路だから、自分一人だけが留り続けるわけにはいかないし、しばらく交差点もない。必死で車の流れに乗り、タバコの煙に耐えながらバイクを走らせた。

耳元で「ジュッ」という音がした。

前のおじさんのタバコの灰が私の首に飛んできて私の皮膚を焼いた音だった。

私はウッとなりながらもなんとかバイクを走らせ続けた。

やっとのことで大きな道をそれたとき、汗びっしょりになって恐怖感で一杯だった。

もしあの灰が飛び込んできたのが目だったら??

おそらく私はバランスを崩して転倒し、まわりの数台の車を巻き込む大惨事になっていたと思う。私自身がもうこの世にいないかもしれない。

そのくらい、恐怖を感じた出来事だった。

 

これは非常に危険な行為ではないのだろうか。少なくとも私からすればベルをならすよりはるかに危険だ。たまたま私の場合は首をやけどしたくらいで済んだが。

 

自転車もバイクもそうなのだが、なぜちょっとくらい立ち止まって吸えないのだろうか。なぜ喫煙しながらの走行が危険だとされていないのだろうか?

 

非常に不思議でならない。

 

私が今でも謎に思うのは、あのタバコを吸ったおじさんは、

・非常に流れの速い車量の多い場所で吸ったタバコで、後ろの人がどうなるかというのを考えなかったのか

・タバコをその後どうするつもりだったのか(おそらくポイ捨てだと思う)

・タバコによる事故が起きることを想像できないのか?

おそらくおじさんはタバコを吸うことで頭がいっぱいで、周りがどうとかいうことが考えられない状態なのだと思う。想像ができるなら、はなからバイクに乗りながらタバコを吸わないだろうからだ。

携帯用灰皿に吸ったタバコを入れて消すためには両手が自由にならないとできない。だからこのおじさんははなからタバコをポイ捨てする前提で吸っている可能性もある。

 

枯れ葉の中にタバコをポイ捨てする人

子供がいる人ごみで喫煙する人

よその家の庭に火のついたタバコを捨てる人

ゴミ置き場に火のついたタバコを投げ入れる人

 

こういう人もそうだ。まわりはどうなっても自分がタバコが吸えればどうでもいい。

どうなるかは想像しないし、するつもりもない。

 

私は、喫煙しながらの走行は、切符や罰金でもいいくらいに危険な行為だと思う。

 

 

おわり

雑記

www3.nhk.or.jp

 こんなニュースがあった。

 

ところで先日、夫と一緒に店で雑誌をなにげなく読んでいた。

そこに「大学ランキング」みたいなのが載っていて、夫の出身校が堂々の私大文系ランキング1位、偏差値は80だった。(何が原因でこんなに偏差値があがってしまったんだろうか)

ちなみにこのブログにもよく登場する我が夫氏の出身校は、あの切込隊長とかトイアンナさんとかはあちゅう氏と同じである。

 25年前、夫氏の大学受験時の第一志望校は京大法学部で、このときセンター試験の点数が945/1000というなかなかの好成績だった。だが京大法学部はさすがに難関で、あっさりと落ちてしまった。夫氏の話によれば、このとき受験生があまりにも多すぎて、京大の本部建物まで入れないほどの数だったという。

センターの試験があまりにもよかったため、センター利用をして慶応に入った。

 

  夫氏の場合、かなりの進学校に通っていたからまわりは京大がゴロゴロだし、実弟にいたっては東大法学部である。だから「俺、慶応にしか入れんかった…」という意識がけっこう強い。

氷河期世代のすごいところは、このレベルでも就職活動は全滅だったということだ。

夫氏だけでなく、私の周りには早稲田慶応クラスでまったく就職できなかった人がチラホラいた。

 

  私は、氷河期世代早慶クラスの人々が、今の学生と比べて劣っているとはとても思えない。むしろ人が多かったぶんだけ、高いポテンシャルは持っていたと思う。

夫氏は大学を卒業して、非正規の社員になって、それから30歳すぎるまでずーっと非正規だった。これが夫氏の人生にとってかなりきつかったのは言うまでもない。

 

  氷河期の就活はもう本当に特殊で、あちこちの会社で「落とすための面接」をやっていた。着ている服が気に食わないとか髪型が駄目とか、暑いからジャケットを脱いだ、出されたお茶を飲んだとか、しょうもない理由で人がゴミのように捨てられて行った。私の友人には、「太っているから」という理由で落とされた人がいた(※この人は大学は京大)

はっきり言うと、このとき、日本の産業界が失った人材の損失はかなり大きなものだと思う。学歴に関わらず氷河期世代にも優秀な人材はそれなりにいたはずなのだ。

 

一方、激しい就活戦線を勝ち抜いても、激務で鬱病になる人とかもいた。こういう人を私は何人も知っている。「鬱になった」と言っても「俺もだわ」と返ってきてもまったく驚きもしない。

 

 私が夫氏と暮らしていて思うのは、夫氏の能力は全体的にすごく高いのだ。とくに国語の能力が高くて、まるで聞いた事のないような言葉を知っていたりもする。

だけど、夫氏には弱いところもあって、指示されたことを忠実に、かつ正確に的確にこなすことはできるのだが、なにかを生み出すということがどうにもできない。いわゆるクリエイター気質とはかなり違うところにいる。

だが最近の会社では、クリエイティブなところを評価されるところが多いし、夫氏が行きたかったのはそのようなことが重視される業界だった。だからここで歯車が噛み合ずにここまで来てしまった感じがある。

あとから思えば、20歳そこそこで自分の強みとか総合的な能力、自分の立ち位置とか、そういったものをしっかり把握できている人のほうがよほど少ない。やりたいことがはっきりしているとか、この業界にどうしても行きたいとか、俺の強みはこれだ!というのがはっきりした人はけっこう強い。

 

 宝塚市のニュースについたブコメに、「この程度の給料で」というブコメがあったが、それは違う。氷河期世代が求めているのは安定した雇用なのだ。

 氷河期をまざまざと見ていた私は、あの当時、一時的にでも公務員の数を増やして優秀な人材を公務員として雇用していれば、少子化は少しでも違っていたのではないかなと思う。

 

こんな増田もあった。

anond.hatelabo.jp

でもこれ、よく読めばわかるんだけれど、貧乏なことが本質的な原因ではないと思う。

私は殆ど零細企業かつ拘束時間の長い業界に勤めているので、育休なんてとれないか妊娠したら辞めるしかない。

出産後の再就職も朝から働いて定時が20時なのが当たり前の業界からフルタイムでの勤務は家事育児との両立が難しく感じるので子供が一人で留守番できる年になるまではパートで働くことになるだろうし、そもそも保育園競争率も高い様子なので預け先が見つかるのかもわからない。

(太字は筆者による変更)

 

 明日寝る場所がない、食べ物がない、みたいなレベルの貧困ではないから、つくれない理由はおのずと「不安定だから」ということになる。要は、立場が不安定なことで、子どもを作ることに踏み切れないのだ。

 

  かつて、ベビーブームがあった頃の日本というのは公務員が実に多かった。私の祖父や親戚のおじさんたちもそうだが、高等小学校卒(=いまの中卒=15歳)でも公務員になれた。15歳で、高い学歴や立派な資格がなくても安定した職にありつけた時代があった。日本経済が成長途中で、とにかく人が足りなかった時代だ。

たばこも塩も専売公社でほぼ公務員だったしNTT(電電公社)もそうだ。国鉄もそうだし、インフラ関連職種の多くが公務員だった。その人たちはやはり立場が安定していたのである。だから子供を作ることができた。

風向きが変わったのはやはり国鉄解体あたりからだと思う。

 仮に昔の日本が、今のように非正規が多く、5年後がどうなっているのかわからないという立場の人が数多くいたとしたら、ベビーブームがそもそも起きていない可能性もある。

少子化をどうにかしたいのであれば、もう小さな政府路線をいいかげんにやめるべきだと思う。

 

 

なんだか適当になってしまったが、雑記だからこれでいいのだ。

最後に昭和時代の映像でも貼って終わりにする。

別に昭和ノスタルジーに浸りたい訳ではないけれど。

 

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おわり。