けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

(その2)ALS嘱託殺人事件について思うこと

京都のALS女性嘱託殺人事件ですが、元衆議院議員である奥様の怒濤のブログ更新が話題です。

ameblo.jp

障害のせいで、どこにいても生きづらく、いつも焦っていて

「今ここ」を生きることができなかった夫。いつも死にたい

気持ちを抱え、死にきれなくて。医者の仕事をやめたい

のにやめられなくて。とうとう逮捕されるようなことをした

これを読むかぎり、「死にたいのは自分だったんじゃ」って感じですよね。

先日、奥様が記者会見を開いたようなんですけど、このニュースでも「自宅で自殺未遂を繰り返していた」と言っててなんかすごい。これ家族にとっての心理的な負担は相当なもんですよ。

 

本人のツイートには以下のようなものがあります。

 夫は厚労省技官の医師免持ち官僚で妻は自民党衆議院議員って、まれに見るパワーカップルだと思うんだけど実情はこんな感じなのかと思うと、パワーカップルもはたから見るのだけではわかりませんね。

以前からこのブログで書いてきていますが私自身もアスペルガーです。さらに大久保容疑者は私とほぼ同じ学年なんですけど、この世代は子どもの頃は「アスペルガー」の概念自体もなく、当事者は完全に置き去りにされていた世代です。解決法がないのに、20代の頃にはすでにネットで侮蔑用語としての「アスペ」が存在していました。今のようにサポート体制が何もありませんから、勉強だけは出来るタイプのアスペルガーの人は当たり前のように高い能力を求められてその中で苦労したという感じでしょうか。

私の妹もまた高学歴のアスペルガーです。妹が行っていたようなハイクラス大学だとちょこちょこいるんですが、「家も裕福で親もふつう、大切に育てられてきて教育費もバンバンかけてもらって容姿端麗、性格も良く能力がすべてすごく高い」…みたいな人が本当にいる。

一方でアスペルガーの人というのは、遺伝性が高いので親もかなりの割合でなんらかの発達障害だったりして「勉強はできるけど家族環境がいびつで機能不全家族」ということが多い。機能不全家族で育ってきているから健全な人間関係を築き上げることが出来なくて、仕事でも能力が凸凹なのであちこちでミスをして周囲から責められて「なんでこんなことができないの?◯大卒なのに?」とか言われて惨めな思いをすることが多くて、そのうちに死にたみが増してきてしまう、こんな感じでしょうか。

アスペルガーから見ると、全方向に能力が高い人って「こいつには敵わない」って感じで、羨ましいしつらい。へたに近い場所にいるとよけいにつらい。自尊心ガリガリ削られて行く感じです。

いま、大久保容疑者の優生思想の側面ばかり強調されているけど、アスペルガーの人でみじめな思いを積み重ねて行くうちに優生思想になってしまった人って少なくないんじゃないかなと私は思います。その優生思想って、自分自身の無能さを突きつけられたことによる反動なんじゃないかと私は思っています。

大久保容疑者の持つ優生思想が、本来の意味での優生思想なのか、それとも自分自身の苦しさの反動なのかはちょっとわかりませんけど、奥さんもブログで書いてますけど、仕事がまともに勤まらないほどですから本人のつらさは相当だったと思います。

note.com

 三春さんが書かれたこのブログがいまバズっておりますが、じつは以前からこの国際比較調査は有名で。なんかもう、ものすごい日本人って強烈に冷酷ですよね。多分世界一に冷酷ですよね。データ見るかぎりでは。

私は、こんな冷酷な社会に暮らしていたら生きづらい人は当然のように自殺を選択するだろうと思っていて、実際に自殺の数はものすごい。

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これは厚労省で出しているここ数十年の自殺の統計ですが、2万人超えがずーっと来ているんですよね。単純計算ですが、10年で20万人とか超えてる。小さな都市が消滅するくらいの規模で人が自殺で消えている。自殺って完遂できないことも多いけど、何十倍とも言われる未遂者の数を考えると膨大な人が自殺をしようと行動に移すところまで行っているわけです。なぜこんなにも自殺が多いのかはそういう研究の人がいますのでここでは分析まではしませんが、他者に極端に厳しい世界一の自己責任社会というのは要因のひとつでしょう。安楽死が話題にのぼると、かならず「今だって自殺は自由なんだからさっさとしろ」みたいな意見を言う人がいますけど、自殺は人道的にもどうかと思うし、本人の尊厳が保たれてると思います?私は自分がかなり極論言ってるのは承知ですが、自殺が残酷だから安楽死があるべきだという考えなんですよね。

 

それにしても優生思想というのは難しいもので、人間誰しも「もうちょっと能力が高ければよかったのに」って思うことはそれなりにあるんじゃないかと思うんですよ。

大久保容疑者が優生思想を持っていることをあげつらう報道とかありましたけど、じゃあさー、おたくの会社でどんだけ障害者を正社員としてやとってんの?私めちゃくちゃ無能のアスペだけど私のこと雇ってくれるの?って言ったら全然無理なんですよ。

組織で能力が極端に低い人がいると周囲の足を引っ張るしそれを理由にして障害者を雇わない企業はいくらでもあります。正義の立場から優生思想を責めてるのは気持ちよいんだろうな。

note.com

ところで、最近になって報道がありましたが、日本ではいまだに、新型コロナ感染者が出ると、嫌がらせをするという陰湿な土壌があります。報道されてないだけで暗数は相当あるんじゃないですかね。

www.shinmai.co.jp

 それで、これは一体なんなんだろうかとちょっと不思議だったんですね。

すると、こんな調査がありました。

president.jp

 「感染症にかかるのは本人が悪い」って、何かちょっと医学的に間違っている気もするんですけど。しかし日本は改めて、自己責任論大好きの世界一の冷酷民族なんだなーって感じしますよね。

窓に石を投げ込んで鬱憤はらしてるような人って、自分だけは感染しないって思ってるんでしょうか。自分がされたら?という想像力がないのかな。

三春さんのブログにあった国際比較の調査でも思ったんですが、他者に冷酷って、それだけ想像力が乏しい人が多いのかなとちょっと思ってしまいます。「自分が困窮するかも」という想像ができないし、強い弱者嫌悪があるのが日本人の特徴なのかなと。

自己責任論って楽じゃないですか。他者は助けなくていいし動かなくていいし。

ALS嘱託殺人の被害女性は、もうTwitterやブログを特定されていて、それらをさかのぼって読む事ができます。このあいだじっくりと読んでしまった。

彼女は舌も自分では動かせなくなっていましたから、まぶたの動きだけでずっとこれを書いてきたんだなと思うと胸に迫るものがあります。

ameblo.jp

それにしても思うんですが、安楽死の要件にあるのが「肉体的な苦痛」ばっかりで。精神面での苦痛ってすごく人にとって、QOLにとっても大きなものだと思うのに、なんでまるっと無視されてるんでしょうね。体と精神って切り離せないものだと思うんですけどね。

 たしかに「社会が加害者だ」というのは非常によくわかる感覚です。

 

 私も一人の無能型アスペルガーとして周囲にたくさんの迷惑をかけてきましたけど、迷惑をかけてしまった時の相手のこわばった顔とか、次に顔を合わせたときのまるでゴミを見るかのような目つきとかね…。そういうもの抱えた人にはこういうのきれいごとに感じちゃうんですよね。

無能でも障害者でも弱者でもその人らしく生きていける社会とかあったら理想的ですけど、現実的には難しいんだろうなぁ。何よりも国にお金も余裕もないよな。

今回のALS女性嘱託殺人事件は、安楽死尊厳死のありかたを問うとともに、容疑者がうまく社会適応できなかったアスペルガーという点でも、深く考えさせられる事件だったなと思います。終わってないけど。

 

 

 

おわり

ALS嘱託殺人事件について思うこと

  京都ですごい事件が起きてしまいました。ALS(筋萎縮性側索硬化症)の寝たきりの女性患者さんを、担当医ではない別の医師二人が薬剤を使って殺害したという事件です。

ここは京都新聞の記事でも載せておきましょう。てかマンション写真載ってるけどこれ近所の人ならすぐわかるよな…

www.kyoto-np.co.jp

 で、このニュースへの世間の関心はどんな感じだろうかと思って、ヤフコメとか念入りにチェックしたんですけれども、ヤフコメの方はもう「安楽死はあるべきだ」とか、「身内がALSだったけどすごくキツかった」みたいな感じが多くて、ヤフコメの方では安楽死賛成、医師擁護に風向きが行っていた感じでした。

ところが。

今日の夕方になって発表されたニュースでは、容疑者の優生思想の一面が報道され、これはちょっとヤバイんじゃないかみたいな方面に風向きが変わってきました。

this.kiji.is

bunshun.jp

 文春オンラインはかなりしっかりとした記事をこのスピードで載せています。さすが文春、仕事速いわ。

  私がまだ京都で仕事をしていた頃、知人にALSを長年研究している医学者の人がいました。ALS患者さんやALS患者さんの支援団体とも深い関わりのある人だったのですが、ある時「僕がもしALSになったら自殺すると思う」と言っていたのがすごく印象に残っています。長年にわたって患者さんを見てきてそう思うのだから、それほどに苦しいものなんだというのがこちらにもズシンと伝わってきました。なので、今でも、たとえ医師がどんな思想の人であっても安楽死という選択肢はあってくれて良いんじゃないかと思っています。

 ブコメもちょいちょい目を通していて興味深いなと思っていたのですが、安楽死に賛成の人は、ALSを「自分のこと」として捉えていて、「自分がこんな事になったら苦しすぎるから安楽死はあってほしい」という感じなのですが、一方で安楽死否定派の意見ってだいたい第三者目線なんですよね。

  私はTwitter安楽死を求める人を何人もフォローしておりますが、ほとんどの人は安楽死反対派を蛇蝎のごとく嫌っています。「お前らのせいでよけいに苦しまなくちゃいけないじゃないか!」という感じですね。

安楽死希望の人というのは、ほとんどがなんらかの障害を持っているハンデキャップを抱えた人です。交通事故で脊髄損傷して首から下が全部動かないとか。こうなると自力では自殺もできない。かといって身近な人を犯罪者にしたいとは思っていないので、そうなると「安楽死させてくれ」となるわけです。安楽死反対派の人はこういう人を救うことはできないのだから、救えないならほっといてくれとは思ったりします。

私自身が安楽死を求めている理由のひとつには「苦しみだけの人生はとくに意味がない」と思うのがあります。なぜかこれを言うと「甘えるな」とか言われちゃうんですけど。

ところで大久保容疑者にはTwitterアカウントがあって、フォロワーは1万5千人もいたようです。togetterにもまとめが残っていたので、こちらにも貼付けておきます。

togetter.com

  大久保容疑者って私とほぼ同年代で、このくらいの年代で国立卒の医師だとかなりエリート意識あるんですよ。超氷河期の世代だけど医師はあまり関係ないから氷河期の苦悩もないし。そういう人がいざ臨床に出てみるとここにあるツイートみたいに高価な薬捨てちゃうとか信じられない行為に出る患者さんがいたりして、世の中にはこんな人がいるのかと絶句する。臨床に出てある程度経った中堅医師で胸くそ悪い思いをしていない医師なんてほとんどいないんじゃないかな。おそらく医師同士で集まれば殺したいような患者の話は普通に出るでしょう。ツイートとかその他のまとめとか読むと、じょじょに変になっていったのかなと思いました。

 ところで去年、安楽死を扱った『デスハラ』という漫画がバズっていたんだけれども。

nlab.itmedia.co.jp

 実はこの漫画、安楽死賛成派としてかなり違和感があったんですよね。というのは、この漫画のおばあちゃんってかなり裕福だと思うんですよ。私が困窮して「もういい加減に死なせて欲しい」と思った時は友人たちとお茶に行く余裕もなかったし、そのために着ていく服もないし。

この漫画は近未来を想定して描かれている感じだけれど、その時代で孫までいるって相当恵まれている方なんだよね。あと、このばあちゃん健康そう。家だって庭がある一軒家だし個人の車まであるし。そりゃーハッピーで健康でそこそこ裕福なこの状態では安楽死なんかしたくもないわな。孫の成長だって見たいだろうし健康体ならギリギリまで生きていたいだろう。しかもこのおばあちゃんどこからどう見たってかわいいし。

 

そうじゃなくて、私の知っている安楽死を求めている人は、

 「治らないとはっきりしている障害や病気があり、それによる強い苦痛がある」

 「家もない、貯蓄もない、子どもいない、子どもがいないから当然孫もいない」

 「多額の医療費を必要とする病気になったとき、それを払える財力がない」

 「老後に自力で暮らして行くお金がないとはっきりしている」

   「孤独である、もしくは孤独になる事がはっきりしている」

 あたりの、のっぴきならない事情があって、何よりも「生きて行く上で強い苦痛がある」「その苦痛を取り除く方法がない」というのが大きな要因なんですよね。

 

私は、この『デスハラ』がバズったとき思ったんですが、例えばこの主人公が、

私、A子、65歳。就職氷河期に飲まれて非正規にしかなれず生涯独身。今の貯蓄は15万円くらい。5年くらい前に乳がんになって一気に数百万なくなっちゃった。

先日、違和感を感じて病院に行ったけど、私、大腸癌ステージ4だって。脳転移もしてるって…手術できるけど860万かかるって。

遠方に兄がいるけど、兄、認知症始まったし私が面倒みなきゃだなー。でも私いま引っ越しするお金もないんだよね…。これから私一体どうなるんだろう。怖い。ああ今日もバイト行かなきゃ。あともうちょっと働かないと今月の家賃払えないんだよね

…みたいな感じだと世間の反応はどうだったのかなと。

私が65歳になるころになると、「孫がいる」ってもうそれだけでかなりのステータスになってますよ。支える人がいないから医療費も保険費も高騰するし当然だけど老人ホームなんかよほどの富裕層じゃないと入れないし。漫画よりはるかにディストピアなんじゃないかしら。もとの『デスハラ』の漫画とずいぶん雰囲気違うと思う。でも現実の方がよほどキツイんじゃないかな。でもこんな内容じゃバズりませんわな。

以前、少しだけ、苦しい状況に置かれた女性のことを取材している報道がありましたけど、とりたてて話題にもならず。

www.asahi.com

こういう層が75歳になったときがすごくキツイと私は思うんですけどね。「デスハラ」漫画とはまた違うけど、こちらのほうが切実だと思う。

 

 しかしながら今の日本の異常な同調圧力を考えると、やはり『デスハラ』のような事はおきかねないので、異常な同調圧力の点からの安楽死反対には私も「たしかに」と思うところはある

 

 今回のような事件が起きてしまうと、ここからまた安楽死の議論なんかはどんどん後退するし、そもそも安楽死案件って別に票にもお金にもならないから、どこの議員だって立案なんかしないしな。

今回の事件へのコメントで、「そもそも障害者がこんなに生きづらい社会が悪い」ていうコメントもわずかに目にしたけど、障害者や弱者はどの時代も生きづらいよ。明治時代なんか今よりはるかにすごいし。これから社会全体がどんどん厳しくなっていく中で、弱者にかける余裕はどんどん減って行く。今だって障害年金生活保護を切られたりする人がいるし、そういう中で障害者が優遇されるわけがないしなぁ。

私自身もそうだけど、生きるのに苦痛を伴うハンデキャップのある人にとって、安らかに死ねるってすごい救いなんですよ。好きでハンデキャップ背負って生まれたんじゃないし。 

ALSで殺害された女性が、ALSを発病したのがちょうど40代はじめで、今の私くらい。それから10年くらいずーっと迫り来る死の恐怖と苦痛に一人きりで耐えてきたんだろうな。私ならとても神経がもたないよ。どうか安らかに眠ってほしいです。

 

逮捕された医師は元厚労省官僚 「高齢者は社会の負担」優生思想 京都ALS安楽死事件|社会|地域のニュース|京都新聞

そうやって「優生思想だ。優生思想につながる」といって議論を進ませなかったから今回のALS患者のような人が生き地獄を味わい続けたんだろう。これを叩く前に、現に一人救えなかった人がいることを思い出せ。

2020/07/23 22:05

b.hatena.ne.jp

 ■

最後に、大久保容疑者が、自身のTwitterから、お子さんが発達障害だったり、自身もまた発達障害だというのがわかってきて、私は「つら…」となっています。

これについてはまたブログを別に書くかもしれません。

 

 

 

 

おわり

 

え?と思った話

 ほぼ寝たきりになってまる3日になるねねさんです。皆さんこんにちは。

寝たきりでほとんど家事ができず、横になって休みながら毎日5〜6時間くらいかけて洗濯をしていて、気づいたらもう夜。動くととにかく体がズキズキしてとにかく苦しい。腹の中に鉛とかをつっこまれてるような重み、足の底からぐわーっとわき上がって来る疲労感、とりあえず寝ているとまだマシ、みたいな状態でほぼ寝たきりになっています。

 

あれ?これ鬱じゃね?

とかやっと思い始めてきたんですけど、でも明確な希死念慮とかがあるわけじゃないし。鬱でしょうか。ちょっとわからないのですが。

先日、こんな増田があったんですが…

anond.hatelabo.jp

 私これちょっとびっくりしたんですよね。結婚して子どもも複数産んで、それでフルタイムで働いててって、どんだけ優秀な人なんや。なのになんでこんなに自己肯定感がないの??というか、最近の日本人て、(いや日本人が他者に厳しいのは昔からある話ですが)なんでそんなに立派じゃなきゃいけないの?

子どもにとってお母さんがいるってそれだけで嬉しいことだと思うんだけど、どうしてそんなスーパーお母さんじゃないといけないの。

  私はこの増田と同じ40代女性だけど、子どもだって生んでないし働けてないし、そんな状態だから当然お金だってまるでないし、障害があって健康ですらないし、疲れすぎて風呂すら入ってない状態なんだけど、でもそんな人世の中を見渡せばいっぱいいるし「そんな人もいるさ」とかどこかで開き直ってるんだけど。なんでこんなすごく頑張ってる人が肩身の狭い思いしてるんだろう。

 

そういえば先日、うすーい知り合いの人がネットでこんなことを書いてたんですよ。

とあるドラッグストアで店員さんから詳細な説明を聞かされて感動した。

たとえファミレスでも、このくらいのプロ意識を持って仕事に取り組むべきだし、そのようなプロフェショナルであることを期待したい。

  んでまたこの投稿に「素晴らしいです!どこそこのファミレスの店員はプロ意識すごいです!」みたいなコメントがついてるんだけど、いや、あのさ〜、そういうのばかり求める社会だから日本人貧しくなってんじゃね?と思うんですよ。すごく高品質のサービスを安価で提供しつづけたら、働く人が貧しくなっていくのは当然だよね。低価格で高品質のサービスって、サービスされる側は嬉しいかもしれないけど、めぐりめぐって自分の首しめてるって早く気づいてくれ。あと、この人お金あるんですよ。お金のある人は高品質なサービスにボンボンお金を使ってくれ!

 

  Twitterであったヤツなんですけど、この元ツイの人ってお花畑だよね…。自分が「お金は出ないけどしっかり労働力を提供してね!」って言われたらそれに納得いくの?納得した上で丁寧なサービス提供できるのかな。私ならきちんとした給与をもらっている看護師じゃないと怖くて嫌だ。看護師さんが疲れすぎてフラフラなのはこれまで何度も見てきたけど、そういうのが医療事故につながるんじゃないか。精神論もいい加減にしろ。看護師ってついついファンタジーを押し付けられがちな職業だけど、そういうファンタジーの投影ってやられた方はかなりしんどいし気持ち悪いと思う。

  前出の「ただのバイトにプロフェッショナルなスキルを求めてる」という話でも、これ、背景にあるのどういう心理なんでしょうか。ちょっとのミスでも許せない。サービスの対価としてわずかな料金しか払ってないけど高品質のサービスがいいみたいな?ファミレスの時給を知ったうえで言ってるんだよ。それってちょっとどうなんだろと思う。こういうの続いていたら、どんどん社会がぎすぎすしていって、ものすごい立派な人じゃないと生きてちゃいけないみたいになってしまうよ。

内閣府の調査とかでも、「日本人自己肯定感低くね?」みたいなのがあるんですけど、このあたりはどこの調査データ持ってきてもだいたい低い。単純な言い方をすると、「他者に厳しく自分にも否定的なマイナス思考の人々」が日本人の多くを占める感じってことになるんですかね。www8.cao.go.jp

 

  私も今の社会で自力では生き抜ける能力がないので、それで安楽死を求めているわけですが、可能なら無能な人でも楽しく生きられたらいいよなーとは思うんですが、それが現実的にはとても無理なので振り切れてそっちに行っちゃったわけで。

できればゆるやかな社会の方がみんな生きやすいんじゃないの?と思ったりしています。もうちょっとみんな肩の力抜きなよ、だってその方が楽じゃない?そしたら無能の人だって自分を責めなくて済むじゃないですか。

女子大生のん@21卒 on Twitter: "不景気だからこその視点でつぶやくと「意識高い系だね」と叩かれる。現に、私はSラン通ってるし、一年生からある程度の企業でインターンも始めて、他にも立ち上げ手伝った。そもそも"意識高い 系"は景気を気にしてTwitterしてないよ。そ… https://t.co/eosRpjnQJb"

そこまで素晴らしい大学生じゃなきゃ就職できない時代はものすごい呪いを産むんだよ。氷河期世代からの伝言な

2020/07/22 07:26

b.hatena.ne.jp

 私もアラフォーの超氷河期世代ですが、これには非常に強く同意します。

同じく氷河期世代の私の夫は、慶応の法学部でしたが完全に内定ゼロのまま卒業してました。夫は関西圏でトップクラスの進学校の出身でそこは毎年東大京大に数十人入るところなんですけど、夫に言わせると「こいつはすごいな、頭がいいな」と思っていた同級生がどんどんひどい状態になっていったそうで…。

  氷河期の恐ろしさってそこで、有能な人が全然まともに職に就けないままで低賃金のアルバイトとかしてるというのは、これは社会的にも大きな損失なんだろうなと思ったりします。人の能力を偏差値だけで測る事はできないんだけど、氷河期になったらこういうのゴマンと起きちゃうんですよ。何万人ていう単位で。

私の周囲には海外に出て行ってしまう人がちらほらいるんだけど、もうこれからの大学生は海外で働くのも視野に入れたほうがいいと思う。オランダとかビザなしで就労可能だし。

 

 

 

おわり

 

 

雑感

先日、こんな増田があった。

anond.hatelabo.jp

これを読んで私がつけたコメントがこちら。

働くの不安なニートちょっとこい派遣社員やってみろ【追記あり】

増田よりはるかに低能な私が来ました。仕事に行ったらまず次の日高熱を出して寝込む。体がガチに弱い人ってどんな仕事に就けばいいんだろ。朝出勤するだけで職場で気を失って倒れるみたいなレベルの人…

2020/07/20 00:29

b.hatena.ne.jp

 じつはこれ、現在進行形で私自身がこんな調子なのである。だから働く事はできないので、家でほとんど寝たきりになっている。

「極度に体が弱い人はどのような仕事ができるのか?」というのは、かなり昔から不思議に思っていたが正解がいまだにわからない。社会のほとんどの仕事は最低限の体力があることを前提に設定されているからだ。やはり「職に就く事自体」が贅沢で、生活保護が通ればマシ、最悪餓死という感じなのだろうか。

ほぼ寝たきりのままで何ができるかと言うと、内職とか株とか?ずーっと疑問なので、誰かわかる人がいたら教えてほしいくらいです。

 ちなみに私は10代のときに7年ほど引きこもったんですが、その後なんとか働こうとして近所のファミレスに応募、歳が若いので採用されてファミレスのキッチンで働こうとするも次の日にはもう39.2度の高熱が出て気づいたら昼2時すぎ、店長から怒りの電話がかかってきて「ウチ、そういう子いらないから。今すぐ店に来るか辞めるか決めて!」と言われて実質クビ、その後飲食店で週3くらいのバイトをするもこれも体力がもたずにギブアップ、疲れとADHDからミス頻発。「どこか悪いの?病気なら治してからまた来て」とこれもまたクビ。へたに見た目は普通どころかタフそうな見た目をしてるのでよけい責められて大変。

 私の体の極端な弱さはおそらく発達障害から来るものだろうというのを何年か前に医師に言われたりしたんですが、それにしたってあんまりに無能すぎてやるせなくてどうしようもない。だから私は雇われて働いた経験というのはほとんどなくて、一人で自分で自営業をやっていたんですけど、これまた経営が失敗して自殺寸前まで行きました。体力的に仕事を請けられなくなったのが大きな原因でした。

yomidr.yomiuri.co.jp

私の場合、体がほとんど動かなくなって極端な疲れの原因はおそらくは脳内のセロトニンが少ないことがあるんじゃないかと推測しています。もともと私はアスペルガーなので、脳内物質の異常がおきる可能性も、(通常の人に比べると)高い。4月くらいだったかな。血液検査を一通りしたんですが異常なし。何が原因かというともう脳くらいしかない。同じアスペルガーでも私の父親なんかは外国でバリバリ仕事するタフな人でしたから、おそらくは脳内の物質のタイプが少し違うのでしょう。

anond.hatelabo.jp

 匿名ダイアリーを読んでいると、時々「身内が引きこもりで…」みたいなのが立つんですけど、私はけっこう「これ発達障害と違うんかな」と思ってしまうんですけど、ただもう「体力が落ちてしまって働くこと自体が難しい」という人もいるのかなと思ったりします。

 以前あった中高年ひきこもりの記事なんかで、中高年ひきこもりの人がその後どうなるかというとやっぱり自殺が多いんだというのがあって、「あー、そりゃそうだよな」と思ってしまったことがあるんですが、本人だってできれば自殺とかしたくないだろうし、自殺って発見する方もつらいじゃないですか。だから私は自殺には反対です。

…とまぁそんなわけで、私は自分のことは、ほとんどめったにいない無能だと思っているんですけど、好きで無能に生まれてるわけじゃないし、無能を自覚しながらそれでも生きていかなくちゃいけなっていうのはものすごくしんどいです。発達障害系の人にはよくある話なんですが、自分が働くことでまわりに迷惑をかけてしまうというのが、すごくキツイ。よく、生活保護の人とかへのバッシングとかで「働けよ」っていうのあるじゃないですか。あれほんと現状をわかってねーなと思うんです。働くとまわりが迷惑するって人もいるんだよ。

 いつだったか、母親に「あんたみたいな人がたくさんいたら社会がまわらない」みたいなことを言われたんですが、これはたしかに自分でもそう思うんですよね。とにかく体調が不安定で、下手すると公共の場所でも嘔吐してしまうし。店で店員さんがゲロ吐いてたら嫌じゃないですか。ほとんどの仕事っていうのは、体調が安定していることをベースにしてるので、私くらいの虚弱な人ばかりになったらたぶん種族として存続できなさそう。

p-shirokuma.hatenadiary.com

 ところで、少し前にあったシロクマ先生の記事ですが、私は少子化をもたらしているのは低賃金長時間労働だと思っています。

 私くらい超脆弱な個体はむしろかなりの少数派ですが、世の中にはタフな人もいて。残業込みの仕事をガンガンこなしたあと、週末は徹夜で車を飛ばしてサーフィン、ガッツリ遊んでまた徹夜で帰ってきて2時間仮眠してそのまま次の週も仕事、みたいな人もやっぱりいるわけです。このくらいタフだと長時間労働に耐えうるので、そういう個体が次世代を作って行くのかなと思ったりします。うわーこれが自然淘汰なのか?知らんけど。私の知人にもこのくらいタフな人はちらほらいて、当たり前のように子どもも作っているし、またそういうとこの子どもはだいたい生まれつき強い。なんか優生思想になっちゃうんですけど、高負荷、高ストレスに耐えうる人間が次世代を作った方が良いんじゃないかと思うんですよ。脆弱な個体だと生きるのつらいし。優生思想?新ダーウィニズム?わからんけど。

 自分はもうとてもじゃないけど子どもとかを持つ余裕はなくて、とにかく体がもたなくて無理で、おそらく妊娠する力もほぼないと思うんですが、子どもができたらできたで今度は高確率で障害児なので、う〜ん、これはちょっとなという感じになってきてしまうわけで。

 少し話が戻るんですけど、最近の日本人ってあまりに働かされすぎてませんか。長時間労働が当たり前になっていて、それに耐えられない人はニートとか引きこもりになるしかなくて両極端というか。

生きるために仕事しているんじゃなくて、仕事するために生きてるみたいになってる。低賃金だから長時間働かないと生活できない。そうなったら強靭な個体だけしか余裕を持てない社会になっちゃう。もう実際この状態になってる。

 私は仕事するために人生があるなんて思ってないです。ヨーロッパ人みたいな発想だけど楽しむためにあると思っている。なんでか日本人ってあまりそういう発想しなくないですか。なんかギリギリ皆が苦しまねばならない!みたいな…。私からするとそっちのほうがすごく不健全な感じがするんだけど、でも自分のような感覚はかなり変わったほうなんでしょうね。

 

 

雑感なのでおわり。

 

新型コロナを「ただの風邪」と言う主張に違和感を感じる

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 この写真は都知事選のとき、立候補のポスター掲示板を撮ったものなんですが、最近、このような「新型コロナはただの風邪だ」というような主張が一部で出てきていて、そのことにすごい違和感があります。

  新型コロナのれっきとした闘病歴がすでにあって、そのうえで「いや、ホント普段の風邪とまるで変わらなかった」という感想を一個人が言うのでしたら、「そういう症例もあるかな」と思うのですが、かかった実体験がない人が「コロナはただの風邪」と言うのは、ちょっとなにか違うかなと思います。

www3.nhk.or.jp

  新型コロナに関しては以前から「肺が繊維化してしまう」という話があって、後遺症がかなりヤバイぞという説がありました。

Twitter上では、NHKのこの報道がある以前から後遺症についての体験談が複数あり、Twitterにはデマがちらほらある事を考慮しても、後遺症を考えると「ただの風邪」と言ってしまうのにはあまりにも危険すぎる。

後遺症について、どのような人がなぜどのような因子によって起きるのか今のところまだまだ不明で、後遺症をどのように防げば良いのかもよくわからない。新型コロナ感染自体を含めてまるでたちの悪いロシアンルーレットのようである。

 

 今日になってこのような記事も出た。

toyokeizai.net

 私個人としてはできるだけ以前の生活に戻りたいし、新型コロナにも治療法が確立してほしいと願っています。しかしこの「新型コロナは風邪だ」というタイプの人って一体どういう心理なんでしょうね。 上にある写真の平塚正幸さんのtwitterとか見に行ってみたんですけど、新型コロナを心配する人を「コロナ脳」って呼んで馬鹿にしていて、う〜ん、なんかそういうもんなのかなという感じでした。ようするにコロナ以前とまったく変わらない生活をしてピーキャー騒いで、かかったらあきらめようぜ!という感じなのでしょうか。

 

 新型コロナの悩ましいところは、まったく無症状の人が感染力を持っているところで、実はキャリアの人が「無症状だからいいだろう」とマスクなしで行動して、別の誰かを感染させる可能性があるところです。アメリカであったけれど、症状がないからとBBQに参加した人がいて、同じBBQに参加した別のおっさんが重症化して亡くなってしまいました。これは家族としてはたまったもんじゃないよ。

www.donga.com

 アメリカでマスク拒否運動みたいなのがあるらしい。私はこれについては反対です。

私はでかけるときは必ずマスクをしているんですが、それは自分がもしかすると無症状のキャリアで、こちらがうつす可能性が完全には否定できないからです。自分がうつしたと思われる人が亡くなってしまったら、それこそ気まずいなんてもんじゃないですよ。私なんか自分で言ったらアホみたいですけどすごく神経が細い方なので、そんなの絶対に嫌なので外出時はかならずマスクはしています。

 

  自分のまわりにも何人かいるんですけど、たとえば障害があってどうしてもマスクができないとかの特殊例を除いて、マスクをしない人ていうのは、どこかでコロナ舐めてますね。「死ぬ人もいるみたいだけど、それは自分じゃないよな」という感じですかね。自分が移してしまう側になるかも?という感覚はほとんどなかったりします。

 知り合いのおばあちゃんなんか「私はいつ死んでもいいのヨ、オホホ」とか言って笑ってて全然マスクしよらへんのですけど、あのね、あなたが勝手に死ぬんだったら勝手だけど、救急車も病院も医療関係者も全部ひっくるめてリソースあなたが食うんでしょ?そこまで考えてないでしょ?って感じです。いや言いませんけど。

 重症化していないのは、たまたまホストの人たちの免疫が正常に機能していたというだけの話で、だから回し飲みしていいよって話じゃないと思います。

 

 それにしても、新型コロナってもう、バンバン弱いところを狙ってきますよね…。コロナで逆に儲かったという業界もあるかもしれませんが、そんなのごく一部だしなぁ。

私はしっかりマスクをつけたままで夏を乗り切ろうかと思っています。あごの下がスカッと抜けてるタイプのマスクは息苦しくないらしいですし。ちなみにマスクが予防になるという意識はそこまではっきりはありません。ただ、すべての人がマスクをしっかりつけたら、ずいぶん感染は違うんじゃないでしょうか。

(あとでマスクのアフィリエイトでも貼ります)

 

 

おわり

 

 

大西発言について個人的に思うこと

れいわ新撰組の大西つねき氏が、「命の選別」という発言をして大きな話題となっている。

www.asahi.com

私は大西氏のことをうっすらとしか知らないのであるが、この人はもともと外資系(JPモルガン)にいてディーラーをやっていたという輝かしい経歴らしい。

1986年にJPモルガン入行だなんて…扱うお金の桁が違うよ…バブル時代だよ、すごそう。超がつくほどの勝ち組じゃん。

 そもそも弱者救済を掲げて実際に社会的弱者である障害者を候補者にした「れいわ新撰組」に、なぜこんなにもバリバリの社会的強者である大西氏がジョインしているのか、個人的には少し不思議な感じがしていた。大西氏は経済アナリストであるから、経済優先で考えるのならば障害者の存在となにかこう、しっくりこないものがあったからである。

  「れいわ新撰組」には、現在、木村さん、ふなごさんという二人の議員がいる。この二人は「特定枠」という特殊な方法をもちいて当選した経緯があって、この二人のかわりに山本太郎は議員の立場を失っている。

 実は私自身も、いったい、全国の人はどれだけ、この二人に期待があるのだろうかという関心があった。それで開票直後の得票数にかなり注目していたのだが、木村さんふなごさんともにだいたい4〜5千票くらいの得票数で、日本全体の有権者数が1億人を超えることを考えると、木村さんふなごさんを純粋に支持していた人はきわめて少数派であるのだなと、そんなことを考えたりした。木村さんふなごさんの二名で得た得票数をざっくり有権者数から割り出すと、1億強の有権者のうちの約1万で0.01%いかない程度である。本当にわずかだということがわかる。

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 「れいわ新撰組」の代表である山本太郎氏は、その知名度もあって99万票を獲得していていて、この票を「特定枠」で使って当選となったのが、木村ふなごの両議員なわけである。木村さんふなごさんの、重度障害者の人が国会議員になったというのは、国会の歴史の中でもきわめて画期的なことで、山本太郎自身が議席を失ってでもこの二人を国政に送り込んだことには大きな意味があったと私は思っている。

 ところでさきの大西氏の「命の選別」発言の映像を見たが、これはさすがにアウトである。党の方針とも合わない。しかしながら、どこかでこのような発言が出てきてしまうのも無理はないと思うところがちょっとある。そのくらい、多くのあふれかえる老人たちを抱えるのがこれからの日本だからである。

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 この増田がリアルだ。この人は両親が相次いで要介護状態となり、その費用に毎月40万ほどがかかっている。もちろん親の年金などがあるからいきなり40万がごっそり出て行くわけではないが、帰省のための費用、その他の雑費など、出て行くお金はかなりあるだろう。だが今の時代だからこの費用で済んでいるのであって、これから先、親の年金は減らされ、介護費用はますます高くなる。そして何より介護の手がなくなる。だから20年後とかになると「両親二人で月70万かかる」とかなってもおかしくない。これが少子化の現実である。

 この増田の場合は、まだ両親の年金がある。しかし世の中には無年金の人だってゴロゴロいるし、はたまた子どもの方が、「一人娘で重度障害」とか、そういったケースも確実にある。この先、ますます削られて行く社会保障費でそのようなケースをいつまで救済できるのだろうか。当事者の困窮はすさまじいのではないか。

 しかし、それでも命の選別というのはしてはいけない。

なぜ老人に近い年齢の大西氏がこのような発言をしてしまったのだろうか。自分が選別される側になるという感覚がごっそり抜け落ちていたのだろうか。

 私自身は積極的安楽死推進派であって、このようなことを書くと「じゃあお前も植松だろう」という混同をされがちなのだが、自己決定権と、命の選別というのはまったくの別物である。ここが難しいのだが、社会的弱者が否応なしに追いつめられて、本当は不本意だけれど“自分の意思として”安楽死を選ばざるをえなくなったとき、やはりそれはマクロで見れば「命の選別」となってしまう。

ただ、私自身としては、困窮のはてに自死せざるをえないのはまったく人道的ではないと思うので、選択肢としての安楽死はあってほしいと思う。

nenesan0102.hatenablog.com

(このブログを書いたのももう3年も前になるのかと思うとちょっと感慨深い。)

 

つい先日、障害者であることの経済的な損失というのをふと考えて暗澹たる気持ちになった。まともに働けないことから始まって、生涯単位での医療費、単純計算でも億単位で損失しているんじゃないかと思う。もちろん人間を生産性で見る事は表向きにはそれは駄目なんだけれども、「それはわかってるけどすげぇキツイっすわー」というのが本音である。無能な個体に生まれるともうすごくしんどい。

 

  時々考えてしまうのだけれど、私が安楽死を望んでいるのは生きていること自体が苦痛だからであって、障害がなく別の個体であったならばまた感じ方は違う。大西氏のように、自分自身のちからで人生を切り開いてきたような人はメンタリティがまったく違う。架空の話であるが、私が大西氏に生まれていたなら、積極的安楽死なんてことは言い出さずに人生をエンジョイしていただろう。

 私が安楽死を望んでいるのは、「自殺があまりにも残酷な死に方であるから」という理由である。自死は本人だけでなく周囲にも大きなダメージを与える。

 この先の日本で、ずーっと安楽死尊厳死が認められず、老人介護をとりまく環境が悪化の一途をたどるのであれば、介護による殺人、それこそ「伏見介護殺人事件」のような悲しい事件がごく当たり前のことになってしまう可能性がある。それは人道的であると言えるのだろうか。

www.dailyshincho.jp

  大西氏の発言は私はうかつであったと思うし、命の選別は許されることではないだろう。コロナ禍によってさらにますます厳しくなる財政事情や少子化によるこの先の日本のことを考えたら、はたして今のままの路線を放置していてそれで良いのだろうかというのは思う。 議論することから逃げることで苦しむ人をわざわざ生み出しているように思えて仕方ない。個人的にはもう議論すべき段階に入っていると思う。

 ちなみに尊厳死については八割もの人々が賛成しているというアンケートがある。いい加減に法整備について議論をすすめてもらいたいものである。こちらのサイトは、「尊厳死」と「安楽死」との違いがわかりやすく説明されているのでおすすめ。

www.minnanokaigo.com

 

 

おわり 

無題

今日のブログにはメンタル系の重い話が含まれるので、いやな人はリターンしてください。

 

 

 ここ数年、私は近所の公園のゴミ拾いをしている。そこで色々な知り合いができた。こうして顔見知りになった人の中で、コロナ自粛期間ほとんど会わなくなったAさんという70歳くらいのおばあさんがいた。

 先日公園にいたところ、たまたまAさんが向こうから歩いて来るのを見て手を振った。

近くに来たAさんを見てびっくりした。目が落ちくぼみ10歳くらい老けた感じ。そしてげっそりと痩せこけていた。

思わず「痩せましたね!」と言うと、突如Aさんが「私、精神病なんです…」と言い始めた。心の中で「ええ…」と思いながらも私はこの後、Aさんの話を数十分に渡って聞くことになった。

 まだ20代のはじめに突然発病したこと、それから寛解期を経て結婚したが夫のDVによって離婚したこと、そこからは懸命に働いてきたが2年前に突然また職場で発病して救急車で運ばれてそのまま入院したこと。今年になって炊事をするのが困難になり食べることすらままならなくなってげっそりと痩せてしまったという。

 参ったのは、Aさんの希死念慮がかなりひどく、「つらくてつらくて…今すぐにでも死にたいです」とか、「あの川に飛び込んだら死ねるのかなとか思うんです」とかボソボソと言われるのがキツかった。具体的な死に方を話されるたびに腹の奥に冷たい石をねじこまれているような感じだった。

 

 Aさんには一人息子がいて、この息子が30代後半なのだが、「新しい車が欲しい」という理由でサラ金から借金、その肩代わりをAさんに頼んできた。それをAさんが拒んだところ息子は怒ってそれからAさんと会話すらしなくなってしまった。

 Aさんがもし、強い希死念慮に耐えかねて自殺をしたら、おそらく第一発見者は息子で、遺体確認するのも息子になるのだが、これは息子からすればだいぶ迷惑な話であろう。精神を病んだ家族がいるというのはそれだけでなかなかにきついものなのだが、いつ死ぬかわからないという人を身近に抱えているのは、それはそれで精神的な重圧がある。

 全国的に見れば、Aさんのような今後に課題を抱えた家族は何十万、何百万人にものぼるわけで、今後、行政はどのように対処していくつもりなのだろうか。家族がみろ看病しろといっても限界がある。結局、どうすれば良いのか解決策が見つからないまま、時が来たらなるようにしかならないのが現状である。難しいものである。

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 私がびっくりしたのは、Aさんがかつてはこのような人物ではなかったということだ。働くのが大好きで仕事をバリバリとこなし、職場の皆と連れ立って居酒屋でワイワイと騒ぎ飲み、居酒屋からカラオケはしごも頻繁にあり、ハキハキとしゃべりキビキビと動く、活動的な人だったというのだ。今の彼女は頭がまわらないのか話すのもゆっくりで、よちよちした歩き方しかできない。

ほんのわずかな脳内物質の変容が、彼女をこんなにまで変えてしまったのだ。

 

 私はもともと精神論や精神論をぶちあげる人が嫌いだ。というのは、脳内のほんの些細な変化によって人の精神というのはいかようにも変わってしまうからだ。たまたまそのとき、脳や体内の生理環境がうまく歯車が回っていただけの話で、精神論をぶちあげる人自身が、明日脳に変容をきたさないという確約はどこにもない。いつ誰が具合を悪くするかなんてほとんどガチャなのだ。

 

 Aさんはもともとすごく律儀な人だ。私に「聞いてもらってとても気持ちが軽くなりました。ありがとうございました」と何度も頭を下げて帰って行った。

 私はまた、ゴミ拾いを再開した。

 

 

 

 おわり